5−1:冷然女王の白亜城
ボールルームを出ようとすると、グリムが肩に乗っかってくる。特に何も言われなかったのでそのまま部屋を出た。
廊下を歩き始めた途端に、グリムから疲れた感じの溜息が漏れる。
「雰囲気悪すぎるんだゾ……」
「まぁ、この学校の生徒が仲良しこよしで団体行動を続けられるワケがないよねぇ」
何せ能力が高いために我が強く負けん気の強い生徒たちだ。実力主義を盾に言う事を聞かせる基本法則すら、時にまともに働かない。だってそれならキングスカラー先輩やシェーンハイト先輩に楯突く寮生なんか存在するわけないし。
「しっかし、エペルの代わりにユウを使うなんて、ヴィルは本気で言ってるのか?」
「無いと思う。アレは売り言葉に買い言葉ってヤツだよ」
「そうなのか?」
「そりゃ、本当にエペルが絶対に出ないってなったら、欠けてるよりはマシ、程度にはなるだろうけど」
とはいえ全く踊れない僕に比べれば、エペルの方が比べるのが失礼なぐらい上手だ。全員揃った練習で見ても、エペルの小柄さと雰囲気で他のメンバーと遜色ない動きが出来るのはかなり目立つ。可愛い顔立ちとキレのある動きのギャップ、なんて観衆を魅了する要素になるし。
「シェーンハイト先輩は、僕じゃなくてエペルを選んだんだよ。仮に僕がダンスが出来たとしても、選ばれたのは僕じゃなくてエペルだと思う」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ。それぐらいエペルが持ってる見た目の魅力って凄いんだから」
「……確かに、オレ様も最初遠目から見た時、女の子だと思ったんだゾ」
「遠目からでも引きつけられるぐらい、本当に綺麗なんだよね」
「……言われてみると、エペルに比べたら子分はチョロそうで弱そうなだけだな」
「そういう事だね」
自分でも解ってるけど言い方よ。
どこを探しに行こうか考えながら寮の建物を出れば、門のすぐ傍でうずくまっているデュースがいた。早くて助かる。
見るからに激しく落ち込んでいた。寮から出てきた僕たちに気づく様子も無い。
「ずいぶん落ち込んでるね」
声をかけると驚いて身を竦めていた。僕たちを見て表情を緩める。
「ユウ、グリム」
「優しいマネージャー様が、ドリンクを持ってきてやったんだゾ」
ボトルを手渡すと、礼を言ってから中身を一気に呷った。一息ついて、小さく呟く。
「……悪い、飛び出したりしちまって」
「まったくなんだゾ。オマエらが大会で優勝してくれねぇとツナ缶富豪の夢がパァだ」
グリムは口を尖らせながらも、頼もしく笑う。
「だからエペルもオメーも、早いとこ立ち直って練習に戻るんだゾ」
「はは、ほんとグリムはブレないな。……羨ましいくらいだ」
でもデュースの表情は暗く沈んでいた。その様子にグリムは首を傾げる。
「つーかよぉ、デュース。なんでヴィルとエペルのイザコザに首つっこんだんだ?メンドクセーことになるのオレ様にだってわかるんだゾ」
「だよな。バカなことしたって、僕も思う」
身も蓋もない物言いにデュースは苦笑した。そしてどこか遠い目をして語り出す。
「でも、中庭の井戸の前で出会った時からずっとエペルのことがひっかかってて。……たぶん、僕とあいつは似てるんだ」
「えぇ?オメーとエペルが?顔も性格も全然違うんだゾ」
「うまく言えないんだが、『変わりたいけど変われない』っていうか……でも自分を変える方法がわからなくてジタバタしてるっていうか」
考えながら懸命に自分の言葉で伝えようとしてくれてるけど、本人はその出来に納得できないらしい。乱雑に頭をかいて、苛立たしげな声になる。
「あー、くそ。エースの言うとおりだ。僕はバカで要領が悪いから上手く伝えられない。悔しいな……」
「その悔しさは、青春の甘い痛みさ!ムシュー・スペード!」
「どうしたどうした!?元気出せよ!」
真後ろから声が聞こえて三人揃って身を竦める。振り返ればハント先輩とアジーム先輩が揃って歩いてくる所だった。その表情はとても明るい。
「び、びっくりした!ハント先輩、アジーム先輩。どうしてここに!?」
「そろそろダンスレッスンを再開するから様子を見に来たんだ」
「ボールルームには戻れそうかい?」
二人はあくまで優しく尋ねたけれど、デュースは目を伏せた。
「……僕、戻ってもいいんでしょうか」
「え?あたりまえだろ」
アジーム先輩が即答したけど、なおも表情は晴れない。
「シェーンハイト先輩にも言われたけど、足を引っ張ってる自覚はあるんです」
初めての事ばかりで、不慣れなのに不器用で、もがいて苦しい状態だろう。しかも初めてなのに、指導するのは業界の第一線でプロに囲まれて仕事をしている人で、その求められるクォリティも経験から逆算すれば決して適当とは言えない。
「メンバーに選ばれたからには頑張ろうと思ってる。……でも、このままじゃ……」
