5−1:冷然女王の白亜城
「……あ、ついでに、今のうちに訊いていい?」
「改まって何だ?僕に答えられる事なら答えるけど」
「その、ユウサンの事なんだけど。……レオナサンとタイマンで殴り合って勝ったって本当?」
自然に手を離し、ふたりして妙に真面目な顔になる。デュースは少し考えて答えた。
「本人の意見を尊重するなら半分本当、って事になるか」
「何それ、どういう事?」
「ユウは『勝ったと思ってない』って言ってるから。そもそもタイマンじゃなかったし」
エペルは首を傾げる。
「多分、キングスカラー先輩がオーバーブロットした時の話に尾ひれがついてるんだろうけど、あの時はグリムも一緒に戦ってたから」
「そうなんだ……」
「でもトドメはユウとカシラ……ローズハート寮長が刺したようなもんだぜ!」
「そ、そうなの?」
「ああ。エペルにも見てほしいな、あの相手を挑発して攻撃を誘導してからの見事な頭突き!!マジで痺れるくらいかっこよかった!!ローズハート寮長の魔法もすげえ火力で、でかいブロットの化身をコートの端までぶっ飛ばしたんだぜ!」
デュースの熱量の高さに、エペルは唖然としていた。それに気づき、デュースは慌てて頭を下げる。
「わ、悪い。一人で盛り上がっちまった」
「ううん。……ユウサンが『強い』って、本当なんだ」
「ああ。アイツは本当に強いよ」
デュースは優しく微笑んだ。最初の出会いから今日までを思い返すように、脳裏に思い出が浮かんでは消える。
「女の子みたいに可愛い顔してるのに、体力育成の成績も良いし殴り合いも強いし、度胸も据わってる。勉強は苦手だけど真面目でさ、先生たちにも認められてる雰囲気なんだ」
「でも、魔法は使えないんだよね?」
「ああ、まったく。魔法じゃないと出来ない実技は全部グリムがやってる」
「……それでも認めてもらえるんだ」
「まあ赤点取って補習受けてる事もあるぞ。理系は本当に苦手みたいで」
「い、意外……眼鏡かけてるのに」
「度は入ってないんだ。視力は悪くないらしい」
「何でかけてるの?」
「素顔が見えないように、だと思う。『お守り』だってよく言ってたから」
その説明でエペルは少し納得した顔になる。
「眼鏡かけてないと声をかけられるらしいし、最近はかけていても素顔を知ってる連中から絡まれる事もあるみたいだ」
「でも、レオナサンと殴り合うぐらい強えなら、殴って黙らせればいいだろ」
「いちいち殴ってたら面倒なんだって」
「……なんだかなぁ」
エペルは複雑な顔だ。自分に理解の及ばない生態に戸惑っているらしい。
「強えのに弱っちいフリしてナメられて、面倒だからそれでいいって?闇の鏡も帰せねえようなド田舎育ちって話なのに、妙に都会の澄ました連中みたいな事しやがんな」
「うーん……僕から説明していいのか悩ましいところだが」
デュースは知る限りのユウの事情を語り始める。
黒い馬車の手違いで連れてこられた事。
魔法の無い世界で育ち、賢者の島どころかツイステッドワンダーランドという名前すら知らなかった事。ユウのいた世界や地名も、こちらには記録が一切存在しない事。
闇の鏡ですら対応できなかったために、廃墟だったオンボロ寮を仮の住処として学園長から与えられた事。当初は雑用をこなすだけの下働きだったが、シャンデリア騒動での活躍を評価され、グリムと二人で一人の生徒として認められた事。
デュースにとって、一部は自分も目にした事実である。エペルはまだ付き合いは浅いなりに、デュースの嘘をつけない性格を理解し信じてはいたが、それでもなかなかに突飛な話と思っていた。
「異世界、って……」
「都会者っぽいってエペルは言ったけど、多分そうなんだろうな。向こうで子役もやってたって話だし」
「子役!!??あ、いや……あるか、あの顔なら」
「多分、演技力も相当あるぞ。人魚相手に泣き落としで騙し通したからな。海の中で涙なんか見えないのに」
エペルは愕然としている。信じがたいエピソードが重なって混乱しているようだった。
