5−1:冷然女王の白亜城
わだかまりが消えれば、遮るものが無くなる。遮るものが無くなれば、物事は順調に進み出す、はず。
少なくとも以前よりもずっと、練習はスムーズになっていた。
「……良いわ、エペル。今の感じを忘れないように」
「はい!」
「デュース、無駄に工夫しないで。そこは前のままでも悪くないからさっきのままにして頂戴」
「は、はい!」
「ジャミル、歌に切れ味が増してきたわね。切れ味は落とさずに、もう少し重く出来るかしら」
「やってみます」
「お願いね」
振り付けやフォーメーションもそれぞれの練度が高まるにつれてアレンジが入って、今や決められたものをただ出来るようにする練習ではなくなっていた。総括はシェーンハイト先輩だけど、先輩自身もハント先輩に意見を聞いたりするし、一丸となって作り上げる『文化祭』の練習らしくなってきたと思う。
みんなで試行錯誤して、どんどん完成度を高めていた。
シェーンハイト先輩の負担を心配もしたけど、遅れていた二人が追いついてくるにつれて表情も明るくなってきたし、彼自身もプレッシャーを振り払う勢いで磨きがかかっている。
マネージャーは相変わらずサポート業務をするばかり。でも間近で彼らが完成していく様子を見られるのは最大のご褒美だ。その中に普段は一緒に勉強したり馬鹿やってる仲間がいるのだから感慨深い。
ついでにグリムも何故か振り付けを覚えたらしく、最近たまにくるくる回っている。それが妙に上手なものだから面白い。
「やっぱユウよりグリムの方がダンスの才能あるよね」
と、素直で正しい感想を述べたエースに肘鉄かまさなかった謙虚な自分を褒めてやりたかった。
練習していると時間はあっという間。片づけて食事の準備して風呂入ってスキンケアして寝て、と慌ただしく時間が過ぎていく。
だからストレスを感じる暇が無いかと言われれば、そんな事は全然無い。
これまでの生活、元の世界も含めて、僕は一人で過ごす時間というのが非常に多かった。グリムやゴーストたちがいる分には、四六時中一緒というワケでもないので何も思わなかったけど、これだけ多くの気配があるとどうにも落ち着かないらしい。
かといって外泊したいワケでもない。別にみんなを信用してないワケじゃないけど、オンボロ寮に他人が泊まって自分が外泊するのは違和感がある。
そして、それとは全く別に湧いてくる感情もあった。
目標に向かって真っ直ぐに努力しているみんなを間近で見ていて、どこかわくわくしているような、そわそわして落ち着かない感覚がどんどん大きくなっている。
自分も何かしたい。何かを目指したい。
マネージャー業務だって一緒に目標を目指してやる事なんだけど、そうじゃなくて、自分の中に残り続けているものを少し慰めたいと思っていた。
現実を前にしては打ちのめされてしまうような、束の間の夢を見たい。
そんな気持ちがあったかどうかは不明だが、気づけば練習までのわずかな時間で図書室に立ち寄り、演劇の台本集なんて借りてきてしまった。
図書室の蔵書は本当に多岐に渡るが、魔法に関係のないものまであると最初は思ってなかった。帰る方法を調べる本を探している時に、隅の方で偶然見つけたものなのだけど、人気は無いのかいつも所在なさげにひっそりしている。魔法も使えず歌も踊りも出来ず、隅の方でひっそりしているべき僕にお似合いな気がした。
そんな仲間意識で借りてきてしまった本を、いま現在読める場所がない。いや読めばいいんだけど、読んでる時に声をかけられたくない。何で読んでいるかを説明するのは避けたい。尋ねられて説明しているうちに、夢を見る気持ちはきっと泡みたいに弾けて消えてしまう。
だから、ひとりになれる場所と時間が欲しかった。
その解決策は意外とすぐに思いつく。
オンボロ寮には裏手の方にちょっとした森がある。多分、寮の敷地を区切る目的で作られたものだ。森を抜けた向こう側は切り立った崖になっているので、そこに近づけさせないためでもあるのだろう。
オンボロ寮の裏口からその森までの空間を勝手に裏庭と呼んでいるのだが、そこなら人目につかないと思いついたのだ。使われてる居室は割と正面玄関寄りの位置だし、裏口に一番近いキッチンも夕食の時間が終われば人の気配はない。
ほんの一時間程度の現実逃避。
初日はなんとも上手くいった。上着をかぶりレジャーシートを敷いて木の根本に腰を下ろして、寮のがらくたの中から見つかったというランプを灯りに本を読む。冬の冴え冴えとした空気と満天の星空というロケーションも相俟って、夢のような時間だった。
それからというもの夜に時間を作っては裏庭に潜むようになった。みんなと話が弾んでしまった日でさえ、ほんの数分空を眺めるためにこっそり外に出た事もある。
自分だけの秘密基地を作ったような気分だった。
今日も入浴を終え、こっそりと裏庭に出る。『VDC』本番まであと十日ほど。明確な形の無い完成を求めて練習を積み上げていくみんなの姿に、毎日心を打たれていた。駆り立てられるような気持ちが胸を弾ませてやまないけど、それを知られたくもない。そんな自分の気持ちは、彼らの邪魔になる気がしていた。
