5−1:冷然女王の白亜城


 魔法を使っての大乱闘。屋内ではなかなか苦しいものがある。
 こうなるとスカラビア寮での合宿でやたら防衛魔法の訓練をしていた事が功を奏した。グリムの魔法防壁でも最低限の防御は出来ている。魔力切れだけが懸念点だったが、幸いにしてゴールの方が早かった。
「ボールルームはこの扉の先だ!」
 バイパー先輩がエーデュースに先に入るよう促した。疲れ切った顔の二人が半ば自棄になって立派な扉に体当たりする。扉はあっさり開き、二人はワックスのかかった床にべしゃりと倒れ込んだ。バイパー先輩とアジーム先輩が続き、僕とグリムが最後に滑り込む。
「……やっと着いた!」
「何でこんな目に遭わないといけないわけ?」
「それは、アンタたちが選抜メンバーになったからこそよ」
 息も絶え絶えなエースの嘆きに、冷淡な声が答えた。
 声の方を振り返れば、シェーンハイト先輩が堂々とした立ち姿でこちらを見下ろしている。その後ろにはハント先輩やエペルの姿もあった。
「どうやら脱落者はいないようね。ひとまず合格」
「ヴィル、こりゃ一体どういう事だ?」
「どうもこうもないわ。ただのウォームアップよ」
 アジーム先輩が戸惑った様子で尋ねても先輩は涼しい顔だ。すぐに練習を始めるための準備運動を兼ねている、との事。……エーデュースの顔が更にげんなりしている。
 そんな表情の変化を目敏く見つけたらしいシェーンハイト先輩は、冷ややかな表情で声を一層厳しくした。
「いいこと?これからアタシたちはナイトレイブンカレッジの代表として『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』という戦いの場で世界一を目指すの」
 厳しくも熱の入った真剣な声で『世界一』という大きな目標を語る。……ただの学校行事なんて言ってられない熱の入りようだ。場違いすぎて今すぐ帰りたい。
「あの程度の障害を突破できないメンバーはいらない。大会に向けて、既に戦いは始まってるの。今この瞬間から、お遊び気分は許さないわ。ビシビシ鍛えていくから覚悟なさい!」
「お、おう……!?よくわかんないけど、わかったぜ!」
「……なんかこのカンジ……ヴィル先輩、ウチの寮長に似てね?」
「ハーツラビュルとポムフィオーレはどちらも『女王』の精神に基づく寮だからな。自然とそうなるんじゃないか……?」
 アジーム先輩は戸惑いつつもシェーンハイト先輩の熱気と迫力に押され、エーデュースは素直な感想を呟いている。バイパー先輩を見れば、完全に何かを諦めた感じの顔だ。特に異論は無いのかもしれない。
「おやおや『毒の君』。最初からフルスロットルだね。キミの輝きに目が眩んでみんな動けなくなってしまっている」
 ハント先輩がシェーンハイト先輩の隣に進み出る。とても嬉しそうな顔で僕たちを見渡した。エペルは複雑そうな顔で場を見つめている。
「選抜メンバーの諸君、まずは合格おめでとう。ブラヴォー!」
 祝福の声が室内に響く。ハント先輩は合格者ひとりひとりの顔を見ながら名前を呼んでみせた。
「我々七名は今日から仲間だ。『VDC』当日まで、どうぞよろしく。ほら、ムシュー・姫林檎もご挨拶を」
「エペル、です。よろしくおねがいします……」
 促されたエペルが一歩前に出て頭を下げた。アジーム先輩がよろしくなー!と笑顔で返すのを遮ってグリムが飛び跳ねる。
「やいやい!ちょっと待つんだゾ。ずっとオレ様とユウを仲間外れにしやがって!」
「あら。アンタは呼んでないはずだけど」
「ふなっ」
 シェーンハイト先輩の言葉にグリムが傷ついた顔で固まった。抱き上げてよそ行きの笑顔を作る。
「グリムは僕の親分ですから。僕へのお知らせなら一緒に聞いてもらおうと思いまして」
「そ、そうなんだゾ!」
「てっきり放っておいたら問題を起こすからわざわざ連れてきたのかと思ってたわ」
「僕たちは二人で一人の生徒ですから。基本どこでもセットですよ」
「オーディションの時はアンタいなかったじゃない」
「ハント先輩からグリムだけで参加していいと許可は頂きましたから」
