5−1:冷然女王の白亜城
植物園の温帯ゾーンは、冬の寒さとは無縁の場所だ。昼休みには暖を取りに来る生徒も少なくないらしい。
ここにはキングスカラー先輩のお気に入りの場所がある。キングスカラー先輩は景観のために植えられたであろう芝生に寝そべると、隣に座れと手で示した。素直に従う。
キングスカラー先輩の尻尾がゆらゆらしているのを眺めながら、何を話すべきなのかと悩んだ。ああは言われたものの、そしてついてきてしまったものの、自分の状態にだって自覚はない。
一方で、先輩の態度が引っかかっている自分もいる。惚れているという理由があるとはいえ、やたら人の面倒を見たがるタイプではないし。先輩の目にも余るくらいの状態なのかもしれない。
「僕、そんなに落ち込んで見えましたか」
「そうだな。俺が知ってる限り最悪だ」
「そ、そんなにかー……」
エースやデュースも気づいてて触れないでくれたんだろうか。
「また何か面倒ごとに巻き込まれたのか」
「巻き込まれてはないと……思いますけど……」
オーディションに出るみんなの練習を見たりはしていたけど、一緒に何かしろと強制されたわけではない。
「……ここに来てもう随分経つので。帰る手がかりが何もない事には、多少焦ってるかもしれませんが」
「……そうか」
ぱたん、と獅子の尾が芝生に落ちる。
「クロウリーを信用するなら心配するだけ損だ。あいつが見つけられないものを俺たちが簡単に見つけられるとも思えねえ」
「……学園長って、やっぱ凄い人なんですか」
「魔法士としてはな。教育者としては知らん。人間としては……まぁ、信頼は出来ねえな」
思わず乾いた笑いが漏れた。やっぱそういう評価なんだ、あの人。
「他にホリデー前と変わった事は?」
「変わった事?」
尋ねられて、脳裏にシェーンハイト先輩の……ミスター・ロングレッグスの事が浮かぶ。
「ミスター・ロングレッグスの事なんですけど」
「正体なら教えてやらねえぞ。交換条件は変更なしだ」
「答えには、僕なりに辿りついたので」
僕はスマホを取り出し、シェーンハイト先輩のホリデーカードのスクリーンショットを先輩に見せた。キングスカラー先輩は鼻で笑う。
「あいつらしいバレ方だな」
「先輩はどうして分かったんですか」
「横流しされた備品がポムフィオーレの物だってんなら、ヴィルがそんな事を簡単に許すワケがない」
前にハント先輩が言っていた通りなら、ポムフィオーレ寮の備品の在庫管理はかなりしっかりしている印象だ。黙って盗むような真似をすればすぐに見つかって犯人探しの騒ぎになっただろう。
一方、やましい事がない、つまり寮長の許可を得た『寄付』であるならば、匿名にする必要も恐らく無い。そういう事を恥に思ったりする風習は無いと思う。多分。
何より、とキングスカラー先輩は前置きする。
「入学式の翌日、つまりほとんどの人間がお前の事情を知らない状況下で、備品を譲ることを思いついてヴィルに許可を取る度胸のある寮生がいると思うか?いつまでいるかも分からない人間のために」
「…………あー……」
「逆に、お前に備品を譲っても問題ない、許可を取る必要がない立場の人間が関わっていると考えた方が筋が通る。この時点で二人まで絞れた」
「二人?」
「寮長であるヴィルと、副寮長のルークのどちらかだ」
確かに、ハント先輩ならシェーンハイト先輩を説得する事も難しくなさそうだけど。
「後は勘に近いが、そうだな。ルークがお前に惚れ込んだのなら、他人の入る隙がないくらい手厚く構ってただろうよ」
「う、うわぁ……」
「比べて、ヴィルは寮長としての自覚がある。自分の寮の後輩を差し置いて、他寮の、まして本来は入学資格も無い生徒を構うワケにはいかない。その一方で、魔力さえあればポムフィオーレだっただろうお前を無視できなくてもおかしくはない」
「ポムフィオーレだっただろう、って」
「俺も入学式でお前を見た時はそう思った。……あの場にいた寮長は全員同じ見立てだっただろう」
