5−1:冷然女王の白亜城
………
独特の駆動音を立てて、海岸沿いの道を青い機体が駆け抜ける。
幸いにも誰かの目に留まる事はなかったが、法定速度については割と無視をしていた。とはいえ運転手の技術は見事なもので、砂が半端に積もった道路でもブレーキ動作にも無理はない。
「よし、ついたぞ」
デュースは後ろに声をかけた。一緒に乗っていたエペルは大げさに息を吐き出す。
「デ、デュースクン、意外と飛ばすね……」
びっくりした、という感想に今度はデュースが驚いた顔をする。
「そ、そうか?これでもゆっくり……いや、なんでもない」
言い掛けて止めた事にエペルは首を傾げていたが、デュースはごまかすようにマジカルホイールを撫でた。
「それにしても、さすがはイグニハイドがカスタムしたマジカルホイール。たくさん機能がついてて乗りこなすのも一苦労だ」
マジカルホイールのカスタムと一口に言っても、その方向性は個人によって異なる。速さ、機体の美しさ、機能性等々。そうした多様な楽しみ方も、道路を走る不便さがありながらマジカルホイールが人気を集める一因だ。
もっとも、『魔法』が限られた人間にしか使えない技術である以上、希少な魔法道具や魔法による飛行の発展は頭打ちの印象もある。『結局は魔法を使わない技術の方が安定する』なんて意見も無くはない。
ただ、魔法石について研究の余地がいまだ無限大に存在する事もあり、将来的に『万人が魔法の恩恵を受ける社会』を目指す事は、魔導工学技術者の共通の命題と言っても過言ではないだろう。
閑話休題。
「すごく気持ちよかった!僕、ドライブ好きなんだ」
エペルはデュースに屈託無く笑いかけ、少しだけ心配そうな顔になる。
「けど、良かったの?外出許可ももらわずに学園を出てきちゃって」
「うっ……勢いで学園を出てから、外出許可の事に気づいたんだ。後で一緒に怒られてくれ」
デュースの素直な懺悔にエペルは苦笑いを返す。
「……ヴィルサンたち、今頃カンカンかなぁ」
物憂げな表情のまま海に視線を向けた。波の音が静かに繰り返されている。
「……僕、この島に来てから初めて海に来たかも」
ナイトレイブンカレッジは、賢者の島でも北側の山の上にある。
そして南側の海岸沿いにはロイヤルソードアカデミーがある。
両者の対立、もとい頻発する対決構図は関係者の間では有名なところだろうが、奇妙なもので立地すら対照的になっていた。両者のちょうど中間に市街地があり、各学校の職員たちも一部はここで暮らしているが、これまた愉快な事に全員が自分たちの勤める学校寄りに居を構えている。
そんな構造もあってか、ナイトレイブンカレッジの生徒にとって島の南側は『未知の世界』だ。何となく寄りつかない、寄りつく理由もない場所である。
ただ地形について、島でありながら砂浜を備えた海岸というのが南側にしかない。北側は断崖絶壁に囲まれており、港まで来てやっと海を間近に感じられるような有様だ。
市街地に近い港に比べれば、南の砂浜は静かだった。泳ぎに来る季節でもないので、人の姿はない。夕暮れの寂しい世界で冷たい海風が肌を刺す。
「あ、もしかしてあれがロイヤルソードアカデミー?」
エペルが指さした先、砂浜の向こう側に青い尖塔が幾つも連なった建物がある。夕日が射す時間帯でもきらきらと輝くような白亜の城。ナイトレイブンカレッジにも劣らない規模の建物だが、見た目はどこか対照的だ。
「すごい……学校なのに、王様が住んでるお城みたい」
「僕も学園の展望台から遠目で見た事はあったけど、近くで見るのは初めてだ」
本当に華やかな建物だ、とデュースはエペルの感想に同調する。
「マジフト部の先輩たちは、みんな『いけ好かないお坊ちゃまばかりが通ってる』って言ってたけど……『VDC』に出場するネージュも、あそこにいるんだよね」
何気なく口にしたようでいて、エペルの呟きには複雑な感情が含まれていた。勝手にあてがわれた『ライバル』への興味、先輩たちの見解に対する疑問、それを否定しきれない対抗心。
そんなエペルの呟きを受け止めるようにデュースは彼の顔を見つめていたが、おもむろに海に向かって数歩進み、大きく息を吸い込んだ。
「僕は!!絶対に負けねぇからなーッ!!!!」
海に向かって叫ぶ。エペルが身を竦めているのも構わずに、まっすぐに果てない水平線を見つめて、声の限りに思いを吐き出した。
「僕は確かに頭も悪いし、要領も良くねぇよ!!不良だった時の癖も抜けねえし、すぐカッとなって手が出ちまう!でも、これでも精一杯、やってんだよ!!!!」
吐き出したそばから怒りが燃える。その怒りを躊躇い無く吐き出し続けた。
「エースの野郎、毎度バカにしやがって!!ふざけんじゃねぇ!!いつか本物の優等生になって、お前の事追い抜かしてやっからな!!!!」
