5−1:冷然女王の白亜城


 暗闇の中で目を開く。ゆっくりと呼吸して、己の現状を確かめた。
 まだ夜が明ける気配はない。目覚ましが鳴る時間まで数時間ある。
 焼き付いた夢を思い返す。
 まただ。
 また『美しき女王』の夢を見ていた。
 愛らしい姫君に嫉妬の感情を向ける女王の姿。今回は醜い老婆に変身する姿まで見ていた。
 思わず身震いする。直接の知り合いでないとはいえ、誰かに深い憎しみを向けている姿を見せられるのは、やはり恐ろしいものだ。
 隣のベッドに視線を向ける。シェーンハイト先輩は既に眠っているようだ。静かな寝息の気配がする。
 夢を見てから、シェーンハイト先輩とあの『美しき女王』が似ているような気がして仕方ない。確かにシェーンハイト先輩は中性的な美しさだし、美を磨く事に並々ならぬ執着があるのは事実だけど。
『今度こそ、負ける訳にはいかないのよ』
 あの忌々しげな声が、脳裏に蘇る。
 ただの夢だと笑えればいいのに、どうにも胸騒ぎがして仕方ない。僕は何かを見落としているのではないだろうか。
 水でも飲んでこようかと身を起こして、キッチンに三馬鹿が寝ている事を思い出した。さすがにちょっと行きづらい。我慢して寝てしまった方が良いだろうか。
 悩んでいると、うっすら目の前が明るくなった。不思議に思って窓を振り返るけど、カーテンの向こうは暗闇のままだ。部屋を見渡して、やっと鏡が光っている事に気付く。慌てて駆け寄ると、見計らったように鏡面の向こうからノックされた。
『……もし……、もしもーし。ユウ、今日もそこにいるのかい?』
「ミッキー!!」
『わぁ!びっくりした!急に大きな声を出すから……』
 鏡面の向こうに満ちたもやが薄れて、ミッキーの姿が露わになる。大きな耳のついた不思議な生き物は、僕を見て笑った。そう、目が合っている。
 こうして見るとデフォルメされたキャラクターのような、不思議な外見だ。何て言うか、現実味が薄い。それでも相手が『生きている』と信じられる雰囲気があった。
『今日は鏡の向こうから、君の声がすごくはっきり聞こえるみたいだ。前に会った時はぼんやりしたシルエットだったけど、今日は君の姿がうっすら見えるよ。ユウにも、僕の姿が見えてるの?』
「うん、見えてるよ」
『そうなんだ!』
 ミッキーは嬉しそうに笑った。かと思えば表情がすぐに曇る。
『夢で君とおしゃべりした事を友だちに話したんだけど……ドナルドもグーフィーもツイステッドワンダーランドを知らなかった』
 じゃあ、彼や彼の知り合いにとって、ここは知らない場所なんだ。彼は一体どこにいるんだろう?
『ドナルドなんか、ゴーストが悪さをしてるんだ!退治しなきゃ!なんて言い出すし』
「僕もクラスメイトに似たような事を言われたよ」
 苦笑いして答えると、ミッキーは慌てて否定する。
『僕はゴーストじゃないよ!君もゴーストじゃないよね?』
 頷くと、ミッキーはほっとした顔になった。凄く表情豊かだ。声も素直な性格を感じさせる。
『よかった。でも……ますます不思議だ』
 そして難しい顔になる。
『さっき生きたトランプや踊る手袋が、また来たのかい、なんて声をかけてきた。やっぱりこの夢はただの夢じゃない気がするんだ』
 なんだか不思議な情景を語る。夢ってどういう事?
 疑問で埋め尽くされた事で、やろうと思っていた事が脳内で際だった。
「そうだ、ミッキー。写真を撮らせて!」
『写真?もちろんさ!』
 ミッキーはにっこり笑って快諾してくれた。ほっとしつつ、急いで鞄からゴーストカメラを取り出す。
 遠くで目覚まし時計の鐘みたいな音がしていた。音が遠ざかるにつれて、ミッキーの姿ももやに紛れていく。
『あれ?………が、………鳴って……みたい……』
「待って、ミッキー!」
 思わず手を伸ばしたけど、既に鏡面には何も映っていなかった。光も止んで、暗闇の中でカメラを手に途方に暮れる。
「写真、撮れなかった……」
 ゴーストカメラに視線を落とす。証拠が無ければ今日の事だって話せない。いや何も進展は無い……わけでもないか。
 ここはツイステッドワンダーランド。僕が生きてきた場所とは違う世界。
 この世界の鏡から繋がった先にいるミッキーは、ツイステッドワンダーランドの事を知らない。つまり、ツイステッドワンダーランドの住民ではない。
 一方で、ゴーストは向こうにもいるらしい。いや元の世界にも幽霊とか話はあるけど、この世界みたく『住民として当たり前』ではない。その辺り、向こうのゴーストはどうなんだろう。聞かないと断言はできないか。
 ツイステッドワンダーランドに、日本や東京といった地名は無い。西洋風の割にたまに妙に日本と文化とか習慣が近かったりするけど、それは偶然の一致でしかない。多分。
 学園長は僕について、別の惑星、あるいは異世界から連れてこられた可能性があるとは言っていた。学園の闇の鏡では僕の故郷まで帰る事が出来ない。異世界に渡れない。
「鏡の向こうは、どこかに繋がっている……?」
 呟きながら、鏡をなぞる。僕がここに寝床をもらい、ゴーストたちが最初に片づけてくれた部屋に、偶然設えられていた大きな鏡。ゴーストも立派な鏡だと褒めていた。
 そして鏡は、この世界では魔法の道具になる。
 心臓が強く脈打つ。
 手がかりはずっとここにあったのだ。

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