4:沙海に夢む星見の賢者
通りがかった寮生に、バイパー先輩の部屋を尋ねて歩く。
バイパー先輩の部屋は二人部屋らしい。副寮長には個室はないようだ。なんか意外。アジーム先輩が特別扱いぐらいしそうなものだけど。
ジェイド先輩とは部屋を出た瞬間から別行動だった。アーシェングロット先輩の後ろについて歩く。寮生たちは怪訝な目で僕らを見ていたけど、咎める事はしてこなかった。今日はアジーム先輩の様子も変わらなかったから、文句を言われる理由もないもんね。
アーシェングロット先輩が『ジャミル・バイパー』のネームプレートが入っている部屋をノックする。程なく扉の向こうから人が近づいてくる気配がした。
「誰だ?こんな時間に……」
「こんばんは、ジャミルさん」
「こんばんはぁ~」
「邪魔するんだゾ!」
「夜分にすみません」
どやどやと押し掛けた僕たちを見て、バイパー先輩は表情を強ばらせた。
「……何の用だ?」
「先ほどカリムさんにご案内いただいた宝物庫で見た事のないボードゲームを見つけまして。カリムさんにルールを説明していただいたのですが、どうも要領を得ない」
「これさぁ、どうやって遊ぶの?」
フロイド先輩は、宝物庫を案内してもらった時に借りたらしいゲームをバイパー先輩に差し出した。木の板とたくさんの石がセットになったゲーム。木の板には複数の凹みがあって、石はカラフルでキラキラしている。凹みに石を収納して二つ折りにできるので、意外と場所を取らず持ち運びも楽そうだ。
「ああ、マンカラか……熱砂の国ではポピュラーなゲームだよ」
「ボードゲーム部の僕としては、ぜひ遊んでみたくて。一局手合わせ願えませんか?」
「オレもオレも~。ウミヘビくんと遊びたーい」
「勝負とあっちゃ、グリム様も参加しねぇわけにはいかねぇんだゾ!」
アーシェングロット先輩の言葉に、フロイド先輩とグリムが同調する。
特に不審なものを感じなかったのか、バイパー先輩の表情はどこか安堵しているようにも見えた。
「……カリムも寝たし、まあいいか。俺の部屋じゃ狭いから、談話室に行こう」
その提案を、アーシェングロット先輩たちはあっさり了承した。
寝る前の時間の談話室は人もほとんどいない。ぼんやり外を眺めたり喋ってる寮生も何人かいたけど。多分ほとんどの寮生は疲れが取れていなくて早めに休んでいる事だろう。僕たちに視線こそ向けられたけど、バイパー先輩が一緒だからか居心地の悪いものではなかった。
バイパー先輩がマンカラのルールを石を動かしながら教えてくれた。宝物庫ではアジーム先輩によるスーパーざっくり説明のみだったのでよくわからなかったが、実物を動かしながら聞けばわかりやすい。でもめちゃくちゃ難しそう。
「カラフルで綺麗な石ですよね」
「宝物庫に置いてるマンカラは、カリムが実家から持ってきたものだ。木材は最高級のものだし、石は本物の宝石だよ」
「ほ、本物……!?」
「もっとも、宝飾品にも出来ない傷の付いた石だけどな。小さいから傷を消すために磨けば石が残らない。宝石としての価値は無いに等しい」
そうは言われても、どこに傷があるのかなんて全然分からないくらい綺麗な石ばかりだ。
「め、めちゃくちゃ高級なゲームの気がしてきたんだゾ……」
「道具自体は安いものでも代用できるぞ。必要なのは石の色じゃなくて数だしな」
「でも、綺麗な道具の方がテンション上がりますよね。トランプも紙よりプラスチックのちょっと固い奴の方が良くないですか」
「紙のトランプは端が削れやすいですからね。扱いが楽で安価ですが、それなりのデメリットもある」
「確かに。カリムは高級品に囲まれて育ってるから、割と道具を選ぶタイプなんだ」
「ウミヘビくんはどお?」
「俺は……さぁ、どうだろうな」
正面に座ったフロイド先輩に、バイパー先輩は不敵な笑みを返した。すでに火花が散ってる。遊び……だよね?
