5−1:冷然女王の白亜城


 ボールルームに入り、準備運動に混ざるシェーンハイト先輩を見送りつつ音響機器の方に向かう。スマホに送ってもらった手順書の通りに準備を進めた。
 壁面に大きな鏡を備えたボールルームは、ダンスホールであると同時に平時は多目的ホールとして使われている様子だった。スカラビアの談話室が宴会場レベルの大規模なのとまた理由は異なるだろうけど、学生寮の施設にしては立派に思える。
 音響設備も本格的なもので、最初はちんぷんかんぷんだったけど、ここ数日の練習に付き合っているうちに基本的な操作は覚えられた。最初の準備はまだちょっと覚束なくて、ハント先輩の送ってくれた手順書が無いと不安がある。
「小ジャガ」
「はい!」
「今日から使う曲の音源を渡すわ。そっちにも入れておいて頂戴」
 そう言って差し出されたのはメモリーカードだった。元の世界のものと微妙に規格が違うようだけど、まぁ大体使い方は同じだろう。
 音響機器の操作に使うパソコンにメモリーカードを挿して、中の音楽のファイルをコピーする。……この世界、ファイル名が異国の言葉でも自動翻訳がかかるから、どれが何のデータなのか一目で解るのめちゃくちゃ便利だな。詐欺にも使われそうだけど。
 どうせ外部には秘密にしないといけないだろうし、一応保存したフォルダにパスワードを設定しておいた。パスワードは画面を撮影して、後でマジカメのグループに共有しとこう。
 メモリーカードを取り出してケースに戻し、シェーンハイト先輩に駆け寄る。
「音源データ全部、パソコンの方にコピー保存しておきました」
「フォルダに鍵はかけた?」
「あとでみんなにマジカメからパスワード送ります」
「よろしい。……本当は生体認証ぐらい入れておきたいけど学校の設備だし、まぁうちの寮生のモラルを信じるとしましょう」
 思わず苦笑する。
 ポムフィオーレ寮生は不正に対して厳しそうだし、気軽に情報の流出なんて起こさないとは思うけど、そこに胡座をかかないのもシェーンハイト先輩らしいや。
 シェーンハイト先輩は各々体を動かしていた面々を振り返り手を叩く。
「集合して。『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』で発表する曲が仕上がってきてるわ」
「仕上がってきてる、という事は……オリジナル曲なんですか?学生の音楽発表会なのに、凄いですね」
「ここ数年の『VDC』ではオリジナル曲の制作は常識よ」
 元の世界でだって十代で作詞作曲始める人はいたし、世界一を競う場ともなればそうなるのかもしれない。
 何というか、『学生の音楽発表会』という事実との間に凄まじいギャップを感じる。
「『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』は、ビューティーコンテストでもファッションショーでもない。評価基準は、歌唱力とダンス技術、そして、自分たちに似合う曲を選べているか」
 当然の常識と言いたげなシェーンハイト先輩に対し、こういった業界に縁遠いであろうデュースが首を傾げる。
「似合う曲、……って、結構漠然としてますね。どういう事ですか?」
「服に似合う似合わないがあるように、曲も声質やグループの雰囲気に似合わないものを選ぶのはマイナス」
 小さな子どもが渋い曲を歌ったり、反対に厳つい集団が可愛らしいアイドルソングを歌ったり、そういうギャップは共感を得にくい。……いやまぁネタ的に受け入れられたり、技術力が高ければこれはこれで良いという評価を得られる事はあるんだけど、それで一位を取るっていうのは多分凄く難しい。
 そしてシェーンハイト先輩は奇策に頼る気は一切無く、正面から一位を獲る気でいるのだ。まだ曲聴いてないけど、多分そういう事だと思う。
「会場の共感を得るためには、アタシたちにピッタリの曲を選ぶのも大切」
「そういえば、この大会は会場の投票で優勝チームが決まるんでしたね」
「そう。『VDC』で勝敗を決めるのは会場にいる者全員よ。観客も出場者もスタッフも一票ずつ、勝者に相応しいと思うチームに投票する権利を持っている」