「……話が脱線してませんか?」
 お互いに冷ややかな笑みを浮かべて睨み合うのをバイパー先輩が遮る。ごもっとも。
「それで、お知らせというのはどういったご用件でしょうか」
「それについては私が説明しましょう!私、優しいので!」
 完全に意識がシェーンハイト先輩に向いていたので、ほぼ真後ろから突然聞こえた声に驚いて仰け反った。落ちそうになったグリムが慌てて頭の上に登ってくる。
「学園長!オメー、毎回突然出てくるんじゃねぇ!ビックリするんだゾ」
「それは失礼。急に出てきているつもりはないのですが……」
 学園長はシェーンハイト先輩の隣に並び、咳払いして僕たちに向き直った。
「君たちも選抜メンバーと共に集まっていただいた理由。それは……」
 意味深に言葉を切り、たっぷり間を置いてから、学園長は高らかに言い放った。
「この週末から『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』本番までの四週間、出場メンバーの強化合宿を行う宿舎としてオンボロ寮を提供していただきたいからです!」
「強化合宿ぅ~~~~!?」
 ポムフィオーレ寮以外の全員の声が揃った。恐らく、ポムフィオーレ寮の三人は承知済みの事なのだろう。
「確かに部屋はたくさん空いてますけど……」
 元々寮だっただけに、部屋数は普通の家よりも多い。現存の寮に比べれば少ないけど、この人数が寝泊まりするぐらいの部屋数は、あると言えばある。
 しかしゴーストたちも修繕してくれているとはいえ、つい数ヶ月前まで廃墟だった建物だ。未だにシャワーはたまに水になるし、部屋によっては雨漏りが酷くて家具も入れられない。使える家具も少ないから僕やグリムの部屋に集約していて、たとえ一ヶ月程度でも複数人が泊まるには不十分な状態だ。
 エーデュースが泊まりに来る事もあるけど、そういう時は談話室か僕の部屋で雑魚寝だし、せいぜい一晩か二晩。約一ヶ月もの間、『人生が変わりうるほど大きな大会で一位を目指す』ための環境には明らかに適していない。
「が、学園長。なぜ同じ学園内で合宿をする必要が……?俺たちは所属寮にそれぞれの部屋が用意されています」
「チームワークを育むためです」
 バイパー先輩がもっともな疑問を口にすると、学園長が即答する。
「君たちは寮も、学年も、生まれた場所や文化も異なる。共に生活する事で相互理解を深めていただきたいのです」
「一流の音楽グループがチームワークを高めるために、寝食を共にするのはよくある事よ」
 そりゃよく聞くけども、個人的にはあまり頷きたくない。
「ポムフィオーレでも良いかと思ったのですが、それだと違う寮のメンバーはアウェイ感が出てしまう。しかし、オンボロ寮であれば全員フラットな気持ちで合宿ができるのではないか、と考えたのです」
「い、いきなりそんな事言われたって……」
「やば……しょっぱなからメンバー降りたくなってきた……」
 エーデュースはかなり否定的だが、アジーム先輩は目を輝かせていた。
「寮まぜこぜで合宿なんて、すげー面白そうだな!でも、オレとジャミルが二人とも寮を空けて大丈夫なのか?」
「それについてはご心配いりません。学園長である私の権限で、参加メンバーを全面的にバックアップさせていただきます」
 いつものフレーズにも力が入っている。胡散臭さが倍増し。
「学園としても、君たちには他校を下し『世界一』の称号を手に入れてもらいたいですからね」
 学園長にとっても『世界一』は魅力のようだ。大人って汚い。
 いつの間にか愛想笑いすらどっかいった僕の代わりに、グリムが怒りの声を上げる。
「待つんだゾ。オレ様たち、選抜メンバーじゃねぇのになんで協力してやんなきゃなんねぇんだ!?絶~っ対にお断りなんだゾ」
「おやグリムくん、そんな事言っていいんですかねぇ?もし寮を合宿所として提供してくれたら、凄く良い事があるかもしれないのに……」
 含みのある言葉に、びくっとグリムの身体が跳ねた。これは良くないパターン。警戒を込めて学園長を睨む。
