5−1:冷然女王の白亜城
今日はデュースが日直なので、食後の雑談も早々に切り上げた。魔法薬学の実験の授業の日に日直に当たると、器材の準備とか言いつけられて面倒なんだよね。やらないとクルーウェル先生怖いし。
「昼飯で腹いっぱいになった後の授業って眠くなるんだゾ~」
「実験中にウトウトして魔法薬爆発させんなよな」
今日はよく晴れているから、日に当たると心地いい。中庭を通りかかれば、昼寝がしたくなるのも仕方ないだろう。
不意に、誰かの歌声が聞こえてきた。ボーイソプラノ……というには低いけど、十分綺麗な声だと思う。
「ふなっ?」
「なんだ?この歌」
「綺麗な声だね」
何となく足を止めて聴き入った。途中でえづいて咳きこんでいる。
「な、なんか急に汚くなったな」
声のした方に歩を進めれば、井戸の傍らに座り込む少年がいた。砂糖菓子のように柔らかな美貌の少年。
「めごく歌えで言われでも、わ、無理だじゃ……」
その美貌の少年から、似つかわしくないえぐい訛りの呟きが聞こえた。そこについては聞かなかったフリをする。
「大丈夫?」
「うわっ!?」
声をかけると少年は驚いて身を竦めた。可愛らしい目がまん丸に開いて僕を見ている。
「あんまり無理して高い音出すと喉痛めちゃうよ」
ポケットから飴の袋を出して手渡す。少年はまだきょとんとした顔だった。少しして我に返る。
「あ、ありがとう……」
一緒についてきたデュースが、はっとした顔で声を上げた。
「君は確か、新学期最初の日にメインストリートでぶつかった……」
「あっ、……あの日は、ごめんね」
少年も気づいたようで、少し申し訳なさそうに謝った。
儚げで柔らかな雰囲気で、小柄な身体もふわふわした巻き毛も睫毛の目立つ大きな目も、何もかも愛らしい。いっそ近寄りがたいくらい。
「いや、こっちこそ。えぇと確か、エペル……だったか?」
「え?なんで僕の名前を?」
「ジャックに聞いたんだ。二人は同じクラスだったよな」
「うん」
エペルの表情は話すほどにほぐれている。ポムフィオーレ寮生らしい、キラキラした美貌が際だってきた。
「キミたちは、たしかデュースクンとエースクン……それにグリムクンとユウサン……かな?」
「おぉ、オレ様たちを知っているとは。オレ様たちも有名になったもんだゾ」
グリムがふんぞり返ると、エペルはそれを見て自然な笑顔を浮かべた。
「寮対抗マジフト大会のエキシビションマッチ、すごく面白かったから」
「なんか不本意な方向で目立ってんな~」
思わず苦笑する。
「それで、エペルはなんで井戸の中に向かって歌ってたんだ?」
「こうすると井戸に声がこだまして客観的に自分の声を聞けるんだ」
よく自分の声を録音して練習するという手法は使うけど、これなら録音を聞き直す手間がない、という事なのだろう。
まぁ普通に暮らしてたら井戸なんか身近に無いから、ここならではの練習方法だよなぁ。
「だから、ここで歌の練習をするようにって寮長のヴィルサンが……」
「寮長さんの命令で、歌の練習?」
「ポムフィオーレには、『歌が上手くなければならない』って法律でもあるのか?」
「ウチの寮じゃあるまいし、そんな変な法律があるわけないでしょ」
二人のやりとりに、エペルはくすくす笑っている。本当に天使みたいな愛らしさだ。
「そうだね。特に寮の決まりではないんだけど……僕、『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』のオーディションを受けるんだ」
「へえ、すごいじゃないか」
「それで……もっと愛らしくて可憐な歌声で歌えるようにって……」
だから高い音を出す練習をしていた、という事なのだろう。そういう練習に慣れている様子も無かったけど。
