5−1:冷然女王の白亜城


 でもさすがに、自宅に帰れない上に財布もスマホも無い状態じゃ連絡のしようが無いよな。
 ぼんやりと本棚を眺めながら夢の内容を思い返し、脳内で呟く。
 何とも目覚めの悪い朝だった。おかげでグリムのヒップドロップを食らう羽目になったし、課題は忘れるし実験はミスるし、チーズ包みハンバーグは目の前で売り切れるし何も良い事が無い。
 どうにか居残りは回避出来たのだが、グリムはエーデュースと一緒に『VDC』のオーディションに行ってしまったし、今日に限ってやりたいと思う事も特にない。
 ポムフィオーレ寮に向かう三人を鏡舎まで見送り、ぼんやり考え事をしながら歩いて、気づけば足は図書室に向いていた。ほとんど何も考えずに歩くと、背表紙は何も印象を残さず通り過ぎていく。
 帰る手がかりを探そうか。
 棚の前を一周してから、やっと明確に目的を持って足を動かす。蔵書の入れ替えはほぼなく、いつ見ても代わり映えのない実践魔法の棚を見上げた。
 割とこまめに図書室に足を運んではいるけれど、帰る手がかりと言われても簡単には見つけられない。というか、最初はどこを探せば良いのかすら分からなかった。学園長の『手がかりを探すのに図書室を使って良い』という言葉が何とも雑な導きだった事が今にして理解できる。
 魔法の勉強をさせてもらって、使えないながら繋がりを理解して、やっと分野を絞り込める程度になった状態だ。それでも放課後から閉館までの短い時間に読める内容はそう多くはない。専門用語を調べる事に時間を費やしてしまう事もしばしばある。
 本を借りる事はなんとなく気が引けた。帰る方法を必死になって探している姿を、グリムたちに見せたくないのかもしれない。
 何かと言えば『元の世界に帰る』と口にしているのに何を今更、と自分でも思う。
 気を取り直して本棚に向き合う。鏡を用いた転移魔法の歴史の本は読んだけど何も分からなかった。そもそも黒き馬車が連れてきた、ってやたら言うけど、アレがどういう位置づけの魔法になるのかもよく分からない。ただ長距離を移動するのではない手段を探さないといけないが、そんな記述のある本がどれか見当をつけるのも一苦労だ。
「……魔力の無い奴が魔法を学んでどうするんだか」
「本なんか読んだ所で使えもしないくせに」
 知らない誰かの声がした。声を潜めても、静かな図書室では簡単に聞こえてしまう。それを自覚しているのかは知らないが、笑い声までしっかり耳に入った。
 でも無視をする。相手にしている時間が惜しい。相手にしていたらキリが無い。
 異世界からの来訪者の記録なんて、学校の図書室に置いているものだろうか。もしあるなら、歴史書の棚を見てみるのもアリだろうか。魔法士を育てる立場の人でさえ知り得ない事なら、伝記みたいな歴史と呼ぶには少し真実味に欠けるような本も読んでみるべきなのだろうか。
 広がりすぎる。現実的な手段に絞って探して、手がかりを地道に集めていくしかないか。その手がかりが今のところ一つもないのが問題なんだけど。
 突然、頭に痛みが走った。次いで、ばさりと何かが落ちる音。
 見れば足下に本が転がっている。本棚を見上げれば、一番上の段に落ちている本の背幅と同じぐらいの隙間が空いていた。
 後ろからは楽しそうな笑い声が聞こえる。無視をして、本を戻すために踏み台を取りに行った。本に罪はない。
 きっと生徒のほとんどが使わないであろう、階段型の踏み台を引きずる。こういう道具は意外と元の世界と変わらないのが面白い。台数が用意されているのは、まだ該当する魔法が使えない生徒や、苦手な生徒への配慮なのだろう。
 乗ってる間に動かないように固定してから昇る。踏み台の一番上に立ってようやく届く高さだ。背伸びしながらも、何とか戻せてほっとする。
 その瞬間、踏み台が不自然に動いた。まるで僕を振り落とすみたいに激しく揺れて、気を抜いていた身体があっさり投げ出される。勢いが良すぎて吹き抜けの手すりを越えた。
 恐怖より先に受け身を取ろうと身体が動く。はずなのだが、うまく動かない。その違和感を認識した瞬間には、誰かに受け止められて落下が止まった。逞しい体躯と覚えのある匂いで、それが誰なのか瞬時に察する。