「な、なんなんだゾ。その良い事って……」
「もしチームが優勝した暁には、アタシとルーク二人分の賞金をオンボロ寮に寄付するわ」
 そして予想外の所から答えが返ってきた。思わず目を見開く。
「どうしてですか?」
「アタシはそんな雀の涙みたいなギャラ興味ないもの」
「ヴィルのために働いてくれるサポートメンバーに礼を尽くすのは、当然の事さ」
 ……まぁそりゃそうでしょうね。世界的インフルエンサーだし。
 いやハント先輩はどうなんだ。そりゃ同世代にしては落ち着きすぎてて、賞金を寄付するって言われても違和感がないけど。……もしかして実家がものすごいお金持ちとか?王族もいる学校だし、無いとは言い切れないな。
 ……でもあくまで『優勝した暁には』なんだよな。
「五百万マドルを七等分して、その二人分もらえるって事は……えぇと……」
「約百四十二万マドルだ」
「ふなっっっっ!?それって……ツナ缶が四千個よりいっぱい買えるんだゾ!?」
 グリムの目が輝いている。またも嫌な流れだ。
 こちらの不快感丸出しの表情など気にした様子もなく、学園長はうんうん頷いている。
「空いている部屋を提供し、サポートするだけでチャンスが手にはいるのに絶~っ対に嫌なんですよね」
 わざとらしくグリムの発言を復唱し、少し僕に意識を向けてきた。
「オンボロ寮を宿舎にしていいなら、水回りなども経費でリフォームしようかなぁと思っていたんですがねぇ」
 そう言って、大げさに落ち込んだような溜息を吐く。
「非常に残念です。この話は無かった事に……」
「うぐぐ……ツナ缶富豪になれるチャンス……」
 頭の上で呻いていたグリムが、困った顔で僕を覗きこんだ。
「なぁ~、ユウ~……どうするんだゾ?」
 内心、ちょっと驚いていた。いつも後先考えず勝手に答えてしまうのに。こうやって意見を仰いでくる事ってあったっけ。
 それはさておき、少し考える。
「……モストロ・ラウンジ二号店の契約を進めたら、水回りはタダ同然で直してもらえるんだよなぁ」
「えっ」
 学園長から完全に予想外という感じの声が漏れた。
「確か、学園長から営業の許可は貰ってるって言ってたし」
「えっちょっ」
「アズールたちにオンボロ寮を渡すのか?」
「一階部分と、庭を使うって話だけど。不便がないように多少建物も直してくれるみたいだし、まかないとかも食べさせてくれるって言ってたかな」
「ふなっ!オンボロ寮でいつでも美味い飯が食える!」
「そういう事だね~」
「あ、あの、ユウくん?」
「オンボロ寮なんて素人の直した廃墟だし雨漏りするしまともな家具は無いしシャワーはたまに水になるし他の寮に比べて手狭だしゴーストは出るし庭は殺風景だしキッチンの設備は旧式だし談話室のソファも古いし、合宿とか向かないと思いますよ」
「淀みのないノンブレス!素晴らしい!」
 ハント先輩が全く空気読めない賞賛を口にする。
 学園長は縋るような目をシェーンハイト先輩に向けた。シェーンハイト先輩は肩を竦める。
「まぁ確かに設備の整わない廃墟で合宿なんて適切じゃないわね。環境はメンバーのモチベーションに関わるわ」
「そ、そんな!!」
「他にも話す事もあるしこのままアーシェングロット先輩の所に行こうか」
「モストロ・ラウンジで晩飯だな!」
「ま、待ってください!」
 学園長が大きな声を出す。出来るだけ無表情で振り返った。
「……合宿に使う分だけ居室の補修費用も出します」
「ポムフィオーレ寮で合宿すればそんな費用出さなくて済みますよ」
「勝つために出来る事はしたいんですっ。世界一ですよ、世界一!」
「オンボロ寮で合宿したからって世界一になれるとは限りませんよ」
「それでもです。少しでも可能性が高まるなら試す価値はあるでしょう!?」
「結果にどう影響するかなんて確かめようがないですし」
「ユウくん、私はあなたをそんな事を言う子に育てた覚えはありませんよ!」
「育てられた覚えも無いですね。こないだ救援要請を無視した事、忘れてませんから」
「あなた、最近悪い先輩たちに影響を受けすぎてませんか!?」
