4:沙海に夢む星見の賢者

 ………


 ジャミルは定刻通りに目を覚ます。いつも通りの身支度をして部屋を出た。
 合宿が始まってから、何も変わらないいつも通りの朝。朝の行進のために移動している寮生たちと挨拶を交わしながらすれ違い、主人の部屋に向かう。
 寮長に与えられた個室の扉をノックする。どうせまだ眠っていて返事は無いのでそのまま開けた。
「カリム、そろそろ起きる時間……」
 言い切れずに固まる。
 室内には主人以外に、何人もの人の姿がある。主人であるカリムは、オクタヴィネル寮の寮服を着た生徒に囲まれていた。
「アズール、ジェイド、それにグリムにユウまで、何故お前たちがカリムの部屋にいる!?」
 ジャミルが非難を込めて声を上げたが、アズールはそれを意に介さず朗らかな笑顔をジャミルに向けた。
「ああ、ジャミルさん!おはようございます。今日からはもう少しゆっくり眠っていてくださって大丈夫ですよ。これから休みが明けるまで毎日、僕らがカリムさんのお世話をしますので」
「ハァ……!?」
「昨夜、あなたとお話ししていて気が付いたんです。この寮で今、誰よりも忙しく働いているのは……ジャミルさん、あなただ!」
 アズールはいかにも気遣わしげな顔をしたかと思えば、真剣な表情で言い切った。ジャミルの思考が追いつかない。頭の中をクエスチョンマークが飛び交っていた。
 畳みかけるようにジェイドとグリムが続く。
「僕たちは今、食客としてスカラビアにお世話になっている身ですから。なにかお手伝いできないかと考えまして」
「名付けて『ジャミルお助け隊』なんだゾ!」
 ユウが頷いて同調を示す。
 予想外の展開にジャミルの頭の中は更に混乱していた。まさか気づかれているはずがない、と思いながらも、アズールたちの行動は先回りしているようにしか感じられない。
 意図に気づいたからといって、邪魔する利点は何もない。アズール・アーシェングロットという生徒は『利益』を行動の最優先事項としている。この行動は当てはまらない。単なる気まぐれか、お遊びか。
 しかしジャミルにとって迷惑には違いない。
「な、何を馬鹿な……いや、そういうわけにはっ」
「お、おお……おおお~~~!!」
 何とかして追い出そうと思考を巡らせていると、カリムが大声を上げた。明らかに感動、感激している声だ。幼い頃から何度も聴いているジャミルはよく知っている。
「それ、いいな!オレもジャミルの仕事が楽になる方法はないかとずっと思ってたんだよ!」
 カリムは嬉しそうだ。ジャミルは頭の奥で血管が軋む音がしたのを感じ取る。暴れそうな感情を必死で押さえ込んだ。
「従者を思いやるカリムさんのお気持ち、美しいですね。アズールに爪の垢を煎じて飲んでいただきたいくらいです」
「本当にお前は一言余計だな、ジェイド」
 オクタヴィネルの寮長と副寮長の会話は、声こそ明るいが物騒な雰囲気があった。ユウが必死に笑ってごまかしているが無理がある。
 アズールは咳払いをすると、ジャミルに向き直った。
「そんなわけで、ここは僕らに任せて。ジャミルさんはのんびりくつろいでください」
「そうさせてもらえ、ジャミル!良かったな!」
「さあさあジャミルさん。お部屋に戻って二度寝でもなさってください」
 アズールがくるりとジャミルの身体を回転させ、ジェイドが背中を押す。ユウが扉を開け、ジャミルをカリムの部屋から追い出した。扉の向こうからは和気藹々とした雰囲気の声が漏れてくる。
「…………何なんだ一体……」
 呆然と立ち尽くす。意味が分からない。意図が分からない。
 あの様子だと、カリムと事前に打ち合わせてやった事ではない。カリムに演技の才能はない。
 やはり企みがバレたのではないか、という不安がジャミルの胸に広がる。しかし、先ほどと同じ理由で振り払った。
 わざわざやってきて企みを妨害する理由が、アズールには無い。双子にも、オンボロ寮の二人にもだ。
 利益を優先する彼の性格を踏まえて行動理由を考えるならば、カリムや自分に取り入ってアジーム家とのパイプを得ようと考えている、というのが妥当だろう。ユウたちを連れてきたのは脅迫のつもりもあるのかもしれない。
 オンボロ寮の二人の後ろには学園長がついている。学園長の計らいによって二人で一人の生徒として扱われている、特殊な在籍者。
 ハーツラビュル、サバナクロー、オクタヴィネルの起こしたそれぞれの騒動に学園長の使いとして関わり、解決まで導いてきた。同時に、それぞれの寮の寮長やその側近たちと強い繋がりを形成している。
 グリムは魔法士としては大した能力はない。精神的にも幼く、社会の常識に疎いトラブルメーカーだ。