「そういうのあるんですね……」
キングスカラー先輩はにやにや笑いを浮かべて僕の頬に触れる。
「今はウチに向いてると思ってるが」
「冗談やめてくださいよ」
「冗談なもんかよ。殺気立った獅子と睨み合うなんて誰でも出来る事じゃない」
「あんなもんただのハッタリです」
「そのハッタリをかます度胸が普通の奴にはねえんだよ。恐怖を前にしたら失敗した時の事をまず考えるからな」
のそりと起きあがり、獅子は嬉しそうに目を細めて僕を見つめる。
「貫き通す覚悟がある時点で、お前のハッタリには充分な価値があるって事だ」
「か、価値って言われてもなぁ……」
「自分の価値を低く見積もりすぎるのは謙遜通り越して嫌味になるぞ」
「言わんとする事は分かりますけども。僕の地元じゃ謙虚は美徳なもので」
「生きづらそうだな」
うるさいやい。
「……まぁ、そんな感じでして。ポムフィオーレの備品だという話は人から聞きましたけど、まさか寮長さんだとは思いませんでしたから」
「お礼は言えたか?」
首を横に振る。
「……ホリデーが終わってから、『VDC』の事があるからかピリピリしてるみたいで、言いづらくて」
「幻滅したか?」
「そういうのは別に」
あからさまに不満そうな顔したぞ今。
「……多分、僕はまだ混乱してるんですよ。気にかけて頂いてたのも解るし、その、先輩の望みを僕は叶えていないから余計に言いづらいっていうのもあるし」
「望み?」
「……メガネを外せってずっと言われてるんですよ。顔を隠すなって」
「あいつらしいリクエストだ。顔なんてどうでもいいだろうに」
それをアンタが言うのか。顔面偏差値クソ高王子様のくせに。
複雑な内心を知ってか知らずか、キングスカラー先輩は不気味なくらいにっこりと笑う。
「俺は顔でお前に惚れたワケじゃないからな」
「それは光栄な事ですね」
「信じてないだろ」
「だって僕、顔しか取り柄ないですし」
「……本気で言ってるのか?」
「顔隠したら誰も寄ってこないですもん」
メガネを指さしながら言うと、呆れた顔をされた。無言でメガネを奪われる。
「ちょっと」
「……そういや視力には問題ないんだったな」
レンズを覗きこみながら先輩は呟く。
「最初に貰った下働きの衣装に付いてたんですけど、元の世界でも似たような形のメガネしてたので丁度よくて」
「元の世界でも?」
「はい。変質者に困ってた時に、親戚の人にメガネをしたら顔の印象が変わるって言われて、買ってもらったんです」
同級生とか知り合いからはいきなりメガネなんかかけ始めて変に見られたけど、知らない人から声をかけられる割合は明らかに減った。その変化を休日に一緒に出かけた父親が誰よりも喜んでくれた事を覚えている。親が一緒の時でも何かと理由をつけて絡まれてたから、うっとおしかったんだろうな。
「それ以来お守りなんですよ。無いと落ち着かないくらい」
「お守り、ねぇ……。こないだアズールと出かけた時は、変なのに絡まれなかったのか?」
「変なの……まぁキングスカラー先輩含め知り合いには絡まれましたけど、ナンパみたいなのは隣に男の人がいると全然ないんですよ」
「そりゃそうか」
先輩がメガネを畳んで返してくる。そのままかけ直した。
「つまりいつも一緒にいる相手がいれば絡まれる事も無いと」
「先輩はすぐそこに持っていく~……」
「もう容赦はしないって言ったろ」
身体を寄せてくる。逃げようとしたけど腰を抱き寄せられた。手を取られ手のひらに口づけられる。
「俺を選べば楽になるぞ」
「先輩、半分ぐらい意地になってません?」
「何でそうなる」
「だって……ここまで好かれる理由なんて無いですよ」
「命の恩人を好きになるのはおかしい事か?」
思わず目を見開く。
「俺を助けるために命がけで戦ってくれたじゃないか」
マジフト大会の、オーバーブロットした時の話か。それは確かにもっともなのだが。
「いや僕だけじゃないですし!!」
「お前だけしかしてない事があるんだよ」
僕しかしてない事?