「出場メンバーも?それって、絶対に自分たちに入れちまわねーか?」
 誰だって自分たちが一番だと思うはず、とアジーム先輩は言う。シェーンハイト先輩は首を横に振った。
「素人考えではそうでしょうね。でも……実力のある人間ほど、自分に投票できない場合もある」
 物憂げに目を伏せる。
「パフォーマンスを見た瞬間にわかってしまうの。『自分じゃ絶対に敵わない』ってね」
 とても重い雰囲気があった。多分、シェーンハイト先輩自身もそう感じた事があるのだろう。
 自分に実力があるからこそ、相手の実力が分かる。その差を正確に見る事が出来る。
 今や華々しいインフルエンサーとして名高い先輩にも、挫折や苦悩があったのだと感じさせる言葉だった。
「そうなると、自分の心を偽って自らを賞賛するのが惨めになる」
「それは……少しわかる気がします」
「自分を、偽る……」
 真剣に頷く面々の間で、エペルが少し憂鬱そうに俯いていた。
「だからアタシは、胸を張って自分自身に投票できるように最善を尽くす。今回用意したオリジナル曲もその一つよ」
「高みを目指すキミの横顔、実にボーテ!輝いているよ、ヴィル。さっそく私たちにも曲を聞かせてもらえるかい?」
「もちろん。それじゃあ、マネージャー。曲を再生してくれる?」
「はーい」
 パソコンの前に移動し、『歌入り』になっているファイルを再生する。
 ボールルームにはちょっと似つかわしくない、激しめの音楽が流れ出した。元の世界のメジャーの音楽と混ぜてもわからなそうな完成度。学生の自主制作のレベルは超えてる感じがする。……いやシェーンハイト先輩ならプロに頼んだんだと思うけど。人脈あるだろうし。
「うわ、すげー本格的」
「いいリズムだ!格好いいな」
「ジャンルとしてはエレクトロニック・ダンス・ミュージックでしょうか?この曲で踊るならアーバンヒップホップ……いやヒップホップジャズ?」
「アーバンヒップホップをベースに、ジャズやブレイキン、ヴォーギングを交えて仕上げようと思ってるわ」
 純粋に曲の雰囲気を楽しむメンバーがいる一方で、バイパー先輩は冷静に分析していた。すでにいつもと目の色が違う気がする。
 曲が終わった所で、シェーンハイト先輩は全員を見回す。
「メインボーカルは三名。それ以外のメンバーにはコーラスとダンスを中心にパフォーマンスしてもらう予定よ」
「えぇ?みんなで歌うんじゃないのか?」
「斉唱は高い技術が無いと、がなっているように聞こえてノイジー……今から七人全員の歌唱レベルを合わせるのは難しい」
 特に踊りながら歌うから歌を揃えるのは難しそう。合唱コンクールならまだしも、『ボーカル&ダンス』だもんなぁ。
「だったら、それぞれ集中するポイントを作って取り組むべきよ」
 アジーム先輩が理解できないながらも了承する横で、デュースが困った顔をしている。
「か、会話に出てくる単語の意味が全然わからない……」
「オレ様もなんだゾ」
「まぁ、かっこいいダンス、って事で」
「ざっくりまとめすぎでしょ」
「僕も詳しくはないけど、キッチリ最初から最後まで振り付けを揃えるような感じじゃないと思う。もちろん揃ってた方がかっこいいけど、個性が出ても見応えがある、みたいな」
「そこまで理解できてれば上出来ね」
 シェーンハイト先輩の声が真後ろから聞こえた。口を噤んだけどもう遅い。
「リズム感が死んでる割に知識はあるようで何よりだわ」
「あ、姉の受け売りみたいなもんです」
「あら、お姉さんがいるの?」
「そういえば、双子のお姉さんがダンスの留学をしているとか言ってたな」
「一緒に住んでた頃、片っ端からいろんなジャンルのダンスの動画を見せられてて、名前だけは聞きかじってたって感じで」
 僕が必死に事情を説明すると、シェーンハイト先輩は心底気の毒そうな顔になった。
「……それなのにアンタの音感とリズム感は死んでるのね」
「それは小さい頃からずっとそうなので!!!!」
 ちょっと泣きそうな僕を無視して、先輩はスマホを取り出してマジカメを開く。
