5−1:冷然女王の白亜城


 静かな波の音が二人の沈黙を埋める。
「……さっき、学園を出てくる前にアジーム先輩とハント先輩に言われた事がある」
 デュースは静かに口を開いた。エペルも無言で視線だけを向ける。
「今の僕にしかない『力』を大事にしろって」
 同じ悩みを持つ彼に、先輩たちの助言をそのまま伝えた。自分に理解させた分かりやすい例えまでは同じように説明できないが、アドバイスを受けて自分の中に生まれたものをデュースは必死で説明する。
「それで、僕なりに考えてみたんだ。僕の強さについて。それは多分……『すげー馬鹿なところ』かもしれない」
「えぇ?でもそれって、デュースがさっき言ってた自分の嫌な所じゃねぇんか?」
 エペルは訝しげな表情で指摘した。デュースも頷いて受け止める。
「でも……『余計な事を考えないで突っ走れる』って事でもある」
 悩んで動けなくなってしまうより、その方がずっと良い。少なくともデュースはそう考えた。
「僕は同時にいろいろ考えられるほど、賢くない。でもだからこそ、覚悟を決めたらゴールまで真っ直ぐ突っ走っていける」
 走っている時は何も考えていない。だからこそ速く走れる。あるいは、速く走っている間は雑念も湧かずに済む。
「これは、きっと僕だけが持つ『力』。僕の短所は、僕の長所なんだ」
「でもさ……んな事言われたって納得いかねぇよ」
 自信満々のデュースに対し、エペルは口を尖らせる。
「俺に置き換えるなら、この見た目の事だろ?華奢だったり、女顔だったり、そんなのが強いって言われたって……」
 文句を言い掛けたところでエペルは口を閉ざした。運動着のポケットを探ってスマホを取り出すと、画面が着信を示している。
「実家からだ」
 デュースは手振りで出るように示し、エペルも応答する。
「もしもし?」
『エペル!?あんた、送ったジュースどした!?』
 スピーカーモードでも無いのに、慌てふためいた母親の声がスマホから響いた。エペルはあまりの音量にスマホを耳から離し、母親の問いに答えながらスピーカーモードに切り替える。向こう側はがやがやと騒がしい様子だった。
「は?林檎ジュースの事?友だちさ配れっていうはんで、配ったけど……」
『今、世界中からすごい数の注文入ってらんだよ!』
「はぁ~!?」
 エペルは顔に似合わない驚愕の声を上げた。デュースも驚いた顔でエペルのスマホを見つめる。
『なに起ぎだんだべと思って注文してきたお客さんさ、どこでこのジュース知ったんですかって聞いだのさ。したっきゃ、ヴィル・シェーンハイトの亀?を見たどがなんだがって!』
 その名前がエペルの所属する寮の寮長である事は母親も知っていた。あまり気乗りしないにしろ、エペルも話題として家族に学校生活の報告くらいはしている。ざっくりとした内容しか話していない、というだけで。
 まさか入学初日に先輩に目をつけられてボコられた挙げ句、その人が所属寮の寮長で、生活のあらゆる場面で命令されて逆らえないなんて、エペルの性格で言える訳がない。
「ヴィルさんの亀……って、もしかしてマジカメ!?ちょ、ちょっと待ってけ!」
 通話状態を保ったまま、エペルはマジカメを開いた。フォローさせられているヴィルのアカウントを見れば、最新の投稿は林檎ジュースの写真だった。一人分に丁度良いサイズの商品で、恐らくは合宿メンバーで消費していた残りの一本だろう。投稿からは一時間も経っていない。
 ボールルームらしき背景とただ商品を手に持っている写真で、日常から切り出された素晴らしいワンカット、という程でもなかった。投稿文もタグもさり気ないもので言葉は少なく、商品を売り込むような言葉も無い。