「す……凄いんだね……」
「凄いんだよユウは!あの体格でブチ切れてるキングスカラー先輩と正面から睨み合って一歩も引かねえんだぜ!」
もはや絶句している。そんなエペルの様子に気づかず、デュースは子どものように目を輝かせていた。
「周りも動けなくなるぐらいの殺気でさ、一歩でも動いたら二人が殺し合いを始めちまうんじゃないかって思うぐらいの緊張感だったんだ」
「……デュースはユウサンの事、気に入ってるんだね?」
「気に入ってる……うーん……僕は、ユウみたいな優等生になりたいんだ」
エペルは首を傾げた。
話を聞く限りユウは『優等生』ではない。授業態度が真面目というだけで成績は振るわないようだし。そもそも入学資格の無かった生徒に『優等生』もあったものじゃないだろう。いつの間にか定着している『監督生』という呼び名だって、一部は冷笑しながら使っているというのに。
そんな評判は知らぬ顔で、デュースは明るい表情を見せた。
「暴力陰険腹黒メガネとか言われてるし、本人もよく揉め事に巻き込まれて面倒だとか言ってるけど、困ってるヤツの事はなんだかんだで見捨てないで助けてくれるし、勇敢なんだ」
「勇敢……」
「腕っ節だけの話じゃなくてさ。ローズハート寮長と揉めた時、上手く取りなして最悪の事態は回避させてくれた事もあった。本当に凄いんだよ」
他人の話をしているというのに、デュースの顔は本当に嬉しそうだった。心の底から話題の人物を慕っていなくては出来ない表情だ。エペルもそれを感じ取って、表情を和らげる。
「相当世話になっちゃってるんだね」
「あはは……まぁな」
デュースはやっと少し落ち着いて、照れくさそうに頭をかいた。沈み始めた夕日を見つめながら、懐かしそうに呟く。
「ユウは、僕の命の恩人なんだ」
エペルは無言でデュースの横顔を見つめていた。
まだ半年も経っていない事なのに、遠い昔の事のようにデュースは思い出を語り出す。
「シャンデリアの騒動の時。魔法石を手に入れて油断した所を化け物に襲われて、もうダメだって思った時に、ユウが体当たりで化け物の攻撃をそらしてくれたんだ」
あのまま化け物がツルハシを振り下ろしていたら自分の命は無かったかもしれない、とデュースは回顧する。
思い出せば身震いするほどの死の予感。
暗闇の中、土煙の向こうに、得体の知れない化け物を前にひとり立ち向かう背中を見た。恐怖など微塵も感じさせない、淡く光を帯びて見えるほど凛々しい姿。
あの姿を見て、彼に憧れないものなどきっといない。少なくともデュースはそう思っている。
「俺は、あいつの力になってやりたい。恩返しはいくらしても足りないぐらいだ」
実際は全然頼られてないんだけどな、とデュースは苦笑する。
その表情を見たエペルは、ああ、と小さく声を漏らした。
「デュース、ユウサンの事が好きなんだね」
「好き……まぁ、マブだからな!」
「えーと、そうじゃなくて。違う意味で」
「違う意味……?」
「え、もしかしてマジで自覚無いの?」
今度はデュースが呆然と首を傾げる。
「なんか無かった?ええと……ユウサンが男に言い寄られてるの見てイラッとしたとか、そういうの」
「イラッと……」
無くはない、とデュースは思う。
「ダチが絡まれてたらムカつくのは当たり前じゃないか……?」
「うーん、ま、まぁそうなんだけど」
エペルもうまく伝えられない事にやきもきしている様子だ。デュースはもう一度考えてみる。
違う意味の好き、とはどういう意味か。
友人として非常に好ましいとは常に思っている。ユウはなんだかんだで面倒見がよく、それでいて適切な距離感を保ってくれていた。いずれ元の世界に帰るから、と繰り返す言葉を悲しく思った事もある。珍しく傷ついた様子を見せた時は、自分ではうまくフォローの言葉が思い浮かばず、エースに先んじられた事も何度かあった。
そこまで考えて、人を励ますのに先を越されたって何だよ、とデュースは違和感を覚える。
