5−1:冷然女王の白亜城
さて、元の世界に戻れないままナイトレイブンカレッジの新学期が始まってしまった。
もちろん、帰る方法どころか手がかりすら無い状態は依然続いている。
その上に、ほのかに想っていた人の正体に気づいてしまって、なんかもう落ち込んでいた。
ヴィル・シェーンハイト。世界的な有名モデルにしてインフルエンサー。俳優業もしているが現在は学業に専念するため仕事を受けていない、らしい。
彼が僕を助けてくれた『ミスター・ロングレッグス』で間違いないだろう。他にもいろいろネットで調べてみたら、貰った服のブランドでモデルをやってたり、実際に着てるちょっと前の画像も出てきた。モデルさんって、撮影で着て気に入った服を買い取ったりする事もあるらしいから、そういう事なんだと思う。間違い探しをしている気分で最近の商品と見比べて、今年の時点で手に入らない商品である事も分かった。
ほぼ確定だ。礼を言いに行こうと思えば、いつでも言える。
言えるけど。
「言いづら…………」
あの厳しい人である。お礼なんか言おうものなら『礼なんて良いからそのメガネを外せ』と詰められそうな気がする。
正直、こんな顔面偏差値高水準飽和状態の学校でメガネ外したって珍しいのは三日ぐらいで後はみんな気にしないだろうとは思うんだけど。でもモストロ・ラウンジで一瞬働いただけでも連絡先渡そうとしてきた奴いるし、やっぱりメガネをしていないと平和な学園生活は送れない気がする。
それこそエペル・フェルミエみたいな近寄りがたいくらいの雰囲気があれば違うのだろうが、僕はそういうタイプじゃないし。キャラづくりをする気もないし。
……あの人が正しいというのも分かっているのだ。このまま自分を隠していた所で、トラブル皆無で生きられると決まったものでもない。経験としてこれまで無かったけど、今後もそうとは限らない。
顔を隠さずやりたい事が出来ればそれが一番だ。怜ちゃんみたいに力づくでもトラブルを解決する力が、立ち向かう気力があればいい。
……どうもそこに自信がない。トラブルを回避出来る方が良いと思ってしまう。メガネひとつかけておくだけで何も言われないなら、それでいいじゃないか。
と、なると話は振り出しに戻る。お礼を言う、という行動のハードルが高すぎる。
「……ユウ、今日なんか元気なくね?」
「…………そう?」
「いつもならもっと食べてるし、デザートをグリムに譲るなんて珍しいじゃないか」
「なんか変なもんでも食ったか?」
「グリムじゃないんだから拾い食いなんかしません」
そこはすっぱりと言い切れるが。
「……もしかして、恋煩い、とか?」
後ろから人の声がした。振り返るとどっかで見た顔。
ベストの色がスカラビアだと気づいて、こないだの騒動で人の頭の上に蛇をぶちまけてくれた寮生だと思い出す。寮服だとファッションの補正がかかってるのか、制服姿だと輪をかけて陰気なタイプに見えた。
「ねえそうでしょう?ぼくこういう勘は当たるんだよ。占い師の家系だからね」
やたらと顔を近づけてくる。体を引いても尚近づいてくる。
「ぼくでよかったら相談に乗るよ。占い得意なんだ。ぼくの友達も君のために力になりたいって」
「いや、そういうのはちょっと」
こっちが嫌な顔をしても気にせず、手を握ってくる。背筋に嫌なものが走った。
「もっと君の事が知りたいんだ。君だってぼくやぼくの友達の事知りたいでしょう?大丈夫、君ならきっと仲良くな」
ドゴォン!という派手な打撃音がマシンガントークを遮った。見ればデュースがテーブルをぶん殴ったと解る。殺気立った目がギロリとスカラビア寮生を睨んだ。
「……嫌がってるだろうが。いい加減にしろ」
いつになく低い声のデュースにエースが続く。
「空気読めないとか、占い師以前に人間としてどうかと思うけど?キッショ」
グリムも僕の肩に登って威嚇音を出している。スカラビア寮生はひきつった顔になって手を離し、慌てた様子で逃げていった。食堂を出ていくのを見届けて、やっとデュースの雰囲気が緩む。
「……変な奴だったな」
「あ、ありがとうふたりとも。グリムも」
「別に?目の前でうぜーなと思ったから思った事言っただけだし」
「アイツ、こないだスカラビアで子分に蛇ぶっかけた奴だろ。アイツのせいで最初の脱出に失敗したんだ。引っかいてやればよかったんだゾ!」
「食堂で流血沙汰はやめようね」
「あー。だからいつもみたいな辛辣な感じじゃなかったワケね」
「弱みを握ってるからってナメた口ききやがって……」
デュースが再び剣呑な雰囲気になってきた。どうどう。
「………で、実際どうなの?」
「何が?」
「恋煩いって話。本当?」
エースが軽口の調子で言った。すぐに否定すればよかったのに、僕も一瞬止まってしまった。さっとエーデュースの表情が変わる。
「マジで!?」
「本当なのか!?」
「そんな大層な話では…………ないというか……」
「え、相手誰?教えて教えて」
「教えない。……もう失恋してるようなもんだし」
エーデュースが顔を見合わせる。
「そんな望み薄な相手?お前でも?」
「お前でもって。僕、基本顔しか取り柄ないからね」
「そういう言い方をするなら少なくとも、その、犠牲者の誰かではないって事だよな」
「……まぁそうだね。……その呼び方デュースもするんだ」
「い、いや、悪気があるわけでは!エースがいつもそう呼ぶから!」
「人のせいにしないでくれる?」
憮然としつつも、エースが僕に向ける視線は心配そうだ。
「その、そんな諦める必要ないんじゃね?」
「あるよ。住んでる世界が違うんだもの」
「え……」
「僕はいつかここからいなくなるんだから」
ふたりが黙り込んだ。隣にいるグリムも静かだ。
「……僕、忘れ物取りに行くから先に戻る。グリムはふたりと一緒においで」
「あ、うん。後でな」
「お疲れ~」
三人に見送られて席を立つ。食器を片づけて、食堂から出て思わず溜息を吐く。
そう。誰をどれほど好きになろうとその前提は崩れない。
僕は違う世界の人間で、いずれはここを去る。
何の進展もないまま何ヶ月も過ぎてしまった事がそもそも論外なのだ。本当ならもっと早く見切りをつけてここを出るべきだったのだろう。今からでもそうすべきなのだろうが、心情的な難易度は上がってしまった。
元の世界に戻る方法が見つかるまで、平和な学園生活を享受するしかない。
…………嫌だな、何度もこんな話するの。