今ここにはいない人間への怒りさえ、遠い海の彼方に投げつけるように叫ぶ。そこにはままならない自分への苛立ちを含んでいるとも自覚があった。だからこそ誓いも共に投げつけずにはいられない。
「僕は絶対変わってやる!!!!」
言葉に出来たのはそこまでだった。後は言葉にならないめちゃくちゃに荒れた感情を、ただただ雄叫びにして吐き出す。
声が途切れれば、辺りには穏やかな波の音だけが響いていた。静けさを取り戻した世界で、デュースは晴れやかな表情で顔を上げる。
「……スッキリした!」
「び………びっくりした」
ずっと目を見開いて固まっていたエペルがぽつりと呟いた。それを聞いたデュースは困ったような顔で笑う。
「昔から、うまくいかない事があってクサクサした時は、海まで飛ばして大声出してスッキリしてたんだ」
誰かに聞いてほしくても言えないものを、答えが欲しいのではない感情を、ただぶつける先が必要だった。デュースにとってはそれが海であり、そこまでのドライブだった。
「……僕は、物心ついたころから要領が悪かった。真剣に勉強しても、成績はいつも人並み以下」
人間には得意不得意があり、物事の修得にはそれぞれのペースがある。
それを子供心に飲み込むのは容易な事ではない。自らの限界を決めてしまうという事は、自分に対する諦めとも言える。『苦手は悪ではない』という言い訳に逃げられない子どもにとって、不得手を認める事は自分の中に『出来ないという悪がある』という事実を認める事だ。
「自分のデキが悪い事の言い訳が欲しくて……どんどん楽な方に流れてった」
俺は本気でやってない。だからデキが悪くてもしょうがない。
必死に勝ちにいくのはダサい。
空虚な言葉ばかり立派になって、満たすものは得られないまま、身体ばかりが大きくなった。
「そう、だったんだ……」
「何年も馬鹿やって、どうしようもない不良になって、母さんを泣かせて。そんな時に、名門ナイトレイブンカレッジから入学許可証が届いた」
才能あるものにのみ送られてくる、学舎への招待状。顔も知らない誰かが、自分の才能を認めてくれたという証拠。
「僕は思った。新しい環境になれば、どうしようもない自分を変えられるんじゃないか?これはチャンスだ!って」
「……入学して、変われた?」
「全然ダメだ」
デュースは即答する。
「見た目ばっかり優等生ぶっても、中身はなんにも変わらない。デキの悪い不良のまんま。上手くいかない事ばっかりだ」
髪を地毛の色に染め直し、制服は校則通りに身につけて、言葉遣いも気をつけた。
しかし、勉強が苦手な現実は少しも変わらない。自分が特別だと思っていた魔法の力は魔法士養成学校の中ではありふれたものへと変わり、その成績も大して振るわない。感情が高ぶれば不良だった頃の喧嘩っ早くて口の悪い、暴力的な自分が顔を出す。
「……でも、この学園に入ってわかった事がある」
入学して半年足らずだが、他の生徒よりもトラブルだけは多く見舞われた。自業自得である事は否めない。『日頃の行いの悪さのせい』と言われても納得してしまうかもしれない。
その一方で、優等生を目指し、ぶちあたった問題に逃げずに立ち向かったから見つけられたものを、デュースは語る。
「本当に『デキる』ヤツは、裏では必死に足掻いてるんだって事」
遠目から見れば地位や功績ばかりが目立つ。半端に近づけば悪評も混じってくる。肉薄すれば、直に感情に触れられる。
「恥かいても、かっこわるくても、ちょっとやり方がマズくても……デキる人たちは、諦めない」
デキが悪い言い訳をしない。本気でやらない理由がない。ダサかろうが結果が全て。そこに至るまで、正道も邪道も、あらゆる手を使う。
涼しい顔で優雅に水面を滑って見える白鳥でさえ、水面下では必死に足を動かして前に進んでいる。
目的地に至るのに手段を選ばない。中途半端なみてくれにはこだわらない。
ひたすら、自分の目標に至るために突き進んでいく。その姿が泥臭くて、ひどく眩しい。
「今日ここにお前を誘ったのは、もしかしたらお前も僕と同じなんじゃないかと思って」
「えっ……?」
戸惑った顔になるエペルに、デュースは微笑みかける。
「お前、いつも何か言いたそうにして、やめるだろ。変わりたくても変われなくて、じりじりしてる。そんな気がして」
「……うん。そうかもしれない」
目を伏せれば長い睫が美しい瞳に陰を落とす。夕日で艶やかに彩られるその姿を目にしながらも、デュースは明るく言い放った。
「ここには僕しかいない。思いきって大声で言いたいこと叫んでみろよ。それだけでも、スゲースッキリするぞ!」
「うん……わかった」
エペルは数歩、海に向かって進み出る。深く息を吸い込んだ次の瞬間、水平線の向こうの夕日を凄まじい形相で睨みつけた。
