5−1:冷然女王の白亜城


 昼前のモストロ・ラウンジは満席には少し余裕があるぐらいの賑わいだった。学校が休みでも足繁く通う生徒は結構いるらしい。
 入り口から覗くと、ちょうど近くにいたジェイド先輩がすぐに気付いてくれた。
「いらっしゃいませ。こんにちは、ユウさん、グリムくん」
「こんにちは、ジェイド先輩」
「……今日は大荷物ですね?」
 さすが先輩。話が早い。
 事情を説明すると、ジェイド先輩はにっこり笑って頷いた。
「では、台車ごとこちらでお預かりしましょう。管理部に返しておきますからご心配なく」
「助かります」
「こちらこそ、お気遣いありがとうございます。アズールもきっと喜ぶでしょう」
 ジェイド先輩は店内を見渡し、手の空いてる寮生に声をかけた。
「ご案内をお願いします」
「はい!こちらへどうぞ」
 案内されるまま席につく。メニューを広げておいしそうな料理の数々を悩ましく眺める。今日だけは財布の中身の事は考えないと心に決めていた。今日の美味しかった思い出を胸にこれからの合宿生活を頑張る。
「オレ様ツナのトマトパスタにするんだゾ。飲み物はメロンソーダ!」
「わかった」
 寮生を呼び止めて注文する。その後は料理がやってくるまでの待ち遠しい時間。大きなガラス窓の向こうの海の景色を眺めつつ、次に来たら食べたいものの話に花が咲く。
「お待たせしました。エビカツバーガーセットとツナのトマトパスタです」
「はーい、ありがとうございまーす」
 大きなエビカツが野菜と一緒にバンズに挟まったバーガーと、ポテトとオニオンフライのセット。どっしりとした存在感がたまらない。
 グリムのツナのトマトパスタはツナ、野菜、キノコなどたっぷりの具材が入っている。麺も申し分ないボリューム。しっかりお腹を満たす一皿だ。
 いただきます、と揃って挨拶して食べはじめる。
「うーん、ツナのうまみがたっぷりでたまんねぇ!トマトの酸味とにんにくの風味と唐辛子の辛みのバランスが絶妙でいくらでも食べられそうなんだゾ!」
 グリムは想像以上の味わいにご満悦のようだ。
 ツナ缶のストックがあるからある程度のガス抜きは出来ると思うけど、グリムにとっては合宿の食生活はかなりストレスになるだろう。モストロ・ラウンジには来られないにしても、様子は注意しておいた方がよさそうだ。また盗み食いをして怒られたら面倒だし。
 そんな事を考えつつエビカツバーガーを掴む。サクサクと軽い衣、ぷりぷりとしたエビ、シャキシャキの野菜の多彩な食感と風味を、濃厚ながら後味が爽やかなタルタルソースとふかふかだけどもっちりしたバンズがまとめあげていた。美味しい。このために生きてる。
「なぁなぁ、ポテト食いたいんだゾ」
「オニオンフライも分けてあげるからパスタ一口と交換ね」
 まとめて分けてやると不承不承ながら頷いた。グリムの言うとおり、パスタもいろんな味が感じられて美味しい。野菜もいっぱい入ってるし栄養バランスも良さそう。
 互いの料理の感想を言い合いながら食事を終えた。食事中も店内をこまめに見ていたんだけど、アーシェングロット先輩の姿が見当たらない。今日はお店にいないんだろうか。でもジェイド先輩も何も言わなかったしなぁ。
 食器が下げられてしまい、そろそろ帰らないとダメそうな気がしてきた。店も満席に近づいてるし。
「小エビちゃん、アザラシちゃんいらっしゃ~い」
 と、もやもや考えていたらいつの間にかフロイド先輩が席に来ていた。手に持っていたパフェグラスとプレートをテーブルに置く。
「なんなんだゾ、これ」
「試作品のチョコミントパフェとデザートプレート。サービスって事で」
「サービスって、何の理由も無いのにしていただくワケには……」
「今ねえ、裏でジェイドが頑張ってアズールを柱からひっぱがしてるから。これ食べてもうちょっと待っててくれる?」
「柱から……?」
「そう。アズールが柱に巻き付いちゃって全然離れないからさぁ。『イヤダーコワイーイキタクナイー』って」
 何となく想像できた。ジェイド先輩も大変だな。
「えーっと、じゃあ、遠慮なくいただきます」
「召し上がれ。オレもジェイドに加勢してくっから、もーちょっとだけ待っててねぇ」
 フロイド先輩はひらひらと手を振って、とっとと奥へ引っ込んでいった。
 ……アーシェングロット先輩、細身なのに柱にしがみつくなんて凄い腕力なんだなぁ。それもジェイド先輩ひとりで引き剥がせないなんて相当だ。柱の無事を心配した方が良いのだろうか。……さすがに大げさか。