「丁度イメージを掴むのに良さそうなダンス動画があったのよ。参考に見せるわ」
 先輩は画面を僕たちに向ける。エペルも含めた一年生が画面を覗きこむと、広告動画が流れ始めた。
 画面の中の愛らしい少年が、柔らかな微笑みを浮かべて手を差し伸べてくる。エペルとはまた違った感じの愛らしさだ。エペルはミステリアスな雰囲気が魅力だけど、こちらは表情が優しくて人懐っこい雰囲気がある。
「あ、ネージュ・リュバンシェじゃん」
「この人よく動画広告に出てくるよね」
「マジカメで今一番ホットな芸能人ってケイト先輩が言ってたっけ」
「へー」
「彼も『VDC』に出場する予定だよ。ロイヤルソードアカデミーの代表でね」
「そうなんですか?」
「じゃあ、オレたちのライバルだな!」
 ハント先輩を振り返れば、いつにも増してにこやかな笑顔を浮かべていた。
「そうだね。彼を射落とさなければ我らの優勝への道は絶たれると言っても過言ではない」
 しかし、と言葉を切り、考え込むように目を閉じる。そしてうっとりと開かれた目は僕たちを越えてどこか遠くを見ていた。
「ああ……彼の唇は赤い薔薇、髪は黒々と輝いて、可憐な笑顔は誰をも魅了する……ライバルながら、実にボーテ……!!!!」
 完全に違う世界に旅立ってしまわれている。いっそ逆に本気で誉めてるのか疑わしく思えてきた。
 っていうか、ロイヤルソードアカデミーも出場するんだ。そりゃ全国だから出るか。……それってつまり、『VDC』も因縁の対決の舞台になるって事?……学園長がこの大会に力を入れてる感じだったのは、それもあったのかな。
 ちらりとシェーンハイト先輩の顔を盗み見る。ネージュ・リュバンシェの話題に盛り上がる面々に、動画に集中するよう諫めていた。それ以上のものは感じない。
 シェーンハイト先輩は、ロイヤルソードアカデミーなんて歯牙にもかけてなさそう。ただ高みを目指してるだけだ。内心ほっとする。
「今度こそ……絶対に負けるわけにはいかないのよ」
 そこにそんな台詞が聞こえてきたものだから、思わず振り返ってしまった。先輩の視線は画面に注がれている。その横顔に敵意などは感じられない。
 ……でも多分、さっきの考えは訂正した方が良さそう。
 動画の再生が終わる。参考になったかなってないか微妙な所はさておき、先輩はスマホをしまって背筋を正した。
「それじゃあ、レッスンを始めましょう。まずメインボーカルとダンスメンバーの発表をするわ」
 あ、もう決まってたんだ……ってそれはそうか。時間ないんだし。
 オーディションでのパフォーマンスを基準にシェーンハイト先輩が選んだらしい。誰かが文句を言えるものではなさそう。現状の配置であり、それぞれの上達具合によっては変わる可能性がある事も示した。それはサブでもメインを奪い取れるという意味であり、……メインも実力が劣れば落とされるという話。競争心を煽る物言いは実にこの学校らしく感じた。
「まずメインボーカルはジャミル、エペル、そして、アタシ」
 簡潔な発表に、まずアジーム先輩が目を輝かせた。隣の相棒に抱きつかん勢いで喜びを露わにする。
「おおっ!やったじゃないかジャミル!」
 対するバイパー先輩の方は、驚くと同時に強く戸惑っている様子だった。
「俺がメインボーカル、ですか!?」
「そうよ。なにかご不満?」
「不満なんてとんでもない。しかし俺よりカリムの方が……」
 言い掛けて口を噤む。シェーンハイト先輩の迫力に気圧されたとかじゃない。
「……いや、やめよう」
 そう呟く声は、彼自身に向けられているように思えた。僅かに微笑みを浮かべてシェーンハイト先輩を見る。
「わかりました。ご期待に添えるよう努力します」
 バイパー先輩の返答に、シェーンハイト先輩も満足そうに頷いた。
 あまりにも譲る事に慣れすぎててどうなるかと思ったけど、思い直してくれて良かった。もう我慢しないんだもんね。
 僕もバイパー先輩がメインは妥当な所だと思う。アジーム先輩も上手なんだけど、ちょっと曲の雰囲気に合わなそうだもんな。
 もう一人のメインは、浮かない顔でシェーンハイト先輩の前に進み出る。
