4:沙海に夢む星見の賢者
噴水を背に、アズールはスカラビア寮の面々に講釈を垂れる。
「勉強の効率を上げるには、適度な運動も大切。ただし、疲れ果てるほどは逆効果です」
あくまでも身体をリラックスさせるための運動であると念を押した。
「お話しを聞くとスカラビア寮では最近、防衛魔法の訓練に結構な比重を置いていたようですね」
「マジカルシフト大会では惨憺たる有様だったからな。まず攻撃を防ぐ基本に難があったと考えたんだ」
「なるほど」
アズールは納得した様子で頷いている。
「では訓練の成果を試すために、模擬試合と参りましょう」
「模擬試合はストレスも発散できますし、いい運動ですよね」
「アハッ、オレも暴れたいからやる~!誰か相手してよぉ」
「マジカルシフト大会を念頭に置くのならば、今回は地上ポジションの動きを想定しましょう。ディスクはありませんが、マジカルシフトはディスクを持つ者を狙う事ばかりが戦術ではありませんしね」
「ディスクを持たない選手をしっかりと抑える事で、パスルートを限定しディスクの攻防をやりやすくする。大事な事です」
「な、なるほど……!」
カリムはまたしても感動した様子だ。それぐらい俺でも知ってる、という苛立ちをジャミルは必死で飲み込んだ。
五人ずつのチームに分かれ、庭の端まで広がってそれぞれ対峙する。
「よし、試合始め!」
カリムの号令と同時に一斉に動き出した。先制攻撃に動くもの、それを読んで防御を固めるもの、距離を詰めるもの。適度な運動、にしては寮生たちには熱が入っている。
ジャミルの視線は、隣で試合をするオクタヴィネルの面々に向かっていた。ユウとフロイドが近距離での接戦を繰り広げている。フロイドのでたらめな動きをユウに任せる事で封じ、後衛同士は予定調和の撃ち合いを繰り広げていた。
ユウは防戦一方に見せて、なかなか攻めきらせない。フロイドも力押しすれば前進するのは解っていて、しかしそこに隙が出来る事も理解しているように見えた。
何より、随分楽しそうだ。自分と戦っていた時の、警戒しかなかった姿とはまるで違う。
ジャミルは思考する。防御を間違えたような素振りをしながら、すぐさま攻撃に転じつつ、頭は全く違う事に及んでいた。
つまり『ハシバユウ』とは何者なのか、という事だ。
戦闘能力を有し、人心掌握に長ける。学園長によって入学させられた魔法の使えない生徒。学園長の命令によって動き、学園内の騒動に介入する。
その情報だけを集めれば、学園長の手駒にしか見えない。働かせるために用意した者を、闇の鏡がどうだのこうだとトラブルを偽装して不正に入学させたとも考えられる。
その一方で、学園長の庇護下にいるとは考えられないような扱いも受けている。あのズタボロで何で残してあるのかよくわからない寮に住まわされたり、その寮も追い出されそうになったり、メイド服姿で下働きさせたり。
合理的でない回答として。
……本当に、彼は想定外の客人だったとしたら。
学園長は闇の鏡の起こした想定外のトラブルに行き当たりばったりに応えた。面倒事が起きたら、衣食住を盾に対処を丸投げしていた。戦闘能力も人心掌握も本人の資質でしかなく、ただ彼は身に降りかかった火の粉を持てる全力で払い、結果現在の立ち位置がある。
もしそうだとしたら、この名門校を束ねる学園長が魔力の無い子どもを捨て駒にするような、とんでもないひとでなしのアホだという事になってしまう。あれだけの魔法力を持つ者が。
さすがにそれはないだろう。可能性は消さないけどあってほしくはない。
……可能性と言えばもうひとつ。つまりは逆の話。
ハシバユウはおまけで、本当にこの学園に入学させたかったのが、モンスターであるグリムだった場合。
「そこまで!!」