「自惚れてはいけない、ムシュー・スペード」
自覚があるからこそ暗く沈んでいくデュースを、ハント先輩が一喝した。デュースは弾かれたように顔を上げる。でも謙虚なつもりの言葉を『自惚れ』と称された事には混乱している様子だった。
「キミたちはまだ、卵の中の雛鳥も同然。殻も破っていないうちから、自分の限界を決めてしまうのはナンセンスだ」
「限界を、決める?」
「美しいさえずりも、山脈を飛び越える羽根も、卵の中でうずくまっているだけでは手に入らないよ」
馴染みの無い言い回しだが、じわじわとその意味はデュースに伝わっているのだろう。ただ呆然としていただけの瞳に真剣な光が灯る。
それを見たハント先輩は、いつもより優しく微笑んだ。
「大丈夫。私にはずっと聞こえているんだ。コツコツと硬い殻を破ろうと奮闘するキミたちのくちばしの音がね」
不器用ながら自らを変えようと四苦八苦しているデュース。
望まない容姿を覆そうともがいているエペル。
……そして多分、器用そうに見えてタイミングが悪くて、反省なんかしてなさそうな顔してるエースでさえ。
方向性は違えど、努力の仕方も苦悩の内容も何もかも違っても、ただ自分を成長させようと歩み続けている。
「知っているかい?卵の中にいる雛鳥は殻を破るためにくちばしの先端に硬く尖った卵歯という角のようなものを持っているんだ」
生まれる前の曖昧で柔らかな生命が持つ、世界に己を現すための刃。自らを守り育み、あるいは閉じこめるものを壊すための力。
「だが雛が持つ鋭い卵歯は、成長するに連れ失われてしまう」
つまり何が言いたいかというと、とハント先輩は続ける。
「キミたちにも、卵のなかにいる雛鳥にしかない鋭い卵歯……今のキミたちにしかない『力』がきっとある」
成長する前だからこそ存在するもの。具体的に何、と説明するのは容易ではないけど、きっと確かに存在する。
「私は……いや、きっとヴィルも。楽しみに待っているんだよ。キミたちが分厚い殻を破ってくれるのをね」
ハント先輩は確信に近い強さで言う。僕も思わず頷いていた。
だって、デュースより歌やダンスが上手い生徒ならたくさんいただろう。選択肢は無数にあった。
それでもシェーンハイト先輩は、デュースを選んだ。『VDC』を勝ち抜くために必要な存在だと判断した。それは紛れもない事実なのだから。
「今の僕にしかない、強さって……うぅん……」
デュースが目を閉じて考え込む。長い長い沈黙を挟み、大仰な溜息をついた。
「…………ダメだ。いくら考えても、少し足が速いことくらいしか思いつかない。頭も、要領もよくない。僕のいい所なんて……」
「なあ、デュース。お前、そうやって頭でいろいろ考えちまうから良くないんじゃないか?」
アジーム先輩に言われて、デュースは目を丸くした。
「自分が馬鹿ってわかってるのに、なんでわざわざ脳みそ使って答えを出そうとするんだよ」
目から鱗が出たような顔だ。なかなかそう簡単に吹っ切れるものじゃないのは僕も同じだから解るんだけど、アジーム先輩は何というか、葛藤をあっさりと切り捨てすぎてやしないかと感じてしまう。まぁ、効率的と言えばそうなんだけど。
「お前を見てると、利き手と逆の手で字を書いて、『オレはなんて字が下手なんだ~!!』って叫んでるように見える」
言わんとする事は解る。解りすぎる。例えが上手すぎる。でもアジーム先輩から『お前すんごい馬鹿だな』って言われてるという現実に対するショックが大きい。それはある意味、無意識に彼を見下していたという事でもあって、反省すべき事なんだけど。とりあえず今は横に置いておいて話に集中する。
「苦手ってわかりきってることをして、ダメな結果を自分に突きつけて落ち込んでるっていうか。そんなんじゃ、自分の良いとこなんか見えてこないだろ」
アジーム先輩の言葉に、ハント先輩が目を輝かせた。
「カリムくん。キミの瞳はいつも雨上がりの空気のように澄んでいるね」
うっとりとした表情と大げさな身振りと共に、アジーム先輩を称える言葉を紡ぐ。
「その真っ直ぐさ。その無垢なる輝き。まさしくそれはキミの強さだ。『黄金の君』」
「ん?オレ今、褒められてるか?サンキュー、ルーク!」
何を言ってるかよく分からないけどニュアンスは正しく受け止められたらしいアジーム先輩が、これまた屈託のない笑顔をハント先輩に向けた。その笑顔を受け止めてから、ハント先輩はまだ戸惑っているデュースに向き直る。
「カリムくんの言うとおりさ、デュースくん。キミの強さは、きっと『頭を使う事』ではないんだ」
「確かに、デュースがうんうん考えたアイデアってたいていろくな結果にならねぇんだゾ」
グリムが腕を組んで頷きながら続いた。
「エースを投げつけてオレ様を捕まえようとして、十億マドルのシャンデリアぶっこわしたし」
「た、頼む。その話はもうやめてくれ」
