5−1:冷然女王の白亜城
合宿をしているのだから、もちろん朝練はある。起きてすぐにボールルームに集合させられた。
朝食の準備は、今後の練習の打ち合わせも兼ねてハント先輩とシェーンハイト先輩で行うとの事で、今朝の朝練は不参加。その代わり、僕がしっかりと見張るように言い渡されたけども。
やる事は昨日のダンスのおさらい。全体練習だとカバーしにくい細かな動きを、録画を見ながら教えあってくれとの事。
「昨晩はひどい目に遭ったな……」
「硬い床で寝かされたせいで身体中痛てぇ~」
「うぅ、オレ様は出場選手じゃねぇのになんでなんだゾ……」
馬鹿三人がぶちぶち暗い顔で呟きながら準備運動をしている。その隣で同じ動きをしつつ、僕は微妙な微笑みを浮かべて黙っておいた。
「みんな、大丈夫?」
「何だ、あの後なんかあったのか?」
「気にしなくていいですよ。自業自得なんで」
エペルとアジーム先輩が首を傾げる横で、バイパー先輩が呆れた視線を三人に向けた。
「昨晩の騒ぎ、敵襲かと思って飛び起きてしまったじゃないか。人騒がせな……」
「バイパー先輩も起きてたんですか?」
「ああ。様子を見に行ったら、ヴィル先輩が床に転がってたそいつらに毛布を投げつけてたよ」
じゃあ僕がいなくなった後に来たんだ。……まぁでも三人の事だからシェーンハイト先輩がいなくなるまでぎゃーぎゃー喚いてたのかもしれないな。
「好きで床に寝てたんじゃねーし!ヴィル先輩のユニーク魔法でやられたんスよ」
「ヴィル先輩のユニーク魔法、だって?」
「おう。食べ物に『呪い』を仕込めるっていうおっかねえ魔法だったんだゾ!」
「食べ物に、呪いィ!?」
スカラビアの二人は初耳のようだ。寮長だからといって能力が知れ渡っているというものでもないんだな。
「これから『VDC』当日まで、何か口に入れるたびに呪いがかかってんじゃねーかってビクビクしちまいそうだ」
「先輩だって不必要に魔法は使わないでしょ……」
「まぁ、ヴィル先輩なら条件を巧く設定して最小限の負担で使いこなしていそうではあるが」
ユニーク魔法も、通常の手段で習得する魔法と内容が同じなら負担は変わらない。手順を短縮すれば負担は増えて、手順を増やせば負担は減る。
そうした前提を踏まえると、シェーンハイト先輩の魔法は『物に魔法を込める』というものと同じだと考えられる。アーシェングロット先輩が前に使っていたものは、魔力と共に魔法を込めて一定時間魔法の効力を発動させたり、エネルギーを物に溜めこんでまとめて打ち出す、といった使い方だった。
シェーンハイト先輩の『美しき華の毒』は魔法を込められるだけでなく、その発動条件と解除条件が設定出来る。おそらくその内容次第で負荷が増減するタイプだ。『条件を満たさなければ本人でも解除が不可能』という制限が負荷軽減の一端のようにも思う。例えば『発動と解除の条件を設定しないと使えない』といった制約があるなら使うのは難しそうだけど、頭の回るシェーンハイト先輩ならその辺は問題なさそう。
「オレ、毒ならだいたい気付けるけど呪いはさすがに気付けないかもなー」
「ある程度の魔力を使用すれば多少の痕跡は残るものだが……ふむ」
「ふーん。じゃあ魔法の探知能力を磨けばわかるようになるって事か」
「ま、鈍感なお前に習得は難しいかもしれないな」
「えー、なんだよそれ。やってみなきゃわかんねえだろ~?」
スカラビアのふたりはただの雑談みたいに話している。バイパー先輩の言葉遣いや雰囲気の変化は割と唐突なものだったけど、アジーム先輩が受け入れているから違和感は全くない。傍目にはただの仲良しだ。そんな感想を口に出したら面倒な事にはなりそうだけど。
「あのー、カリム先輩。逆になんで毒なんかに気付けるんすか?」
