1:癇癪女王の迷路庭園
昨日のエースとの追いかけっこの終点だった『鏡舎』がそれぞれの寮への入口になっている。移動手段として鏡が用いられるのは、この世界では常識らしい。
学校の外の長距離移動は校舎内の『闇の鏡』、学校の敷地である寮への移動はこの鏡舎、と使い分けられているようだ。
ハーツラビュル寮の鏡は、変わったデザインだ。枠はトランプと薔薇がデザインされていて、台座は本の形をしている。いや、ざっと見た感じどこの寮も個性的ではあると思うけど。
鏡を通り抜けると、まず空気が違った。秋の涼やかな風が吹いていた校舎と違って、春の暖かな空気が満ちている。たくさんの樹木やよく手入れされた生け垣がいつでも目に入り、そこかしこに咲いてる薔薇からのいい匂いがした。
二人について歩いていくと、巨大な建物の正面入口に辿り着く。そう、巨大なのだ。
学校横のボロ屋の寮だって、建物としては十分大きい。ちゃんと複数人が暮らせる広さがある。今はほとんどの部屋が使えないというだけで。
しかし今、目の前にあるハーツラビュル寮の建物は、比べものにならないほど大きかった。屋敷、いやちょっとした城だ。新しい建物ではないが、一目できちんと管理され手入れされている建物だと解る。周囲の庭園まで敷地だと考えると、全体の広さはとんでもない事になるだろう。
このレベルの建物と敷地があといくつかある、と考えると、いま暮らしている建物を寮と呼ぶのが申し訳ない気持ちになってきた。
「……うちのオンボロ寮とはえらい違いなんだゾ」
グリムの呟きに、無言で頷くしかなかった。
「やばいやばい、急いで薔薇を赤く塗らないと」
悲嘆に暮れていると、そんな声が聞こえてきた。思わず後ろを振り返る。
明るい髪色の少年が、生け垣の薔薇に向き合っていた。
「おっとあぶない。塗り残しは首が飛ぶぞ」
内容の物騒さとは裏腹に、まるで歌うような調子だった。マジカルペンを手に、少年が踊るように軽やかに腕を振ると、真っ白な薔薇が一斉に赤く染まった。
……何だろう。この光景、どこかで見たような気がする。
「ふな!色が変わった!」
グリムが思わずといった様子で声をあげると、エースやデュースも同じ方向を見る。
そして、少年も声に気づいてこちらを振り返った。ナイトレイブンカレッジの制服を着ているが、エースたちと比べるとだいぶ着崩している印象だ。なんとなく、上級生の気がする。優しそうな面差しに、赤いダイヤマークのペイントが不思議と馴染んでいた。……エース同様、チャラそうではあるかな。
「君たち、何か用?」
「それ、なにしてんの?」
「これ?見ての通り、薔薇を赤く塗ってるだけだけど」
少年は当然の事のように返した。驚くデュースたちに、新鮮な反応だなぁ、と笑っている。
「って、よく見たら君たち、昨日十億マドルのシャンデリア壊して退学騒ぎ起こした新入生じゃん。しかも君はその日の晩に、寮長のタルトを盗んで罪の上塗りをした子だ!」
非常に明るい調子で言われたせいか、エースも調子狂って百面相してる。……っていうか外見が違って目立つ僕やグリムだけじゃなく、エースたちも知られてるんだ……凄い騒ぎだったもんなぁ……。
「学校中で話題のニューカマーと朝一で会えるなんてラッキー!ねねね、一緒に写真撮ろーよ!メガネちゃん、猫ちゃん抱えてくれる?」
驚きのなれなれしさで僕たちをひとかたまりに集めてスマホを構えた。とっさにグリムを顔の近くで抱える。少年はこっちの反応も構わず、手慣れた様子でシャッターを切った。
「あ、これマジカメに上げて良い?タグ付けしたいから名前教えてよ」
あまりの勢いに気圧されて、全員が素直に名乗ってしまった。っていうか、マジカメって何。
「ほい、アップ完了っと。あ、オレはデュースちゃんたちの先輩で三年のケイト・ダイヤモンドくんでーす。ケイトくん、って呼んでね。けーくんでもいいよ」
ダイヤモンド先輩は変わらないニコニコ笑顔で言った。凄く愛想が良い。とっつきやすそうではある。今はちょっとついていけそうにない。一応会釈しといた。
「ところで、入学式で暴れてたモンスターを連れてる……って事はキミが、噂のゴーストプリンセス?」
「プリンセスではないです。ゴーストでもないです」
「だよね、足付いてるし。……制服着てるって事は、学校に通うんだ。ん?じゃあ昨日のメイド服は寮服って事?」
「寮服?」
後ろでエースが派手に吹き出した気配があった。よくわからないけど後で殴ろう。
「寮服っていうのは、寮の所属を示す服ね。全校生徒のデザインが統一されてる式典服や制服と違って、寮によってそれぞれデザインが違うんだ」