「ユウ、オレ様パフェがいい!」
 グリムの声で我に返る。希望通りにパフェを目の前に差し出してスプーンを渡した。
 淡いミントグリーンにチョコレートが混ざったアイスをメインに、生クリームで飾ってクッキーやブラウニーが添えられている。底に詰まってるのはコーンフレークじゃなくて焼き菓子だろうか。見慣れない形をしている。
 プレートの方もパフェと同じくメインはチョコミントのアイスだ。大きめのブラウニーとココア色のフィナンシェ、葉っぱの形のチョコレートが乗っている。チョコレートもミントグリーンっぽい色と茶色の二層だから、これもチョコミント味なんだろう。チョコミントフェアでもやるんだろうか。
「んん~!ミントが爽やかなのに味が残らなくてチョコレートと喧嘩しねえ!クセになる味わいなんだゾ~」
 僕もアイスを一口。グリムの食レポ通り、好き嫌いの分かれる味がうまくまとまっている。ミントが柔らかく、チョコも主張しすぎない。チョコミントが苦手な人でも食べやすそう。……学生がやってる店で出すメニューの完成度じゃないよなぁ。
 ブラウニーやフィナンシェにアイスを絡めると、チョコレートがメインになる中でミントがうまくアクセントになる。もちろんそれぞれを単体で食べても美味しい。細かな食感の違いも楽しめる、という事だろう。
 チョコレートはアイスよりはミントの主張が強いけど、こちらは甘さに慣れた口の中をうまく爽やかにしてくれる感じだ。チョコレートはビターで甘さ控えめ。一番最後に食べるものと見た。
「こんにちは、ユウさん、グリムさん」
 最後のひとかけらを堪能している所で、待ち人の声が降ってきた。アーシェングロット先輩は、いつも通りの寮服姿でにっこりと微笑んでいる。……心なしか細部がよれっとしている気がするが、気付かないフリをしておこう。
「こんにちは、アーシェングロット先輩」
「おう、アズール」
「試作品のデザートは楽しんでいただけましたか?」
「うまかったんだゾ!アイスが特にうめえ。底に敷き詰めてあるカリカリしたクッキーと一緒に食うと格別だ!」
「とても美味しかったです。チョコミントの企画でもされるんですか?」
「ええ。以前から強い要望がありまして。やっと納得いくものが出来そうだという事で、現在は試作を重ねている所です」
「やっぱ好きな人いるんですねぇ」
「ええ」
 会話が途切れた。心なしかアーシェングロット先輩の顔が強ばっている気がする。
「この間はすみませんでした」
 僕から切り出すと、先輩ははっとした顔になった。
「……僕の方こそ、失礼しました。人の悩みを喜ぶような言い方をしてしまって」
 グリムは僕たちを交互に見てきょとんとしていたが、とりあえず静観してくれている。
「先輩はそれがお仕事みたいなもんですからね」
「いえっ、あの、そうでなくて」
「そうでなく?」
「……あなたの悩みを一緒に解決できたら嬉しいと、思って……その、先走ってしまったというか……」
 珍しくしどろもどろになっている。思わず微笑んだ。
「僕としてはもうずっと音痴でリズム感ゼロで暮らしてきたので、今更どうにかしようとか考えた事も無かったです」
「そういうものですか?」
「親から『人には得意不得意があるから無理するな』って言われて育ったのもあるでしょうね」
 それは僕を慰める言葉であると同時に、双子の姉の振る舞いに振り回される僕を諦めさせる言葉でもあった。姉は行動するのが得意、僕はそれについていくのが得意。そう考えた方が確かに楽だったし、それ自体は別にいいんだけど。
「もし、本気で音痴を直したいとお考えでしたら、真剣に方法を考えますが」
「もしかしたらいずれお願いするかもしれませんけど、少なくとも今は難しいですね。『VDC』のお手伝いをする事になってしまったので」
「……そうでしたね。話は聞いています」
 アーシェングロット先輩は複雑な顔をしている。珍しく、少し言いにくそうに口を開いた。
「その、ヴィルさんとはどうですか?」
「良くしていただいてますよ」
「ヴィルのヤツがユウと一緒の部屋で寝てるから落ち着かないんだゾ」
「一緒の部屋!!??」
 店内の注目がこちらに集まるぐらい、鬼気迫る大声だった。下手に焦るとやましい感じになりそうなので、なるべく涼しい顔を作る。
「他のチームメイトが二人部屋なので、公平になるようにしたいと言われまして」
「そ、それは、だい、大丈夫なんですか!?」
「別に何もないですよ」
「だって、あの服の送り主はヴィルさんでしょう!?」
