5−1:冷然女王の白亜城



 見慣れた自宅のダイニング。四人掛けのテーブルセット。
 夕食を終えた後、話があると両親に言われた。
 両親は一緒に仕事をしているから、帰国する時はいつも二人揃っている。今回の帰国もそうだ。山のようなお土産を抱えて、疲れているだろうに僕たちを気遣ってくれる。食事中にはお互いの日常の思い出をたくさん語り合っていた。
 両親の表情はいつになく真剣だった。どこかで少し怖いと思っていた事を覚えている。
 姉も既に着席していて、全員が揃っていた。少しの間、気まずい沈黙が流れる。誰から切り出すべきか悩んでいるように思えた。
「あのね、悠」
 姉が口を開く。真剣な、どこか申し訳なさそうな表情で僕を見た。
「あたし、中学を卒業したらアメリカに留学しようと思ってるの」
 最初は、何を言われたかよく分からなかった。理解した後は、なぜそんな事を言われているのかが分からない。自分に何の影響があるのか、思い至らなかった。
「スクールの先生の伝手で、向こうでの下宿先とか、生活とかも面倒を見て貰える見通しが立ったから、手続きも進めてる」
 ああ、決定事項なんだ。反対意見を述べる段階はとうに過ぎていて、報告だけなんだ、これ。
 自分だけこの場所から切り離されているような感覚だった。感情が身体を離れて飛んでいって、ダイニングの天井辺りからみんなを見下ろしている。
「ずっと話さなきゃいけないって思ってたんだけど、思ったより時間がなくて、パパとママも仕事忙しくて、その」
「良いんじゃない?」
 僕に話す必要なんかなかったんでしょう。
 相談する必要なんか無いと思ったから、言わなかったんでしょう。
 二人暮らしで話す時間なんていくらでもあったのに、今までは大事な事はお互いに相談してきたのに、下らない話はいくらでもしてたのに、時間が無かったなんて言い訳だ。
 僕の事をどうでもいいと思ってるから言わなかっただけでしょう?
「ダンスでプロになりたいってずっと言ってたじゃん。チャンスが巡ってきたんなら、良かったじゃない」
 小学六年の終わり頃に映画のオーディションの話が僕宛に送られてきた時、泣いて喚いて申込書類を破り捨てて邪魔したの誰だよ。
 どこにでも引きずり回して、僕の興味のあるものは全部無視して、思い通りにならないと叫んで暴れて手がつけられない。
 何が『双子だから何でも一緒がいい』だよ。
 結局そっちから僕を見放すんじゃないか。
「頑張って来なよ」
 弟はにこやかに微笑んで姉の背中を押す。途端、姉は緊張が解けたようで、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。
「ごめ、ごめんね。ありがとう、悠」
「いいよ、気にしないで」
 今更謝られたって時間は戻らないんだけど?
 良いよな、気楽で。僕が今ここで泣きわめいたってきっと誰も味方してくれないっていうのに。好き勝手振る舞う事に躊躇いの無い、人生勝ち確定の奴は生きるのも楽しそうで羨ましいや。
「それでね、悠」
 双子は両親に向き直る。
「もしよければ、私たちと一緒に来ない?」
 言わんとする事は理解できる。中学生が二人暮らししていた事だって異常だけど、高校生になったからって子ども一人だけの生活は心配なのだろう。
「これまでは一ヶ月に一度くらいのペースで帰れていたが、仕事が立て込んできてな。これまでのように帰国できそうにないんだ」
 両親は長く共働きだけど、僕たちが小学生の間は国内の仕事のみにしてもらうといった融通を利かせてもらっていたらしい。それだけでも負い目があるらしいのに、例の事件のせいで会社に借りが山ほどある状態になってしまった。
 僕たちは被害者なのに。
「お前たちが義務教育を終えたら、長期で動いてほしいと言われてしまってね」
 父親の表情は複雑だ。会社の通達に対して、納得していないのだろうとすぐに理解できる。
 それでも、家や生活を維持するには働かないといけない。姉が留学するとなれば尚更だ。
「私たちとしては、悠が一人きりになるのは良くないと思ってる。あなたは非行に走るような事は無いと解ってるけど、やっぱり未成年を一人で生活させるには不安の方が大きい」
「学校は滞在先の日本人学校か、無ければネット学習がメインになるだろう。友達と離れるのは寂しいかもしれないが」
「僕が一人暮らしするって選択肢は無いの?」
 両親は困った顔をした。僕は肩を竦める。
「だって僕、怜ちゃんと違って英語なんか出来ないし。言葉が通じない所で生活するのは抵抗あるもん」
「言葉は意外と何とかなるものだよ」
「じゃあ、これまでだって何とかなってたんだから、僕の一人暮らしだって何とかなるよ」
 深い意味の無い反抗だ。別にこんな事をする必要はない。
 結局、親が決めたならそれに逆らうほどの気概は僕には無い。
 ただ何となくこの時は、どうにもそれに素直に言われるまま従うのが我慢ならなかった。
「……本当に、一人でいいの?」
 母親が心配そうな顔で尋ねる。
「これまで怜としていたこの家の管理を、あなた一人でやる事になるのよ」
「でも掃除以外の家事は半分になるでしょ。結局そんなに変わらないよ」
 両親は顔を見合わせた。僕が素直に従うと信じて疑っていなかったのだろう。どす黒い感情が腹の内側に浮かぶけど、見ないフリをした。
 後になって考えれば。
 あの時、両親は双子が不平等になる事を考えたのかもしれない。姉に海外留学を許したのに、弟の自宅に残りたいという希望を無視していいのか、と。
 この時の僕は内心とてもふてくされていて、両親の言葉に素直に頷く事がうまく出来なかっただけなんだけど。
「……悠。お前が真面目で良い子で、……大人の顔色を正しく判断する子だと僕たちは理解している」
 父親の顔を見つめる。
「僕たちはお前に我慢させてばかりだ。いつも何もしてやれない」
 悩みながら父親は話し続けた。
「だから、……可能な限り、お前の希望は叶えてやりたい」
 深々と溜め息を吐く。母親も姉も固唾を呑んで見守っていた。
 僕はどこか冷ややかな気持ちでその様子を見つめている。言葉の先に了承も否定も続きうる状況だ。まぁどちらにしても、僕が手放しで喜ぶような状況にはならないんだけど。
「……お隣の日高さんに、引き続き協力を頼むしかないな」
「あなた……」
「悠だって男なんだから大丈夫さ。空手は師範に太鼓判を貰ってるし、眼鏡をかけるようになってからは変な事も起きてない。料理も洗濯も掃除も問題ないのは、家の綺麗な状態からも明らかだし」
 心配そうな母親に微笑みかけてから、父親は再び僕を見た。
「僕は悠を信じるよ。引き続きこの家を守ってほしい」
「……でも、何かあったらすぐに連絡して。絶対よ」
「もちろん。自分に出来る事の区別ぐらいはしてるから」
 僕は内心少しだけ安心しながら微笑んだ。

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