思考が途切れる。最後の一撃を軽くいなして、寮長であるカリムを見た。
「……時間合ってたか?」
「ええ、丁度ですよ。それではクールダウンに軽く身体を動かして終わりにしましょう」
アズールの号令で、仕上げの体操を始める。体を伸ばして強ばった部分を緩めていく。深く呼吸して身体を静めた。
「試合って楽しいよな。特訓の成果が試せるし」
「はい、寮長!」
笑顔のカリムに、寮生たちがこれまた笑顔で応えた。苦いものを奥歯で噛みしめる。
「小エビちゃんやっぱりおもしれぇ~。めちゃくちゃ身体やわらかいじゃーん」
「こちらこそ、フロイド先輩の動きは予想がつかなすぎて参考になります」
殴り合いをしていた二人の会話はにこやかだ。ジェイドとグリムも合流して四人で雑談に興じている。
ハシバユウは、学園長の手先にしては不得手が多い。それすらカモフラージュだとしたらもう理解の範囲を超えている。
そもそも魔法士養成学校の生徒なのに魔法が使えない。通常の勉強も得意ではない。教師が温情措置の必要性を感じるほどの絶望的な音痴。そして、寮生から聞いた行動不能に陥るほどの決定的な弱点。
非常時のための駒にしては、随分と不出来に思う。他に何か、これを補ってあまりある特徴としては、……やはり同性を誑かすその性質、なのだろうか。
ヴィル・シェーンハイトのような、性別すら超越しうる完璧な美には程遠い。しかし人間は手の届かないものには清らかな憧れを抱くのに対し、手の届きそうなものには気安く欲望を向ける。
ハシバユウには後者の欲を集めてしまいそうな雰囲気が備わっている。愛らしさを認めながら捻じ伏せたくなるような、言葉に説明できない極めて感覚的な性質。そうしたものに狂わされる悲劇は、意外とそこかしこで起きている。
今は特に寮同士の抗争などは起きていないが、元々縄張り意識が強く行事の度に対立している同士だ。考えたくはないが、彼によってバランスが崩れる可能性は否定できない。
だが、それは学園長にとって忌避すべき状況だろう。だとしたら、やはり彼を学園に引き入れた事に深い理由は無いと考えるべきではないか。それか本当に、学園に入学させたかったのはグリムだったか。
もしくは。
彼に、自分たちでは知り得ない秘密があるとしたら。
「ねーねーねーウミヘビくん知ってたぁ?」
「んぁっ!?な、なんだ」
フロイドから唐突に声をかけられてジャミルは顔を上げた。声をかけたフロイドもジェイドも少し怪訝そうな顔をしている。
「小エビちゃんリズム感もズタボロなんだって」
「リズム感、も?」
「ご存じありませんか?監督生さんは災害級の音痴なんですよ」
「二年生にまで知れ渡ってたらさすがに恥ずかしいんですけど!?」
「そ、そうなのか」
サバナクロー寮の生徒が発信源となり、どの学年でも噂になっていたとジャミルは記憶している。それを言うとめんどくさくなりそうなので黙っておいた。
「僕はいいんですよ。そういうのは怜ちゃんの得意分野なんで」
「リョウちゃん?」
「双子の姉です。僕と違って、歌とかダンス得意なんで」
「おや、双子のご兄弟がいらっしゃるのですか?」
「はい。顔は似てませんけど」
双子が興味を引かれた様子で話を進めている。
……双子の姉。ジャミルが彼の家族の話を聞くのは初めての事だ。
彼が何という国の出身なのか、調べても地名すら把握している人間はいなかった。
黒き馬車が連れてきた魔力のない新入生。闇の鏡が届かない場所で生まれ育った魔法の使えない人間。
考えれば考えるほど思考は闇の中へと沈んでいく。答えを探すなと隠されているような感覚だ。
何もかもうまくいかない。
彼を引き込んだのは間違いだった。
不穏の黒雲の中で、同じ言葉が責め立てるようにぐるぐる回る。不満は着実に溜まっていた。