4:沙海に夢む星見の賢者



 数分、あるいは数十分。
 滞空時間は短いようで長かった。僕は周囲を見ている余裕など無かったけど、先輩たちは結構冷静だったらしい。着地の直前に魔法で勢いを相殺し、衝撃を軽減してくれた。それでもそこそこ勢いよくぶっ飛ばされたぐらいの衝撃はあった。
「イテテ……なんか最近こんなのばっかりなんだゾ~」
「遠くまで飛ばされた……のかな」
「うへぇ、マジで寒いんだけど……!流氷の下みてぇ」
「カリムさん。カリムさん。ご無事ですか?しっかりなさってください」
 ジェイド先輩が、気絶しているらしいアジーム先輩に声をかけながら揺さぶっている。
 顔を上げれば、そこは星明かりしかない暗い砂漠だった。どこを見ても砂と岩しか無くて、真冬より更に刺すように空気が冷たい。アーシェングロット先輩が、自分の羽織っていたコートを僕にかけてくれた。甘い香りが柔らかく鼻をくすぐる。
「あの、ありがとうございます」
「アズール。気持ちは分かりますが、寮服に戻して差し上げた方が対処としては的確だと思いますよ」
 照れくさそうにしていた先輩の顔が強ばる。即座にさっきまで着ていたオクタヴィネルの寮服に着替えさせてくれた。
「お、お手数おかけしました」
「いえ」
 そうこうしている間に、アジーム先輩が目を覚ます。ジェイド先輩も安堵した顔になった。
「よかった。気がつかれましたね」
「なんかめちゃくちゃ飛ばされたような感じでしたけど、ここはどこなんでしょう?」
「どうやらスカラビア寮のある時空の果てのようです」
「時空の、果て?」
「結界の端、とでも言うべきでしょうか。とにかく、寮から遠く離れた事には変わりありません」
 寮の建物内は人が生きるのに適切な温度が保たれているが、外は違う。砂漠であれば砂漠らしい気候となる。
「グリムさんは毛むくじゃらですし、僕たち人魚はある程度寒さには強い身体ですが……ユウさんとカリムさんは長時間ここにいるのは命の危険が伴いそうな寒さだ」
「箒も絨毯もありませんし、飛んでいく事はできません。どう致しましょうか」
「だるいけど、歩いて帰るしかなくね?」
 アーシェングロット先輩が首を横に振る。
「吹き飛ばされて着地するまでかなり滞空時間が長かった。徒歩で帰るには何十時間かかるか……」
 そこまで答えて、少しだけ複雑な顔をする。
「それにしてもフロイドのその声、落ち着きませんね。契約書を破って破棄しますから、元に戻しましょう」
 言うなり、手元に黄金の契約書を取り出した。雑に手で破れば、契約書は黄金の粒子となって消えていく。
「えー、結構気に入ってたのにぃ……」
 次の瞬間には、重低音がいつもの声に戻っていた。アーシェングロット先輩の言うとおり、こっちの方が落ち着く。
「アズールと契約してユニーク魔法を『貸す』だなんて、よくできますね。我が兄弟ながら感心します」
 ジェイド先輩が全くそう思ってなさそうな声で言う。
「なんだかんだ理由をつけて魔法を返してくれない気がするので、僕なら絶対にアズールと契約なんてしたくありませんよ」
「確かにアズールならやりそうだけどさ。オレ別に魔法が返ってこなくてもいーし。声に飽きたらまた別の契約すりゃいいじゃん」
「お前たち、聞こえてますよ」
 厳密に世界で一人しか使えないものではない、とは言えど、ナイトレイブンカレッジではユニーク魔法を己の個性として大事にしている生徒が多い印象だ。フロイド先輩の価値観は多分、少数派だろう。彼らしいと言えばそう。自分のユニーク魔法にすらいつか飽きてしまいそうだから、契約という形で能力を変えられるアーシェングロット先輩とつるむのは都合が良いのかもしれない。
 ふと、鼻をすする音がした。振り向けば、アジーム先輩が涙を流し鼻をすすっている。さっきバイパー先輩と対峙していた時の勇ましさは感じられない。
「う、うぅ……ジャミル……信じてたのに……」
「あれ、ラッコちゃん泣いてんの?涙凍るよ」
「オレのせいだ……!知らないうちに、ジャミルの事を追い詰めちまってた」
 反省と後悔。
 知らないうちに、という言葉が何とも傲慢だが、それを指摘してもしょうがない。
「ジャミルは、本当はあんな事するようなヤツじゃない!いつもオレを助けてくれて、頼りになるいいヤツで……ッ」
「いいヤツは友達をこんなところに飛ばしません」
 思わず口を突いて出ていた。
「え……?」
「本当に友達だと思っている人を命の危険になんてさらしません。助けてくれる?頼りになる?全部従者である自分を守るための打算でしょ。従者じゃなければあなたの事なんてとっくの昔に見捨ててますよ」
「で、でた。ユウのキツいツッコミ……」
「あー、でもオレも小エビちゃんと同意見」
 フロイド先輩が僕の頭に顎を乗せてくる。