「グリムさんは僕と対戦しましょうか」
「こてんぱんに負かしてやるんだゾ!」
「わぁ……」
「哀れみの目を向けるな!見てろ、オレ様が華麗な勝利を見せてやるんだゾ!」
「もうひとつ持ってきて、ユウも……、そういえばジェイドはどうした?」
バイパー先輩が首を傾げる。
「ジェイドは部屋で先に休んでいます。合宿の準備で色々頼んだので疲れたそうです」
「そうなのか。じゃあ、誰かに相手を頼むか?」
「いえ、難しそうなので僕は見学させてください」
「グリムが覚えられたのに?」
「アザラシちゃんが今の説明で覚えられたかは微妙じゃね?」
「ふな!し、失礼な!オレ様天才なんだから、これくらい余裕だゾ!」
ふん、とグリムが胸を張って鼻を鳴らす。
「子分は脳筋だからな。頭脳担当はオレ様なのだ」
「まぁテストの成績もグリムの方が良かったですし」
「それは意外だな……」
バイパー先輩の反応を見て、事情を知ってるアーシェングロット先輩とフロイド先輩が笑いを堪えている。笑うなよアンタらのせいだっつの。
「ですから、僕の事はお気になさらず。またの機会でもいいですし」
「そうですね。今回の所感を参考に、ボードゲーム部に導入を進言する事も検討します」
「うん。面白かったら寮にも置こうよ。小エビちゃんにいつでも遊びに来てもらえるし」
「ありがとうございます」
話がまとまった所で、それぞれが勝負を始めた。時折ルールを確認しつつゲームを進めていく。石を動かす時の小さな音がなんだか心地いい。長く遊ぶゲームでもないようで、結果には大きな差がありつつどちらも同じくらいのタイミングで終わった。
「やった~、今回はオレの勝ち!これで三勝!」
「集中力が高い時のフロイドは、やっぱり勝負強いな」
「ふぎゃー!また負けた!アズール、容赦ねえんだゾ!」
「これで僕は五戦全勝。まあボードゲーム部として当然の結果です」
アーシェングロット先輩は誇らしげに胸を張る。ちらりとバイパー先輩たちの方のゲームを見た。
「ジャミルさんは二勝三敗、ですか」
「ん?……ああ、久しぶりだから腕が鈍ったかな」
バイパー先輩はしれっと返す。それでいて、懐かしそうな目で色とりどりの石を見つめていた。
「昔はよくカリムに『勝つまでやる』って毎日何時間も付き合わされてたっけ……こういうの弱いくせにな」
「なるほど。ふむ、それでですか」
「何が『なるほど』なんだ?変なヤツだな」
「いえ、こちらの話です」
聞いてる僕にも何が『なるほど』なのかは分からなかったけど、まぁ分からなくても支障はないだろう。多分。
「カリムさんとは幼い頃から一緒に育ったのですね」
「それこそ物心つく前からだな……そういえば、君たちオクタヴィネルの三人も幼なじみだったか?」
「そうらしいね~」
「らしい、って。なんで他人事みたいに言うんだゾ?」
「オレたちエレメンタリースクール入ってからずっと一緒のクラスだったらしいけど、オレ、アズールを認識したのミドルスクール入る直前だしー。だからあんま幼なじみっぽい思い出とかないっていうか」
同級生を認識しないとかある?と思ったけど、フロイド先輩なら無いとは言えない。面白くないものにはとことん興味がないって感じだし。
「僕、それはそれは大人しいタイプだったので。目立たない生徒だったんですよ」
「別の意味で目立ってそうだったけどな」
主に横幅が、と呟いたグリムの口をアーシェングロット先輩が掴む。
「グリムさん、それは内密にと何度も言いましたよね……!」
「大人しくて目立たないタイプだった君が、今は寮長か。面白いものだな」
「寮長になる方には、なるだけの理由がありますよね」
「……君は寮長の資質をどう考える?」
「え?」
「君から見て、ナイトレイブンカレッジの寮長は、皆それに足る人物だと思うのか?」
バイパー先輩の表情は随分挑発的だ。アジーム先輩が糾弾された昨日の様子を見ながらも、お前は彼が寮長になれる人間だというのか、と言いたいのかもしれない。オクタヴィネルの人たちを連れてきた僕の真意を探る意図もあるのかもしれない。よく分からないけど、なんか裏には批判的な気持ちが向けられているのは間違いない。
それを無視してにこやかに微笑む。
「それはもう。魔法が使えない僕から見れば皆さん優秀ですから」
「……それだけか?」
「……集団のリーダーって、他人と関わろうという素質がいると思うんです」
「関わろうという、素質?」
「管理でも統率でも、支配でも友好でも。上に立つという事は下を見るという事でもあります」
「そうですね。反乱分子の対処をしないと集団の瓦解を招く。集団である利点を損ないます」
「たまに、リーダーが関わろうという気が無くても周囲が協力的で、どうにかなっちゃう所とかありますけど」
シュラウド先輩のイグニハイドは多分そんな感じだろう。先輩自身の面倒見が良くないとは思わないけど、積極的に関わりそうという感じはしない。イグニハイド寮生大人しそうだし。