少し思い返して見たけど思い当たらない。僕だけ魔法が使えないから肉弾戦だったのは関係ないだろうし。
「……先輩の尻尾を踏んだ事があるとか?」
「懐かしい話を持ち出してきたな」
今となっては運命めいてるが、などと嘯きつつ指先に口づけられる。王子様らしく様になっているが、内心ちょっとイラッとした。
「もうちょっとで歯を持ってかれるトコだったんでしたっけ」
「あの頃から随分度胸の据わった奴だとは思ってたがな」
「尻尾踏んだのはわざとじゃないので度胸もクソも無いんですけど」
「そこじゃねえよ。お前、俺に胸ぐら掴まれた時、反撃する気満々だったろ」
ちょっと動きを止めて考える。多分そう。
「だって僕悪くないですもん」
「顔は上手く怯えてみせてたから大したもんだ」
「……そっか、先輩は気づいてたんだ」
じゃあカウンター失敗してた可能性があるな、と内心悔しく思う。今更だけど。
「……匂いが、怯えてねえんだよ」
「匂い?」
「動物の感情は臭いに出やすい。怯えや焦りは特にな。お前だって冷や汗とかかくだろ?」
「おかげさまでよくトラブルに巻き込まれますので」
「それが無いから、弱々しい演技と噛み合わねえんだよ。爪を隠し切れてない」
指摘されると更に悔しい。人間はそこまでの嗅覚がないから人間相手なら何の問題もない、けど。……そこで妥協して良いって話でもないよな。
「ヴィルなら、冷や汗ぐらいかいてみせるだろうな。匂いまで演技しきるだろうよ」
「……そんなに凄い人なんだ」
憧れが、興味が湧く。
美貌と溢れ出る自信、滑舌良く通る声も綺麗な立ち姿も、足音さえ完璧な颯爽とした歩き方も、何もかも凄すぎる。
モデルとしてだけでなく、『VDC』に出るからには歌もダンスも出来るんだろうし、更には演技まで完璧。
「僕とは雲泥の差だ」
思わず呟く。
「世界的なトップモデル様だからな。才能に胡座をかいてるだけじゃすぐに蹴落とされる」
僕の手に指を絡めながらキングスカラー先輩は独り言みたいに言う。
「生き残るのに手段を選んでいられない奴も多い業界だろうが……ヴィル・シェーンハイトは正攻法で自分の実力を認めさせてきた。その事実は揺るぎない」
たゆまぬ努力の成果の現在。
それに裏打ちされた自信。
……キングスカラー先輩はシェーンハイト先輩と反りが合わないって感じの空気なのに、彼の強さというか、実力は認めてるんだ。こういう所は冷静で的確で平等なんだよな。
「お前、役者志望なのか?」
「小さい頃の話です。今は見るのが好きなだけです」
「…………そうか」
キングスカラー先輩は何か言い掛けて飲み込んだように見えた。ごまかすように擦り寄ってくる。
「俺の恋人役を演じるつもりはあるか?」
「無いですね全く」
「利害は一致するじゃないか」
「いやです」
「俺が嫌いならハッキリそう言え。ハッタリは得意だろ?」
「あーどう答えてもダメな奴じゃんそれ!」
僕の反応を見てキングスカラー先輩は楽しそうに笑った。草原の瞳が子どもみたいに無邪気な色を映す。
傍にいると落ち着く感覚はある。それは否定しない。一方でドキドキもする。それは多分、肉食獣を前にした恐怖とかではないもの、だと思う。あまり馴染みがないので実感が湧かない。
でもいつか離ればなれになってしまう現実がある。これだけ方法が見つからないのなら、気軽に行き来が叶わない可能性が高い。
絶対に後で後悔する。永遠に引きずるのが目に見えている。
「先輩ってお父さんみたいですよね」
僕が微笑むと、キングスカラー先輩は驚いた顔で僕を見た。
「頼りがいがあって、気遣って守ってくれて」
先輩の肩に凭れる。安心感は凄く大きい。鼻をくすぐる甘い匂いも心地良いものだ。
「元気出ました。ありがとうございます」
先輩は僕を見つめてから、長い溜息を吐いた。頭を撫でられる。心地よくて目を閉じた。
「お前は恐れないんだな」
「はい?」
「俺に砂にされるかもしれない、なんて思った事ないだろ」
思わず顔を上げる。先輩は優しい目で僕を見ていた。
「……だって、先輩なら魔法使うより殴った方が早いでしょ?」
獣人属は種族によって身体的な特徴が違う。獅子であるキングスカラー先輩は膂力に秀でているらしい。そもそも身体能力が人間とは雲泥の差ってイメージだし。
そう思うと僕、この人と殴り合ってよく生きてたな。多分、オーバーブロットの中ですら無意識に手加減されてたんだろう。人を殺す事に躊躇いがあるのは悪い事じゃない。この人はその一線を守り続けるべきだと思うんだよなぁ。
思考が脱線する僕をよそに、キングスカラー先輩は目を細め笑みを深める。気づけば身体は随分近づいている。一度見つめれば目が離せない。
「先輩」
突き飛ばそうとしたら手を取られた。腰にも腕が回っていて身体を引く事が出来ない。
額が触れ合う。心臓の鼓動が早い。
もう後がない。あとは首しか動かせない。頭突きか。手が離れるほどの衝撃が与えられるかは微妙だが、それしかない。
さすがにまだファーストキスが男は抵抗があるんだ悪いな先輩!!!!