「そった急にめごぐなれって言われで、なれるわげねーべよ!」
今度はデュースが身を竦める番だった。
「わーの地元は、人間よりベゴの方が多いド田舎だし、わーは農家の息子だや!まんず訛んねーでしゃべるだげで精いっぱいだはんでな!踊りだっきゃ、村の祭りと運動会のお遊戯でしかやったことねーんだはんで!流行の服だの、上品な仕草だの、そったのわがるわげねっきゃ!つーがわーは、めごぐなりてぐねーんずよ!わーは逞しくて背たげくて、強い男さなりてーんだね!」
普段よりも何倍もドスの利いた声でまくしたてる。か細い見かけによらず声量もあるので迫力が凄まじい。触れれば折れそうなほど華奢で、砂糖細工のように美しいと形容される美貌の少年から発せられる声とは思えなかった。
「ばっきゃろ~~~~~~~~!!!!」
身体を曲げて絶叫する。しばらく肩で息をしていたが、やがて伸びをしながら先ほどとは打って変わって楽しそうな声を上げた。
「あ~~~~~~~~ッ!!たげスッキリした!」
「な、なにを言ってるのか半分くらいわからなかった……エペル、お前どこの出身なんだ……?」
「輝石の国の北のほうの山奥。豊作村っつーどご。寮長が訛ってで伝わらねーはんで、人前であんまりしゃべるなって」
感情を吐き出した興奮が冷めていないのか、まだ訛りが言葉に残っていた。普段は見せないような拗ねた表情で続ける。
「寮長、口を開けば『訛るな』『上品に「クン」つけで名前呼べ』『大声出すな』って。もうどひゃーいんずよ!」
時間が経つにつれ現実を受け入れてきたデュースが、脱力した笑みを浮かべた。
「お前の事、初対面からずっと気弱で無口なヤツだと思ってたんだが……本当は全然違ったんだな」
「だってよ、寮長の前でうっかり訛るとしばかれんだ。だから気軽に口が開けなくて」
制服のシャツも寮長の命令で着せられているもので、自分で望んだのではないとエペルは主張する。
「寮長命令で?ハーツラビュルのように独自の法律があるわけじゃないのに、なんでそんな事に?」
デュースは全く真面目に、深い意図は無く尋ねた。エペルは少し言いづらそうにしながらも口を開く。
事の始まりは九月の入学式。
式典服を自分流の着こなしで着ていたところ、ヴィルに『指導』されたという。
エペルの基準ではヴィルの見た目は『弱い』と判断できるものだった。そもそも見た目からして強い人間に指摘されたとしても直す気があったかは不明だが、とにかく言う事を聞く義理は無い、と跳ねのけた。跳ねのけるつもりだった。
現実には、『背は高いけど細くて女みたいになよっちい』ヴィルの体術に田舎不良の喧嘩殺法は通用せず、膝をついたのはエペルの方である。
ナイトレイブンカレッジは能力の高い生徒が集まる事もあり、こと生徒間の上下関係は実力主義が成立する。下克上が頻発するので覆らない絶対のものではないが、強いものは強いままなら上から動かないし、下のものは強くならなければ地位が上がらない。
勝者であるヴィルはエペルに対し、身だしなみや年上への接し方について厳しく指導した。パシリかカツアゲでもされるのではないかと思っていたエペルは、これには呆気にとられたものである。
一通り見た目を整えさせたヴィルは、そのままエペルを入学式に戻らせた。
『ポムフィオーレの所属になったらその性根を徹底的に叩き直してやる。そうならないようにせいぜい祈っておけ』
と、不吉な言葉を残して。
「初日で寮長に喧嘩売ったって事か!?」
「あの時は寮長クラスがどんだけ強えーのか、わかんなかったんだよ!デュースとエースも、入学してすぐ寮長に喧嘩売ったっきゃ!」
「うっ!いや、あれは喧嘩では……」
デュースは弁明しようとしたが、とはいえ詳しい言い訳もしにくい。エペルは肩を竦める。
「地元じゃ、強くてデカくて逞しいのだけが『強い』ことの証明だったんだ。……昔からずっと、このナリでからかわれてきたから」
過去に覚えた怒りは未だにくすぶっているものの、とはいえ冷静になってみると気づく事もある。
「いま思うと、別に寮長は俺の事バカにしてたわけじゃなかったんだろうけど……」
「わかるぜ。しょっぱなでナメられちゃいけないと思うよな」
デュースの同調を頷いて受け止め、エペルは小さく息を吐く。
「……で結局、その後一度も寮長には勝てずにずっと言いなりってわけ」
「なるほど。ダンスレッスンの時の『いつもの』ってそういう事だったのか」
「寮長に勝てたら好きに振る舞って良いって言われてる。でも、全然ダメだ」
外見も、魔法の腕も、喧嘩でさえまるで歯が立たない。
二年の年齢差があったとしても、その壁はあまりにも高い。
「もっと強くなりてぇな……」