4:沙海に夢む星見の賢者
朝食を終えて食休みと簡単な筋トレを挟み、午前中の座学。
今日は古代呪文語だ。普段なら大量の単語テストや過去問の問題集が用意され、それを解いては答え合わせをし成績の悪い者を寮長が叱責する、といった流れが主だった。各自の課題は自由時間を費やさなければならない。
「まず前提として、何よりも先に冬休みの課題を終わらせなければなりません。それが終わらないまま別の事をするというのは精神的な負担になります」
いつの間にかアズールが中心に立ち、これまでの指導をばっさりと否定していた。
「ナイトレイブンカレッジの長期休みの課題は、前期の復習が七割、来期の予習が三割です。これをきちんとこなすだけでもしっかりと補われます」
宿題として配られた冊子を手に言い切る。既に全て目を通してないと言えない台詞だ。落ちこぼれは目を逸らしている。
「更に言えば。解らない部分をなあなあにして答えだけ覚えるようなテストばかりしても意味がない。なぜ解らないのかが分からない、なんて状態では何も頭に入りません。勉強とは点では無く線で行うものあり、積み重ねて知識の絵を織り上げるものです」
最後の方は分かるような分からないような、だが、寮生たちは何らかの感銘を受けている。カリムなんかめちゃくちゃに感激している。
それにしても妙に手慣れている。寮長だから人前で話す事に慣れているのは当然としても、胡散臭さがどうにも鼻につく。今の所は変な事を言っているとは思わないのだが。
アズールはそこまで話して、課題の進捗状況を確認した。大半があまり進んでいない様子だ。それ自体を咎める事はしない。
「まず、古代呪文語で一番大切なのは単語の暗記です」
正確に呪文を読みとるには、また呪文を構築するには、その単語の意味を知らなくてはならない。
口語は共通言語の浸透で問題なく、筆記も魔法道具による自動翻訳が常となった現代では、言語によるコミュニケーションは容易になった。
現代使っている者がいない古代呪文語はその範囲には無い。最新研究では既存の言語形態を逸脱したようなものも存在する。よって、学生が扱うものは例外の無い、既存の言語形態にも通じる部分がある汎用性の高いものだ。
魔法という技術が広く親しまれる以前より、その確立のために用いられていた特殊言語。妖精や精霊の言語をヒントに構築された、世界に干渉するための技術。通常と異なる単語や文法を用いる事で、魔法の発動率を上げるとされた。
魔法技術における『イマジネーション』の影響力が立証されると共に特異な言語を使う必要性は否定され、言語そのものが過去の文化となり、現代においては学ぶべき歴史の一部となっている。
「オレ、暗記って苦手なんだよな~。眠くなってきちまう」
「そんなあなたにピッタリな勉強法はコレ。『音読しながらその辺を歩き回る』です」
「集中力が長続きしないタイプの方にもオススメの勉強法ですね」
「それならオレ様にも出来そうなんだゾ!」
別に商品を紹介しているわけではないのだが、一昔前の通販番組みたいな話の流れにジャミルはうっかり笑いそうになっていた。彼らは真剣だ。水を差しては悪い。いや別に悪くないけど。
「おし、お前らも一緒にやってみようぜ」
「はい!」
寮長の提案に、寮生が元気よく返事する。
「では五分ほど、集中して音読してみてください。その後の三十分は課題を進めましょう」
「わかった!」
広い談話室の中を、寮生たちがうろうろと歩き回りながら音読する。たまにぶつかりかける者もいたが、諍いなどは起こっていない。カリムも辿々しく単語と意味を音読しながら歩き回った。
「はい、五分経ちました。では課題を進めましょう」
「うん!なんだか苦手な呪文が覚えられた気がするぞ!」
「それは何よりです。分からない事があれば気軽に質問し、教えあいましょう。答えを写すのだけはダメですよ」
アズールはあくまでも柔和に指導する。寮生たちは近くの生徒たちで教えあったり、また詳しい生徒を探して訊きに行ったり、協力して課題を進めている。一人で黙々と進めている者を邪魔せず、しかし尋ねられても邪険にはしない。一度共通の敵に団結したためか、以前よりも結束が強まっているとジャミルは感じていた。
面白くない。
胸に湧いた不快感をいつものように押し込めて、ジャミルも自分の課題を進める。あっという間の三十分だったが、カリムの世話も無く同室の寮生の事も気にせず進められる時間そのものは有意義に感じられた。
「では、次は身体を動かしましょう。運動着に着替えて庭に集合してください」
寮生たちがアズールに元気よく返事をする。もうすっかりアズールの言いなりで、カリムに至っては一番大きく元気な返事をしている有様だ。オクタヴィネルが仕切っている事に戸惑っていた寮生たちも、カリムの従順な姿を見て『寮長が大人しいのでひとまず様子を見よう』といった空気で従っている。ジャミルは内心落胆していた。
はたと気づけばカリムは既にオクタヴィネルの連中の手を借りて運動着に着替えている。完全にペースを奪われている事に危機感を覚えながら、焦りを必死に押さえ込んだ。