式典服ほどではないがある程度フォーマル寄りの装いで、学校行事や寮で過ごす時に着用する事が多いとの事。
「いえ、アレは生徒と区別がつくように学園長から支給されたものなので」
「もう今後着る事はない感じ?残念、やっぱり声かけてでも写真撮ればよかった」
残念そうに肩を落としていたダイヤモンド先輩が唐突に顔を上げる。
「そう、話し込んでる場合じゃなかった!君たち、薔薇を塗るの手伝ってくれない?」
「何でそんな変な事してんの?」
「だってパーティーの日の薔薇は赤がフォトジェニック!みたいな?」
なんか理由がわけわからん。しかも本人は、クロッケー大会のためにフラミンゴに色をつけるとか言ってる。
「つまり、エースが盗み食いしたタルトは寮長の誕生日パーティー用だったんですね」
「んにゃ?違うけど?」
「違うんかい!」
「明日は我が寮伝統の『なんでもない日』おめでとうのパーティーだよ」
誰の誕生日でもない日を選び、寮長の気分で開催されるティーパーティー。
聞けば聞くほど奇妙な話だった。本当に意味がわからない。
「とにかく、理由は後!今は薔薇を赤くしてくれればいいから!グリちゃんとデュースちゃんは魔法でやれるよね?エースちゃんとユウちゃんはこれ使ってね」
と、その辺に置かれていたペンキの缶を押しつけられた。ペンキで塗るの?こんな綺麗な薔薇を、どっからどう見ても大工道具のペンキで?
「ま、魔法で色を変える、ですか……」
「やった事ねーんだゾ」
「オッケー、ダイジョブ、リラ~ックス!なんとかなるなる!寮長に首をはねられたくなきゃ急げ~」
ダイヤモンド先輩は気楽な言葉だけ重ねてその場を離れていった。たぶん、自分の仕事を終わらせるためなんだろうけど。
「はぁ……仕方ないか、やってみよう」
「ええ、何で」
「寮の一員として、先輩に頼まれた仕事を無視できない」
「へーそりゃ真面目なこって」
「オレ様は関係ないんだゾ」
「ま、火を吹くしか出来ない狸には色替えは難しいかもねー」
「にゃにおう!……オレ様だってできる!」
「口だけならどうとでも言えるんじゃね?」
「むっかぁ!見てろ、オマエラより綺麗に色替えしてやる!」
グリムは勇み足で白い薔薇に向かっていった。エースはニヤニヤ笑っている。
「これでサボっても問題なし、と」
「へー、エースはやらないのか?魔法が使えないと僕たちより作業が遅いからやりたくないのか」
「……何だと?」
「魔法が無けりゃ何も出来ない奴なんて、いても戦力にならないもんな。グリムの方がまだ頼れる」
「はぁ?魔法が使えなくてもお前らよりは仕事早いから」
「さてどうかな?口だけならどうとでも言える事だろ」
「カッチーン。いいぜ、やってやるよ。魔法使ってるお前らにダブルスコアつけてやっからな!」
「上等だ!」
「にゃはは、オレ様が一番多く薔薇を塗ってやるんだゾ!」
いつの間にか僕以外の全員が乗り気になっていた。争うように白い薔薇を塗り替えてる。なんなら僕がやらなくても終わりそうな勢いだけど、そこは参加しておかないとめんどくさそうなので、手近な薔薇に向き直った。
ペンキを含んだ刷毛を薔薇の花びらに触れさせると、紙が色水を吸い込むように花びらの色が変わっていく。見た目は元の世界でもありそうな何の変哲もないペンキと薔薇なのに、目の前で起こる現象は元の世界では有り得ないものだった。
作業を進めると、段々と要領が解ってくる。刷毛を触れさせる場所や時間で染み込みの度合いが変わり、離すのが早ければ染まりきらないし、遅いとペンキが垂れてきてしまった。
「あれ、青になった……!?」
「ぎにゃー!火がついちまった!」
「お前バカなのぉ!?デュース、水!……大釜はいらねえよバカ!」
競い合うようにやってる三人は、トラブルを起こしながらもどんどん奥に進んでいる。僕もそろそろ白い薔薇が見つからなくなってきた。
「……うーん、思ったより要領の悪い子たちだなぁ」
そこに、用事から戻ったらしいダイヤモンド先輩がやってきた。にっこり笑って僕に手招きする。
「ユウちゃんは仕事が丁寧だね、ありがとう。どれも綺麗に染まってる。薔薇も嬉しいだろうね」
「あまりお力になれず申し訳ないです」
「そんな事ないよ、二度手間がないのも大事。枝葉がやたら落ちたりしてないから、掃除の手間もなくて助かるよ」
言いながら、先輩は賑やかに作業する三人に歩み寄る。
最後の白い薔薇の木に、グリムが意気揚々と魔法を放つ。薔薇の花は様々な色に変わってしまった。これはこれで綺麗だけど。
