5−1:冷然女王の白亜城


 上級生の教室なんてなかなか来る機会はない。ナイトレイブンカレッジの特殊な建物の構造にも慣れてきたとは思うけど、教室ひとつ探すのにもいまだ苦労する。
「三年A組、あったあった」
 休み時間ともなれば、教室の空気はどこも変わらない。束の間の開放感を楽しみ、それぞれが好き勝手に息抜きしている。
 教室を覗きこめば、特に教室移動とかではないようでそれなりに人がいた。派手な帽子がトレードマークの金髪のおかっぱ頭を探せば、すぐに見つけられた。
「おはようございます、ハント先輩」
「おはよう、私に何かご用かな」
「えーっと、俺たち『VDC』のオーディションの申し込みに来たんですけど」
「本当かい!?」
 エースの発言に食い気味な感じでハント先輩が声を張り上げる。同時に椅子から勢いよく立ち上がったもんだから、その音も相俟って教室中の視線がこちらに集まった。けど、すぐにみんな興味を失ったように目をそらす。
 なんだこの、『ああ、なんだまたハントか』みたいな空気。もしかしてオーディションの申し込みを受け付ける度にこんな感じなのかこの人。
「素晴らしい!新たな挑戦者を心から歓迎するよ!」
「は、はぁ……」
「意思表明さえしてくれれば特に申し込み書類などは必要ないよ」
「え、でも、そういうのってプロフィールの登録とかいらないんすか?」
「ああ、私が把握しているからね」
 ハント先輩はそれを証明するように、僕たち四人のフルネームに始まり出席番号やら身長まですらすらと列挙した。ジェイド先輩とかも他人のプロフィールを把握する人だったと思うけど、なんかこの人はまた質が違うように感じる。ヒト属、って言い方めちゃくちゃ怖い。
「三日後の放課後、ポムフィオーレのボールルームでオーディションを行う。忘れずに来てくれたまえ」
「あ、えーと、僕は不参加でグリムだけなんですけど、それは大丈夫ですか?」
「ええっ!?そんな!!」
 ハント先輩が大げさに驚く。どういう意味か全然わからん。
「えっと、参加資格が学園の生徒だと思うんですけど、グリムと僕は一応、二人で一人という扱いなので、その辺どうかなと思ったんですが」
「ああ、いや、グリムくん一人での参加には問題ないよ。問題ないけれど」
 ハント先輩は落胆してみせる。大げさで芝居がかった動きに、エースたちはちょっと引いていた。
「なんて勿体ない……君の美を知らしめるチャンスだというのに」
「あーいやあの、すいません僕、音痴でリズム感ないんで」
「……それが理由なのかい?」
「え、はい」
 すぅ、とハント先輩の目が意味ありげに細められる。途端に背筋に寒いものが走り、嫌な予感がした。
「君は、本当に苦手なのかい?」
「本当に、って。そうじゃなきゃ音楽の授業で消音魔法なんかかけられないですって」
「場面に応じた細やかな声音の調整ぶりに、しなやかな肉体と素晴らしい身体能力。私から見れば出来る素養は充分ある。そんな簡単に諦めてしまうのは勿体ないよ」
 最近そんな事を言われてばっかりだな。
 僕のうんざりした顔を気にもせず、先輩はむしろわずかに笑みを浮かべた。
「ああ。それとも、君には自覚が無いのかな。『自分は歌もダンスも苦手でなくてはいけない』と、思いこんでしまっているという」
「……は?」
「君にそんな『呪い』をかけた魔女は、いったい誰だい?」
 全身の毛穴が開くような感覚。的外れな事を言われた時の壮絶な嫌悪感と、それ一色になりきれない違和感。
 何か答えなくてはいけない、と思いながら何も言葉が浮かばない。
 一瞬を永遠のように感じていた。近くにいる誰かの視線が痛い。
 それを遮るように、後ろから誰かに抱き寄せられた。背中を体温が包み、甘いのにどこか突き放すような匂いがふわりと漂う。
「さっきからピーピーうるせえぞ」
 キングスカラー先輩の低い声が頭上から降ってきた。声はいかにも不機嫌そうなのに、僕を抱く腕は緩くて優しい。
「おや、すまないね『獅子の君』。つい熱が入ってしまった」
