5−1:冷然女王の白亜城


 寒さの中で目を開く。
 起きあがれば、暖炉の上に飾られた鏡が目に入った。何気なく近づく。
 自分の顔しか写っていない。この寮で部屋を与えられた時からある、立派な鏡。
 普通の夢に混ざって見る奇妙な夢の始まりは、いつもこの鏡だったように思う。最初の頃の夢はおぼろげだけど、この頃どんどん鮮明になっている気がした。
 今日の夢も知らないはずなのに知っている顔があった気がする。
「……さみい……」
 ベッドの方から呟く声がする。はたと気づけば起床時間を過ぎていた。
「ほら、朝だよグリム。顔洗って朝ごはん食べにいくよ」
「うぅ、今日は寮でメシにしよう……腹ぺこじゃこの寒さの中を動けねえ……」
「……もう、ツナ缶使っちゃうからね」
「頼んだゾ、子分~……」
「ちゃんと起きてよ?寝坊したら朝ごはん抜きだからね!」
 とっとと制服に着替えて台所に立つ。グリムのツナ缶入れから二つ取り出して、適当に調味料で味付けしていく。食パンの上にチーズと一緒にツナを乗せて、フライパンで焼き目を付ける。ついでにお湯を沸かしてインスタントのコーンスープを用意。お茶も淹れておく。今日は野菜は省略。
 簡単なものだが仕方ない。昼をいっぱい食べるとしよう。
「にゃはは、ツナトーストだ~!いっただっきま~す!」
 グリムは嬉しそうにトーストを頬張り、コーンスープを飲む。パン二枚とコーンスープじゃ心許ないけど、こればっかりは仕方ない。最悪購買部で買い食いするしかないな。……出費イヤだけど。
 洗い物は帰ってからするとして、流しに食器を置いて歯磨きをしたら、荷物を取りに自室に戻った。
 再び、視界にあの鏡が目に入る。
 不思議な夢の始まりに現れる鏡。何かを見透かされている気がしてならない。
「ユウ、どーしたんだ?じーっと鏡なんて見つめて」
 いつの間にかグリムが部屋に入ってきていた。
「そんなに真剣にチェックしなくても、寝癖なんてついてねぇんだゾ」
「そうだね。お待たせ」
 グリムが背中をよじ登ってくる。
「……登校する時ぐらい歩きなって」
「オレ様寒いのヤなんだゾ。お前だってオレ様がひっついてた方があったかいだろ」
「……そうだね。最近お腹がいつにもましてぷにぷにで気持ちいいし」
「ぷ、に……」
 グリムはちょっと黙った後、するすると肩から降りてきた。僕の前を歩いて寮の玄関へ向かう。吹き出すのを必死で堪えた。
 ……ナイトレイブンカレッジに来るまで、食事なんて不規則で食べられない事だってあっただろう。それを思えば、栄養状態が良くなった現在、肉付きが良くなるのは当たり前の事だ。きっと喜ばしい事なんだけど。
 とはいえ毛むくじゃらなので、適正体重とか解りづらいんだよな。今度トレイン先生に見てもらった方がいいかもしれない。
 冬の風が吹く通学路を二人で歩いていく。メインストリートの方に向かえば、いつもの二人が顔を見せた。
「おーっす、ユウ、グリム。オハヨー」
「おはよう、二人とも。今日は一段と冷えるな」
「おはよ、ホント寒いよねぇ」
「う、うぅ。もう限界なんだゾ」
「こーら、お前勝手に登ってくるなよ!」
 エースとグリムがじゃれあい、僕とデュースが苦笑する。内容は日々違うけど割と見慣れた光景。
 グレート・セブンの石像がある辺りにさしかかる。見慣れた石像群のうち、ひとつの前で足を止めた。
 美しい女性の像。シンプルながら美しさを引き立てるドレス姿で、おどろおどろしいリンゴの細工を手に立っている。
 唐突に、夢の中の光景がフラッシュバックする。仲睦まじい男女に黒い感情を込めた視線を向けていた女性。
「あ……!」
「なに?グレート・セブンの石像じっと見てどーかした?」
 エースの問いかけを無視して後ろを振り返る。
 恰幅の良い女性。ハートの女王。
 身勝手なルールを敷き怒りのままに裁く暴君。
 顔に傷のある獅子。百獣の王。
 悪計で手にした玉座を怠惰に持て余した盟主。
 タコの人魚の女性。海の魔女。
 より大きな利益を求めて人を罠にはめる毒婦。
 大きな帽子の男性。砂漠の魔術師。
 権力と名誉を求めた末に策謀と力に溺れた才人。
