5−1:冷然女王の白亜城


 まだ薄暗い中で体を起こす。アラームが鳴るまであと二時間ある。
 妙に鮮明な夢を見た後の違和感が、まだ残っていた。
 ぼんやりと思い返す。
 ワタナベさんは当初、僕たちの誘拐について否定していた。けど、防犯カメラに人気の無い駐車場に誘導する様子も、怜ちゃんにカッターナイフを突きつけた所も映っていた。ちょうどカメラの位置を変えたばかりで、普段使わないワタナベさんは存在を知らなかったという。
 動機について『あの子たちをこんな汚い世界に置いておいちゃいけないんだ』と正気を失った目で答えていたらしい。裁判でもその証言は一切変わる事がなかった。小児性愛の傾向があったワケではない、と弁護士は釈明していたが、自宅からは僕たちの出演した番組のテープや楽屋の隠し撮り映像が大量に出てきたらしい。
 もしあの時、逃げ出していなかったらどうなっていたかなんて、考えたくもない。
 僕たちは男女の双子として、珍しがられてスカウトされた。だけど子ども番組やドラマにちょっと出してもらった程度の知名度しかない。
 それに対し、誘拐犯は長年テレビ局に勤めてきた功労者だ。立場こそ上ではないけど、スタッフも出演者も信頼するような人で、実際に事件が起きるまで問題行動など何も無かった。
 そんな差もあって、ワイドショーや週刊誌は段々と、僕たちや家族に問題があったのではないかという方向に話題を持っていきはじめた。
『被害者家族からの強烈なパワハラがあった』
『被害者の母親と不倫関係にあった』
『被害者の二人が狂言で冤罪を作った』
 そんな自称関係者による証言を元にした事実無根の噂が真実のように飛び交い、僕たち家族はあっという間に孤立させられた。
 警察など、事件の具体的な証拠や犯人の様子を実際に見た人たちは、世間の噂に流されず強固に僕たちの味方でいてくれた。だから起こった事実に対し、裁判は正当に行われた。それは間違いない。責任能力は認められたが、未遂で初犯で反省を口にしていたから執行猶予がついて、その後どうなったかは知らない。自殺したとも檻付きの病院に入ったとも聞いた気がするけど、犯人側の関係者から一切の接触は無かったと思う。
 そんな結果にさえ『本来はもっと軽くなるはずなのに、被害者の父親が上級国民だったから忖度があった』なんて言い出す奴までいた。
 引っ越しはすぐに決まったけど、転居先は何度か変わった。ホテル暮らしになっていた時期もある。
 周りに良い人も多かったからこそ、悪辣な人から受けるダメージは大きかった。両親も勤め先の理解はあったけど、取引先から好奇の目で見られる事も多かったらしい。
 両親は根も葉もない噂を流したり迷惑行為をしてくる中でも悪質な連中を、一般市民の使えるあらゆる手段を網羅して突き止めて、社会的な制裁を加えた。まぁ大体『裁判起こすぞ首洗って待ってろ』って言ったら謝ってきたから慰謝料で示談にしたらしいけど。……こういう所、僕たちの親だなと思う。
 二年でカタがついたのは奇跡的な早さだったと思う。その間、最後の引っ越し先の近所の人たちが本当に良い人ばかりで、借りていた家を購入して僕たちは今も同じ場所に住んでいる。両親が海外で仕事をするようになった現在も、あの頃と同じようにつかず離れずで守ってくれている。本当に有り難い。
 事件から五年も経てば、誰も話題にしなくなった。半年もテレビにいなかった僕たちの事なんて、もう誰も覚えていない。覚えていたとして話題に出されても、ただ冷ややかな目でそれを流す事しかしないけど。
 事件の傷は僕たちの心に残った。
 まず怜ちゃんが荒れた。僕と何でも一緒じゃないと癇癪を起こすようになったし、悪意のある無視をする生徒は耳を掴んで引きずり回すわ、僕をからかう奴がいれば血塗れになるまで殴るわ、親は本当に大変だっただろう。
 僕自身は姉のフォローに回ってそれはそれで大変だったのだが、その時に不調はなく、後に自分の顔面について自覚が芽生えた。というのも中学に入る前後から、変な人に声をかけられたり後をつけられたりする事が増えたのだ。
 自分も姉も可愛らしい部類の顔だった。が、性格が顔に出ているというか、姉の方はいかにも気が強そうなのに、僕の方は大人しそう、という雰囲気の違いがある。成長につれてではなく、昔からそんな感じだった。
 加えて、僕の方が加害性のある変態を引き寄せやすいらしいと割とすぐに気づいた。顔立ちや体型、性格も関係なく、具体的に何が原因とかは無いけど、そういう性質を持つ人は結構存在するらしい。
 でも、その性質がつまり、あの誘拐事件の根本的な原因だったのかもしれないと、今も思っている。
 僕がいなければ怜ちゃんは危ない目に遭わなかった。
 両親が苦労して辛い思いや苦しい思いもせずに済んだ。
 誰も言わないし責めないけど、僕が原因なんだ。
 だから、顔を隠してるぐらいは苦しい事じゃない。メガネをかけたぐらいで顔が目立たなくなるなら良い事だ。明らかに被害が減ったので、始めた当時は感動すらした。
 お洒落をしないのも、夢を諦めるのも、仕方ない。それで皆が苦しい思いをしなくて済むなら、僕はそれでいい。それで僕が嫌な思いをしなくていいなら、それでいい。
 僕がいたせいで嫌な思いをしたんだから、その分は助けなくちゃ。
 これ以上迷惑はかけたくない。
 ここに来て何ヶ月経った?家は大丈夫だろうか。みんなはどうしてるだろう。
 僕のせいで、誰かが不幸になるのは嫌だ。
「んん~……むにゃむにゃ……」
 すぐ傍で声が聞こえる。グリムが腹を出してひっくり返って寝ていた。
「子分……これからも一緒だゾ……天才と最強の名コンビだ~……」
 部屋が出来てもずっと、僕の布団に潜り込んできて寝ている。もう指摘するのも面倒だった。寒い間は布団が暖かくなるから好都合だし。
 お腹を撫でるとくすぐったそうに丸くなる。心が少し落ち着いた。布団を被って、グリムを抱き寄せる。背中を撫でながら、目を閉じて意識を落ち着けた。

2/40ページ