1:癇癪女王の迷路庭園




 遠くが何やら騒がしい。ボロ屋だからか妙に音が突き抜けてくる。
「……むにゃ、うるせえんだゾ……」
 隣から聞こえたグリムの声で目が覚めた。寝付いてからそんなに時間が経ってない気がする。外も暗いし。
 物音は玄関からしているようだ。ゴーストの悪戯ではないだろうし、なんだろう。グリムも身体を起こしているが、まだ寝ぼけ眼だ。
 動く気の無さそうなグリムを抱え、だるい身体をひきずるようにして玄関に向かった。
「どちらさまですか?」
「……オレ。エースだけど、ちょっと中に入れてよ」
 夜という事を差し引いても、声の調子が沈んでいるように思う。鍵を開くと、制服姿でぶすくれた顔のエースがいた。首にはどこかで見た覚えのある首輪のようなものがかかっている。
「もう絶対ハーツラビュル寮には戻らねえ。今日からオレ、ここの子になる!」
「はぁ?」
 エースを見たグリムはぎょっとした顔になった。
「その首輪って、オレ様が入学式で赤毛の上級生につけられたヤツだゾ」
 言われてみればそんな形だった気がする。金属製で重厚な造りだ。まかり間違っても素手では壊せないだろうし、見るからに重そう。
「ま、まぁ話が長くなるなら談話室に行こうか」
「そうして。座りたいし」
 中に入るよう促し、グリムに案内を頼んだ。内鍵を閉めていると、エースがじっとこっちを見ている事に気づく。
「……その扉さぁ。なんでそんなに足跡ついてんの?」
「ゴーストに閉じこめられた時に、子分が蹴ったんだゾ」
「なるほどねー……」
「それは気にしなくていいから」
 気恥ずかしくて、エースの背中を押して談話室に入る。エースは奥のソファにどかっと座り、その向かいのソファに僕とグリムが腰掛けた。
「で、なんでそんなのつけられたんだ?」
「タルト食った」
 返答はシンプルだった。僕もグリムも首を傾げる。
「タルト……って、お菓子のタルト?」
「そう!腹減ったから寮のキッチンに行ったら、冷蔵庫にタルトが冷やしてあったんだよ。ホール三つ分も!だから……」
「………食べちゃったんだ」
「一切れだけだよ。夕飯食ってないんだぜ、しょうがないじゃん!バレなきゃいっかなって、思ったんだけど」
「見つかったんだな」
「よりにもよって寮長にね」
 エースはがっくりと肩を落とす。
「それで首輪かぁ」
「間抜けなヤツなんだゾ」
 魔法封じの首輪は、ハーツラビュルの寮長の魔法だったのか。あの赤毛の少年がハーツラビュルの寮長、という事になる。割と幼い顔立ちだった印象があるけど、性格はずいぶん厳しいようだ。
「たかがタルトを盗み食いしただけで、魔法封じされるのはおかしくね!?」
「だいたい共用の冷蔵庫ってさ、使うのにルールとかあるでしょ?ここに入ってたら食べていいとか、入れるなら名前を書いて、他人の物には触らないとか」
「え、そういうの気にしない。何も書かずに入れとく奴が悪くね?」
「………お前と共同生活だけはぜっっっったいゴメンだわ」
「わー、もう、問題はそこじゃなくて!心が狭いにもほどがあるでしょって話!」
「どっちもどっちなんだゾ」
 基本食い意地の張ってるグリムでさえ呆れた顔をしている。
「ていうか、ホールでしょ。誰か食べた跡あったの?」
「無かった」
「遅かれ早かれバレるじゃん、バカなの?」
「い、いや、あそこで寮長に見つからなきゃ誰かわかんなかったはずだろ!?」
「……なあ、そんなにあったんなら、パーティー用だったんじゃねえか?誰かの誕生日とか」
「あー……それなら怒るのも無理はないか」
「ええ、でも『ボクのものに手をつけるなんて、いい度胸がおありだね』って言ってたぜ。やっぱドケチなだけじゃね?」
 エースはどうしても相手が悪いとしたいらしい。
 首輪は人間サイズで見ると一層窮屈そうだし、寮の規則にもまだ慣れない一年生の行動を叱るには厳しい、という気持ちはわからなくもない。
 しかしエースの性格も多少知ってるつもり。さっきの発言も踏まえて考えるに、ちょっと怒られたくらいで反省するとは思いがたい。
「そもそも見つかった時に、寮長さんには謝ったの?」
「う……オレ、ユウなら絶対に寮長が横暴だって言ってくれると思ってたんだけどぉ?」
「僕が同じ事やられたら、しっかり謝った上で三倍量のお詫び持ってくるまで存在を完全に無視するよ」
「陰湿!!!!」
「食べ物の恨みは恐ろしいんだゾ」
 グリムが呆れ半分同調半分の微妙なコメントをする。食い意地張ってるからこそどっちの気持ちも分かる、といった所か。
「とにかく、盗み食いはよくないよ。素直に謝ってきな」
「えぇ~……マジで?」
「謝罪は早いに越した事ないよ。反省が早ければ心証も違う。反省する気がないでもせめて、謝罪ぐらいは早くしときなよ」
「わかったよ。謝ればいいんでしょ。……ユウも一緒に来いよ」
「なんで」
「提案したんだから連帯責任!」
「提案っていうか……説教してる気分なんですが」
「じゃあ、説教したんだから、反省具合を確認すると思えばいいだろ!」
「保護者か!?」
「話が終わったんなら、オレ様もう寝るゾ」
 グリムが大あくびをしながらよじ登ってくる。腕に抱くと丸まって落ち着いた。
「じゃ、とりあえずオレ、今日どこで寝ればいい?」
「本当に泊まる気!?」
「他の部屋はどこも埃だらけだから、自分で寝床の掃除しろよ」
「掃除とか絶対やだ」
 寝ぼけ眼のグリムの言葉に、エースは苦々しげに返した。次の瞬間には愛想の良い笑顔を浮かべて、わかりやすい猫なで声を出す。
「なぁ、綺麗な部屋あるんだろ?パジャマ汚れてないし。おれもそこで寝たいなぁ。オレ、スマートだから幅取らないし、ね?」
『そんな事言って、プリンセスに不埒な事する気だなぁ~!』
「うわわわわ!」
 エースの眼前にゴーストが突如現れ、面食らった様子で後ずさっていく。三人はエースの周りをくるくる回った。
『全く、若いもんは遠慮がないというか、風情がないというか……』
『あーあー若い若い、油断も隙もない!』
「無いからそういうの!こんなヤベー奴相手に!」
『ホントかなぁ~?』
 三人は代わる代わるエースを威嚇していたが、不意に一番年嵩らしい、細長いゴーストが僕を振り返った。
『ユウ、気にしないで寝ておいで』
 それに続いて二人も笑いかけてくれる。
『変な事しないように見張っておくからね!』
『うちに冷蔵庫は無いから盗み食いの心配はないけど、念のため~』
「本当に何もしないってば!」
「……談話室のソファも悪くないから。僕が寝た時よりは綺麗だし」
「フォローになってねえよ」
「じゃあ、おやすみ。また明日ね」
「はいはいおやすみ、また明日」
 談話室を出て腕の中を見れば、すでにグリムは夢の中だ。またさっきのように足音を立てないように二階へ上がり、ベッドに潜り込む。今度は朝までぐっすりと眠る事が出来た。

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