4:沙海に夢む星見の賢者
スカラビア寮の談話室は、他の寮と比べても広く豪華だ。宴会場としての役割も兼ねているので、所属寮生以上の人数を収容できる事を想定して設計されている。
本来は寮長が座っているべき席に、バイパー先輩が座っていた。傍らには巨人が佇んでいる。
不気味な雰囲気だった。バイパー先輩は上機嫌だが、周囲に控えている寮生は誰もが無表情で虚ろな目をしている。
『食料も飲み物も、全部持ってこい!今日は宴だ。阿呆な王が消え、真の実力者が王になった記念日だからな!』
言われた通りに寮生たちは給仕している。仕事のない寮生は壁際に整列しているが、こちらも目に生気がない。全員が洗脳魔法の支配下にあるようだ。
「仰せの通りに、ご主人様……」
「ジャミル様こそスカラビアの王にふさわしい……」
「ジャミル様、万歳!」
『ははは、そうだろう。もっと言え。俺を褒め称えるがいい』
「あなた様は、とてもハンサムで……」
『ほう?』
「色黒で、背が高くて……」
『それで?』
「目が吊り上がっていて、とても賢そうです」
『それから?』
「肩がイカってて……」
「見るからに強そうな感じだな!」
「ステキですぅ」
駄目押しで全力の可愛い声を出す。グリムの毛が逆立っていた。
『ふん、なかなかの褒め言葉じゃないか…………って、お前たちは!?』
バイパー先輩は驚いた顔で僕たちを見回す。
『時空の果てまで吹き飛ばしたはずだ。この短時間でどうやってここまで戻ってきた?』
「渇いた川に水を満たして泳いで帰ってきた!」
「思ったより遠くて、かなり疲れた~」
『なんだと!?』
驚きつつも、その手段にはすぐに思い至ったようだ。見下すような顔でアジーム先輩を見る。
『お前の魔法にも使い道があって良かったじゃないか。植木の水やりか、お遊戯くらいにしか役に立たないくだらない魔法だと思っていたのに』
「カリムさんの力を侮っていたようですね」
アーシェングロット先輩が笑みを浮かべて言う。
「ろくに考えもせず見下しているから、その魔法が持つ可能性にも気づけない。『有能』が聞いて呆れます」
「ジャミル」
アジーム先輩が一歩前に出た。蛇の巻き付いた黄金の杖を取り出す。
「お前がオレをどう思ってたか、よくわかった。間違いなく、お前は卑怯な裏切り者だ!」
『馬鹿め。疑いもせず信じる方が悪いんだろ?』
「……お前は自分が王になったと言っているが、寮長の杖はまだオレの手の中にある」
バイパー先輩の顔から笑みが消える。アジーム先輩も一歩も引かない。
「お前は真の王じゃない」
『下らない詭弁だな』
「正式な手続きを踏んでないのは事実だろ。スカラビアの寮長として、オレは今のお前を王とは認めない!」
バイパー先輩が立ち上がった。後ろに控えていた巨人も殺気を放つ。
アーシェングロット先輩たちも臨戦態勢に入った。一気に緊張感が増す。
全身に気力が満ちる。指の先まで、体中の感覚が開いた感じがした。拳を握りしめる。
「お前が王を名乗るなら、杖を力づくでも奪ってみせろ。オレを負かしてみせろ!!」
『一人じゃ何も出来ないくせに負かしてみせろ、だぁ?』
「おや。集団の統率もリーダーの実力ですよ」
「僕たちが加勢したら勝てませんか?」
「ウミヘビくん、強いんでしょ?不利な状況なんてひっくり返してみせなよ」
オクタヴィネルの三人は容赦ない。バイパー先輩の目許が苛立ちで震えているように見えた。
『……いいだろう。そこまで言うなら見せてやろうじゃないか』
正面からの圧力が一気に増す。グリムが肩に乗ってきた。
『思い知るがいい。この俺の本当の力を!!』
