4:沙海に夢む星見の賢者



「ま、カリムさんがジェイドのユニーク魔法にも屈さないほど強く想う相手など彼しかいないだろう。……と予想がついてたからこそ立てられた作戦ですがね」
 先輩の声を合図にしたわけではないだろうけど、大勢の足音が談話室の方から近づいてきていた。アジーム先輩がアーシェングロット先輩に並んで立つ。振り返れば全員来たんじゃないかってぐらい寮生が集まっていた。
「ジャ……ミル?これは一体……どういう事だ?」
「カ、カリム……」
 主従が見つめ合う。
「お、お前がオレを操っていたなんて……嘘だよな?最近たまに意識が遠のいて、いつの間にか時間が過ぎてたりした事があったけど……でも、ただの貧血か居眠りだろう?」
 アジーム先輩は、そうだと言って欲しくて問いかけている。
 画面越しに見ていた彼の自白を信じようとしていない。
「オレ、どこでも寝ちまうからさ。お前にもよく怒られてたし。なあ、そうだろ?オレ、居眠りしてただけだよな?」
 きっとバイパー先輩が肯定したら、何事も無かったような顔で笑ってそれを信じるだろう。彼はそれぐらいバイパー先輩を信頼している。
 それが彼に向けるべき感情に即した行動だと信じている。
「お前がオレを操るなんて、オレを追い出そうとするなんて、するわけないよな?ジャミル」
 バイパー先輩は俯いたまま答えない。
「お前だけは……お前だけは絶対に、オレを裏切ったりしないよな?だってオレたち、親友だろ!?」
「………はは」
 やっと、口元に笑みが浮かんだ。と思ったら、堰を切ったように大声で笑い出す。
 確かに口元は笑っているのに、鬼気迫る雰囲気があった。ジェイド先輩が無言で僕を背に庇う。アーシェングロット先輩やフロイド先輩の表情も険しい。
「お、おい。どうしたんだ?」
「……そういう所だよ」
「え……?」
「俺はな……物心ついた時から、お前のそういう脳天気でお人好しで馬鹿な所が大っっっっっ嫌いだったんだ!!!!」
 バイパー先輩が再び感情をぶちまける。仇敵を睨みつけ、長年の恨みを吐き出すような調子だった。
 それを受け止めるアジーム先輩の方は、ただ愕然としている。
「こっちの苦労も知らないでヘラヘラしやがって!!お前の笑顔を見る度に虫酸が走る。もううんざりだ!!もう取り繕っても意味がない」
 呼吸が荒れている。声も涸れ始めている。後悔も躊躇もどこかにはあっただろうに、派手に壊れた感情の堰はどうにもならない。
「俺はな、お前さえいなければと毎日毎日願い続けてきた。だが、それも今日でおしまいだ!俺も、家族も……なにもかも、どうにでもなれ!」
「ま、待て、ジャミル!」
「瞳に映るはお前の主人、尋ねれば答えよ、命じれば頭を垂れよ」
 アーシェングロット先輩はカリム先輩を、ジェイド先輩は僕とグリムを抱えて伏せた。フロイド先輩も素早く同じ体勢を取る。
「『蛇のいざない』」
 派手な爆音がするでもない。冷気や熱風が走る事もない。
 しかし確かに放たれた魔法は、彼を囲むように集まっていた寮生たちに降りかかる。
「あぁっ……?」
「ううっ……頭、が……」
 寮生たちが皆頭を抱えたと思ったら、人形のように直立する。見る限り例外は無い。
「なっ……まさか寮生全員を洗脳にかけただと!?」
 僕たちが避ける事を見越していたのかもしれない。あの詠唱を聞けば誰だってそう動かざるを得ない。一カ所に大量にいて身動きが取りづらかった寮生たち以外は。
「お前たち、カリムとオクタヴィネルのヤツらを外につまみ出せ!」
「はい、ご主人様……!」
 無数の声が重なっている。そして僕たちに向かって走ってくる。
「ユウさん、グリムくん、合流を優先します!」
「はい!」
 水の魔法や風の魔法で押したくらいではすぐに立ち上がってくる。人数が多すぎて効率が悪いのが救いだが、殴っても蹴ってもどこを狙ってもダメージが入ったように見えない。
 洗脳状態だから痛覚が機能していない。気絶すら出来ないようになっている可能性がある。
