5−1:冷然女王の白亜城


 出奔していた二人が帰ってきたのは、練習と片づけを終えてポムフィオーレ寮を出てきた丁度その時だった。すでに日は落ちていて、夕食の準備を急がなきゃ、なんて話している所に鉢合わせた形だ。
「……アンタたち、どのツラ下げて帰ってきたのかしら?」
 謝ろうと口を開いた二人に先んじて、シェーンハイト先輩が冷ややかに言い放つ。もうその一言で周囲の温度が三度ぐらい下がった気がした。
「レッスンをサボったばかりか、無断外出。さらに喧嘩までしてきたなんて」
 二人は姿勢を正して申し訳なさそうな顔をしていた。デュースの方はところどころ絆創膏がついてるし、運動着も汚れている。学園長の話は事実らしい。
「今回は正当防衛が認められたからいいものの……乱闘のせいで『VDC』出場停止にでもなったらどうするつもりだったの?無責任にもほどがあるわ!!」
 ぴしゃりと怒鳴りつけられ、二人が身を竦める。
「シェーンハイト先輩。ほんと……迷惑かけてすんませんっ!」
 デュースが真っ先に頭を下げた。綺麗に直角になってる。
「エペルを無断で校外に連れ出したのは僕です。罰なら僕が受けます!」
「いや、最初にレッスンを飛び出したのは僕です。あと喧嘩を買ったのも僕だ。悪いのは僕です!!」
 デュースをかばうようにエペルが前に出る。昼間の嫌な雰囲気はない。決して、シェーンハイト先輩への反抗心で出た言葉ではなさそうだ。
「それに、今日、やっとわかったんです。ヴィルサンがずっと言ってた、強さの事」
 庇い合う二人を睨んでいたシェーンハイト先輩は、エペルの言葉で開きかけていた口を閉ざした。目に灯っていた怒りがわずかに静まる。
「心のどこかでずっと『綺麗』とか『可愛い』にこだわってる奴らの事をバカにしてた」
 エペルにとっては、きっとどうでもいい事だった。自分が持っているから、それを疎ましく思っていたから、磨くという発想すら無かった事だろう。
「でも、ヴィルサンが地元の林檎ジュースを紹介してくれて……村のみんなが大喜びで……ヴィルサンの言う『強さ』の意味が、やっとわかった気がするんです」
 ……そういえば、林檎ジュースで何か投稿してたな。フォロワー五百万人のインフルエンサーが紹介すれば、反響は大きかった事だろう。
 そのフォロワーの多くは、シェーンハイト先輩の『美しさ』を評価し存在を認知している。崇拝し行動を倣う事でその高みを目指したいと思う人もいれば、有名人と同じ事がしたいだけの人もいるだろう。その煩雑な好意をひとまとめにしてしまうのも確かな『力』だ。
 エペルは力強くシェーンハイト先輩を見つめていた。
「僕も、ヴィルサンみたいな『力』が欲しいと思った」
 シェーンハイト先輩も無言でエペルを見下ろしていた。そしてわずかに口角を上げる。
「……アタシはね、エペル。人を跪かせるのが好きよ」
 何とも自信満々な顔で毒のある言葉を放つ。無論、そんな言葉を口に出来るのは裏打ちされた自信があってこそだろう。
「暴力より圧倒的に、演説よりも雄弁に人を跪かせる事が出来る力……それが『美しさ』」
 ただ一目で虜にする。
 行動も発声も必要無い。
 何もせずともそこに在るだけで、目にした者を跪かせる事が出来る唯一の『力』。
「だからアタシは誰にも負けないように美しさを研ぐ。世界で一番になるためにね」
 美しい顔立ちに生まれたとしても、ただそれだけで世界一の美貌には届かない。
 天性の才能と、無二の努力。
 それでやっと届く可能性が生まれる『世界一』という最高の称号を、彼はずっと睨み続けている。
 その強い眼差しで、シェーンハイト先輩は愛らしい顔立ちの後輩を見た。
「アンタは幸運にも愛らしさという刃を持って生まれたわ。それを研ぎ澄ますか、錆びつかせるかはアンタ次第なの」
 肝に銘じておく事ね、と釘を刺す。エペルの表情はきゅっと引き締まった。
「はい。僕……もっともっと、強くなります。ネージュも、あなたも倒せるくらい、強く!」
「……へぇ、言うじゃない」
 まだか弱い雛鳥の宣戦布告に、シェーンハイト先輩は悪戯っぽく笑う。それは先駆者という立場から、後に続く者を厳しくも激励するような笑顔だった。
「どうやら雛鳥たちもとても反省しているようだ。許してあげては?『毒の君』」
 ハント先輩が横から口を出すと、シェーンハイト先輩はあからさまな溜息をついた。もう怒ってなさそうだったから、きっと言わなくても大丈夫だっただろうけど。
「確かにここでガミガミ怒っても意味がない。二度目はないわ。覚えておきなさい」
「ハイッ!」
 二人が元気よく声を揃えた。シェーンハイト先輩はちょっと怒った顔になる。
「元気よく返事してるんじゃないわよ。二人とも体力が有り余っているようね。罰として寮の外を三十周ランニング!」
「ハイッ!ランニング、行ってきます!」
 元気に返事をして、二人は走り出した。根性あるなぁ、二人とも。
「ちょっとトラブルはあったみてーだけど、アイツらが元気に戻ってきてよかったな!なんだかスッキリした顔してたし」
「大問題になってたかもしれないんだぞ、まったく……」
「ほんとだよ。アイツらいない分ヴィル先輩にキツめにしごかれたこっちは、いい迷惑だっつーの」
 素直すぎるコメントに苦笑するしかない。
 ぶちぶちと愚痴っているエースの前に、ランニングに行ったはずのデュースが何故か戻ってきた。
「おい、エース!」
「あ?ナニ?昼間のこと謝れとか言うんじゃねーだろーな」
「誰が言うか、そんな事」
 一触即発の空気になるかと思えば、デュースは落ち着いている。でも目には敵対心というか、強い決意が宿っているように見えた。
「お前の言う通り、僕はお前より頭も、要領も悪い。でも……絶対、お前に負ける気ねぇからな」
 傍目にもその本気が伝わってくる、真剣な声音だ。エースに響いてるかは解らないけど。
「それだけ言っておこうと思って。それじゃ!」
 一方的に言うだけ言って、デュースは再び走り去った。陸上部らしい健脚を見送っている間、エースはただ呆然としている。そして信じられないものを見た感じの顔でこちらを見た。
「…………………え?あれ何の宣言?オレがあの単純馬鹿に負けるとか、ありえないんですけど。ユウもグリムも、そう思わね?」
「オレ様からすれば、オメーもデュースもどんぐりの背比べなんだゾ」
「ハァ~!?なんだと、この毛むくじゃら~!」
 レッスンで疲れた後だというのに、いつものように元気にじゃれ合う。バイパー先輩たちは僕らを置いて鏡の方に行ってしまった。
 先ほどまでのピリピリした空気が嘘のように和やか。爽やかまである。
「いやー、青い春ですねぇ」
 僕のコメントに、エースとグリムは憮然としていた。

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