「オレもよく考えなしだとか、脳天気すぎるとかジャミルに言われるけどさ、落ち込んでも、食って寝て踊ればすぐに『なんとかなるさ』って忘れちまえる。それはオレの良いところだって、自分で思う」
全く反省しないのもダメだと思うのでバイパー先輩の苦労が忍ばれる。とはいえ、その明るさが良い事だというのも解らなくはない。
「だからさ、ダメに感じるところにも、良いことはあるっていうか、上手く言えねえけど」
「短所は長所になりえるってことですね」
アジーム先輩の太陽のような明るさは、人を導いたり暖めてくれるけど、眩しさがうっとおしかったり暑苦しいと感じる事もある。
結局は受け止める側の都合だ。自分の性質をポジティブに考える事もきっと許される。
デュースは少し考え込んでいたけど、程なく何かに気づいたような顔になった。
「……そうか。そういうことか……!」
呟きは確信を帯びている。彼なりのヒントは掴めたらしい。
デュースは真剣な、でも少し明るくなった顔で先輩たちを向いた。勢いよく頭を下げる。
「ありがとうございます、アジーム先輩。ハント先輩。僕、少しだけ見えた気がします!」
「おお?そりゃ良かった!」
「あの、最後にひとつ質問いいでしょうか」
「ウィ。私たちで答えられるならなんなりと」
悩んでいた後輩の表情が明るくなった事で、先輩たちも嬉しそうだ。
「この学園で、マジホイを借りられるところを知りませんか?」
先輩たちは予想外の質問だったようできょとんとしていた。でもすぐに持ち直す。
「オレは知らないなぁ。今から手配するか?」
「いや、それには及ばないよカリムくん」
ハント先輩が首を横に振る。
「イグニハイド寮には魔導工学の研究としてマジカルホイールを題材にする生徒が毎年いるんだ。今年も研究発表のための機体がすでに搬入されている頃合いだろう。訊いてみるといいよ」
「ありがとうございます!」
「でもなんでマジホイ?」
「ちょっとひとっぱしり行って、スッキリさせてこようかと思って」
無邪気に笑って答えたけど、それ外出許可とか大丈夫かな……と思ったけど『マジホイでひとっぱしりしたい』で許可が出るわけないか。黙っておこう。
「……エペルも帰ってこないし、探しに行かないと」
「あ、そういえば……アイツどこまで行ったんだ?」
「ユウ」
デュースが意味ありげに名前を呼ぶ。顔を見れば真剣な表情で僕を見ていた。
「エペルの事は、僕に任せてくれないか?」
「なんでなんだゾ?」
「な、なんて言うべきか……アイツと話したい事があるんだ」
デュース自身がエペルと自分を似ていると言った。同じ悩みを持っていると。
そしてデュースは今、その悩みを解決する糸口を掴んだ。
だから同じように悩む仲間を助けたい。
そんな気持ちが視線から伝わってきたように思う。デュースがなんだかんだで良いヤツなのはよく知ってるつもりだし。特に仲間や友達に関しては、誠実に振る舞ったり気も使ってくれる。
紛れもない、彼の長所だ。
僕は手に持っていたエペルの分のボトルをデュースに差し出す。デュースも笑顔で受け取った。
「じゃあ、あとは頼んだよ」
「ああ。任せてくれ!」
爽やかに答えると、デュースは鏡のある建物の方へ走っていった。……エペルがどこにいるかわからないのに大丈夫かなと思ったけど、まぁそれも含めて任せるべきだろう。きっと彼ならどうにかする。
「……さあ、私たちはボールルームへ戻ろうか」
「……って、デュース行っちまったけど、ヴィルにはどう説明するんだゾ?」
「気持ちを落ち着けるために走りに行ったとでも言っとけばいいんじゃないかな。嘘にはならないと思うし」
外出許可についてはうっかり見落としていたという事にしておこう。先輩たちも指摘しなかったからには、細かいルールに気を配るタイプじゃないわけだし。僕だけが怒られる事は無いだろうからいいや。
「そっか。マジホイを使いたいってのはそういう事だったのか」
「デュース、マジホイの同好会作ろうとしたぐらいには好きらしくて。運転も出来るみたいですよ」
「ユウくんはデュースくんの事をよく知ってるんだね」
「これでも『マブダチ』ですから、それぐらいは」
関わった日数はまだ半年もない。それでも毎日のように顔を合わせてきたのだから、話した事もたくさんある。
積み重ねた日常は確実に重みを増していた。夢のように現実味の無かった世界が日常となっていく。
過去を忘れていく事で違う世界で暮らしているという恐怖を薄れさせているのに、忘れているという事実そのものが自分の心に恐怖を刻みつけていた。
そんな話をしても仕方がないので、曖昧に微笑みを作る。
「デュースなら大丈夫ですよ。エペルも一緒に、スッキリした顔して戻ってくるかも」
「そうだな!」
「ああ。……キミがそう言うのなら、きっと大丈夫だね」
アジーム先輩はにかっと笑い、ハント先輩は優しく微笑んだ。