「子分の腹黒は最初からなんだゾ」
 グリムの発言で学園長はぐぬぬ、と呻いた。みんなの視線も冷ややかだ。アジーム先輩だけきょとんとしている。
 膠着状態の中で、シェーンハイト先輩があからさまな溜息を吐いた。
「小ジャガ。学園長を困らせて遊ぶのはやめなさい」
「シェーンハイトくん……」
「別に遊んでないです」
「アンタが学園長に生活を盾に随分な目に遭わされてる事は聞いてるけど、アタシたちも真剣なの」
 シェーンハイト先輩がまっすぐに僕を見た。真剣で、無駄な感情は何一つ感じられない。
「アンタはそこの新ジャガどもの事をよく知ってる。いくつも寮のトラブルに関わって乗り越えてきた胆力もある。暴れ放題だったモンスターを生徒として成立させてきたサポートの実績もある」
 誰も口を挟まない。僕もただ真剣に先輩の目を見つめた。
「アタシはアンタの能力を借りたいの。オンボロ寮の事は二の次。勝つために出来る努力を惜しまない。人材の確保もその一環よ」
 シェーンハイト先輩は手袋を外して右手を差し出してきた。
 まぁここら辺が潮時か。
 無言で握り返すと、シェーンハイト先輩は柔らかく微笑んだ。ちょっとどきっとしたけど必死で無表情を貫く。
「……そういうわけだから、学園長」
「週末までにオンボロ寮改修の手筈を整えましょう」
「家具の手配もお願いします。ベッドとかまともなの無いんで」
「その辺りはアタシと学園長でも打ち合わせしておくわ。近々内装の確認もさせて頂戴」
「了解です。ゴーストたちに話は通しておきますので、ご都合の良い時にいつでもいらしてください」
「悪いわね」
 室内の緊張感が緩む。
「では、私も合宿に向けていろいろ手配を進めておきます。ではみなさん、練習頑張ってくださいね!」
 学園長は明るく言うとそそくさといなくなってしまった。
 結局また巻き込まれてしまっている。自分がいなくなった後のグリムのため、と言い訳はいくらでも出来るけど、今回ばかりは『自分から首を突っ込んでる』と言われても否定できないな。
「全く口が挟めないまま合宿が決まってしまった……」
「そーね……ま、たまにはいんじゃね?だって合宿中は、ハートの女王の法律違反で首をはねられる事もないって事だろ。いつもより気楽じゃん」
 エースが前向きに語れば、アジーム先輩が笑顔で頷いている。
「オクタヴィネルの次は、ハーツラビュル、スカラビア、ポムフィオーレとの合同合宿か。こりゃにぎやかで楽しくなりそうだ!」
「学園長の決定なら仕方がない……逆らって心証を悪くしたくはないからな」
 バイパー先輩もひとり頷いている。とりあえず合格者の中で合宿の実施は承諾されたようだ。
 落ち着いた空気を手を叩く音が引き裂く。
「強化合宿についてのミーティングは以上。次は早速、レッスンを始めるわよ!」
「えっ、レッスンは強化合宿が始まったらじゃないの?」
「うぬぼれないで、新ジャガ一号」
 エースが戸惑うのを無視してシェーンハイト先輩は畳みかける。
「アンタたちは歌も踊りもまだド素人。一分たりとも無駄にできる時間はない」
 やっぱりシェーンハイト先輩は厳しい。
 決して悪い焦りではなさそうなんだけど、時間が足りないという意識はずっとありそうだ。
 そんなシェーンハイト先輩とは対照的に、ハント先輩は楽しそうな笑顔を浮かべる。
「いいね!我らがNRCトライブの旅立ちを祝し、汽笛代わりに一曲奏でようじゃないか」
「さあ、音楽をかけてちょうだい!」
 シェーンハイト先輩が声を張り上げると、そそくさと部屋に入ってきたポムフィオーレ寮生が部屋の隅に向かう。
「小ジャガ。アンタも行ってきて」
「えっ」
「言ったでしょ。オンボロ寮じゃなくて、アンタを買ってるって。マネージャーとしてサポート業務全般を担ってもらうから」
 そういう話になるのか。
 今更文句を言っても仕方ない。唇を噛みつつ、僕も部屋の隅に向かった。

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