4:沙海に夢む星見の賢者



 休憩を終え、寮生たちは再び談話室に集まった。スカラビアは勤勉な寮生が多い寮だけに脱走どころか遅刻してきた者すらいない。
 カリムとアズールの話し合いの結果、冬休みの課題が進んでいない事に危機感を覚えるべきだろうと結論した。よって、午後三時までは自習時間と設定された。進めたい課題を持ち寄り、先ほどと同様に教えあいながら進めていく。
 オンボロ寮の二人の課題は同じ学年の生徒にコピーしてもらった課題の答えを別紙に書いておき、後で写す形を取るようだ。グリムがカンニングしようとしてもジェイドが見張っているので出来ない。フロイドはいつの間にかいない。
「スカラビアの皆さんは占星術や古代呪文語が得意な方が多いのですね」
 カリムはアズールと雑談しながら課題を進めている。もはやアズールはカリムの側近のように振る舞っていた。
「砂漠の魔術師は『先読み』を得意としていたから、そういう魂の資質を持った生徒が集まりやすいらしい。オレはどっちも得意じゃないんだけどな」
 自分の不得手を快活に笑い飛ばす。
「砂漠の魔術師は、自然エネルギーが必要とされる占いを人工的な装置を用いて成功させたと聞きます」
 占星術。『占い』と付くだけにイマジネーションの影響が大きい科目かと思えば、その実は測量と計算、統計が中枢にある学問だ。
 古来より占いと言えば、やれ亀の甲羅がどう割れただ、木の棒がどっちに倒れただ、顔のほくろの位置がどうだと、偶然に意味を見いだすものだった。
 その中で、数字から運命を割り出そうとしたものこそが『占星術』である。
 まずその起点は生まれた時に必ず得る数字、つまり生年月日だ。そこに生まれた場所、生まれた時間、その時に空に輝いていた星、といった情報を細やかに重ねていく。そこへ辿った運命、転機、その時に輝いていた星の情報を集めていった。
 占星術という学問は占いという分野にあって、脈々と受け継がれる中で無数の情報を束ね精査してきている。
 そうして集まった情報を元に、今度は星の動きから『その日に生まれたものが辿りうる運命』を逆算していくのだ。星の動きは基本的に常に一定だ。雲に阻まれ見えない事があっても、その向こうに必ず星は輝いている。星の動きを暦の数だけ巻き戻せば、生まれた日に輝いていた星が判る。
 始まりが判れば、過去から現在までに集めた情報から、もっとも確率の高い未来を指し示す事が出来るのだ。
 魔法士がこれで何を学ぶのかと言えば、複数の情報把握だ。
 例えば『生年月日』と『生まれた時間と場所』という情報が与えられたとする。ここから『生誕時の星図』を求められたなら、現在の星図から逆算して正しい範囲を示す。『最も確率の高い転換期情報』を求められたなら、そこから更に星図の計算を進め、問題に付いてる資料図表から該当するものを選ぶ事になる。
 情報量が膨大なので、大抵は資料参照や計算機、星図等の持ち込みが許可されている。むしろ無いと詰む。
 まれにこの学問に病的に心酔していて星図を丸暗記しているような手合いもいるが、現代的には『手に入れた情報を元に膨大な情報から必要なものを的確に見つけだす』、『測量事実を元に正しい計算式を構築する』といった能力が求められる。
 この占星術という学問の基礎となる部分の発展に貢献したのが『砂漠の魔術師』だ。アズールの述べた通り、当時としては珍しい人工的な装置を用いて占星術を行使し、国の発展に貢献したとされている。現代の魔法士たちが尊敬すべき大先輩だ。
「占星術が他の魔術に比べて体系化が早かったのは先進的な考えを持つ彼の功績も大きかったのではないでしょうか」
「へぇ~。やっぱグレート・セブンってすごいぜ!」
 カリムは無邪気に笑っている。ジャミルには本当に理解しているとは思えなかったが、かといって指摘する気も起きなかった。
 砂漠の魔術師の熟慮の精神に基づいたスカラビア寮の寮長ながら、そんな重要な逸話もろくに知らず『すごい』で済ませてしまう脳天気さ。それを特に誰も気にしない寮の有様。
 口の奥が苦い。歯痒くてたまらない。
 ジャミルは不快感を抱えながら課題に取り組んでいた。見た目は涼しい顔をして、アドバイスを求める寮生にも気さくに応じる。カリムはアズールがつきっきりで指導しているので、こちらには来なかった。少しもこちらを気にする様子はない。
 カリムが一時アズールに依存したとて、それが何だ。
 何の問題の解決にもならない。
 この『合宿』とかいう茶番が終われば元通り。
 主従関係は変わらない。
 あいつらさえいなければ。
 あいつらを排除しなくては。
「……おや、もうすぐ三時だ」
 アズールが時計を見ながら呟く。穏やかに寮生たちに微笑んだ。
「もう少し勉強をしたら休憩を取りましょう」
「お茶を準備してきましょうか?」
「いえ、僕が準備しましょう。一番課題が進んでいますので」
 ジェイドの申し出をアズールが断った。すかさず席を立つ。
「俺も手伝おう」
「それは助かります」
 アズールは疑わない。妙に人の良さそうな笑顔を浮かべていた。
 何を企んでいるのかなんて、もうどうでもいい。こいつを排除する事が最優先だ。
「では行きましょうか、ジャミルさん」
 談話室と同じ建物にある厨房に向かう。寮生たちは談話室に集まっているので、廊下は静かだ。午後の日差しが降り注いでいる。