「ラッコちゃん、イイコすぎるっていうか……なんつーか、ウザい」
「え、ウザ……?」
「そうですねぇ。もし僕があんな裏切り方をされたら、持ちうる語彙の限りに罵って精神的に追い詰め、縛って海に沈めますよ」
 物騒な発言を並べながら、ジェイド先輩も片割れの隣に立つ。……ちょっと中二病めいた発言なんだけど、この人本当に実行出来そうだし、実際にやりそうだから怖いよなぁ。
「それを自分のせいだなんて、いいヤツを通り越してちょっと気持ち悪いです」
「気持ち悪……」
 アジーム先輩は言われ慣れてない罵倒に戸惑っている。それでも頭を振って、まっすぐな目で僕たちに向き合った。
「いや、でも。ジャミルは絶対にオレを裏切ったりはしないはず……」
「いや、めっちゃ裏切ってるじゃん。しかもラッコちゃんに罪を擦り付けて追い出そうとしてたとか、マジでサイテーじゃん」
「卑劣さのレベルで言えばアズールと比べても見劣りしません。自信を持って『裏切り者!』と罵っていいと思いますよ」
 どんな自信よ、と思ったけど、まぁでも言わんとする事はなんとなく分かる。
 引き合いに出されたアーシェングロット先輩は双子を睨みつつ、わざとらしい咳払いをする。
「カリムさんの他人を信じ切った良い子ちゃん発言は僕やジャミルさんのようにひねくれた……いえ、計算で生きている人種からすれば、チクチクと嫌味を言われている気にすらなります」
 他人の善意を疑わない。他人の悪意を信じない。
 表面に書かれた全てを信じて生きる、素直な人間性。
 言葉にすると美点のようでいて、しかしどんな性質にも悪い面というのは存在する。
「小さい頃からずっとそうやってジャミルさんを追い詰めてきたんですね、あなた」
 アーシェングロット先輩が鋭く言い放つ。アジーム先輩も黙り込んだ。
 人と接するというのは鏡を見るようなものだ。他人の美しさに触れるほど、自分の醜さに嫌悪する。その逆もある。
 否が応でも見えるその鏡に向き合えば向き合うほど、像が正しく見えてしまう人間ほど、苦しみ続けなければいけない。
 鏡の方はこちらを見ていないというのに。
「ですが、あなたは何も悪くありません」
 先程と打って変わって、言葉だけは優しく甘くなる。でも目は全く笑っていない。
「あなたは生まれながらに人の上に立つ身分であり……両親や身の回りの人間から一身に愛情を受け、素直にまっすぐ育った。それゆえに無自覚に傲慢である……というだけですから」
「カリムさんの場合、生来天真爛漫な性分でらっしゃる気もしますが」
 恵まれているという事に自覚がない。
 その事実自体は決して悪い事ではない。誰とも関わらないなら。
 けれど現実にはそうはいかない。
 人にはそれぞれ事情がある。誰もが幸せに育ったとは限らない。
 その差を気にしなさすぎるのは、早い話が無神経なのだ。理解できないものは確かに存在するけれど、理解しようと考える事すら放棄するのは『理解しようとする価値すらない』と言っているのと同じ事だ。それは一方的な価値観の押しつけに他ならない。友達相手にやる事ではない。
 だからと言って、無理解で無神経な奴を殴ったりいじめたりして良いかというと、そんな権利は基本誰にも無いわけだが。バイパー先輩のように逃げ場が無い人間でも、そこは限度というものがある。
 アジーム先輩はいつの間にか泣きやんでいた。
「……そうか。ジャミルは、悪いヤツ……なのか」
「めちゃくちゃ悪い奴です」
「それなら、早く帰らなくちゃ」
 涙の残る目元を乱暴に拭いて、真剣な表情で僕たちを見る。
「アイツを殴って『裏切り者!』って言ってやらないと」
「一発じゃ足らねぇんだゾ!さらにオアシスまで十往復行進させてやるんだゾ!」
「ええ。それに、早くジャミルさんを正気に戻さなければ、彼自身の命も危ない。彼の魔力が尽きる前に戻らなければ」
 事態は一刻を争う。そこで論点は最初に戻る。
「だからさー、どうやって戻るの?早歩き?」
「そんなのんびりしてたらオレ様の鼻が凍っちまうんだゾ!」
「川でもあれば泳いで戻れたのですが……周辺の川はどこも干上がっているようですね」
 ジェイド先輩が言うには明らかな川の痕跡がいくつかあるらしい。いつの間に周辺をそんなに分析していたのか。
 そんな発言に、アジーム先輩が反応する。
「川?水が欲しいのか?」
「ええ。フロイドとジェイドが本来の姿に戻れば箒以上に速度が出るはずです」
 珊瑚の海での姿を思い出す。魔法でブーストしても突撃を避けるのが精一杯の速度だった。まっすぐ泳ぐ、となれば更に速度を上げられそう。
「しかし、渇いた川を元に戻すなんて、僕らには不可能……」
「川が作れれば、寮に戻れるんだな?」
「一番近くにある川の痕跡は、僕たちがやってきた方向……西に伸びています。確か、寮から東に十キロの地点にオアシスがあったと言ってましたね」
