4:沙海に夢む星見の賢者



 アズールはカリムたちを含めたスカラビア寮生たちを大食堂の厨房に集めた。
 合宿中の食事の用意は当番制だが、今回は全員が集まっている。少し狭いくらいだ。
「僕たちのような育ち盛りに一番大切なもの。それは……そう、食事です!」
 アズールがこれ以上無いくらい真剣な顔で声を張り上げた。食事に関わる話だとやたら迫力がある。店をしているとそういうものなのだろうか。
「必要な栄養素を過不足無く。かつ腹八分目に摂取する事が午後のパフォーマンスに影響を与えます」
「調理は食物に関する知識や、健全な食生活を得るためにも非常に重要です」
「フロイドから聞いた所、皆さんの料理の知識にはばらつきがあるご様子。プロ級の料理の腕前であるジャミルさんの代わりを務めるには不安がある。ここいらでひとまず、基本的なおさらいをしてみましょう」
「代わりに、あなた方の持つスパイスの知識などを、我々にご教示ください。一丸となって、美味しい昼食を作りましょう」
「よろしくね~」
 オクタヴィネル寮の三人は手際よく寮生をチームに分けていき、それぞれにやる事を指示していく。その手腕をカリムは目を輝かせて見つめ、ジャミルは訝しげに見ていた。
「当番制というのは実に効率的ですが、きちんと実力を把握してバランスを整えなくては負担が重い」
 出来ない人間ばかりが集まれば、料理の出来は期待できない。
 かといって、出来る人間が一人いればいいかと言えば、それはそれで負担が集約するので望ましくない。
「出来ない人は出来る事を完璧に、出来る人は出来ない人にも任せつつ自分の仕事をし、それが過不足のない出来に繋がると尚良い」
「理想論だな」
「何事も理想に向け努力するものでしょう?それには現状把握が大切です。現在位置と理想の差を正確に測らなければ、必要な行動を選ぶ事も出来ませんから」
 ジャミルは寮生たちを見回す。もうすっかりオクタヴィネルへの疑念は無く、言われるがまま一生懸命に料理をしていた。
 そんな姿を見て、隣で見ていたカリムもぼそりと呟く。
「オレもたまには料理してみようかな?自分で作れれば、毒の心配もしなくていいし……」
「やめとけ。また怪我をするぞ」
 ジャミルがすかさず諫めたが、フロイドが横から口を出す。
「んじゃ、ラッコちゃんは鍋かき混ぜる係してよ」
 それなら怪我しようがないでしょ、と言い添えると、カリムは見るからに顔を輝かせた。
「スープを焦がさないよう、しっかり見張っていてくださいね」
「おう、わかった。任せとけ!」
 止める間もなくフロイドの隣に向かった。フロイドは手際よく見本の調理を進め、寮生たちがそれに倣う。炒めた具材に水を差し、煮込みの段階に入ったそれをカリムに引き継いだ。
「じゃあ、底の方からゆーっくり、かき混ぜてね」
「わかった!」
 カリムはフロイドの手本と同じようにかき混ぜはじめる。厨房には熱気と共に食材やスパイスの香りが立ちはじめた。
「チキンソテーに使うスパイスはどれが良いでしょう?」
「ええと、……副寮長はこれと、これを多めに……」
「もう少し主菜を増やしましょうか?午前の運動量が思ったより多かったですし」
「羊肉の串焼きとかどうでしょう?今日は手も多いですし、割と手早く出来るかと。寮にまだストックがあるはずです」
「スパイスの配合も副寮長から教わりました!」
「良いですね!そういったアイデアは大歓迎です!」
「サラダのドレッシング作れるヤツいるー?」
「あ、はい、この間作りました」
「ちょっと作ってみてくんね?味が似るとつまんないじゃん」
「はい!」
「雑用班、根菜類カット完了でーす」
「豆の準備も終わったんだゾ」
「お疲れさまです。各班に配ったら、包丁が使えない班員はサラダ係に回して、包丁が使える班員は羊肉と串が届き次第、串打ちに加わってください」
「了解です」
「ちぇっ、サラダ係か……つまんねーんだゾ」
 ジャミルはただ、料理が出来る様を眺めている。自分が何もしなくても動いていく世界を見ている。
「それにしても熱砂の国の料理は興味深い。モストロ・ラウンジでフェアをやったら盛り上がりますかね」
「そうか!?アズールも興味持ってくれたか!」
「ええ。スパイスの豊富さ、その組み合わせの奥深さ……非常に魅力に溢れています」
 カリムは故郷の料理に他国の出身者、それも人魚という生活領域が大きく異なる存在が興味を持った事を純粋に喜んでいる。
「もし本当にやるなら、オレにも手伝わせてくれよ!」
「良いんですか?」
「もちろん!今回の合宿のお礼にもなりそうだしな!」
「カリム、鍋見ろ」
 ジャミルが思わずといった様子で声をかける。カリムは慌てて鍋に視線を戻しかき混ぜてから、再びアズールに向き直った。
「必要なスパイスは取り寄せるし、なんなら本場のシェフを呼んでレクチャーもできるぜ!」
「それは素晴らしいですね。是非実現させたい」
 めんどくさそうな顔でサラダをボウルから跳ねさせて混ぜていたグリムだが、寮長たちの会話を聞いて顔を輝かせる。
「モストロ・ラウンジでもジャミルが作ったみてーなメシが食えるって事か!」
「少しアレンジをする事にはなるでしょうが。せっかくカリムさんの助力を頂けるなら、熱砂の国の方にもご納得いただけるものにしたいですね」
「へぇー、楽しみなんだゾ!」
 きっとすぐ実現するものとして、若者が未来を語る。
 誰も彼も笑顔でそれを聞いている。聞きながら、手を動かしている。
 暗い目でそれをただ見つめている視線には誰も気づかないまま、時間は過ぎて料理は完成していく。
 カリムがかき混ぜていた鍋に、フロイドが調味料を加えて味を整えていく。最後の仕上げを終えた所で、新しい小皿にできたばかりのスープを取り分けカリムに差し出した。カリムはそれを受け取り、口に運ぶ。少し不安そうだった目が、見る間に輝き始めた。
「出来た……!なんだ、オレもスープくらい作れるじゃないか」
「本当に鍋をかき混ぜていただけだけどな……」
 ジャミルの溜息混じりのコメントは聞こえているのかいないのか、カリムは自分がかき混ぜていた鍋をニコニコと見つめている。その様子を、仕事を終えた寮生たちは明るい表情で見つめていた。
 焼き上がったパンをオーブンから大きな籠に積み上げ、たくさんの串焼きとチキンソテーをいくつもの大皿に盛り、蓋をしたスープ鍋をこれでもかというぐらいカートに積む。サラダも豆のマリネもキノコのソテーも、豊富なメニューを何台ものカートに分けて、慎重に寮まで運んでいく。
「さあ、昼食の時間を楽しみましょう!」
 アズールは上機嫌に笑って、カートの行列を先導していく。最後尾にいるジャミルの様子など、気づく素振りも無かった。


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