「現時点で寮生の課題の達成度は平均で約一割上がっています。課題の量を考えれば、なかなかの成果です」
 アズールは満足げに語っている。ジャミルはその背中を無言で睨みつけていた。感情の読みとれない視線に、アズールが気づく事は無い。
「ユウさんたちからカリムさんが情緒不安定にあると聞いていたのですが、僕らが来てからは彼の心も落ち着いている様子。カリムさんも寮生からの信頼を取り戻せそうで良かったですね」
「…………それじゃあ、困るんだよ」
 ジャミルの喉から声が溢れる。アズールの表情からやっと笑顔が消えた。
「悪いが、これ以上君らをスカラビアには置いておけない。海の底へ帰ってもらおう」
「ジャミルさん、急にどうしたんです?僕、何か気に障る事でも……?」
 教師の前でしか見せないような、殊勝な態度をしてみせる。似合わない表情を見ていると吐き気を催しそうだった。
「本当にわからないのか?この俺の、悲しい顔を見ても?」
「え……?」
 目を伏せれば、アズールが歩み寄ってくる。顔を覗きこんだ瞬間に目を見開き、アズールの目を捉えた。
「……俺の目を見たな。馬鹿め」
 ユニーク魔法の発動条件は揃った。ジャミルが目を離さない限り、アズールは視線を外せない。
「瞳に映るはお前の主人。尋ねれば答えよ、命じれば頭を垂れよ。『蛇のいざない』」
「なにっ!?」
 アズールが後ずさった。発動した後ならば視線は外せる。しかしもう遅い。頭を抱えて苦しむ様を、ジャミルは笑顔で見下ろしていた。
「……うぅっ、頭が……っ!」
「抗えば苦痛が長引く。さっさと諦めて従うんだ。……さあ!」
「うう、う…………」
 一頻り呻いた後、アズールはゆっくりと顔を上げた。ジャミルをまっすぐに見つめている。
「……アズール、お前の主人の名は?」
「僕の主人は…………あなたさまです、ジャミル様。なんなりと、ご命令を……ご主人様」
 ジャミルの喉から笑いが迸る。
 あのアズール・アーシェングロット相手にユニーク魔法を成功させた事が、とてつもない充実感を与えていた。
「俺を『平凡な魔法士』と思って油断していたな。オクタヴィネルの寮長ともあろう者が、ザマァない」
 罵倒は止まらない。これまでのストレスを吐き出すように話し続ける。談話室とは十分な距離があるのだから、気にする必要もない。
「全く……お前らのせいでコツコツ進めてきた計画がパァだ!あともう少しでオンボロ寮のヤツらが寮生を焚きつけて、カリムを追い出してくれそうだったのに!」
 オクタヴィネルにとってはたった一日か二日の干渉だが、ジャミルにとっては一生に等しい時間抱えてきた無念を握りつぶされるような心地だった。
「俺の手を汚さずにカリムを寮長の座から引きずり下ろすために、一体どれだけ面倒な下準備をしてきたと思ってるんだ」
 そこまで吐き出して、ようやくジャミルは落ち着いた。冷静に作戦を組み立てる。
 移動するまではフロイドの邪魔が入ってくるかと警戒もしていたが、結局姿は見せなかった。やはり気まぐれにどこかに遊びに行ったのだろう。それで寮長を操られているのだから無様な事だ。
「まずはアズールに命令して双子と共に珊瑚の海へ帰省させて……いや、待てよ」
 ジャミルは傀儡に問いかける。
「アズール。君は先日、契約で奪った能力を元の持ち主に返還したんだったな?」
「はい……」
「ではランプの魔神のようにコイツを便利に使う事は無理か」
 アズールの能力を取り上げるユニーク魔法は非常に価値が高い。代償があっても見習い魔法士には扱えないレベルの魔法だ。それを使えるというだけで利用価値はあるのだが、問題はアズールも寮長クラスの魔法士であり、高い魔法耐性があるという事。無限に操り続けるのは不可能に等しい。今の洗脳状態もいつ解かれるか分かったものではない。
 思案するジャミルに、傀儡が進言する。
「……ですが、契約の内容は覚えています」
「なに?」
「僕と契約するに至った人物の秘密……悩み、弱み、欲望……僕はすべて覚えている」
「なんて趣味の悪いコレクションだ。やはりお前とは友人にならなくて正解だったな」
 アズールの反応はない。傀儡なのだから当然だ。
「……その悪趣味なコレクションの中に学園長……ディア・クロウリーの秘密はあるのか?」
「もちろんです。彼が漏らされたくない秘密を、僕は知っている」
 即答だった。ジャミルの口元が笑みの形に歪む。
「は、ははっ……やった。やったぞ!これで、すべて上手くいく!やはりお前は俺のランプの魔神だ、アズール!」
 無機質な目で、アズールは疑問を口にする。
「ご主人様は、学園長の秘密がお望みなのですか?」
「そうだとも」
 ジャミルは答えた。傀儡のつまらない質問は、なけなしの抵抗なのだろう。稀にある事だが支障はない。精神の抵抗の方が露出しやすいだけで、魔法の効果が続いている限りは命令を拒否する事は出来ない。
「学園長の弱みが握れれば……やっと俺は自由になれる……学園からカリムを追い出し、寮長になれるんだ!」
 やっと願いが叶う。
 夢のような状況に、ジャミルは涙を流さんばかりに喜んでいた。



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