巨人の拳を、アーシェングロット先輩の展開した防衛魔法が受け止める。アジーム先輩が光の弾を放ってバイパー先輩を狙うが打ち消されてしまう。
「ふなぁぁぁぁぁ!!」
グリムはアジーム先輩の肩に飛び移り、そのままバイパー先輩に飛びかかった。タイミングを合わせて前に走る。炎を払ったバイパー先輩と目が合った。特に何かされた気配はない。
まっすぐ出した拳は軽々と防がれる。まずはお互いに様子見だ。僕が先輩の出方を探っているのに対し、向こうも僕たちの作戦を警戒している。相手の拳を避けては自分も避けられるのを繰り返した。
『何を企んでいるんだ?』
「手の内を明かすわけないでしょう?」
同時に飛び離れる。やはり巨人はバイパー先輩にぴったりとくっついていた。
『そうじゃないんだよ』
「は?」
『お前の目的は何だ?何のために学園長に取り入ってる?』
なんかきょとんとしてしまった。相手も予想外の反応だったのか固まっている。
「取り入ってる、って」
『学園内の騒動に首を突っ込んで、お前に何の得がある?』
「別にないですし好きでやってないです。今回の事に至ってはアンタに巻き込まれたんですけど」
『これまでは学園長の差し金だろう?どんな報酬が提示されてるんだ?』
「衣食住の確保です」
『…………それだけ?』
「騒動に首を突っ込む対価という意味では、そうですね」
「学園長のヤツ、オレ様たちをこき使う事に味をしめてるんだゾ」
ちょっと呆気に取られている。僕たちに何を期待していたんだこの人。
「ご期待に添えず申し訳ないですが、まぁ世の噂の真相なんてそんなもんですよね」
構えを正して相手を睨む。心を落ち着けて神経を研ぎ澄ました。
向こうも再び構えた。数秒の間を取って、互いにぶつかり合う。とても動きづらそうな衣装なのに、実際は蹴りも自在に放ってくる。早々に帽子はぶっ飛ばされたが、まだネクタイが残っているので詰んではいない。とはいえ、相手が継続的に洗脳魔法を使っていれば、どこから防壁を展開しているかなんてすぐに予想できるだろう。油断は出来ない。
宣言通り、巨人の攻撃は全部アーシェングロット先輩たちが防いでくれる。僕たちの仕事は時間稼ぎだ。
アジーム先輩の光の弾を巨人の手が払う。そのまま僕とグリムを潰そうとした手が防壁に阻まれた。後ろの方で呻き声が聞こえた気がしたけど構っている余裕はない。
重心を低く取って、足技をメインに据えた。距離を取りつつ振りの鋭さを意識し、ダメージを一点に集中させる。洗脳対策としては弱いけど、ネクタイを守って戦うには丁度良い。
僕が戦い方を変えたのを見て、バイパー先輩の応戦も激しさを増す。腕力はキングスカラー先輩ほどじゃないけど、芯を捉えるのが上手い。無意識のダメージの蓄積を最も警戒するべき相手だ。
『戦い方まで変えられるのか?意外と器用じゃないか』
「これは、お手本が身近にいるんで!」
互いに繰り出した蹴りが交差する。足払いを避けるついでに上半身を下げて足を振り上げる。最低限の動きで避けられた。顔を狙った蹴りを左腕で受けて、蹴られた勢いに任せて転がって距離を取る。追いかけてきたバイパー先輩が何かに阻まれて弾かれた。
「へへーん、まぬけなんだゾ」
グリムが物理の防壁を顔面にぶつかる位置に仕掛けたみたい。ちょっとガラスに激突したみたいになってた。痛そう。
バイパー先輩の苛立ちに呼応して、巨人が暴れる。僕たちに当たりそうなものは防壁で守ってくれるけど、それ以外は床にぶつかってるので派手に揺れた。身動き取れずにぴょこぴょこしているグリムを掴んで肩に乗せる。
『俺は、自由になるんだ』
おそらくは催眠魔法を試みながら近接戦闘もこなして、かなり消耗しているだろう。疲れが見えてきて、その悲壮な思いも見え隠れする。
