5−1:冷然女王の白亜城
シェーンハイト先輩は不機嫌だった。
デュースとエペルが戻ってこないとか、思うように練習が進まないとか、いろいろと悩ましい所もあるだろう。これまでも虫の居所が悪いという事はあっただろうが、ここまで露骨に表に出てくる事はなかった。
それでも練習の立ち位置は変わっていない。まだデュースとエペルは先輩のプランの中にいる。歌のパートだってそう。
「……十五分休憩したら、最後に通すわ。各自、自分の課題をしっかり確認して」
おざなりな返事を合図に、それぞれが脱力した状態になる。しんどい、とは言いつつもまだ限界という感じではない。タオルとボトルを配り、最後にシェーンハイト先輩の隣に向かう。相変わらず難しい顔で、練習の様子を記録したスマホを凝視している。
「先輩、タオルどうぞ」
「ありがとう」
最低限のやり取り。下手に絡むと八つ当たりされそうな雰囲気がある。怒るのにも体力がいるし、触らぬ神に祟りなし。
「皆さん、練習励んでますか~!?」
そんなピリピリした空気を読まない感じの暢気な声がボールルームに響き渡った。非常に良い声なのだが、今はそれどころじゃない。
「あら学園長。どうかしたの?」
「いえ、ちょっと確認したい事がありまして。……やはりいませんね」
ぼそりと呟く。なんだか嫌な予感がした。
「デュース・スペードくんとエペル・フェルミエくんはどちらに?」
空気が一層張りつめる。誰がどう答えたものか、という感じの微妙な沈黙が流れた。
「……あの二人は、頭を冷やしに行ってるわ。具体的な行き先までは知らない」
「おや、そうでしたか。……では間違いなさそうですね」
「何がですか?」
「それがですねぇ。麓の町の警察から連絡がありまして。一般市民と喧嘩をして病院送りにしたとか」
「病院送りぃ!?」
いよいよ穏やかでない単語が出てきて、さすがに離れた場所にいたメンバーも駆け寄ってくる。シェーンハイト先輩の表情は変わらない。ただ学園長をじっと見つめていた。
「ああ、いえ、軽傷だったんですが、どうも意識を一時的に失っていたそうで。現在は回復してます」
「デュースとエペルに怪我はないんですか?」
「スペードくんの方が擦り傷などはあるようですが、こちらも大事ないと聞いてます」
「あいつ何やってんだよ……」
ここだけ聞いたら、エースが呆れるのも無理はない。
だけど、デュースが八つ当たりで一般市民に喧嘩を売る事なんて絶対に有り得ない。少なくとも、僕たちが見送った時には吹っ切れた顔してたんだから。
「外出許可も出ていませんし、その上魔法を使っての私闘をしたとなれば、経緯によっては厳罰も視野に入る事態なのですが」
「……あの子たちとはパフォーマンスの指導について少し喧嘩になっただけ。とはいえ、勢い余って学外に出たというのなら、それはアタシの指導力不足。責任はアタシにある」
「そうは言いましても、一般市民と喧嘩騒ぎなんてされた後では……」
「デュースは何もしてない人に喧嘩なんか売りません」
学園長を睨みつける。
「学外で一般市民に魔法を使う危険を、デュースはしっかりと理解しています。彼が自分からトラブルを起こすなんて絶対に有り得ません」
仮面の奥の瞳に感情は見えないが、そんな事は関係ない。まるでこちらを責める調子なのが、ただただ許せなかった。
「……そうですか」
学園長は表情を変えない。しかし、少しだけ空気が和らいだ気がした。
「まぁ、警察も正当防衛を認めていますから、正直な事を言えばそこは問題ないのです」
「はぁ?」
「相手は三人組、一人は魔法を使えたそうで、スペードくんが一方的に攻撃を受けていたと、フェルミエくんの目撃情報や周囲の状況から明らかになっています」
多勢に無勢、さらに状況からデュースが暴行に耐えていた事は明らか。魔法での反撃とそれによる三人組の昏倒は、未熟な魔法士にありがちな魔法の暴走と考えられ、それを誘発した三人組の自業自得、と警察は解釈したらしい。三人組も大きな怪我はないし、正当防衛成立、お咎めなし、と。
体中から力が抜けそうになった。ひとまず安心していい、かもしれない。
でも学園長の表情が晴れた訳ではない。視線はずっとシェーンハイト先輩を向いている。
「とはいえ、『VDC』の出場メンバーが騒ぎを起こしたとあっては、我が校の評判にも響きます。本校の代表のプロデュースを一任されているシェーンハイトくん、君の評判にもね」
「……申し訳ありませんでした」
「次は無いものと思って、引き続き励んでください」
それだけ言い残して、学園長はボールルームを出ていった。でも不穏な空気は残ったままだ。
「ごめんなさい。デュースにちゃんと釘を刺しておくべきでした」
真っ先にシェーンハイト先輩に頭を下げる。
「オレも、外出届の事なんか頭からすっぽ抜けてた。……ごめんな、ヴィル」
「あの場にいた年長者として、面目次第もない」
先輩たちも詫びる言葉を続けたけど、シェーンハイト先輩の表情は晴れない。
「……誰がどうしようと、問題が起きてしまった時点で、アタシの監督不行届きには違いないわ」
責任者というのはそういうものだ、と言いたげだ。
でもあまりに多くのものを背負ってしまっている気がして、その重圧の負担を感じているように見えて、なんだか気が気じゃない。
その重荷を少しでも軽くしたい、力になりたいと思うのに、現実にはままならない。
同じなのは年齢だけで、立場も実力も遠すぎる。
「……そんな顔しないでちょうだい」
はっとして顔を上げると、困ったように微笑む瞳と視線がぶつかる。頬に優しく手が触れた。
「こういうのも承知の上で引き受けた事よ。……アタシは大丈夫」
子どもにするように頭を撫でられる。どうしていいかわからず黙っている事しかできない。
「さ、休憩は終わりよ。歌も合わせて通して全体の状態を確認するわ。小ジャガ、音楽!」
「は、はい!」
慌てて片づけてポジションに入る。みんなの様子を見て音楽を再生した。
憂いなど感じさせない素晴らしいパフォーマンス。ポジションの欠けはあっても、それを言い訳にする気のない動き。
それがプロ意識のなせる業だと解っているから、心配な気持ちが消える事はなかった。