エースは、まぁ気に入らない所もあるが、ユウと同じく気の置けない友人だ。優劣なんかあるわけが無い。自分の気のきかなさを嘆く事はあれど、そこでエースに劣等感を覚えるのは違うだろう。
だが思えばエースは得をしている。要領が良いから誰にでも馴れ馴れしく、ユウに対してもそれは発揮されている。気軽に肩を抱き寄せたり何かとスキンシップを図っているように見えるし、演技とはいえユウに抱きつかれていた事もあった。あの時は不意打ちに固まっていて面白いと思ったけど、思い返せばやっぱり何かがモヤモヤする。
何でモヤモヤするんだよ。
自分なんか肩に手を置くのが精一杯なのに、アイツはズルい。
何で出来ない?壊してしまいそうで乱暴に触れたくない。いや、ユウは鍛えてるんだから、多少乱雑に扱ったとしても壊すどころか全く動じないだろう。だが、これまでの男友達と同じように接しようとしても、どこかでブレーキがかかってしまう。
守りたい。
大切にしたいから。
デュースが考え込むこと三分。エペルは固まったデュースを放置して波打ち際を観察していた。
「…………うおおおおおおあああああああああああああああああ~~~~~~~~~!!!!!!!!!!」
突然、デュースは雄叫びを上げて走り出した。呆然とするエペルが豆粒ぐらいまで遠ざかった所で折り返して戻ってくる。陸上部の将来有望な一年生として恥ずかしくない、砂浜を走ったとは思えないようなタイムを叩き出していた。
ただし本人はそれどころじゃない。エペルの所まで戻ってきた時にはようやく我に返ったらしく、困ったような焦ったような顔になっていた。酸欠以外の理由で赤らめている。
「……自覚、できたみたいだね?」
「あ、ああ……まだちょっと信じられねえけど」
混乱した頭を振って冷静さを取り戻す。
早鐘のように鳴る鼓動は運動によるものばかりではない。落ち着けようと深呼吸を繰り返すデュースに、エペルは微笑みかける。
「で、いつ告白すんの?」
「こっ、こここここ、こく、はく!!??」
「モタモタしてたら他のヤツに取られちまうべ?」
「い、いや、そんないきなり言えるわけ」
エペルの追求をかわす言葉を考えていた脳裏に、少し前のユウの姿が浮かぶ。途端に血の気が引いた。
「……どうしたの?」
「……ユウ、好きな人がいるんだった」
「誰!?」
「教えてくれなかった……もう失恋してるようなものだから、って言ってたけど」
「ああああ……うーん……ワンチャン、デュースの事だったり……?」
デュースは黙って首を横に振る。そっかぁ、とエペルも肩を落とした。
落ち込んだ沈黙は長続きせず、エペルはすぐに顔を上げる。
「いいや、諦めるのは早え!!だって恋人がいるわけじゃないんだし!!」
「ま、まぁそれはそうだな」
「ユウサンの気持ちを変えればいいんだから!諦めたらそこで全部終わっちまうだろ!」
エペルはデュースの肩を掴んで揺さぶる。その迫力に気圧されながら、デュースは笑わずにはいられなかった。
「何がおかしいんだよ」
「いや、……なんかおかしくなってきちまって」
ほんの数分前までどんな性格かもよく知らなかった少年に、ついさっきまで自覚の無かった恋心を応援されている。そんな状況の珍しさに笑うしかなかった。その応援が他人事の気軽なものではない嬉しさも笑みの一因だ。
「ありがとな、エペル。どこまでやれるかわかんねぇけど、頑張ってみる」
デュースの前向きな言葉に、エペルは満足そうな笑みを浮かべた。励ますように拳を付き合わせ、笑い合う。
「……そろそろ戻るか」
「そうだね」
来た時とはまるで違う、晴れやかな気持ちで道路に向かって歩き出した。
砂を踏みしめながら、デュースは少し考えている。
長い事ずっと引っかかっていて、何に対してなのかも分からなかった違和感の正体。
確証はない。確かめるつもりもない。
でもきっと……アイツも、多分そうだ。
負けたくない。負けられない。
そんな気持ちを抱えて、人知れず拳に力を込めた。
………