いつものように木の根本に腰を下ろして、ランプの灯りで台本集を照らす。いま読んでいるのは子ども向けのもので、小学生ぐらいの子たちが演じるのに適した演目がいくつも入っていた。この世界の童話をモチーフにしているものも多いらしい。知らない話ばっかりだった。
別に読書が好きなつもりはない。でも台本を読むのはいつも心が弾む。台詞から誰かの声がする。ト書きから舞台上の誰かの動きが見える。小説や漫画の台詞を読んで遊んでいる時とは違う世界を見られるのだ。
「さぁ、夢の世界へと渡れる空飛ぶ船を探しに行こう!」
主人公の台詞を読み上げる。他のキャラクターの台詞も読んで、掛け合いをひとりでこなしながら、舞台の上を縦横無尽に動き回る彼らを思い描く。それだけでは飽きたらず立ち上がった。ランプを小道具に、台本を宝の地図に。声を気にして身体だけは森に向けて、観客のいない一人芝居を続けた。あと少しだけ、を繰り返すうちに台本はどんどん進んでいく。
「この船を使えば、僕たちは夢の世界に行ける。やっと……やっと願いが叶うんだ!」
「いいや、君たちの旅はここで終わりさ。みんな揃って船から出ていってもらおうか」
万感を込めた主人公の台詞に、非情な悪役の声が食い気味に続く。悪役の少年が正体を表す瞬間が、最高のタイミングで作り出された。
一人芝居に浸っていた脳味噌が一気に現実に引き戻される。ぎこちなく後ろを振り返れば、長身の美青年が僕を見て優しく微笑んでいた。
「……シェーンハイト先輩……」
「その話、懐かしいわ。まだ台詞を覚えてるとは思わなかったけど」
「ご、ご存じなんですね」
「ええ。何度も同じ役で舞台に立ったんだもの」
そうですか、と相槌を打ちながら頭の中はどうしたものかと大混乱だった。いや別に何かしゃべらなきゃいけないわけじゃないんだけど。
「……やっぱりやってたのね、芝居」
「やっぱり?」
「アンタよく通る声してるじゃない。歌じゃないなら、芝居だろうとは思ってたの」
「あー……」
別に隠していたつもりはないけど、この人に気づかれていたのは何だか気恥ずかしい。
「趣味の割には発声も滑舌もしっかりしてるけど、どこかで舞台に立った事あるの?」
「あ、いえ……全く」
この世界では無い。だから嘘はついていない。
だけど、そんなごまかしは気づかれている気がした。かといって説明をするのも気が引ける。
ややこしい。信じてもらえるかも分からない。信じてもらえなかったら嫌だから、話したくない。
「レッスン先なら紹介してあげられるけど」
「いやいや。僕は故郷に帰らないとなんで。そういうのする気はないです」
そう答えると、少しだけ表情が険しくなる。
「そんな言い方しなくても良いじゃない」
「別にそんな」
「好きなんでしょ?芝居」
「……好きなだけじゃいけませんか?」
先輩の視線が悲しげな色を帯びる。その変化に胸の奥が痛んだ。
「……もちろん無理強いをする気は無いわ。だけど……アタシが見る限り、アンタには才能がある」
そう答えた先輩の視線は、強い意志を感じさせた。『才能を無視しない』という、どちらかと言えば指導者側に立った視線。自分では信じきれない可能性をも信じてくれるという、心強いものだ。
「きちんと指導を受ければ、プロの世界でも通用する。それを見ないフリするのは、心苦しいの」
「お気持ちは、とても嬉しいです。認めていただけている事も」
その言葉を五年前に、誰かに言ってほしかった。
オーディション要項の文書を送るだけじゃなくて、あと少し才能を信じる言葉を貰えていたら。
けれどもう何もかもが遅い。結局、代わりなんていくらでもいる。
才能があるから必要とされるとは限らない。
「でも、僕はこうやって、好き勝手気ままに遊んでるだけで十分なんです」
ぐちゃぐちゃの内心を押し込めて微笑んだ。この言葉だって、自分の心に無いわけじゃない。嘘じゃない。
先輩の目から強い意志の炎が消える。いつもの怜悧な美貌に戻っていた。
「……邪魔して悪かったわね」
「いえ、僕は先輩の演技が聞けて嬉しかったです。台詞ひとつなのに凄い迫力でした」
「……ありがとう」
心から嬉しそうではない。複雑な表情だった。だけど、僕の頭を撫でる手は優しい。
「……こんなに冷えて。中に戻るわよ」
「そうですね。先輩が湯冷めしちゃう」
「アンタもでしょうが。まだ時間あるし、ハーブティーでも淹れましょう。手伝ってくれるわね?」
「裏口からならキッチンも近いし、丁度良いですね」
先輩は微笑んでくれた。道具を片づけて駆け寄れば、さり気なく肩を抱かれ一緒に歩くように促される。何も感じていないような顔で応じながら、心臓の鼓動はいつになく速くて大きい。
見つかってしまったからには、明日以降はもう同じ事は出来ない。練習も大詰めだし、もしかしたらそんな暇も無いかもしれない。
そんな事を考えながら、どこか奥の方で小さく『見つけてくれたのがシェーンハイト先輩で良かった』と思っている自分がいる。改めて強く自覚した。
僕はこの人が好きなんだ。