「あの、僕は……ちょっと自信がない、です。別の人の方が……いいんじゃない、かな」
「アンタに拒否権はないわ」
 あくまでも控えめな申し出だったけど、シェーンハイト先輩は厳しい却下を言い放つ。
「入学してすぐ、アタシと交わした約束を忘れたの?」
 シェーンハイト先輩の言葉に、エペルの表情はどんどん曇っていった。どんな内容かは分からないけど、エペルの反抗を封じるものであるのは間違いないようだ。
「アンタにはアイツを仕留める『毒林檎』になってもらわないと困るのよ」
「…………はい。わかりました」
 結局エペルはうなだれる。こちらが口を挟んでやる事も出来ない。
 シェーンハイト先輩の性格的に、やる気がない演者を入れたがるとは思えない。仮にエペルの実力が頭ひとつ抜きんでていたとしても、チームでパフォーマンスする以上は他のメンバーの志気にも関わる。かなり大きな賭けだ。
 エペルをメインに据える事に固執するのは、実力とは別の意味がある。現状思いつくのは『ネージュ・リュバンシェ』だ。あの愛らしい少年の印象を相殺する事をエペルに求めているのだとしたら、この人選は不可避だろう。エペルにはそれだけの可能性がある。
 エペルにその気がない、というのが厳しい所だ。そりゃまあ、イヤかもしれないな。寮長の個人的な対抗心に巻き込まれてる状態だもの。それが解らない先輩ではないと思うけど、……学園長とか周囲の無言の圧もあるだろうし、精神的に追いつめられてるのかもしれない。
 みんながどう思ってるか気になって周囲を見回す。メインから外れた面々が嘆きつつも志気を上げている横で、デュースが心配そうにエペルを見つめている事に気づいた。ぶつかった日以来、何かと気にかけている様子だし、何か思うところがあるんだろうか。今度聞いてみよう。一応マネージャーだし。
「メインと名前がついているけど、メインボーカルが主役でコーラスが脇役なわけじゃない。全員、自分が主役だと思って真剣に取り組んで」
 シェーンハイト先輩が釘を刺すと、みんなが素直に返事した。その様子に満足そうに頷く。
「ポジションも決まった事だし、本格的なレッスン開始よ。アタシの動きをよく見て、軽くフリを合わせてみて」
 まず一番使われるサビの部分の振り付けから手本を見せられた。一連の動きを見せて、体の動かし方の指導をする。未経験者がいる事を念頭に置いた丁寧な指導だと思う。ついていけるかは別にして。
 そもそもダンスと無縁の人間には振り付け自体が難しい。覚えるどころか言われた通りに動くのすらすぐには出来ないだろう。
 その辺りを踏まえると、スカラビアの二人にはやはり場数の違いを感じる。手本を見た時点でほとんどの動きを掴んでいるみたい。ハント先輩もまごついたり戸惑ってる様子はない。いつにも増して真剣にシェーンハイト先輩を見つめ、同じ動きをしている。エースは器用なので、見ただけで理解できなくても少しアドバイスが入っただけですぐコツを掴んでくる。うらやましい特技だなぁ。
 問題はデュースとエペルだろうか。デュースは元から慣れてないから仕方ないけど、エペルも初めて見た動きをすぐに真似出来るタイプではないようだ。
 最初は僅かな差も、時間が経つにつれて、覚える振り付けが増えるにつれて大きくなる。残酷なほどの実力差を突きつけていた。
 シェーンハイト先輩の手拍子に合わせて動く面々の中で、二人だけ明らかにまごついて見える。先輩が声を張り上げた。
「ストップ、ストップ!全然違う!新ジャガ二号!」
 デュースがびくっと肩を竦めて止まる。自分が呼ばれたとは解ったけど、呼び名をよくよく思い返して戸惑っているみたいだ。
「……新ジャガ二号って、僕ですか?」
「アンタ以外誰がいるのよ」
「オレが一号ですもんねー……」
 エースが小声で呟く。シェーンハイト先輩は無視してデュースを睨む。
「手のフリに気をとられすぎて、足元が完全にお留守。何よりも動きが硬すぎ。背中に物干し竿でもくくりつけてるの?」
「す、すんません……!」