「閉園ーー!!閉園時刻でーす!!!!植物園内に残ってる生徒の皆さんは退園してくださーい!!!!!!!!」
植物園の閉園時刻を示すチャイムをかき消す勢いで、誰かが叫びながら駆け込んできた。驚いてキングスカラー先輩が固まったので、さっと身体を離す。
「ジェイド先輩……」
「おや、監督生さん。それにレオナさんも。お話中申し訳ありませんが、植物園の閉園時間ですので速やかな退園にご協力願います」
「は、はい……」
ジェイド先輩はにこにこ笑顔のまま動かない。どうやら僕たちが出ていくまで見張るつもりのようだ。キングスカラー先輩の顔を見ると、明らかに不機嫌な顔をしている。
「あのタコ野郎……」
「おや、僕がここにいるのはアズールの指示ではありませんよ」
ジェイド先輩は涼しい顔で補足する。
「こちらに場所を借りて栽培しているキノコの様子を見に来たついでに、管理人さんのお手伝いをさせて頂いているまでです」
「それは何というか、お疲れさまです……」
「いえいえ。……アズールと言えばここだけの話ですが、今ひどく落ち込んでおりまして。仕事もいつもの七割程度しか手につかない状態なのです」
「それでも働いてんのかよ……」
キングスカラー先輩の顔は嫌悪に歪んでいる。まぁこの人からしたら理解し難い生態だろうな。
「アズールは支配人として責任感がありますので。ユウさん、もしよろしければ、近い内にモストロ・ラウンジに遊びにいらしてください。きっとアズールが喜びますから」
「あー、はい。そのつもりです」
僕の返答に、ジェイド先輩は少し驚いた顔をした。
「こないだ、その、悪気は無かったんですけど、やたら冷たい返答をしちゃったので。謝りに行こうかなと思ってたんです」
「アズールを嫌いになったりはしていませんか?」
「嫌いにはならないですよ。先輩なりの思いやりだったのは解ってます。僕に余裕が無かったのが悪かったんで」
僕が言うと、ジェイド先輩はいつになく優しい微笑みを浮かべた。
「それを聞いて安心しました」
アーシェングロット先輩、相当酷い状態だったみたいだな……。余計に申し訳なくなってきた。
僕が罪悪感に苛まれていると、後ろから身体を引っ張られた。僕の首にがっちりと腕を回し、キングスカラー先輩がジェイド先輩を睨んでいる。
「俺も一緒に行く」
睨まれたジェイド先輩は目を細め、いつものどこか冷ややかな笑顔に戻った。
「ええ、ご来店をお待ちしております。……ああ、団体様でのお越しの場合は、是非事前のご予約を。お席の確保の都合がありますので」
「ああ、そうさせてもらう」
火花を散らす勢いで睨み合う。すんごい居心地悪い。
「ほ、ほら、僕たちも帰りませんと。管理人さんにご迷惑がかかりますから!」
腕を解こうと力を入れるが全く動かない。しばらく睨み合いが続いた後、先輩は腕を解いた。出口に身体を向けつつ自然に腰に手が回ってくる。何回払っても戻ってくるんだけど。
「先輩」
「ここを出るまでくらいいいだろ」
「出たら離してくださいね」
念のため釘を刺す。出口まで歩きながら、僕たちの斜め後ろをついてくるジェイド先輩をキングスカラー先輩が睨んだ。
「何でついてきやがる」
「僕も寮に戻る所でしたので。同じ道というだけですよ」
また空気が重くなる。舌打ちして再び歩き出したが、手に更に力が入った感じがして居心地が悪い。
外の寒い空気で一気に目が覚めたような気分になった。空は暗く、灯りが道をどうにか照らしている。
「じゃあ、僕はここで」
お疲れさまでした、と言ってとっとと踵を返したのだが、キングスカラー先輩が素早く隣に並んで肩を抱いてくる。
「な、なんです?」
「送っていってやる」
「い、いや大丈夫ですから」
「遠慮すんな」
返事を待たずにずかずか歩き出す。ここまでやりとりして気づいたが、多分、ジェイド先輩と一緒に鏡舎に入るのが嫌なのだろう。
そんなキングスカラー先輩の気持ちを知ってか知らずか、ジェイド先輩はやはり一定の距離を置いて後ろをついてくる。気配でそれを察しているであろうキングスカラー先輩の機嫌も悪くなる一方だ。
「おい」
「はい?」
「鏡舎は逆方向だぞ。魚野郎は陸の道は覚えられねえのか」
「いえ、この学校に長年いらっしゃる貴方ほどではありませんが、道は存じておりますよ」
「なら」
「ですが、護衛というのなら一人より二人の方が良いでしょう。監督生さんの素顔を知る者も増えた今、貞操を狙う不埒な輩がどこに潜んでいるとも限りませんから」
二度ある事は三度ある。
再び火花が散り始めた。正直もう勘弁してほしい。
もう帰ろうとっとと帰ろう早く帰ろう。そしたら僕を送っていくっていう大義名分は果たされて解散して終わりだ。
オンボロ寮に着くまでの数分間が、地獄のように長く思えた。