 着目すべきはユウの方だろうとジャミルは考えている。
 魔法が使えない代わりに素手での格闘に秀で、戦闘における判断能力は高い。少なくとも、能力が見えない相手や格上との戦闘に慣れている。先の手合わせで、初撃以外全く打ち込んでこなかったのがその証拠だ。
 勉学の成績はイマイチだが、決して頭は悪くない。しかし愛らしい顔立ちを生かした立ち居振る舞いは意識したものではなさそうだ。顔が目立たなくなるように魔法のかかった眼鏡をかけているのは、自衛の意味もあると考えられる。
 似たような手合いはアジーム家でも何度も見た。男を虜にし利益を得る、異性を狂わせる魔性。
 そうであろうと振る舞う者と比べて、ユウには妙な隙がある。それが余計に同性を夢中にさせているようだ。
 リドル・ローズハートは頻繁に茶会に誘い、レオナ・キングスカラーは公衆の面前でも気にせず熱烈に口説いていたらしい。アズールもオンボロ寮を支店とするため、という建前で随分足繁く通っているという話だ。
 既に半数の寮を味方にしているユウが、カリムの糾弾に加わるのなら信憑性が増す。きっとさぞや公平な視点で、カリムの暴君ぶりを学園長に報告してくれるだろう。
 ジャミルはそう思って彼を巻き込む事を決めたが、オクタヴィネル、もといアズールが関わってきてしまった今となっては蛇足だったと言わざるを得ない。
 アズールの話術で、オンボロ寮を巻き込んだ事を悪し様に学園長に報告されれば、自分の痛手は免れないだろう。そうなっては寮長に、自由の身になれるかも危うい。
 何とかしてアズールたちだけでも追い出したい。オンボロ寮の二人はどうとでも出来る。ユウに至っては魔法耐性が無い事は確認済みだ。
 しかし、下手な行動をすれば返り討ちに遭うだろう。アズールは寮長になるだけの実力がある魔法士だ。侮れば痛い目を見る事になる。
 とりあえずは様子見だ。まだ冬休みは残っている。焦るとろくな事にならない。
 さりとて休んでいるわけにもいかない。副寮長としての仕事もある。カリムの世話だけが自分の仕事ではない。
 朝の行進の集合時間までに、朝食の下拵えを済ませておく必要がある。既に当番が多少は進めているだろうが、自分も行かなければ時間内には終わらない。足早に厨房を目指した。
 厨房は出入りが忙しく賑やかだ。いつもなら勝手を知った上級生が下級生に口頭指導するぐらいで、静かに作業を進めている。配膳は戻ってからするから頻繁に出入りする事もない。違和感に首を傾げながら厨房を覗きこみ、ジャミルは固まった。
「あー、そこの小魚ちゃん。それまだ仕上げの調味料かけてないから運ばないで」
「し、失礼しました!」
「オーブンに入れてた野菜、焼き上がりました」
「それはもう味つけてあるから、適当にテーブルに並べていーよ」
 フロイドは大食堂の厨房にはやや規模として劣る厨房とスカラビア寮生たちを冷静に使いこなしていた。約百人の大人数分だというのに、全く動きに無駄はなく、量も申し分ない。食材の偏りも見当たらなかった。
「……これは、君がやったのか、フロイド」
「あ、ウミヘビくん、おはよ~」
 驚愕するジャミルに対し、フロイドは気の抜けた挨拶を返す。 
「オレとスカラビアの小魚ちゃんたちが作ったんだ。アズールがさあ、ウミヘビくんを助けてあげたい~って言うから」
「そんっ……、そんな、客人を働かせるわけには」
「別にオレら客ってわけでもなくね?合宿相手じゃん」
 フロイドはジェイドのような謙遜は口にしない。口にしないからこそ、今は面倒くさい。
「でも、カリムは俺が作ったものしか食べないんだ。毒の心配があって……」
「は~?なにそれ。オレより偏食かよ。つか毒とか入れてねーし」
 不満げな表情に一瞬ひやっとしたが、意外にも怒りをぶつけてくる事はなかった。とはいえ、話は都合の良い方には転がらない。
「じゃあウミヘビくん毒味しといてよ。ウミヘビくんのお墨付きがあればラッコちゃんも食うっしょ」
「それは、そうかもしれないが……」
 話を聞いていた寮生たちが、作った料理を手に駆け寄ってくる。なぜかいつもより上機嫌だ。
「副寮長、野菜のグリルの味見お願いします!」
「このスープ……美味しく出来たと思うんですがどうでしょうか?」
「う、わかった。順番に毒味する」
 差し出された料理を順番に毒味する。味付けは完璧、焼き加減も申し分ない。食べた自分にも違和感はない。
 アズールも魔法薬学には精通している生徒だ。フロイドに混入させるという手段も使えなくはない。無用の警戒だった事には内心安堵した。