「キングスカラー先輩……」
 お礼を言ったけど、先輩は無反応だった。しばらく僕の顔を見つめた後、後ろを振り返る。分かりやすく殺気を放ち、肉食獣特有の唸り声をあげた。
 それを正面から食らったらしい二人組が、青ざめた顔で図書室から出ていった。多分、彼らが陰口を言ったり踏み台を暴れさせたのだろう。彼らの気配が完全に無くなると、キングスカラー先輩は殺気を消しつつも忌々しげに舌打ちした。
「トカゲ野郎、寮生の躾ぐらいしとけってんだ」
 そう言いながら、僕を下ろしてくれた。また助けられてしまった。
「お手数おかけしてすみません」
 改めて頭を下げる。頭上から呆れた感じの溜め息が降ってきた。
「毛玉はどうした」
「今日は『VDC』のオーディションに行ってるんです」
「お守りはいいのか?」
「グリム一人でも参加できるって確認しましたし、関係ない人間が行っても邪魔になるだけですから。先輩は本を借りに来たんですか?」
「……読んでない古文書でも入ってねえかと思って来てみれば、本をぶつけられて文句も言わねえ草食動物を見つけちまってな」
「それはそれは、すみませんでした。どうぞ僕の事は気にせずごゆっくり」
 笑ってごまかしたが、相手は微動だにしない。とりあえずさっき大暴走した踏み台を元の場所に戻しに行かないと。
 僕が二階に向かって歩き出すと、先輩は後ろをついてきた。背中から感じる気配が完全に『無』なのが怖い。古文書とか置いてある棚は一階だし、多分心配してついてきてくれているんだとは思うけど。
 半端な位置で留まっている踏み台を所定の位置まで引きずっていく。先輩は別に手伝うでもなく、ただ一定の間隔でついてきていた。部屋の隅っこにある置き場に戻した所で、台車にかけていた手に人の手が重ねられる。振り向く事が出来ない。
「先輩?」
「まだ帰る方法を探してるのか」
 低く囁かれる。質問と言うよりは、咎めるような調子だった。
 気づかないフリをして、明るく答える。
「当たり前じゃないですか」
「クロウリーでさえ見つけられないのに」
「本気で探してるか疑わしいもんですけどね」
「……帰り道なんて存在しなかったら、お前はどうする?」
「さあ?……死ぬまで探し続けるかもしれませんね」
 笑って答えた。強がりでも何でもない。だって『絶対に無い』なんて証明は出来ないのだ。
 きっと僕は諦めきれずに、最期まで、故郷の土を踏むための方法を探し続けるだろう。
 帰ろうと信念を持って探すのではなく、ただずるずると諦める事だけが出来ないまま。何もかも中途半端に、自業自得に苦しみながら。
 答えを聞いて、先輩の手が離れた。振り返れば、いつになく落ち込んだ様子の先輩の顔が見える。落胆したような暗い色の瞳。先輩が照明を背にしているのもあって顔に影がかかり、左目に走る傷跡が涙の影のように思えた。思わず先輩の頬に触れる。
「なんだよ」
「泣いてるのかと思って」
「泣いたら、お前は俺を受け入れてくれるのか?」
「……それを理由には出来ないですね」
 鼻で笑われた。
「つれない奴だな、本当に」
 困ったような笑顔だった。怒りでも失望でもなく、最初からそうなると解っていたと言っているような表情。
 申し訳ない気持ちが湧いてくるけど、自分で選んだ事を曲げるのも違う。
 自分にはこの人を慰める事は出来ない。
「僕の事はもう大丈夫ですから。助けてくれてありがとうございました」
 改めて頭を下げる。顔を上げても、先輩の表情は変わらなかった。否、呆れた感じの顔になって、深々と溜息を吐いた。
「お前にしては嘘が下手だな」
「え?」
「本を探しに来るぐらい暇があるからな。話ぐらいは聞いてやってもいい」
 その顔を思わず見上げてから、すぐに我に返って俯いた。差し出された手が視界に入る。
 普段なら何を言ってるんだと笑えるのに、今日はどうしてもそれが出来ない。縋るように、気づけばその手を握っていた。

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