1:癇癪女王の迷路庭園
『おかえり、ユウ、グリム!』
『学園長から聞いたよ、明日から生徒として通うんだって!?』
『いつかはこうなるかもとは思ったけど、まさか一日でとは~』
ゴーストたちは自分の事のように喜んでいる。特に間延びした声のゴーストの言葉に首を傾げた。
「いつかはこうなるかも、って?」
『クルーウェルもトレインも、バルガスも君たちに教えたそうだったじゃないか~』
『まぁ、みんな教育熱心だからね。芽がある奴も無い奴も、学び舎にいる奴は見過ごせないのさ』
「……そういうものなのかなぁ」
確かに礼儀正しく接する分には親切にしてくれそうな気配がした。知識的には大きく遅れているだろうから、有り難い事ではある。
『さあ、水道と給湯設備は整えておいたぞ。シャワーを浴びておいで』
『全部の部屋じゃないけど、照明もつくよ。とりあえず使える部屋だけやってもらったから!』
『着替えもパジャマも買っておいたよ~。サイズは合ってるはずだけど、違ったら教えてね~。シャワーセットも浴室に揃えたよ~』
「あ、ありがとう。……そんなにしてもらって大丈夫?」
『大丈夫さ、君の働きぶりはなかなか評判になってたよ!』
『ほらほら、明日に備えて早く寝ないといかん。さっさと浴びておいで、ふたりでな』
追い立てられるように浴室に向かう。
ゴーストたちの言うとおり、浴室にはシャンプーにリンス、石鹸や洗顔料、タオルなどの基本的なセットが揃っていた。着替えも置いてある。大変に有り難い。
お湯は出たけど、まだボイラーが本調子じゃないのか、たまに水になる。疲れていたし割と雑に頭と身体を洗ったけど、土埃にまみれていたのでこれだけでも生き返った気分だった。
ついでに行水で済まそうとしたグリムを捕まえて、これまた用意されていた猫用シャンプーで洗っておく。動物を洗った事なんてないし、外まで響きそうな悲鳴を上げていたので、そこまで綺麗には洗えてないと思う。
首輪のリボンも石鹸で軽く洗って絞って干しておいた。だいぶ磨耗してる分薄いから、朝までには乾くだろう。
「はぁ……えらい目にあったんだゾ……」
ぐったりしながらも魔法石は大事そうに抱えていた。明日首輪に通すまでなくさないように見ておかないと。
『おぉ、終わったかい。談話室においで、遅いけど夕食を貰ってきたよ』
「やったー!腹ぺこなんだゾ!」
『……とは言っても、さすがにろくなものがなかったけどね』
談話室に入れば、朝見た時よりも綺麗になっていた。ソファの埃っぽさもなくなってたし、照明が点いて室内が明るい。綺麗に磨かれたテーブルの上にはスープポットとサンドイッチが二つ。ポットの中身はちょうど器に盛りつけてくれる所だった。
「十分な食事だよ、ありがとう。……帰る時間も知らせなかった僕らが悪いのに」
『なに言ってるのさ~、アレは仕方ないって~』
『調理設備が直れば、大食堂が閉まってももう少し温かいものを食べさせてやれるだろうに……』
『給湯まではどうにか出来たのに、設備が古すぎて解体しないといけないなんて』
『どこの寮も節目で改装して最新式になってるからね~、仕方ないよ~』
『キッチンを大工事……は予算的に無理じゃから、外付けの設備を買い足していくしかないのう』
気づけばゴーストたちの会話は何だか暗い。
何十年も放置されてた建物を、ここまで整えてもらっただけでも劇的な変化だし、ここで暮らす事になった僕としては嬉しい事なのに、落ち込まれるのは自分も悲しかった。
「ずっと誰も住んでなかったんなら仕方ないよ。ゴーストには食事もシャワーも必要ないんだしさ。あまり無理しないで、シャワーが浴びれるだけでも僕は嬉しいよ」
「オレ様は平気じゃないゾ」
グリムは僕の食べかけのサンドイッチを恨めしげに見つめている。スープ皿も空だ。手を出してこないだけ進歩してる、と思いつつ残りを平らげる。
『うう、やっぱりユウは優しいね……』
「でも本当に、僕一人じゃ直せないし水で洗う羽目になっただろうから、感謝してもしきれないぐらいだよ。着替えもサイズぴったりだったし、本当にありがとう」
『心が洗われるわい……』
『着替えね~、……実は、シャワーセットってほとんど貰いものなんだよね~』
えっ、という僕の声とゴーストたちの声が重なる。
『おかげで費用が浮いて、猫用シャンプーが買えたんだけど~』
『誰、誰からの贈り物!?』
『誰なんじゃ、これをプリンセスが使うと知ってて贈ってきたのか!ええい、吐け!』
『え~、それはヒミツ~』
『なんじゃと!』
『貰う時に約束したんだ、ヒミツにするって~。寮の備品を入れ替えた余りだって言ってたよ~』
いくら尋問されても、間延びした声のゴーストは一向に口を割らなかった。
プライドが高くて個人主義の、この学校の生徒の誰かが、善意の寄付をしたって事?
教師の可能性も捨てきれないけど、それなら名乗っても何も問題はないはず。学園長なら恩着せがましく言ってくるぐらいだろうし。
言われてみれば、リンスも洗顔料もあって違和感はないけど『最低限』のセットではない。これも寮の備品だったって事なんだろうか。自分は双子の姉がうるさかったから習慣になっちゃって自宅では使ってたけど、無くても平気だし、寮の備品でそんなに細々備えるものかなぁ。女子がいるならまだしも、ここ男子校だし。
『パジャマや下着選びにもアドバイスをくれたんだ~。お礼はいらないけど、プリンセスの名に恥じない姿でいてくれってさ~』
「……そもそも僕、プリンセスじゃないんですけど……」
『まあまあまあ、そこはいいじゃない。ね?』
『さっそく王子候補が現れたという事か……?これは油断ならんぞ……』
なだめられごまかされ、何となくグリムの方を見ると、いつの間にかソファの上で寝息を立てている。ゴーストたちと顔を見合わせ、揃って唇に人差し指を当て、微笑んだ。
『二階を一部屋キレイにしておいたよ。ベッドも新品同然だ』
しっかりと魔法石を抱えているグリムをそっと抱き上げる。踏み板が軋む階段が最大の難所だったが、どうにか起こさず辿り着いた。
案内された部屋は他の部屋と同じく古めかしくはあるが、掃除されて埃もなく綺麗だった。壁際には大きなクローゼット。こじんまりとした簡素なテーブルセットに、真っ白なシーツのかかったベッド。
一際目を引くのは、暖炉の上に飾られた大きな鏡だ。この世界では鏡は便利な魔法の道具として重宝されているらしい。
『立派な鏡だろう?間違いなく良い品だよ』
小柄なゴーストが言い添える。そうなんだね、と相づちを返しておいた。
グリムをベッドに寝かせると、心地よさそうにしている。
『学校に必要な物は明日の朝に届くから。今日はゆっくりお休み』
「本当に、何から何までありがとう。おやすみなさい」
にっこり笑って、ゴーストは消えていく。照明を落として、ベッドに潜り込んだ。グリムの寝息が隣から聞こえる。
ふと振り返り、闇にぼんやりと浮かぶ鏡を見つめた。何だかとても気になるけど、今はとてつもなく眠い。枕に頭を預ければ瞼が勝手に閉じて、意識は急速に眠りに落ちた。