「ん?ああー、昔、飯に入ってた事があって」
「えぇっ!?」
みんなが驚きの声を上げる。
熱砂の国有数の大富豪の跡取り息子ともなると暗殺も後を絶たない、みたいな言い方をされて納得はしたけど、まぁ一般市民には馴染みのない話だ。こんな明るい調子でされれば余計に現実味は薄い。
「そのせいで、オレ様もホリデーに毒味させられたんだゾ」
グリムがひとり恨み節を呟く。頭を撫でると無言で振り払われた。
「何度かひでー目にあってさぁ。そのうち、飯の度に『これ、食べて大丈夫か?』とか疑うようになっちまって」
当たり前の反応だ。バイパー先輩の境遇も年齢には重すぎると思うが、アジーム先輩とて『気楽な大富豪の息子』とは言い難いらしい。
周囲の同情的な視線をよそに、アジーム先輩は太陽のように笑う。
「でも料理人や同じテーブルについてる誰かを疑いながら食べるより、美味しく楽しく食べたいじゃんか」
「そ、それはそうですけど」
「これは毒が入ってない、って先に分かってればちゃんと味わって食えるし、もし口に入れてもすぐヤバいと気付けたら取り返しがつかない事にはならないだろ?オレも、相手もさ」
「相手も……って?」
「例えば犯人が後から『間違った事をした』って反省した時、オレがこの世にいなかったら取り返しがつかない。過ちに気付けたのに名誉挽回のチャンスが無いなんて……そんなの、オレはヤだよ」
バイパー先輩は無言でアジーム先輩を見つめている。みんなのように同情的ではないけど、否定的なものも感じない。
「熱砂の国には砂漠の魔術師の伝説だけじゃなく、王様になったコソドロの言い伝えもあるんだ」
「王様になったコソドロぉ?」
この学校の象徴的な存在として取り上げられているのは『砂漠の魔術師』だが、国には他にもたくさんの伝説があるという事らしい。
「ある日、コソドロは姫さんと出会って恋をした。それで、過去の盗みや嘘を反省して心を入れ替えたんだ」
アジーム先輩の脳内では、物語の場面が展開されているのだろう。キラキラと輝く目で、身振り手振りを交えて話を続ける。
「その後、国を乗っ取ろうと企んだ悪党から王や姫を救う大活躍!そんで、コソドロは姫さんと結婚して次の王になった。めでたしめでたし!」
説明はさわりで短いが、きっと主人公には多くの苦悩や困難があった事だろう。それを乗り越えて人々を助けて、最後には報われた。
都合が良くて綺麗な物語。その美しさには希望がある。
「オレ、この話がすっげー好きでさ!だって、コソドロが心を入れ替えた事をみんな信じて、挽回のチャンスをくれたって事だろ?」
「やっちまったものはしょうがない。大事なのはその後……って事か」
「現実はおとぎ話と違って『悪者は成敗しておしまい』じゃないもんね」
「そういう事!」
改心を信じた良い人たちに囲まれた事で、改心が折れずに真実となる。良き人となった彼は過去を戒めに誠実に未来を生きるのだろう。
そう簡単にうまくいかない現実はある。でも、悪人が改心して善人となる可能性を、アジーム先輩は現実でも信じたいのだ。難しい事だけど、彼のように信じてくれる人がいなければ実現しない。
彼の心は本当に綺麗だ。
「だから、そのためにもオレはちゃんと生きてなきゃ。ま、結局は美味いメシを食うための生活の知恵みたいなもんだけどな」
オチを軽い所にまとめて豪快に笑う。一同は一緒に笑う事も出来ず顔を見合わせる。
「カリムサン、笑ってるけど、だいぶヘビーな話を聞かされたような……」
「……さあな。本人が笑ってるなら別にヘビーじゃないんだろ」
「アジーム先輩ってなんていうか、他の寮長さんたちとはタイプが違いますよね」
