5−1:冷然女王の白亜城


 なんやかんやあったけど、無事に今日が終わりそう。
 夕飯にローストビーフが追加されていた事には驚いた。シェーンハイト先輩は『練習で消費したカロリーとタンパク質の補給のため』って言ってたけど、わざわざ食堂に追加で頼んでたワケだし、もしかして先輩もちょっと浮かれてたのかもしれないなぁ。
 丸く収まってくれて本当に良かった。
「ユウサン」
 皿洗いを終えた所で声をかけられる。エペルが少し困ったような顔でキッチンの入り口から顔を覗かせていた。
「どうかした?」
「えっと……相談したい事があって」
 周囲を気にしている様子からして、あまり人には聞かれたくないらしい。手招きするとこちらに歩いてきた。
「相談って?」
「……えっと、ユウサンは『可愛く振る舞え』って言われたらどうする?」
「……顔に合わせて?」
 エペルは頷く。ちょっと考える。
「……そうだなぁ。少し大人しくするくらいかな」
「そ、そんなもんでいいの!?」
「僕、双子の姉がいてね。姉に合わせて男っぽくなりすぎないようにしてたから、普段からそこまで『男らしく』とか考えてないんだよ」
 エペルは腕を組んで難しい顔になる。あまり参考にならなかったらしい。
「やっぱ身近にお手本がいると違うんだな……」
「お手本……って程じゃないけどなぁ。いじめっ子を真冬のプールに突き落とす女だし」
「え」
「むしろ反面教師だった気がする」
 戸惑った顔になるエペルに微笑みかける。
「エペルが『可愛い』と思うものとかを参考にした方がいいんじゃないかな」
「う、うーん……それじゃなんか、違う気がして」
「違う?」
「歌詞に合わない、っていうか……」
 何となく、エペルも違和感の正体を掴めているわけではなさそうだ。とはいえ僕も歌の事になると力になれないんだよなぁ。
「シェーンハイト先輩も言ってたけど、ぶりっこじゃ違うんだよね」
「そう!……可愛くって考えたら、それはそれで詰まっちゃって」
「じゃあ自然体を作るしかない」
「作る……?」
 エペルは首を傾げる。
「可愛いとぶりっこの違いは『自然に見えるかどうか』だからね」
 その間の微妙なラインを『あざとい』とか褒める事もあるけど、今はややこしいので置いておく。
「ある程度は個人の好みもあるけど、顔が可愛い場合は普通の生活してれば『可愛い』の範囲は出ないよ」
「……なんか混乱してきた」
「そうだなー。エペルがぱっと見た瞬間に可愛いって言えるものって何?」
「かわいい……」
「身近なものの方がいいかな。うさぎとか、猫とか、桃とか」
「んー……林檎、……いや林檎は綺麗だし……でも……」
「あ、林檎いいじゃん。歌詞にもあるし」
「そう?」
 エペルの表情がぱっと明るくなった。本当に林檎好きなんだな。
「じゃあとびきり可愛い林檎を思い浮かべて。エペルの思う可愛い林檎」
「とびきり可愛い……綺麗な赤色で、皮に張りがあってつるっとしてて、丸っこくてかじり付きたくなる、爽やかで甘い匂いがしてる……」
 凄く具体的だな。
 そこまで挙げた所で怪訝な顔をされる。
「こ、こんなんで良いの?」
「最高。そこに歌詞のイメージを加えてみようよ」
「歌詞のイメージ!?」
「そう。『可愛い』だけじゃ合わないなら、歌詞でイメージを足した方が早いよ」
 演劇なら台詞やキャラの役割から登場人物のイメージを作る。設定が無ければ自分だけの設定を考えてでも、その人物を舞台の上という現実に相応しい形に整えるのだ。
 歌なら多分、歌詞がそれに当たるはず。
「……綺麗な赤色で、可愛らしい……甘い匂いがするけど、媚びていない……口にした者を跪かせる……毒林檎」
 最後は確信を持った声だった。迷っていた目が明るく輝く。
「そっか……ヴィルサンも言ってたな……毒林檎になれ、って」
「でも多分、シェーンハイト先輩が言う毒林檎と、エペルがいま思い浮かべた毒林檎は別物だよ」
 エペルがきょとんとした顔で僕を見る。
「エペルが自分で考えて見つけたってところが大事なんだよ。同じ言葉でも、イメージがそっくり同じとは限らない。だって林檎の事ならエペルの方が詳しいでしょう?」
「もちろん!この学校なら誰にも負けねえ!!」
「だから、エペルの見つけたイメージを磨いて、大事にしてね」
 エペルは笑顔で頷く。そして何か言いたそうな表情になった。
「……どうかした?」
「……ユウサンは、可愛さも腕っ節も、いろんな力を持ってると思うんだけど。……なんで、隠そうとするの?」
「面倒だから」
 ぐぅ、とエペルが唸る。納得いってない顔だ。
「……ちょっと答えが雑すぎたかな……守るため、だからかな」
「守る……?」
「シェーンハイト先輩が美しさという『力』を他者を跪かせるものとして使うように、僕は自分の持つ『力』を僕と僕の周りの人たちの平穏を守るために使いたいんだ」
 そのためにトラブルを引き寄せる顔はメガネで隠して利用する場面を限り、腕力はトラブルを解決するためだけに使う。それ以上の力は必要ない。
「誇示するだけが『力』の使い方じゃないでしょ?」
「それは……そう、かも」
「僕はシェーンハイト先輩やデュースみたいに、高い目標を持てない。バイパー先輩ほど賢くも慎重にもなれない。ハント先輩ほど広い懐も無いし、アジーム先輩やエースみたいに天性の才能も無い。……エペルみたいな近寄りがたいぐらいの美貌には程遠い」
