5−1:冷然女王の白亜城
「ユウ、ちょっと頼まれてくれない?」
お風呂から上がって、わずかな自由時間。
寮で入浴して帰ってきたシェーンハイト先輩が、ちょうど通りかかった僕の顔を見るなり言った。
「どうしました?」
「エペルとデュースに、これを」
手荷物から取り出したのは大量の湿布薬だ。かなりの枚数が入ってそうな分厚い紙袋が何パックも重なっている。
「脚と腰、背中に貼ってあげて頂戴。あと寝る前に足の裏の分とサポーターも渡して。……早ければそろそろ、筋肉痛になってるでしょうから」
「先輩が渡さなくていいんですか?」
「アタシはちょっとやる事があるから。マネージャーに任せるわ」
「……分かりました。お預かりします」
「頼むわね」
柔らかく微笑んで、先輩は階段を上がっていった。
全員の食事の管理もしてるし練習とパフォーマンスの調整も考えないとだし、大変だよな。普通に。
この学校の先輩たちは本当に凄い人ばかりだ。
談話室に入ると、ソファでぐったりしているデュースとエペルの姿が目に入った。エースやグリム、アジーム先輩とバイパー先輩がそれを見て呆れたような顔をしている。ハント先輩は部屋に引き上げた後のようだ。
「デュース、エペル。シェーンハイト先輩から湿布薬の差し入れだよー」
「え?別にどこも痛くないけど……」
「これから痛くなるから、先にね」
「確かに、今日すげー悲鳴上げてたもんなー、お前ら」
「普段使い慣れてない筋肉を使ってるからな。ケアは大事だ。有り難く使わせてもらえ」
「は、はぁ……」
二人はなんかしっくり来てない顔だ。バイパー先輩と顔を見合わせる。
「監督生」
「どっちいきます?」
「体格的には俺がデュースだな」
「了解です」
バイパー先輩に湿布薬を二袋手渡す。デュースとエペルが怯えた顔で僕たちを見ていた。
「な、なにを……?」
「痛くなると練習しんどいからね」
「鎮痛よりは疲労回復の成分が多いから、枚数を貼っても支障は無い。潔く受け入れろ」
バイパー先輩が袋の成分表示を見ながら言った。湿布と言えど薬だから、本当は枚数の制限とかあるんだよね。確認してもらえて有り難い。
がしっと肩を掴んでエペルをソファの上に転がす。
「だっ、俺はいだぐねっで言っ…………!!」
ズボンの裾を捲り上げて膝裏に指を入れる。誰がされても痛い所だと認識しているが、どうやらこっちの世界でも通用するらしい。抗議の声が止まったので、強ばっている脚をマッサージで解してから湿布を貼っていく。見た目は細くて折れそうに見える脚だけど、筋肉は固い。ちゃんと運動している脚だと思う。結構意外かもしれない。
隙あらば逃げようとするのでこちらも容赦はしなかった。両足を貼り終えた所で座る位置をエペルの腰の辺りに変えてから、ズボンの裾を戻す。
「はい、次は背中と腰ね」
「湿布なんてそんな、ジジババのするようなもの……!」
「子どもだって必要な事はあるよ。まさに今、ね」
問答無用でパジャマをめくる。綺麗で真っ白な背中。軽く触れて強ばりも解しつつ、必要な所に貼っていく。
終わる頃には諦めもついたようで、さっきより更にぐったりしていた。ゴミをまとめつつ、一袋とサポーターを傍に置く。
「こっちは足の裏に貼る分ね。寝る前に両足に忘れずに貼って、サポーターで覆って剥がれないようにしてね」
「足の裏にまで!?」
「バレエは足の裏の筋肉を酷使すると言うからな。対処を間違えると明日の練習どころか、歩く時すら辛くなるだろう」
ちょうど貼り終えた所のデュースにも手渡す。複雑な顔だが、バイパー先輩の言う事も無視できないみたい。
「ご協力ありがとうございます」