「本当なんだゾ。いいヤツすぎて、オレ様耳の後ろがムズムズする」
「えぇ?なんか変な事言ったか?オレ?」
「変ではないですけど、この学園にいる他の人たちとはちょっと違う感じがする……かな?」
「あ、そういやオレ、この学園に二ヶ月遅れで途中編入してきたんだ。それとなんか関係あんのかなぁ?」
「えっ!?」
また驚きの声が重なる。
「この学園、編入なんか出来るんだ……」
「そんなに驚く事か?監督生だって特別編入だろ?」
「入学式には一応いたんですが……」
手違いで連れてこられたワケだけど。本来は僕ではない誰かが入学するはずだったんじゃないか、って話はあったな。なんだかんだ本当に生徒になってしまったので、うやむやになってそのままだ。
「ナイトレイブンカレッジって、闇の鏡に魂が選ばれたヤツしか入れないんじゃないの?」
「うん。でも、ジャミルが地元を離れて一ヶ月くらい経った頃、ウチに突然学園から入学許可証が届いたんだよ。選定漏れだか、特別枠だったか忘れちまったけど。その後すぐに黒い馬車がオレを迎えに来たぜ」
「後から魂の資質が認められたって事か……?」
「そもそも闇の鏡が魂の資質で生徒を選ぶ事すら、本当かどうか疑わしい」
バイパー先輩は険しい表情で呟く。
「あの学園長の事だ。どうせアジーム家からの寄付欲しさに裏口入学を決めたんだろうさ」
どうやら、入学選考については学園側が選定していて、闇の鏡は建前という解釈のようだ。
まぁ、寮分けの精度の事を考えると不思議ではある。
入学式に振り分けられたという寮生たちは、面白いぐらいその寮の特性を体現していた。エースも一見『厳格』とは縁遠いキャラだが『ハートの女王』へのリスペクトは持っていたし、デュースもヤンキー特有の妙な礼儀正しさみたいなのあるし、割と納得の振り分けだと思う。
それほどの精度がある闇の鏡が、『熟慮』のスカラビアにアジーム先輩を振り分けるかと言われると、ちょっと首を傾げる。
もっとも、アジーム先輩は割と底知れない人物だ。成績は振るわなくても、大富豪の跡取りという立場ゆえの剛胆さ、人を許し受け入れようとする心の広さといった長所はしっかりある。ユニーク魔法の『枯れない恵み』はシンプルでありながら、十キロ以上の長さの涸れた川を一日とかからず泳げる深さに満たすほどの底力があった。本人の評価は何故か低いけど。
僕たちの目から見えない彼の何かに、闇の鏡が『熟慮』の精神を見出している可能性はあると思う。
「おかげでこっちは自由な学園生活がパァだ」
「オレはこの学園に来られて、毎日楽しいぜ。ジャミルとも改めて友だちになれたしな!」
「だから、俺とお前は友だちじゃないって言ってるだろうが……!」
うんざりした表情のバイパー先輩とは裏腹に、アジーム先輩は輝くような笑顔で言い切った。すかさずバイパー先輩が訂正すると、アジーム先輩は不満げに唇を尖らせている。
「準備運動も十分ですし、そろそろ練習しましょう。朝練の時間無くなっちゃいます」
「それもそうだな。じゃあ昨日の復習から入ろう」
バイパー先輩がアジーム先輩と後輩たちを誘導する。手本となる録画を見つつ、音楽を流して実際に動いて、身体の動かし方を調整する。バレエレッスンが入る予定の二人はやっぱり動きが固いが、バイパー先輩の指導は真面目に聞いていた。
合宿初日からいろいろあったせいで先行き不安だけど、もう今更どうしようもない。
「今日もあの食べ応えの無いメシばっかりかと思うと憂鬱なんだゾ……」
「午前の練習の間に例の林檎ジュース配りに行くから、お昼はモストロ・ラウンジで食べようね。シェーンハイト先輩には後で言っておくから」
僕が言うと、グリムはぱあっと顔を輝かせた。……そんなに嫌だったんだな……。