「信じられない。これほどの大人数を同時に、しかも個別に操れるなんて!」
 アーシェングロット先輩が掴みかかってくる寮生を吹き飛ばしながら叫ぶ。
「平凡なんてとんでもない。彼の魔力はスカラビアどころか学園の中でも間違いなくトップクラスだ!」
「コイツら何度絞めてもまた起き上がってくんだけど。ゾンビかよっ!」
 ゾンビならどんな殴り方でも罪悪感はないが、生きてる人間相手に無茶は出来ない。操られているのだから余計にだ。
 寮生に囲まれ、バイパー先輩との距離がどんどん離されていく。輪の中心で、アジーム先輩が声を張り上げた。
「ジャミル!もうやめろ、わかったから。お前が寮長になれ!オレは実家に戻るから……っ」
「はぁ?なに言ってんだ。俺の呪縛は、そんな事で簡単に解けはしない……カリム、お前がこの世に存在する限り!」
 呪いのような言葉を吐き出すほどに、寮生の攻勢が増す。
「いけません、ジャミルさん。これ以上ユニーク魔法を使い続ければ、ブロットの許容量が……!」
「うるさい!俺に命令するな。俺はもう、誰の命令も聞かない!!」
 ジェイド先輩の諫める声など届かない。
「俺は、もう自由になるんだーーーー!!!!」
 切望が喉から迸る。
 その直後、バイパー先輩が呻いた。寮生たちの隙間から見える彼が、喉を抑えてうずくまる。
「ジャミル!!どうしたんだ、ジャミル!!!!」
 アジーム先輩の声にも反応しない。
 その直後、詰め寄っていた寮生たちが一斉に脱力した。将棋倒しになりそうだったのを、咄嗟に先輩たちの魔法が受け止めて散らしていく。
 そうして開けた視界の向こうで、黒い液体にまみれて震えているバイパー先輩の姿が見えた。彼を中心に黒い水たまりが広がっている。
 黒い液体によって布が溶け、再構成されていく。身につけていた黄金のアクセサリーも黒く汚れて変形し、全く違う装飾となって身を彩った。活動的だった装束は魔術師のローブのように変形する。肩を飾る黒い液体は艶めいていて、こちらの方がより金属らしく見えた。
 バイパー先輩が起きあがると同時に、束ねられていた髪の毛が解ける。艶やかな髪に黒い液体がまとわりつき、編み直されていく。分かれた毛先が蛇の顔へと変化した。
 黒い液体は布のように頭部にまとわりつき、帽子のような形を取る。蛇を模した黄金の留め具が嵌まり、赤い鳥の羽と同じ色のベールが色彩を加えた。
 頭部や目元から流れた黒い液体が、メイクのように模様を描いていく。喉まで伝い落ち、衣装を仕上げていく。
「ジャミル……!!」
 アジーム先輩が駆けだしたと同時に、バイパー先輩の足下の水たまりが動いた。そこから飛び出した巨大な影が、拳を叩きつけてアジーム先輩を阻む。
 天井まで届く大きさの、つぎはぎだらけの巨人。顔面に当たる部分には細身のインク瓶が鎮座している。宿主の衣装と同じ赤と黒を基調とした体躯にくすんだ黄金の飾りを身につけていた。
 午後の暖かな日差しは消え、空は赤黒く染まっていく。空気が重々しく息苦しい。
「なんだあれ!?ジャミルの姿が!?」
「空模様まで変わっていく。これは、アズールの時と同じ……」
「……オーバーブロット!」
 アーシェングロット先輩の声と同時に、バイパー先輩の目が開いた。立ち上がると同時に、巨人が彼の後ろに控えて腕を組む。
 これまでのオーバーブロットと異なり、足下で化け物と繋がっているらしい。素足を彩る黒い液体で出来た靴は美しいようで、そこから化け物と繋がっている有様は足枷を思わせ悍ましくもあった。
『さあ、カタをつけてやる……こんな暮らしはもうおしまいだ!』
 理性的で穏やかだった声は、溺れているような濁ったものに変わってしまっている。狂気じみた笑顔をこちらに向けていた。
 アーシェングロット先輩が舌打ちする。
「援軍の見込みがない冬休みだというのに、厄介な事になりましたね」
「アイツも闇落ちバーサーカーになっちまったのか!?」
「そういう事みたい」