『誰にも譲らない。俺が勝つんだ!!』
それがずっと、彼の欲しかったもの。
「グリム、アジーム先輩をお願い!」
「ふなっ!?」
「うわったったぁ!?」
グリムをアジーム先輩に投げた。転んだ音はしてないから何とか受け止められているだろう。
勢いの乗った跳び蹴りをどうにか受け止める。前よりもずっと速い連撃を根性で耐えた。連携の隙間で前に出て殴る。防戦一方だった前のイメージが残っていたのか初撃は当てられたが、対応が早く連続攻撃には繋げられない。それでも食らいついていく。距離を空けさせない。
「同情なんてしないよ」
踏み込んだ瞬間に口から出ていた。
「従うのも刃向かうのも、選んだのはアンタだ。生まれがどうとか言い訳せずに、自分の行動には責任持てよ!!!!」
『黙れ!!生まれた時から従者の立場を強いられてきた俺の気持ちが分かるか!!!!』
「分かってもらえたら救われるの?分かってもらえないから悲劇の主人公の自分に浸ってられるんでしょ?本当は都合悪いって解ってるくせに!」
『知った口を聞くな!俺だってずっと努力してきた!!ずっと苦労してきた!!報われたいと思って何が悪い!!』
「自分の行動に言い訳してるヤツなんて、最高にダサいんだよ!アジーム先輩の事を笑う資格は、アンタには無い!!!!」
お互いに言葉にならない声を上げながら殴り合う。バイパー先輩の綺麗な連続攻撃は鳴りを潜め、感情のままにぶつかってきていた。
とっくの昔に機は満ちている。
アーシェングロット先輩に、最高のチャンスを渡したい。
感情の高まりを渾身の力と共に込めた右ストレートが繰り出される。まるでスローモーションみたいに、その瞬間が見えていた。握りしめていた左手で、防御をする気の無い相手の顎を狙う。
バイパー先輩の右拳が僕の頬を捉え、僕の左拳がバイパー先輩の下顎を殴った。僕は勢いのまま倒れ、同時に向こうでも倒れた音がした。
「…………ここですね」
後ろの方で光が瞬いた。
杖を掲げたアーシェングロット先輩に、双子が寄り添っている。
「吹っ飛べ!!!!!!」
先輩の杖から迸ったのは、特大の光の柱。レーザーみたいな。火花を散らしながらまっすぐにブロットの化身を捉え、談話室の窓枠をぶち破って押し出した。バイパー先輩と繋がっていたブロットが焼き切れる。
「ふおおおお~~~~~すっげええええええええ!!!!」
グリムが大興奮で歓声を上げる。アジーム先輩も呆気に取られていた。
光が消えて、アーシェングロット先輩と双子が揃って膝をつく。
「マジできっつ……三人がかりでこんなしんどいのかよ……」
「アズール一人では容量が足りませんでしたからね。……むしろ三人がかりで、足りてよかった」
「か、改良が必要ですね。やはり付け焼き刃の魔力蓄積には限度がある」
僕もどうにか起きあがる。バイパー先輩はまだオーバーブロットした姿のままだ。違和感を覚えると同時に、壊れた窓の方から物音がした。反射的に走り出す。
「ジャミル!!」
「ユウさん!!」
ブロットの巨人が黒い砂を撒き散らしながら、バイパー先輩に飛びかかる。間一髪、先輩を抱えて横に転がった。先輩のいた場所に、巨人の拳が叩きつけられる。床が砕けると同時に、巨人の両腕が破裂し砂に変わった。床に倒れ、腕を失ったまましばらく蠢いていたけど、身体がほつれていくのは止まらない。やがてインク瓶の頭部だけが宙に残り、床に落ちて派手に割れた。黒い液体はやがて砂に変わり、風に流されて砂漠へ消えていく。
そこまで見届けて、バイパー先輩を振り返る。オーバーブロットする前の、寮服姿に戻っていた。脈も呼吸も問題ない。脱力して床に転がった。