寮長が芸能関係者だし、おそらくオーディションが『完全実力主義』ではない事も承知しているだろう。つまりエペルの見た目を最大の武器として、それを補助する歌唱を身につけさせる事で合格させようとしているのだ。確かに鬼に金棒だけど。
見る間にエペルの表情が暗く沈んでいく。
「…………あんな大会、なくなっちゃえばいいのに」
「え?」
デュースが戸惑いの声を上げる。真意を尋ねようとする前に、よく通る声が遮った。
「あら、エペル。歌の練習をサボって鳩とおしゃべり?」
「ヴィル、サン……!」
途端にエペルの表情が強ばる。シェーンハイト先輩は冷ややかな視線を僕たちに向けた。
「そこの新ジャガたち」
「ふなっ?オレ様たちの事か?」
「他に誰がいるのよ」
忌々しげに吐き捨てられる。いつも厳しい雰囲気の人ではあるけど、ここまで冷たく刺々しい姿を見たのは初めてかもしれない。
「うちのエペルは今、大事な時期なの。『VDC』まであと二ヶ月を切ってる。泥も落としてないジャガイモと遊んでいる時間はない。レッスン中のこの子にちょっかいをかけないで」
辛辣な言葉にエースは目を吊り上げ、デュースは困った顔になる。
「はぁ?なんだよそれ」
「僕たちは邪魔するつもりじゃ……」
「ヴィルサン、そげな言い方やめてげっ!これはオッ、ぼ、僕が……」
「エペル」
エペルは果敢に抗議したけど、名前ひとつ呼ばれただけでその迫力に呑まれ口をつぐんでしまう。
「か行とさ行の音を濁らせるのをやめなさいと何度も言ってるわよね?感情が昂ぶったくらいで芝居が崩れるようじゃお話にならない。到底『真っ赤な毒林檎』にはなれないわ。さあ行くわよ、エペル」
「……でも僕、本当はこんなことっ!」
「アタシとの約束、忘れたの?」
尚も抵抗する少年を、シェーンハイト先輩は更に叩きのめす。
二人の間には他人が知り得ない取り決めがあるようだ。エペルから言葉を奪ってしまうぐらいには、重い何かが。
「あ、あの!」
思わず声を上げる。シェーンハイト先輩の冷ややかな視線に胸が貫かれたような気分だった。
「……声を変える発声は慣れない人は喉に負担かかるので、するならちゃんと指導してあげてください。可愛い歌声以前に、喉が潰れたらオーディションどころじゃないと思います」
「……あら、ご忠告どうも。壊滅的な音痴の割に良い事言うじゃない」
「声を使うのは歌だけじゃありませんから。素人に毛が生えた程度でもそれぐらい解ります」
「そう。なら、対策ぐらいプロはとっくにやってるって事も理解出来るようになれると良いわね。人の忠告を無視してばかりの小ジャガには荷が重いかしら」
シェーンハイト先輩が小馬鹿にしたような笑顔を向けてくる。間髪入れずに、エースが僕を押しのけてシェーンハイト先輩の前に立った。
「ちょっとアンタ。寮長だかなんだか知らねーけど、ソイツ嫌がってんじゃん。無理強いするのがプロの仕事なワケ?」
「出会い頭にジャガイモ扱いとはバカにしてくれるんだゾ」
グリムまで前に出ると、デュースはさすがに我に返った。
「お、おいお前ら。揉め事は禁止って学園長にさんざん言われてるだろ!」
「うん、喧嘩はやめよう。不毛だし」
「そ、そうだよ。僕は大丈夫だからっ……」
「お前らはもっと怒れよ!バカにされてんだろうが!」
エースが僕の代わりに怒っちゃってるじゃん。対策してるならこっちに返すべき言葉がないのは事実だし。
シェーンハイト先輩は意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふぅん。ジャガイモ風情がアタシにもの申そうだなんていい度胸ね」
自然な所作でマジカルペンを胸ポケットから取り出す。騎士が剣を構えるように、一瞬にして空気が引き締まった。
「食後のウォーキング代わりにちょうどいい。かかってきなさい。マッシュポテトにしてあげる」