 デュースは素直に謝った。先輩はそれ以上は何も言わず、次はエペルを振り返る。
「硬さに関してはエペル、アンタもよ」
「でも、こんなくねくねした女の子みたいな振り付け……僕、……やりたく、ない、です」
「はぁ?『くねくねした女の子みたい』……?ずいぶんはっきりした寝言ね。寝言だとしても聞き捨てならないけど」
 シェーンハイト先輩は意地の悪い笑みを浮かべると、エペルに歩み寄りその耳をぎゅっと掴んだ。
「い、いだだっ!耳を引っ張らないでくださいっ!」
「まだ夕方なのに可愛い林檎ちゃんはおねむのようだから、よく聞こえるように手伝ってあげてるだけよ」
 引っ張られた耳を押さえるエペルを、シェーンハイト先輩は厳しく睨む。
「いいこと?ジャズヒップホップに必要なのは柔軟さ。『くねくね』した動きは、インナーマッスルをきちんと鍛えてこそ綺麗に見えるの」
 正直、今の振り付けを見ていても女性的とはあまり思わない。体の柔らかい動きというのは大体筋肉がないと出来ない事が多いし。
 男性的な動きのダンスというのは勿論あるし、『男と同じ事をするだけじゃ決定的に迫力が足りない』と歯軋りしている姉を見てきたので、表現の性差はどうしてもあるんだと思う。でもこの振り付けについてはそこまで気にする事じゃないかな。僕が言っても説得力無いから言わないけど。
「服にもダンスにも『男専用』『女専用』なんかない。男だから女性的なフリを踊るのが恥ずかしいなんて、マインドが前時代すぎる」
 性別に固執する価値観をばっさりと切り捨てる。世界に認められてる中性的な美貌の持ち主が言うと説得力がありすぎだ。
 元の世界でも、シェーンハイト先輩みたいな考えの人もエペルみたいな考えの人もどちらもいるけど、こっちの世界でもそういう価値観の違いって時代的なものって扱いなんだなぁ。世界の最初から男女平等、ってわけじゃないんだ。
「アナタ、百年前からタイムマシーンで現代にお出ましになったの?違うわよね?」
「ち、違います……」
「まあまあ、ヴィル。そんなに怒らなくてもいいじゃんか」
 すっかり萎縮したエペルを不憫に思ったのか、アジーム先輩が明るく声をかけた。
「エペル。最初はちょっと恥ずかしくても、思い切って大きく踊ってみれば楽しくなってくるぜ!」
「カリムの言う通り、モジモジしたへっぴり腰のダンスなんて、全然美しくない」
「えぇ?オレ、別にそういうつもりで言ったわけじゃ……もががっ!」
「カリム。今は黙っておけ」
 アジーム先輩がバイパー先輩に口を塞がれ引きずられていく。その様子を気にせず、シェーンハイト先輩はエペルに向き直った。
「……決めた。明日からエペルはアタシたちとは別メニューにしましょ」
「えっ?」
「アタシがいいと言うまで一人でバレエレッスンよ」
「え、バレエって、あの六人でやる球技の……?」
「文脈を読みなさい。顔が可愛いからって、頭の中まで可愛くする必要はないわよ」
 さっきから嫌味の切れ味がめちゃくちゃに鋭い。みんなも僕も何も言わずに黙っているしかない。
「バレリーナのバレエに決まってるでしょう」
「うぇええええっ!?おっ、僕が、バレリーナ!?」
 エペルの口からおよそ上品とは言い難い悲鳴が溢れる。時々、エペルって見た目にそぐわない喋り方するんだよな。そういう個性なんだろうけど。
「足の指だけで立てるようになれとは言わないけど、ターンくらいは綺麗に出来るようになってもらうわ。何よりまず『男らしい』とか『女みたい』なんていう、化石マインドを捨ててもらう」
「そ、そんな事……急に言われたって……!!」
 じろりと睨まれてエペルは口を噤む。ハント先輩を呼んで別メニューの段取りを決め始めたシェーンハイト先輩を横目に、エースとグリムは肩を竦めていた。
 するとそれまで黙っていたデュースが、シェーンハイト先輩の前に進み出る。
「あの、シェーンハイト先輩」
「なに、新ジャガ二号」
「バレエレッスン、僕も一緒にやらせてもらえませんか」
 一同が驚いた顔になる。エペルも大きな目を丸くしてデュースを見ていた。
「お前、マジ?なんでわざわざ自分から……」
「理由は?」