 厨房を出入りする顔ぶれを見て、食事の当番ではない寮生たちの姿に気づく。彼らは確か、行進の準備の当番を割り当てていたはずだ。
「そういえば、今日の朝のオアシスへの行進の準備は出来てるのか?いつも朝食は行進の後なのに……」
「その件についてですが」
「わっ、なんだ急に!」
 厨房の入り口からアズールが顔を出す。ジャミルの驚いた様子を見て失礼、と軽く謝りつつ厨房に入ってきた。
「オクタヴィネルの寮長たる僕からスカラビア寮長たるカリムさんへ改善案を提案しまして」
「か、改善案?」
「長距離歩行という有酸素運動より……室内で適度な筋トレを行った方が持久力や筋力の改善には大きな効果があります。なにより、スカラビアの砂漠は熱いですから。熱中症も心配ですし」
「てかさー、庭にでかい噴水あるじゃん。体力つけたいなら泳いだ方がいいって。楽しいし」
「そうですね。これは実体験ですが、歩くより泳いだ方が脂肪燃焼効果も期待出来ます」
「噴水で泳ぐな。アレはプールじゃないからな」
 反射的に釘を刺したが、問題はそこにない。
 カリムを口八丁で説得した、という所だろうか。いや、カリムはさっき起きたはずだ。行進中止の進言はその場で行ったのだろう。その時には既に厨房に行進を準備する寮生たちがいた事を踏まえれば、カリムを起こす前から行進を中止する事はアズールの中では決定事項だったと考えられる。
 その違和感を指摘する前に、話を聞いていた寮生たちが喜びを露わにした。
「つまり……もうあの行進をしなくてもいい……?」
「やりましたね、副寮長!」
「え、あ、あぁ……」
「俺、集合場所に行ってみんなを呼び戻してきます!!」
「オレも行く!!」
 ジャミルの戸惑ったような曖昧な返事に気づいた様子もなく、数名の寮生がはしゃいで走っていってしまった。
「なにより、朝食を抜く事は疲れやすさや集中力の欠如を招きやすい。食べ過ぎは禁物ですけどね」
「筋トレも食後の方が効果的だって言うもんなぁ」
「オレもそれ聞いた事ある~。同じクラスのマッチョがそんな事言ってた~」
 アズールが口にした知識を話のタネに、寮生たちも和やかに会話しながら料理を運んでいく。
 自分が掌握していたものが、入り込んだ他人にあっという間に塗り替えられていくのを目の当たりにした無力感。
 ジャミルは茫然自失の状態で談話室に入った。寮生たちは笑顔で配膳を進めている。朝の行進が無くなっただけでこれだけ雰囲気が変わるものか。
「おはよう。お、もうメシの準備が出来てるのか」
「うひょー!美味そうなんだゾ!」
 談話室に入ってきたカリムが笑顔になった。寮生たちも笑顔で挨拶を返している。グリムがはしゃぐ横で、ジェイドが静かに胸を撫で下ろしていた。
「今日はフロイドの調子も良いようですね。気分がノらないと味も大変な有様になってしまうのですが……」
 そんな片割れの声が聞こえたかどうか、最後に入ってきたフロイドがカリムに声をかける。
「ラッコちゃん用はウミヘビくんの毒味も済んでまーす。どうぞ召し上がれ~」
 全員が着席した所で、声をそろえて挨拶し、食事が始まる。
「おっ、このスープ美味いな!」
「でしょー。シーフードたっぷりの珊瑚の海風スープだよ」
 目新しい味にカリムは喜んでいる。寮生たちも、いつもと違うメニューを楽しんでいるように見えた。
「うんまぁい!海の香りがいっぱいなんだゾ!」
「スカラビア寮の食材は品質が良い。アジーム家独自のルートなのでしょうか?是非、仕入れの参考にしたいですね」
「そうか。じゃあ今度、実家に帰った時にでも聞いておくな!」
「ありがとうございます。カリムさん」
 こっちはちゃっかり商談に片足突っ込んだ話をしている。過剰に要求してないから止める理由も無いが。
「とても美味しい……ですが……なぜフロイドは頑なにキノコを使ってくれないのでしょう……もっと美味しくなるのに……」
「ま、まぁ誰でも苦手なものはありますから……」
「監督生さんはキノコお好きですか?」
「取り立てて好きとかないですが、冷凍すると長持ちするので自炊してた頃はお世話になりました」
 ユウの無難な返事に対し、ジェイドのマシンガントークが始まる。キノコ料理だけでよくそんなに語れるな、と感心すると同時に、聞きながら程良く質問を返して上手く捌いているユウの手腕にも感心する。周りの寮生たちも聞き入っていて、中にはスマホを出して録音している者もいた。そんなにか。
 一昨日までの空気が嘘のように、和やかな朝食風景。
 これが最悪の一日の始まりだった。


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