「ああ。涸れちまってカラッカラの木しかねぇけどな」
「恐らくはそこが水源、または水の留まる場所だったのでしょう。そこまでは通じている可能性が高い」
「そこから十キロ歩くってのか!?」
「運が良ければ、オアシスから先も川が続いているかもしれません。いずれにしろ水が通っていないと分からない事ですが……」
「オレ、できるぞ」
 オクタヴィネルの三人が目を見開いて固まる。
「オレのユニーク魔法『枯れない恵み』は少しの魔力でいくらでも水が出せるんだ。川を作るぐらい出来る」
「い、いくらでも!?」
「どれくらいの規模なんですか?」
「……僕の見た感じなんでアレですけど、マジフトのコートぐらいの広さに十分ぐらい雨を降らせてもケロッとされてましたね」
 アーシェングロット先輩がアジーム先輩に詰め寄る。
「な、なんですかそのユニーク魔法!?凄すぎませんか!?」
「あっはっは!普段は水道があるから全然役に立たない魔法なんだけどな」
「あっはっはじゃないですよ!まだ治水環境が整っていない国などでは英雄モノの魔法じゃありませんか!」
 先輩の口振りから察するに、世界規模で見れば『役に立たない』なんて事は無いようだ。
「そんなの、そんなの……商売になりすぎる!!!!」
「下世話なアズールの事は置いておいて」
 目を輝かせ妄想の世界に飛んでるアーシェングロット先輩を無視して、ジェイド先輩がアジーム先輩を誘導する。川の痕跡、とされる場所は、確かに少し砂が抉れていた。
「カリムさん。お願いできますか」
「川を作ればいいんだな。わかった!任せておけ」
 アジーム先輩が杖を取り出した。薄暗い砂漠の中で、彼の周りに光の粒が踊る。
「熱砂の憩い、終わらぬ宴。歌え、踊れ!」
 静かな暗闇も肌を刺す寒さもものともしない、太陽の輝きが涸れた川を見据えた。
「『枯れない恵み』!」
 光が弾けて消える。途端に、川に雨が降り注いだ。豪雨によって『川だったもの』が息を吹き返し、砂を押し流して道を切り開いていく。範囲を狭める事で効率を上げているらしく、前に見た時とは水が注ぐ勢いが全く違う。こんな調整が利くのなら『おいしい水がいっぱい出るだけ』なんて紹介は完全に詐欺だ。
「すげえ……みるみる川が水で満たされていくんだゾ!」
「ではフロイド。川が凍る前に行きましょう」
 ふと顔を上げた時には、人魚姿の双子が川に飛び込んでいる。
「アズール、グリムくん。僕の背中に掴まって」
「小エビちゃんとラッコちゃんはオレの背中ね~……って」
 フロイド先輩がはたと気づいた。
「小エビちゃん、にょろにょろしてるから苦手なんじゃなかった?」
「あ」
 アーシェングロット先輩が今気づいたという顔で僕を見た。
「だ、大丈夫です。多分」
「背中でゲロ吐かれるのはさすがにイヤなんだけど~」
「大丈夫です。苦手ですけど、敵対していなければまだ何とか」
「本当に大丈夫ですか?」
 さすがにジェイド先輩も少し心配そうな顔をしている。
「尾びれを見なければ、身体の感触は服で誤魔化せますし」
「あ、そっか。いざとなったらアズールのコートに吐けばいいじゃん」
「何て事を言うんだお前は!!!!」
 フロイド先輩に言われて気づく。さっき被せられたコート、まだ肩に羽織ったままだった。
「アーシェングロット先輩、コートお返しします」
「いえ、むしろしっかり着ておいてください。これから移動中は体感温度は更に下がるでしょう。少しでも体温を守ってください」
「あー……じゃあ、その。お言葉に甘えて」
「そもそもの話、今はカリムの方が薄着じゃねえか?」
「オレなら大丈夫だ。なんかテンション上がってきたし!」
「僕が前に座れば風避けにはなるかと」
「本当に大丈夫~?」
「助けてくれる方にゲロ吐くような真似はしません。絶対に」
 詳しい事情説明は出来れば避けたい。とりあえず実感として、多分、自分から触るのは大丈夫だ。嫌だけど。でも、先輩たちの上半身は人の姿なのだから耐えられるはず。
「ふーん……まぁいいや。とっとと行こ。乗って乗って」
 言われるがまま浮いている先輩の背中に跨がる。水は凄く冷たいけど、服が特殊な繊維なのか感覚が無くなるほどでもない。
「手は肩掴んで。ラッコちゃんは小エビちゃんに掴まっといてね」
「おう、わかった!」
「……本当にヤバかったら吐く前に言えよ?」
「ご心配おかけしてすみません」
 めちゃくちゃ嫌がられている。そりゃそうだなんだけど。
 手袋のおかげで手の感触は気にしなくて済む。滑らないように注意しないと。
「さあ、スカラビア寮へ向けて出発です!!」


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