 話している間も、ブロットの影響か全身に圧力が襲ってくる。バイパー先輩の目はアジーム先輩を見ていた。
「ブロットの負のエネルギーが膨れ上がっていく……皆さん、構えてください!」
「コイツらどーすんの?」
「出来る限り守ります。……いえ、出来れば外に誘い出したい。いくら建物が広くても、この数を守りながら戦うには狭いし不利だ」
 問題は、こちらの打ち合わせはしっかり向こうの耳に入っている、という事だ。相手がこちらの不利な状況を見逃すハズがない。
 自分が囮になって誘導するのが一番良いだろうが、ネックなのは相手のユニーク魔法だ。オーバーブロットによる身体の変化の最中は一時的に切れたようだけど、オーバーブロット中でも本人のユニーク魔法は使えるはず。洗脳されれば確実に足手まといになってしまう。
「ユウさん、カリムさんを連れて出来るだけ離れてください。グリムさんはおふたりの護衛を。ジェイド、寮生たちの護衛を任せます。フロイド、出られますね」
「もちろん」
「かしこまりました」
「アジーム先輩、こちらに!」
 グリムを肩に乗せ、アジーム先輩の手を引く。
「ま、待ってくれユウ。ジャミルが……」
「その話は後で!」
「でも……!」
 説得の言葉を探している間に、殺気がこちらを向いた。というか、最初から多分、こちらしか狙っていない。防いでみろ、とでも言いたげな感じで巨大な拳が僕たちに向かってきた。アジーム先輩を抱えて横に飛ぶ。間一髪逃れたけど、食らったら人間なんてひとたまりもない。
「ユウ……!」
「今は逃げます」
「オレもアズールたちと戦う!」
「ユニーク魔法にかかりやすい僕たちが残るのは悪手です!」
「でも、オレだけ逃げるなんて出来ない!!」
「僕たちも逃げるんですけど!!」
「ユウ、また来るんだゾ!」
 思わず舌打ちして、アジーム先輩を突き飛ばした。空振りした巨人の拳がすぐに開かれ、そのまま床を叩く。そこから電流が迸った。
「しまった!!」
 アーシェングロット先輩の声と同時に、全身を痛みが走る。力が抜けて倒れ込んだ。突き飛ばした時にグリムも勢い余って飛んでいったので、アジーム先輩の真横にいる。二人とも電流の範囲からはかろうじて外れていたようだ。
 行動不能の時間は短かったが、捕縛には十分だ。巨人の手が僕の胴体を掴む。リーチ先輩たちの魔法は、バイパー先輩に妨害されていた。
『あまり暴れてくれるなよ。力加減を間違えるぞ』
 バイパー先輩の言葉は、アーシェングロット先輩たちに向けられていた。それをきっかけに攻撃が止む。
 巨人は僕の両手首を掴んで頭上に上げるような姿勢を取らせた。足はかろうじて動かせる。
『悪くない眺めだな。その服装だと味気ないが』
 バイパー先輩は意地の悪い笑みを浮かべて指を鳴らす。目の前が光に包まれたと思ったら、身体に違和感があった。思わず見下ろす。
 着ているものが鮮やかな緑色の衣装に変わっていた。明らかに女もの。織り込まれた金色の糸や金属の飾りが揺れる度にきらめくような意匠だ。ゆったりとしたパンツスタイルではあるが、胴回りは透ける素材だったり落ち着かない。
 いくらなんでもこれはない。
「なっ……!」
「おや」
「ウミヘビくんいい趣味してる~」
『なかなか似合うじゃないか。男には見えないぞ』
 嘲るような口調に苛立ち顔を見そうになったが、慌てて目を閉じた。途端に、首回りに細長い物が這う。悪寒が全身を駆け抜けた。
『おや、苦手な蛇をどかさなくていいのか』
「……っ、マジで悪趣味……!」
『さて、俺が悪趣味ならお前の姿を見て喜んでるアイツらはどうなんだろうな?』
「失礼な。喜んでるのはアズールだけです!」
「よよよよよ喜んでないですけど!!」
「セクハラはんたーい」
「どの口が言ってるんだお前は!!」
 声しか聞こえないけど、意外と余裕そうだな。
 とはいえ耳だけで状況の把握は厳しい。アジーム先輩は逃げられただろうか。グリムが上手く誘導出来ていればいいけど。
『なあ、アズール。好きな子が他の男にしなだれかかってる所を見るのと、好きな子から言葉を尽くして罵倒されるのならどちらが良い?』
