5−1:冷然女王の白亜城
「今日の撮影終わりでーす、お疲れさまでしたー」
「おつかれさまでしたー」
大人が張り上げた声に、子どもたちの声が重なる。荷物を置かせてもらっている楽屋に足音が続いていく。
いつも通り、きっともう母が迎えに来ている。今日のお弁当のエビフライが美味しかったって話そう。
そんな他愛のない事を考えながら、姉に手を引かれて楽屋を出た。
「怜ちゃん、悠くん」
「ワタナベさん」
呼び止めたのは、ベテランの撮影スタッフだった。大人にも子どもにも優しいので、皆が頼りにしているおじさんだ。自分たちも良くしてもらっている。好き嫌いの激しい怜ちゃんでさえ、ワタナベさんの事は慕っていた。
「今日はお母さんのお迎え、いつもと違う駐車場になっちゃったみたいなんだ。頼まれたから送っていくよ」
「そうなの?私たちだけでも大丈夫よ?」
「ああ、ダメだよ。もう夜だし、君たちだけで行かせたら危ないからね。一緒に行こう」
「はーい」
言われるがままにその後ろを歩く。だんだんと人気が無くなっていく事に気づいてはいたけど、だから大人が一緒に来てくれてるんだと納得するだけだった。
連れてこられた地下駐車場は静かだった。いつもの駐車場だと、他の子たちのお迎えに来た保護者もいっぱいいて賑やかだから、変な感じがする。
「あれ、おかあさんは?」
駐車場を見回していた怜ちゃんが振り返った瞬間、ワタナベさんがポケットからカッターナイフを取り出して怜ちゃんの首に突きつけた。
「騒ぐな。殺すぞ」
聞いた事の無い低い声だった。戸惑って動けない怜ちゃんを引きずって、ワタナベさんは近くに止まっていたテレビ局の車に怜ちゃんを押し込んだ。慌てて追いかけた僕も襟首を掴まれ乗せられる。扉が乱暴に閉められ、すぐにワタナベさんが運転席に乗り込んだ。早々に車が動き出す。
状況が飲み込めない。僕たちはどこに連れて行かれるんだ。
何も出来ずにいると、怜ちゃんが僕の手を掴んだ。いつも強気で大人にも物怖じしない怜ちゃんが、涙を目に溜めて震えている。僕は何も言えずに、その手をただ握り返した。
車はテレビ局を出て街を走り始めた。全然知らない景色が続いていく。多分、家とは全く違う方向に向かっているのだ。
ミラー越しに見えたワタナベさんの目は、いつもと全く違っていた。前を見ているのに虚ろで、何か言葉を口にすると変な事をしそうな感じがした。迂闊に動けない。
どれくらい走っただろう。赤信号で車が止まった時、交番が真横に見えた。同時に、扉のロックがかかっていない事も知った。
「怜ちゃん、手を離さないで」
ワタナベさんがはっとして振り向いた気がした。
僕は無視して後部座席の扉を開ける。怜ちゃんの手を強く引いて、体当たりするように車から飛び出した。頭を打ったけど、気にしてはいられない。
怜ちゃんの手を引いて走る。無我夢中でガードレールを乗り越えて、交番に駆け込んだ。
「助けてください!!」
鬼気迫る僕の様子に警察官は驚いていた。怜ちゃんは泣きじゃくっているし、異様である事は感じていたと思う。
「あの、電話を貸してください!おかあさんに確認したいんです!」
直後、ワタナベさんが追いかけてきた。『母親に頼まれて自宅に送る最中だった』とかいろいろ言ってたけど、怜ちゃんが『うそつき』『殺すって言われた』などと泣きわめいたため、交番にいた警察官は彼の話を鵜呑みにせず守ってくれた。
僕が覚えていた番号から母の携帯電話に連絡すると、母はいつもの駐車場に来ていた。もちろん迎えを頼んでもいない。
警察官が母から説明を受けた時点で、ワタナベさんは交番の奥に連れて行かれ、僕と怜ちゃんはパトカーで病院に運ばれた。