 今度はこちらが目を見開く。どうして知ってるんだ、と思ったけど、オンボロ寮が担保にされた時に服は置いていったんだった。出てってる間に中身を全て確認したとしてもおかしくない。この人の調査能力ならブランドからシェーンハイト先輩を割り出すなんて簡単だろうし。
「本当に何も無いですよ。後輩として可愛がってはいただいてますけど」
「昨日の夜、ヴィルにスキンケア?ってのをしてもらってたんだゾ」
「すっ……」
 アーシェングロット先輩が固まる。少しして、動揺を抑えるように眼鏡を中指で押し上げた。めちゃくちゃに指が震えている。
「それは……ヴィルさん手ずから……何かしたとかそういう……」
「オレ様が見た時は手を握り合ってたけど、そういえばアレ何してたんだ?」
「あ、アレはハンドクリーム塗ってただけで……」
「ハンドクリーム!!」
 声を荒らげつつ仰け反った。支配人の奇行に他の客席からの注目がどんどん集まってる気がする。どうしようこれ。
「昨日、参加メンバーへのスキンケアのレクチャーでアジーム先輩も同じ事されてましたよ」
「…………あぁ、まぁ……そうですよね、深い意味なんてあるわけがない」
「シェーンハイト先輩、人にするのも慣れてる様子でしたから」
「寮長という立場、そして彼のこだわりようからして、他人に施す優れた手技を持っていてもおかしくはないですね。……そうですね、スキンケア……その手があったか……」
 最後の呟きは聞かなかったフリをしよう。
 やっといつものアーシェングロット先輩が戻ってきていた。
「ところでうちの寮も化粧品を作ってまして」
「ええ、頂きましたよね」
「今後、新商品を作る際にモニターをお願いしても?」
「お力になれそうなら協力します」
 笑顔で返すと、ひとまずアーシェングロット先輩は落ち着いた様子だ。
 とりあえず今のうちに話を逸らしておきたい。
「えっと……先輩はボードゲーム部でしたっけ」
「ええ。今度の文化祭では有志で制作したゲームを展示したり、実際に遊べるようにする予定です」
「楽しそうですね」
「まぁ、僕自身は簡単な研究の発表でお茶を濁してますが。いくつかの売店の管理を任されていますから、部活のブース運営にはほとんど参加出来ない見通しです。顔は出すと思いますけどね」
「売店……大変ですね」
「それはもう。ですがやりがいはありますよ。何せ『VDC』がありますから」
 外部の客が来る時は腕の見せ所、という事なのだろう。文化部にとって将来も関わる日だけど、彼にとっては別の意味で将来に関わる日なんだろうな。
「ヴィルさんに加えてネージュ・リュバンシェも出場するとなれば話題性は十分!過去最大規模の集客が予想されますから、こちらも全力で準備を進めなくては」
「アーシェングロット先輩が仕切るならその辺りは大丈夫そうですね」
「それはもちろん。皆さんの盛り上げを損ねないサービスを提供しますから、ご心配には及びませんよ」
 非常に頼もしい。大人さえ舌を巻く悪辣さが、大舞台になると途端に大きな力に変わるのだから不思議なものだ。
「そろそろ出ようか、グリム」
「今日もうまかった~!」
 既に店内は満席だし、人が並んでいるのも見えた。あまり席を占領しては迷惑になる。
 会計を済ませると、アーシェングロット先輩が店の出入り口まで見送りに来てくれた。いつの間にかリーチ先輩たちも両隣に並んでいる。……やっぱり寮服の細部がちょっとよれっとしてる気がするけど、言わないでおいた。
「ありがとうございました。またいつでもお越しください」
「ごちそうさまでした!また来ます」
「差し入れもありがとうございました。エペルさんの所にも後日お礼に伺います」
「はい、是非そうしてください。喜ぶと思います」
「デザートどうだった?」
「凄く美味しかったです!フェア楽しみにしてますね!」
「パフェも美味かったんだゾ!」
 見送りに立つ三人に手を振り、モストロ・ラウンジを後にした。
 鏡まで歩く道すがら、グリムが背中をよじのぼって肩にのっかってくる。
「また行こうな、ユウ。食べ応えの無いメシばっかりじゃ力が出なくなっちまう」
「そうだね。節約すればまぁ……もう一回くらいは来れるかな」
「そしたら次はオレ様もハンバーガーが食べたい!」
「僕も次はパスタにしようかな」
 気になるメニューの話に花が咲く。こういった話題をしばらくはオンボロ寮では出せない。帰るまでの間に存分に語り合った。

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