 見た事がある。誰も彼も、夢の中では色彩を纏っていた。
 それに、確か。
 大きな揉め事の最中には、彼らの夢を見ていた気がする。日記付ける習慣なんて無いし、明確な記憶はないけど。
「おい、ユウ?」
 声をかけられて我に返る。
「突然ボーッとして……具合でも悪いのか?」
「あー……うーんと……」
「……熱は無さそうだな」
 デュースが僕の額に触れて首を傾げる。
「別に具合は悪くない、んだけど」
「歯切れ悪いな」
「とりあえず教室行こうよ。歩きながら話すから」
 とはいえ、どう説明していいか迷ってしまう。
 グリムもエーデュースも怪訝な顔をしていた。
「今日見た夢にさ、グレート・セブンの『美しき女王』が出てきたんだよね」
「……そんだけ?」
「うん。夢の中にオンボロ寮の、僕の部屋にある鏡が出てきて、そこに映像が映ってるような感じ」
「まぁ、毎日グレート・セブンの像を見ながら登校してるわけだし、夢に出てきてもおかしくない気はするけど」
 エースの言う事はもっともだ。知った気になっている人が出てくるというのも、夢だし変な事ではないと思う。
「でもなんか……夢の中のグレート・セブンって、伝承とだいぶ様子が違うんだよね」
「っていうと?」
「なんて言うのかな……今日の夢で言えば『美しき女王』が、闇の鏡がもっとも美しいと言った女の子を凄い形相で睨んでたりとか」
「……あの顔で睨んできたら怖そうだな」
「美人の怒った顔って迫力あるしね」
「怒った、ってレベルじゃなかった」
 思い出しながら呟く。見ている人間にさえ黒い感情が感じられる表情だった。
「……憎しみっていうか、嫉妬っていうか……殺してやる、みたいな」
 ふたりが口をつぐむ。
「今日は女王の夢だったけど、前にもグレート・セブンの夢を見てたっぽいんだよね」
「そーなのか?」
「うん。まだ見た事がないのは、多分……死者の国の王と、茨の魔女かな。なんかその時起こってる事に似た夢を見てる気がする」
「僕も魔法史の小テストの前には、寝ながら偉人の名前を唱えていたが……話を聞くに、そういう事じゃなさそうだな」
「多分、違うと思う」
 どんな意味があるのかは解らない。曖昧だけど心に残る不思議な夢。
 そして鏡にまつわる不思議な夢と言えばもう一つ。
「それに最近、なんだけど。真夜中に鏡の向こうに人影が映るようになって」
「ふな!?オレ様は見たことねーぞ!」
「うん。グリム寝てたもん。……まだ自分でも半信半疑だし」
 もしかしたら寝ぼけていたのかもしれない。そこはまだ否定しきれない。
「人影って、どんな?イケメン?」
「ううん、顔は見えてなくて。頭に大きな丸い耳みたいなのがついてて、鏡の向こうからノックしてきた」
「えぇ、コワッ。鏡の向こうから化け物が覗いてるとか、怪談じゃん」
「んー、そんな悪い気配は無かったよ。ミッキーって、名前も名乗ったし」
「この学園では聞いた事のない名前だな……」
 エースも思い当たる所はなさそう。
 教室に入りいつもの席を確保する。ホリデー明けの空気は徐々に休み前のものに戻りつつあった。一部はまだ浮ついた感じがあるけど。
「じゃあさ、次に鏡にそのミッキー?が映ったら、ゴーストカメラで写真撮ってみれば?」
 防衛魔法のテキストを片手にエースが明るく提案する。
「アレって確か、魂の形を写す魔法道具なんだろ?相手がゴーストでもバッチリ写るはずじゃん」
「なるほど。写真があれば何者か突き止められそうだな」
「ナイスアイディア!さすがエース!」
 ゴーストカメラで撮影すれば、写真という実物が残る。それが現実に存在すれば、夢か現実かの判断は出来るわけだ。
 賞賛されて自慢げなエースの笑顔が、少し意地悪な感じに歪む。
「ま、何も写ってなかったらユウが寝ぼけてただけって事になるけど」
「せっかく褒めたんだからそういう事言うのやめてよね。台無しだよ」
 冷ややかに言うと、エースが不服そうな顔になった。口を開いた瞬間にチャイムが響き、教室の扉が開いてクルーウェル先生が入ってくる。慌てて前を向いた。
「今日のホームルームは、ホリデーで緩んだお前たちの手綱を引き締める話をする」