「うーん、ちゃんと赤い薔薇をイメージして。白を赤く染める、じゃなくて、完成品の赤い薔薇が先。真っ赤で綺麗な薔薇をイメージして、姿を『正して』あげるんだよ」
言いながら、ダイヤモンド先輩がペンを振る。放たれた光が薔薇の木に降り注ぎ、全ての花が赤に塗り替えられた。
「凄い……」
「キミたちも慣れればできるようになるよ」
「つーか、薔薇は白いままでもよくね?白でも綺麗じゃん」
「こればっかりは伝統だからね」
なんでもない日のパーティーの薔薇は赤。クロッケーはバットに七色のフラミンゴ、ボールにはハリネズミを使う。でも、春の庭で行う花たちのコンサートでは薔薇は白。
そのいずれもがグレート・セブンのひとりである『ハートの女王』が決めたルールなのだと、ダイヤモンド先輩は説明した。
「リドルくんは歴代寮長の中でも、かなりガチガチに伝統を守ってる真面目な子だからね、細かい所も気にしちゃうんだ」
「それで、寝坊した生徒にも首輪、ですか……」
「うーん、まぁ、ちょっとやりすぎな所も否めないけど……」
ダイヤモンド先輩は苦笑する。疑問に思う部分はあるけど、不平不満を述べるほどではない、という事らしい。三年生ともなればこの変な決まり事にももう慣れてしまっているのだろう。
「そうだ、オレ、寮長に話があるんですけど、まだ寮にいます?」
「うん?んー……まだいるかもだけど、それはそれとして。エースちゃん、お詫びのタルトは持ってきた?」
「え?いや……朝一で来たから、手ぶらっすけど」
「あちゃ~、そっかぁ」
オーバーなほど肩を落とす。嫌な予感がする。
「それじゃあ、ハートの女王の法律・第五十三条『盗んだものは返さなければならない』に反してるから、寮には入れられないな」
「はぁ!?なんだそりゃ!」
「この寮にいるからには、ルールに従ってもらわないと。見逃したらオレも首をはねられちゃう」
正直な事を言うと、薔薇を塗れとかフラミンゴ七色にしろとか、そういうルールに比べれば筋の通ったルールではあると思う。同列に並べるのもどうかとも思うけど。
「そういうワケだから、リドルくんが気づく前に出ていってくれる?」
声の調子は明るいのに、冷たく突き放した雰囲気があった。先輩がひらりとペンを振ると、同じ顔の人がどこからともなくぞろぞろ現れて、目の前を塞ぐ。
「はいはい、お帰りはあっち~」
「ダメだよ、取った物は返さないと~」
「お手伝いは歓迎するけど、ルールはルールだから~」
「それじゃあ、タルト持って出直してきてね!」
ぐいぐい押されてあっという間に鏡の所まで戻された。振り返った時には姿は無かったけど、かといって来た道を戻って抗議する気力もエースには残ってなさそう。僕も怖いから戻りたくない。もしまだ寮内に寮長がいるなら、鉢合わせになる可能性がある。首輪が増えたら目も当てられない。
「……とりあえず戻るか」
デュースの言葉に、全員が行動で同意する。鏡を通り抜ければ、また秋の空気が感じられた。鏡舎を出て校舎に向かって歩きながら、全員がほぼ同時にため息をつく。なんかもうめちゃくちゃ疲れた。
「なんなんだよアイツ~!」
「何人も同じ顔が出てきたんだゾ」
「幻覚魔法だろうか……それにしては押されてる感触があったけど」
「それより、タルトがないなら門前払いなんだろ?オレ最初から手ぶらだったじゃん」
薔薇を塗るのだけ手伝わせやがって、とエースは不満そうだ。でも君はあの寮の生徒なんだから、どちらにしろやるべき仕事なのでは……という疑問はややこしくなるので飲み込んでおく。言ってもめんどくさそう。
「じゃあ、お詫びのタルトを用意して出直しだな。放課後にでも……やばい!!」
「どうしたの?」
デュースが真っ青な顔でスマホを見ていた。覗きこむまでもなくこちらを振り返って叫ぶ。
「もう予鈴の時間過ぎてる!!遅刻するぞ!!!!」
「ふな!オレ様の輝かしいスクールライフにミソが付いちまう!急ぐんだゾ!」
「そういや、ユウたちのクラスどこ?」
「ええと、鞄渡された時にゴーストが、一年A組だって言ってた」
「なら同じクラスだな。一時限目は実験室で魔法薬学だ」
パッと頭に思い浮かんだのは、昨日飴をくれたオシャレな先生の様子だった。……あの人厳しそうだったよな。急がないと絶対やばい。
「うひょー!楽しそうなんだゾ!」
こちらの心配など知らず、グリムは初めての授業にはしゃいでいる。
「……けっきょく魔法使えないままだけど、大丈夫なんかな……」
エースの心配そうな呟きに、返す余裕は無かった。