「どっちもイヤです!!!!」
『なるほど。じゃあ両方だな』
「やめてください!!!!」
 アーシェングロット先輩の声が涙声なんだけど。演技だよね?これ。
 顎を掴まれる。近い所にバイパー先輩の気配がある。
『さあ、瞼を開け。その綺麗な目を見せてくれよ』
 そう囁かれた途端、意思に反して瞼が動き出す。身体を操る魔法を使われた、という事のようだ。少しずつ少しずつ、視界が開きバイパー先輩の姿が見えてくる。
「ふなぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~っっ!!!!」
 グリムの雄叫びが聞こえた。巨人が手首から手を離した直後、グリムの呻き声が聞こえた。更に先輩たちの攻撃が重なって、バイパー先輩の意識が逸れる。自由になった手でとりあえず頬を殴った。
「ぐっ……!」
 踵で巨人の肘を蹴り上げる。驚いたのか手が緩んだ隙に飛び降りた。再び捕らえようとする巨人の横っ面を炎が襲う。
「グリム!怪我は!?」
「あるわけねえんだゾ!」
 肩に乗ったグリムは思ったより元気そうだ。
「身体を防衛魔法で包んで、カリムの水に打ち出してもらったんだ!アイツもなかなか役に立つんだゾ」
「当たる前に叩き落とされてたけどね」
「ですが、注意を逸らすには良いアイデアでしたね」
 双子に貶され褒められ、ちょっと複雑そうな顔ながらグリムは胸を張る。
 アジーム先輩は、静かにこちらに歩いてきていた。まだ表情は戸惑って泣きそうだけど、さっきと違って完全な臨戦態勢だ。
「ジャミル、正気に戻ってくれ!」
『うるさい!!』
「オーバーブロットの明らかな対処法は現状一点のみ。魔法士と繋がっている『ブロットの化身』を切り離す事!」
「早く対処しなければ……彼の魔力が尽きたらおしまいですよ!」
 しかし『外に誘い出す』という作戦がなかなかに難しい。
「もうやめてくれ!聞いただろ!これ以上やったらお前の命が危ないんだ!」
『それがなんだ?』
 バイパー先輩の声は一層冷ややかだ。弱者を痛めつける楽しげな気配が、アジーム先輩と対峙する瞬間だけ消える。
『命が危ない?どうせ俺もバイパー家も路頭に迷うのに。最悪の場合、俺は始末されるのに。どちらにしろ死ぬなら何も変わらない!!』
「そんな事にはならない!!」
『何も分かってないくせにデタラメ言うな!!』
「絶対にそんな事はさせない!親父を説得する!!だから……」
『出来もしない事ばっかり!自分じゃ何も出来ないくせに、何でもかんでも人に頼りきりのお人好しが、都合の良い綺麗事を並べ立てるな!!』
 宿主の怒りと苛立ちに呼応するように、巨人が暴れ出す。
 アーシェングロット先輩が僕とアジーム先輩を引き寄せ、リーチ先輩たちが防衛魔法を展開した。
 雷を纏った拳が防壁に叩きつけられると、全身に痛みが走る。先輩たちの防壁すら貫通する凄まじい威力。全員がその場に膝をつく。
「し、痺れるんだゾ~……」
「くそっ……」
「今のは反則じゃね~?」
『無能な王も、ペテン師も……お前らにもう用はない!』
 ブロットが変形し、布のように広がって僕たちをまとめて包み込んだ。ぎゅうぎゅうにまとめられて苦しい。
『宇宙の果てまで飛んでいけ!そして二度と帰るな!』
 凄くイヤな予感がする。目の前のアーシェングロット先輩の服を思わず掴んだ。
『ドッカーーーーーーーン!!!!』
 今までに聞いた事がない、とても楽しそうな声だった。
 次の瞬間、とんでもない爆発音と同時に身体に衝撃が走る。身体がどこかに持っていかれる感覚。先日、魔法の絨毯で味わわされた超高速の飛行に近い。
 全員揃って悲鳴を上げる。
『ナイスショーーーーーット!フハハハハ!あばよ、カリム!!』
 狂ったようなバイパー先輩の笑い声が、一瞬で聞こえなくなった。


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