「どういたしまして」
礼を言いつつバイパー先輩からゴミを回収する。
ふと視線を感じて振り返ると、エペルが僕を凝視していた。
「……エペル、どうかした?」
「ユウサンって……結構鍛えてるの?」
「おう!ユウはジャミルと殴り合えるぐらい強いからな!」
「お前が勝手に答えるんじゃない」
「子分は最強なんだゾ!オレ様は天才だけどな!」
「後半部分は余計だっての」
何故か得意げに答えるアジーム先輩とグリムに、バイパー先輩とエースがそれぞれツッコミを入れる。苦笑して流しつつ、エペルを見た。
「一応、小さい頃から格闘技やってるので。今も筋トレはしてるよ」
「そ、そうなんだ……」
「あー、見た目より重いから驚いた感じ?ユウって着やせするもんね」
「う、うん……ちょっと意外だった……かな?」
「意外と言えば、エペルも運動し慣れてる感じだよね。部活どこだったっけ」
「僕はマジフト部だよ」
「そうなんだ。……大変そうだね」
「でも面白いよ。強豪校だけあってみんな強いし、一年生でもレギュラーに入るチャンスは用意されてるし」
エペルは楽しそうに目をキラキラさせている。『魔法力を全開で戦うフィールドの格闘技』なんて言われてるスポーツだけど、エペルにとっては最高みたい。
「へー、結構有望な感じ?」
「ど、どうだろう……部長は見てくれてると思うけど、体格的にはやっぱり不利だから……」
「だが、小柄だからこそ生かせる場面もあるだろう。ラギーなんかはその典型だ」
確かに、ブッチ先輩も小柄で細身だし身のこなしも軽い。人の虚を突いたりすり抜ける動作は上手い印象だ。自分の体格を生かしたプレー、という分類では典型的なものだと思う。
「う……で、でも僕的には、正面からのパワープレイに憧れがあって!」
「エペルの体格だと難しそうだけどなー」
アジーム先輩の無邪気な言葉がエペルの胸を突き刺す。しょんぼりとうなだれた。
「まぁでも、これから成長期だし。身長が伸びれば違うんじゃないかな」
「そっ、そうだよね!!」
「ヴィル先輩曰く、しっかり栄養と睡眠時間を取れば身長は伸びるって話だし?今から悲観的になる事でもないっしょ」
「うんっ!」
どんどん表情が明るくなる。持ち直してくれて良かった。
「……どうしてユウサンは、『VDC』のオーディション受けなかったの?」
そしておもむろに尋ねられる。僕が答える前にグリムが口を出した。
「ユウは絶望的な音痴の上にリズム感が全く無いんだゾ」
エーデュースがうんうんと頷いている。
「でも意外だよなー。すげー運動神経いいのに」
「ダンスの知識もあるし、リズムがあまり関係ない技ならこなせそうだがな」
「回ったり跳ねたりするのは出来るんですけど、一定の間隔でどうにかするとか、上手いタイミングで止まるっていうのがどうしても出来なかったんですよねー……」
「単純な手拍子もズレてたもんな」
「メトロノームに合わせて叩けって言われても全然合わねーの。先生のあんな顔初めて見たわ」
「そうなんだ……」
哀れんでるのか訝ってるのかよくわからない視線を向けられている。だんだん悲しくなってきた。
そんな話をしていたら就寝時間が迫っている事に気づく。
「そろそろ部屋に戻りましょう。二人は湿布貼るの忘れないでね」
「あぁ、わかった」
「はーい」
みんなと一緒にぞろぞろと談話室を後にする。もう昨日みたいに隠れて練習したり盗み食いを働いたりはしないだろう。……しないと思いたい。
でも念のため、寝たふりをしてしばらく階下の物音に耳を澄ませる。ミッキーの事もあるから鏡の方も気にしていたんだけど、どこも静かだったのでいつの間にか寝付いてしまった。