 何もかもが半端で頭打ち。
 それをどうにかごまかしているに過ぎない。
「身の程をきちんとわきまえてるつもりなんだよね、これでも」
「……そんな言い方しなくても……」
「ありがとう。エペルは優しいね」
 にっこり笑って反論を潰す。こういう何の実りもない会話は続けるべきじゃない。
「ほら、お風呂行ってきなよ。自由時間減っちゃうし」
「う、うん。……ありがとう」
 少し戸惑った様子ながらも、エペルは最後には笑顔で去っていった。その背を見送り、時間潰しにキッチンを軽く点検する。すぐ後から行くのはちょっと気まずい気がするのだ。
「監督生」
 声をかけられて振り返れば、今度は入浴後と思しきバイパー先輩が立っていた。アジーム先輩は傍にいないっぽい。
「どうしたんですか?アジーム先輩は」
「水を貰いに来た。カリムは談話室で待ってる」
 冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、二人分のコップを手渡す。礼を言って受け取りながら、バイパー先輩は僕をじっと見つめて動かない。
「どうかしました?」
「ずいぶん卑屈になるものだと思って」
「……盗み聞きとは良い趣味をお持ちですね」
「耳に入ってしまったんだ。不可抗力だよ」
 しれっとした顔で返してくる。こういう手合いを責めても仕方ない。
「……まぁ、バイパー先輩がエペルの足を引っ張るような事をするとは思いませんけど」
「信頼してくれて嬉しいな」
「そんな事をしても得しませんからね、先輩も誰も」
 一応冷ややかな視線を送っておく。心外そうな顔をしているが、こちらとしては警戒は怠れない。
 アーシェングロット先輩への嫌がらせやキングスカラー先輩への示威のために既成事実なんか作られたら困るし。
 僕の警戒を見て、バイパー先輩は楽しそうに肩を揺らす。
「何か?」
「君は人の良い所を見つけるのが上手いな」
「は?」
 見つけるも何も、一目瞭然の事実じゃないか。
 口にする前にそんな心情を察せられた気がする。
「少し違うか。見つけるのが上手いというか、認めるのが早い」
「……それが何か?」
「嫉妬する事が無いから、他人の能力を冷静に分析できる。……それが君の自己評価の低さから来ているなら、卑屈も善し悪しだな」
 なんか馬鹿にされてる気がする。
 僕の表情からまた何か気取られたのか、バイパー先輩は意味ありげに目を細めた。
「君はどうか知らないが、大抵の人間は褒められたら喜ぶものなんだ」
「そりゃそうでしょうね」
「それが普段はあまり言われない事なら余計に」
「……何が言いたいんです?」
「君に賢く慎重だと思われているなら光栄だ」
 虚を突かれた感じになった。いやでも、と思い直す。
「誰でも分かる事ですよ」
「そうとは限らないだろ?」
「まぁ、他人を下に見たいがために過小評価したがる人はいますけど」
 真っ直ぐ顔を見ながら言うと、バイパー先輩は気まずそうに咳払いした。
「あいつの能力にろくな応用が利かなかったのは事実だからな。君はあいつが活躍した所しか見てないから知らないだろうが」
「今は認められました?」
「…………局所的ながら使い道がある事は理解したよ」
「素直じゃないなぁ」
「す、……冷静に考えた上での結論だ」
「そういう事にしておきましょうか」
 微笑むと悔しそうな顔になった。何て言うか、本当に表情が豊かになったな。正体が分かる前は穏やかで優しげだけど、常に一枚分厚い壁がある雰囲気だったと思う。
「今の先輩の方が親しみやすくて良いですね」
「……そう、思うか」
「ええ。アジーム先輩の従者としてはきっと前の方が正解だったんでしょうけど、個人的には今の方がずっと話しやすいですよ」
 これは本心なので笑顔で伝えておいた。バイパー先輩は少し安心したような、見た事の無い優しい顔で笑う。
「……君がそう言うなら、良い事なんだろうな。きっと」
「学校でぐらい、自分らしく過ごしてもいいと思いますよ。従者である事がバイパー先輩の人生にとっては切り離せない事でも、ここでは一人の生徒なんですから。自己表現くらい自由にさせてもらいましょうよ」
「……そうだな。そうすると、自分で決めた事でもあるし」
 言葉から察するに、自分を出す事について完全に開き直れているワケではなさそう。まぁ騒動からまだあまり日も経っていないし、そんなにすぐに変われる人ばかりではない。
 だけどこうやって思い直し言葉にする事で、着実に変わっていくものもあるはずだ。
「……ありがとう。時間を取らせたな。風呂、まだだろう?」
「あ、はい。先輩こそ、アジーム先輩待ってますよ」
「ああ、もう行くよ。すまなかったな」
 そう言うと、先輩は踵を返しキッチンを出ていった。談話室の方がにわかに騒がしくなる。年頃の男子が部屋に集まれば、馬鹿な話に花も咲くだろう。どんなに大人びていても、どんなに優秀でも、きっとそんな部分は元の世界と変わらない。
 暖かな気持ちになりながら、僕はキッチンを後にした。

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