 先生の表情が冷ややかなのはいつもの事だが、今日は一層厳しく見えた。なんか嫌な事でもあったのかな。
「来たる二月中旬……『全国魔法士養成学校総合文化祭』が開催される事は知っているな」
 知っているな、と言われましても。
 と思ってるのは僕だけで、教室の空気はちょっとそわそわしている。元の世界の『学校の文化祭』と同じようなものかは微妙だけど、少なくともテストのような嫌な行事ではなさそうだ。
「その会場が、今年は我がナイトレイブンカレッジに決定した」
「ふな?なんか祭りがあんのか?」
 グリムの呟きが耳に入ったのか、クルーウェル先生の視線が更に厳しくなる。
「今ざわついた仔犬ども。年度始めに配られた年間予定表に目を通していなかったな」
 たわけ!と鋭い一声と同時に鞭の打音が響く。思わず身を竦めて息を飲んだ。教室内も静かになったのを見て、クルーウェル先生は少しだけ雰囲気を緩める。
「そんなバッドボーイどものために、もう一度説明してやろう。仔犬の躾は俺の役目だからな」
 全国魔法士養成学校総合文化祭。
 全国の魔法士養成学校から代表生徒が集結し、二日間に渡って美術や音楽、魔法に関する研究発表や、弁論大会などが行われる。文化部のインターハイ、とクルーウェル先生は表現した。
 ナイトレイブンカレッジの生徒は四年生になると各魔法専門職の実習や研究調査のために全国へと派遣されるが、この日は四年生も学校に戻ってきて成果発表も行われる。
 この学校は四年制なのに、四年生の生徒と顔を合わせる機会がほぼ無い。というのも、四年生は就職先になりうる企業や研究機関等での実習がメインで、学内での授業は無いらしい。寮の部屋も三年生までの個室しかなく、実習と実習の合間は実家に戻ったり、やむを得ず学内に滞在する場合には所属寮のゲストルームを使うのが通例との事。
「そういえば……あんま気にした事なかったけど、オレたち入学してから一度も四年生に会った事ないね」
「学外に研修に行く事だけは知っていたが……先輩方に礼を欠かねえようにしねぇと」
 ハーツラビュルに属している二人も顔を合わせた事は無いようだ。多分、実習の合間に学内に来るのもかなりのレアケースなんだろう。
「また、全国魔法士養成学校総合文化祭は魔法庁や魔法教育委員会、魔法大学……魔法関係企業、研究施設、さらには芸能界までもが注目する、次世代の才能を発掘する場でもある」
 そして思ったより範囲がでかい。そういえば一応名門校だったな、この学校。
 マジカルシフト大会と同様に、これも生徒たちの将来に関わる行事という事のようだ。
 美食研究会も文化部ではあるけど、果たして何か発表した方がいいんだろうか。定期的に活動報告と称して、グリムの食レポを冊子にまとめて提出してるけど。
「文化部の仔犬どもは、よくブラッシングして毛並みを整えておくように!」
 心の内を見透かされたように、ぴしゃりと言われる。
 ……そうは言ってもなぁ。僕にこの世界で将来の道が開かれて何の意味があるやら。
 でもグリムの食レポ自体は意外と興味もたれるかもしれないな。人の食事を評価するモンスターなんて物珍しいだろうし。大魔法士になるにしても、卒業後の進路は必要だろう。強制じゃないならともかく、強制参加なら必要な事を確認しないといけないなぁ。
「ふーん、文化部の祭典かぁ」
「運動部の僕たちにはあまり出番はなさそうだな」
 そっか。エーデュースは運動部だから関係ないんだ。ちょっと寂しい。
「なあなあ、祭りってことは、マジフト大会の時みたいに食い物の出店が出るんだゾ?」
「食い気ばっかかよ、お前は」
 こちらの考えている事など気にせず、グリムは期待に目を輝かせている。エースの的確なツッコミに無音の拍手をしておいた。
「さて、ホームルームは以上」
 クルーウェル先生の声で空気が引き締まる。一時限目は防衛魔法の実践授業だった。慌ただしく始まる実技訓練に対応するのが精一杯で、さっきまで考えていた事はすぐに頭から吹っ飛んでしまった。

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