 もう嫌な感覚は無くなっていた。ハント先輩の表情もいつものにこやかなものに戻っている。
「才能ある一年生の競演を見たいと思うが故に気持ちが先走ってしまったよ」
「こいつに歌わせて永世出場停止でも食らおうってか?よほど後輩の恨みを買いたいと見える」
「そういうつもりはないよ。だがどれほどのものか一度聴いてみたい気持ちはあるね!」
「物好きは結構だが、人様に迷惑かけんじゃねえよ」
 頭上から呆れた溜息が降ってくる。……まぁ、先輩は知ってるもんな。どれくらい酷いか。
「用事は済んだか」
「は、はい」
「じゃあもう自分の教室に帰れ」
 キングスカラー先輩は腕を解き、教室の出入り口に向かうように促した。
 お礼を言う寸前、遮るようにハント先輩が声を張り上げた。
「そうだ、レオナくん!キミも『VDC』のオーディションに出場してみないかい?」
 キングスカラー先輩が心底迷惑そうな顔でハント先輩を振り返る。その視線だけで普通の人なら次の言葉は出なくなりそうだが、ハント先輩は全く気にしない。
「身体能力は申し分なし。キミの体格ならきっとダンスも映えるはずさ。よく響く声も素晴らしい。獅子が歌う姿は夕焼けの草原でも見かけた事がないけれど、きっと迫力があるに違いないね」
 恍惚とした表情で、詩の暗誦でもするみたいに朗々と語る。
「そんなお遊戯会、誰が出るか」
 キングスカラー先輩は吐き捨てるように言う。忌々しげな視線は、ハント先輩を通り過ぎて誰かを見ているようにも思えた。
「しかも、あの口うるせぇヴィルがいるんだろ。絶対にお断りだ」
「都会的な美を持つヴィルと、野性的な美を持つレオナくん。二人が共に歌い踊る様はさぞ美しいだろう。趣が異なる美の競演、実にトレヴィアンだね!」
「本当に他人の話を聞く気が微塵もねぇなコイツ……」
 舌打ちしながら、先輩の視線は僕たちの方を向いた。今のうちにとっとと帰れ、という事なのだろう。無言で頭を下げて、さっさと教室を出た。
 早足で自分たちの教室に向かう。次の授業の時間が迫っていた。
「なんか、助けられちゃった」
「ホント。レオナ先輩、ユウには露骨に優しいのな」
「う、んん……そうだね」
 あの感じだとハント先輩と仲は良くなさそうだし、本当にうるさかったのもあるんだろうけど。
 助けてもらった事をちょっと嬉しく思っている自分がいる。そんな気持ちを自覚してしまうと本当に落ち着かない。ここ最近の自分、おかしくなってる。
 悶々としている僕をよそに、グリムが呆れた感じの声で呟く。
「ルークのヤツ、物好きにも程があるんだゾ。ユウの歌が聴きたい、なんて」
「怖いもの見たさってヤツじゃね?アレは実際に聴かないと現実受け入れられないもん」
「その、ユウ」
「うん?」
「昔から、なんだよな。歌が下手なのも、リズム感が無いのも」
「そうだよ。幼稚園からずーっと」
「……そう、か。ゴメン、変な事訊いて」
「あの感じだとハント先輩もユウの事チェックしてたんじゃね?エペルと並べたいとか考えてそうだったじゃん」
 暗くなるデュースを気にせず、エースが自身の推測を語る。それはまぁ、確かに。キングスカラー先輩とシェーンハイト先輩を並べたいなんて命知らずな事を考えられるんだから、そういう事を考えていたとしても不自然じゃない。
「向こうも諦めきれないから、ちょっとカマかけてきただけだろ。思いこみとか呪いとか、ただのハッタリだって」
「そ、そうなのか!?」
「そ。……だから気にすんなよ。下手なのもお前の個性、だろ?」
 エースの手がぽんぽんと頭を叩く。デュースも何度も頷いてくれた。
「まぁ、子分に出来ない事は、親分のオレ様がカバーしてやるんだゾ」
 ありがたく思えよ、とグリムが器用に歩きながら胸を張る。思わず吹き出した。
「ありがと、みんな」
 トラブルに巻き込まれっぱなしだし、まだ帰り道も分からないけど、周りの人には恵まれているのかもしれない。
 これ以上心配をかけたくないなぁ。

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