 しかししっかりと商品名が分かる写真と、製造元を明記した投稿タグが問い合わせ先を分かりやすくしており、投稿を一目見ただけで写っている商品が誰でも調べやすいように気遣われている。
 エペルに倣ってヴィルのマジカメアカウントを見ていたデュースも驚きの声をあげる。
「本当だ。シェーンハイト先輩のマジカメに林檎ジュースの写真がアップされてる!」
『もう電話鳴り止まなくて、かちゃくちゃねんだって!組合長さんさも声っこかげて、ご近所さんさも手伝ってもらわねば、出荷作業が間に合わねーんだはんで!』
 言葉が荒っぽいのですぐには分かりづらいが、エペルの母親の声は喜びに溢れていた。言葉が耳に慣れているエペルには、その感情が一層強く感じられた事だろう。
『たんげ余ったはんでどすべ、ってなってらけど……村中大喜びだよ!本当ありがとう!ヴィルさんさ、お礼言っといでけ!』
 スピーカーの向こうで、けたたましく電話のベルが鳴る。
『へば、忙しいはんで切るよ。まだジュースおぐるはんでの』
「ちょっと、母さ……切れでまった」
 言うだけ言って通話を切られたスマホを見つめていれば、閉じていなかったマジカメに画面が戻る。そこには、ヴィルの投稿に瞬く間に反応が集まっていく様子が映し出されていた。
「すごいな。マジカメの投稿に、次々ジュースを注文したってコメントがついていく」
 好意的なコメントを拾って数えていくだけでも、村の年間観光客数より多いのではないかというぐらいの殺到ぶりだ。その画面の変化を呆然と見ながら、エペルの脳裏にはヴィルの言葉がぐるぐると回っていた。
『アンタは「愛らしい」と「強い」が別物のように話すけど、その二つはどちらも等しく「力」よ。それが解らないようじゃ、いつまで経ってもアンタはアタシに勝てない』
「これが、ヴィルサンの持つ『美しさ』の力……」
「確かに……こんなスゲー事ができるのは、シェーンハイト先輩が美しさを磨いてきたからだよな。魔法や腕っ節が強いだけじゃ、絶対に出来ない」
「ヴィルサンが言いたかった強さって、こういう事……なのかな?」
 エペルもまだ少しぼんやりとはしているが、実例を示された事で大意は理解できていた。
「今の俺にしかない強さ……『愛らしさ』で戦ってみせろって事?」
「そうかもしれないな」
 デュースは力強く頷く。
「僕らはすぐに賢くなれないし、逞しくもなれない。でも『愛らしさ』勝負なら、エペルは学園の誰にも負けてないと思う!」
「うっ!それはちょっと複雑、かな」
 長年嫌っていた事実は、言われてすぐに受け入れられる事でもない。しかし変化は確実に訪れていた。
「でも……確かに俺がこの見た目でいられる時間は限られてる。来年には背が伸びて、筋肉がついて、ヒゲとか生えてるかも」
「そ、それはどうだろうな?」
「もし今年の『VDC』でヴィルサンが認めてくれた愛らしさを全力で発揮できたら、鍛えてジュースの箱をたくさん運べる事よりずっと村の力になれるかもしれない」
「ああ。今は目を背けたい短所にしか思えなくても、それが僕らのパワーだっていうなら……とことん磨いて、殻を突き破るところ見せてやろうじゃねえか」
 二人の目が自信に満ちた。鋭い卵歯が殻を叩くように、一歩を踏み出していく。
「それでライバルに勝てるなら、手段なんか選んでられるか。バカ上等だ!」
「へへっ、そーだな!」
「エペル。今年の『VDC』……絶対優勝して、エースとシェーンハイト先輩の事、見返してやろうぜ!」
「おー、今のわーに出来る最高の愛らしさ、見せでやるはんで!」
 沈みゆく夕日を前に、二人は最高のハイタッチを交わす。そのまま手を強く握りあって、笑いあう。
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