エースもグリムも気圧され気味だったけど、すぐにいつもの調子を取り戻す。否、もしかしたら半分自棄になってるのかも。
グリムの火の玉がエースの風に乗って迫るけど、シェーンハイト先輩はあっさりそれをマジカルペンで切り捨てた。火の粉すら触れられない。次に飛んできた火の玉は、テニスでもするみたいに打ち返した。グリムが打ち出した時よりも速いスピードで跳ね返り、本人に激突する。
「ふぎゃっ!」
エースは舌打ちしながら、風を更に鋭くしていく。見る度に精度が上がっていて、登校初日のうっかりなんてもう遠い過去なのだが、それも三年生、寮長クラスには通用しない。
シェーンハイト先輩は涼しい顔で軌道を操り、逆にエースの背中に風を叩きつけた。
「ぐえっ!」
戸惑った顔で繰り出された大釜は、無慈悲に打ち返された。デュースは腹で受け止めて地面を転がる。
「ぐはっ!」
あっという間に一年生が三人、中庭に転がった。力量差は火を見るより明らかだ。伸びているグリムを拾いつつ、倒れた二人に駆け寄る。一応怪我は無いみたいだが、二人とも悔しそうに顔を歪めていた。
「全ての動きがドタバタしてて見苦しい。美しさがカケラも感じられない。百点満点中五点」
こちらを見下ろし、シェーンハイト先輩は冷たく笑う。
「次から喧嘩を売る相手はよく選ぶ事ね」
「……みんな、僕のせいで……」
「あら。アタシ、まるで悪役ね?」
意地の悪い笑顔が、怒りを含んだ厳しい表情に変わる。
「元はと言えば、エペル。ホリデー中にレッスンをサボっていたアンタが悪いのよ」
指摘された方は黙って唇を噛んでいる。反論する言葉は出ないらしい。
「……『VDC』で優勝するためには、まだまだ課題は山積み。楽をして一番になれると思わないで」
咎める言葉に容赦はない。反論を許さない雰囲気のまま、シェーンハイト先輩は行くわよ、と促す。エペルはそれに弱々しく返しながら、僕たちを振り返る。
「…………みんな、またね……」
小さく手を振ってから、早足で先輩を追いかけて走っていった。取り残された僕たちの間に、何とも言えない沈黙が流れる。
「ふなぁ~……アイツ、結局連れていかれちまったんだゾ」
グリムが少し落ち込んだ顔をしている。彼なりに、エペルに同情しているらしい。
「気分悪。この学園って、カンジ悪くないと寮長になれない決まりとかあるわけ?」
「……なんか、前と雰囲気が違うよな」
「そうだね。いつもよりピリピリしてる」
ホリデー前に僕を助けてくれた時とかは、厳しいけど思いやりもあった。今は本当に、本人の言う通り悪役みたい。
なんだか心苦しい。
あれがあの人の本質じゃないと思うのに、評価が書き換わってしまいそうで怖かった。実際にエースはぶすくれている。
「ユウだってあんな言い方されてムカついただろ」
「ムカつくけど、僕が素人なのは事実だし。プロが対策してるならあれ以上言う事もないよ」
「素人って言ってもお前は」
「素人だよ。現実に実績も実力もないんだから」
発言を遮って立ち上がる。
「器材の準備進めておくから、デュースはエースと一緒に少し休んでからおいでよ」
「……いや、大丈夫だ。僕はそこまでダメージ食らってない。体が丈夫なのが取り柄だしな」
「そう?じゃあ、エースは休んでからおいでね。寂しいならグリム置いてく?」
「オレだって大丈夫ですけど!?」
エースが張り合うように立ち上がった。少しよろめきつつも、すぐに持ち直す。
「おら、とっとと行くぞ!」
言葉は強いけど、いつもよりちょっと頼りなさげな背中に不安になった。慌てて追いかける。
「他寮の寮長に喧嘩売っちまうなんて。ローズハート寮長の耳に入ったら首をはねられるかもしれないな……」
デュースの呟きは聞こえないフリをした。