「僕も『男らしいか』どうかとかよく考えてしまうので。せっかく受かった選抜メンバー。テッペン狙うなら、マジでやりたいんです」
「デュースクン……」
 シェーンハイト先輩は、デュースの真っ直ぐな視線を正面から受け止めている。小さく頷いた。
「いいでしょう。ある程度バーレッスンをこなせばカカシもヒトに近づくかもしれないわね」
 ありがとうございます、とデュースはシェーンハイト先輩に頭を下げた。もう先輩から嫌な雰囲気は感じない。彼の意欲は評価してるんだと思う。
「それじゃ、今日のレッスンはここまで」
 そう言った瞬間に緊張した空気が抜けたけど、その変化を見た瞬間に先輩の雰囲気が冷ややかになった。
「何だれてるの。練習場所の掃除をするのよ。使ったら綺麗にするのは使用者の義務!」
 びしっと言い放ち、反論の余地は与えない。シェーンハイト先輩が掃除用具の場所をみんなに教えるのを横目に、僕も機材の後片づけに入る。
「小ジャガ」
「はい」
「それ終わったらアタシと一緒に来て夕食の準備を手伝って頂戴」
「ゆ、夕食まで先輩が用意するんですか!?」
「細々とした副菜は食堂に依頼してるけど、自分で作った方が安心できるもの」
 さらりと言い放つ。いやまぁ、確かに食堂の料理は制限食には向かないだろうけども。
 それを見ていたバイパー先輩がこちらに歩み寄ってくる。
「夕飯の準備であれば、俺も手伝いますよ」
「小ジャガひとりいれば事足りるわ」
「俺としては毒味などの都合があるので、調理に参加させてもらえると安心できるんですが」
「だからいちいち発想が物騒なのよ!」
「ヴィル先輩の指定した手順を必ず守ります。余計な事はしませんから」
「バイパー先輩の方が料理も上手ですし、その分僕がボールルームの掃除しますよ」
 シェーンハイト先輩は複雑な顔になって僕とバイパー先輩の顔を交互に見た。そして、掃除方法を指導するハント先輩にちらりと視線を向ける。ハント先輩は即座に振り返り、にこやかに笑いかけた。
「ここは私たちに任せておくれ。担当者を増やして負荷を分散すると思えば有意義じゃないか」
「……そうね。じゃ、ジャミルも小ジャガと一緒に来なさい」
「ありがとうございます」
 バイパー先輩は恭しく頭を下げた。口元が似つかわしくない感じに笑っている。……もしかして毒味の都合だけじゃなくて、掃除を回避するために申し出たんだろうか。
「じゃあオレ様も味見係としてそっちに」
「料理の方に行ったってお前はやる事ないだろ。こっち手伝えよ」
「オレ様だって料理の手伝いぐらい出来るんだゾ!な、ジャミル!」
 グリムは得意げな顔でバイパー先輩を見上げたが、冷ややかな笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「残念だが、カリム並みにお膳立ての必要な奴に手伝われても意味がない。オンボロ寮のキッチンは狭いしな」
「ふなっ!?」
「三人いれば猫の手を借りる必要は無いわね」
「そ、そんな~……ユウ、オレ様たち二人で一人の生徒なんだゾ?」
「そうだけど、今はちょっと別行動しようか。時間も無いし」
「裏切り者~!!」
 嘆くグリムをハント先輩が抱えあげる。
「そう言わないでくれたまえグリムくん。こちらにもマネージャーの目は必要さ」
「……マネージャー?」
「そうとも。ここにいるメンバーの清掃を助けつつ監督するのもマネージャーの立派な仕事。グリムくんにしか出来ない仕事だよ」
「……ま、まぁそこまで言うなら残ってやる。仕方ねえなぁ」
 グリムの機嫌が良くなった所で地面に下ろされる。そしてハント先輩は笑顔でシェーンハイト先輩を見た。
「ここはマネージャーのグリムくんに任せて大丈夫そうだよ」
「そのようね。じゃあ、行くわよ二人とも」
 調子のいい事を言ったグリムにエーデュースがツッコミを入れる声を聞きながら、バイパー先輩と共にシェーンハイト先輩についてボールルームを後にした。

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