「僕の知ってる寮長さんは結構、人を率いる責任をちゃんと考えている人だなって思う事が多くて。リーダーとして責任を感じるって、誰でもある事じゃないと思ってるんです」
「…………そう、か」
「だってよ、アズール。セキニン感じた事ある?」
「ありますよ。それはもう、もちろん」
ちょっと複雑な顔してたけど、見なかったフリをしておこう。
「個人的には、フロイド先輩がアーシェングロット先輩と働いてるのはちょっと意外なんですよね。もっと気ままにしてそうな気がするというか」
「そお?今はアズールの言うコト聞いてるのが面白いからそうしてるだけだよ」
「いつも素直に言う事を聞くほど従順でもありませんしね」
アーシェングロット先輩が溜息混じりに言う。
「ジェイドもフロイドも、僕に服従している気は無いんでしょう。彼らにとってはそういう『ごっこ遊び』なんですよ」
「主従ごっこ、という事か?ますますよく解らない関係だ」
「僕がリーダーとして間違った……あるいは、つまらない選択をした時は、二人はあっさり僕から離れ、寮長の座を奪うはずです」
これまたあっさりと言い放った。
いつ寝首をかかれるか分からない関係を享受している。
言葉だけ聞けばただ危うい関係だけど、本質はきっとちょっと違う。先のオーバーブロット騒動の時に見た姿が、そう思わせてくれた。
三人には、互いに対する信頼がしっかりと存在している。なんだかんだで大事に思っている。腐れ縁だって立派な絆なんだ。
本人たちに言ったら凄い勢いで否定されるだろうから言わないけど。
「まあ、挑まれても負ける気はしませんが」
「オレらも挑む予定はないけどねー、今んとこは」
「……あくまで君たちは対等な関係、なんだな」
バイパー先輩が寂しげに呟くと、フロイド先輩は首を傾げた。
「今は面白いから一緒にいるし、つまんなくなったら一緒にいなくなるってだけ。つーか、副寮長は寮長の家来じゃないし。フツーじゃん」
「……普通、ね。生まれた時からアジーム家の従者の俺には、やっぱりよくわからない」
誰かに従っている事が当たり前の人生。
普通の家に生まれた人間には、絶対に理解できない心情。
それはもちろん、仕えられる主人の側にも、きっと理解される事はない。
「主人は主人、従者は従者だ。おそらく、一生な」
バイパー先輩がアジーム先輩に反逆すれば、アジーム先輩の家に仕えている家族までも路頭に迷う事になる。
先輩はそう言って己を律している様子だった。理不尽な要求にも耐えて、寮生たちとの間に入って、苦悩は身の内に押し込んでいる。
何と声をかければいいかわからない。
例えバイパー先輩が一家で追い出されそうになったとしても、あの時、空を眺めてバイパー先輩を案じていたアジーム先輩がそれを承伏するとは思えないのだ。
主人と従者の間柄は変えられなくても、それが代々続いてきたものだとしても、二人の間に通うものまできっと過去と同じではない。
二人は、前の代と違う関係性でもいいじゃないか。
「おっ、なんだお前ら。まだ遊んでるのか?」
「えっ!?」
談話室に入ってきたアジーム先輩を見て、バイパー先輩は驚いた顔をしていた。そんな表情を気にせず、アジーム先輩はこちらを覗きこんで顔を輝かせる。
「ん?お、マンカラやってるのか?昔、ジャミルと何時間も勝負したんだよなぁ」
慌てた様子でバイパー先輩はアジーム先輩に駆け寄る。
「お前、もう寝てたはずじゃ?どうして……一人でフラフラ出歩くなといつも言ってるだろ。もしまた誘拐されでもしたら……」
「心配性だなジャミルは。大丈夫だよ、ジェイドも一緒だったし」
「……は?ジェイド?」
「はい。ずっとカリムさんのそばにいましたよ」
ちょうど死角になっている所からジェイド先輩が顔を出す。バイパー先輩の表情が一気に険悪になった。
「おや、部屋で休んでいたのではなかったんですか?」
「それが急に目が冴えてしまって。不思議と宝物庫の素晴らしい絨毯の事が頭から離れなくなってしまったんです」
白々しいアーシェングロット先輩の言葉に、ジェイド先輩はこれまたしれっと返してみせる。二人とも口が巧い。さすがのツーカーぶり。
「カリムさんは本当に親切な方ですね。色々と丁寧に教えてくださって……」
「……お前、カリムに何をした?」
「何……とは?僕たちはただ楽しくお話していただけですよ。ね、カリムさん」
「うん、物置を案内してただけだぜ?」
傍目にはただの和やかな会話だ。いやアジーム先輩も恐らく、本気で彼視点の事実を答えた事だろう。
バイパー先輩の疑う言葉だけがやたらと剣呑に感じられた。オクタヴィネルに対する信用が地の底だったとしても、過剰と感じるほどに。
「あ、そうだ、ジャミル。ウチから持ってきた銀と青の絨毯があっただろ?あれ、どこにあるか知ってるか?オレじゃ見つけらんなくてさ」
「戻ろう、カリム」
バイパー先輩がアジーム先輩の言葉を遮る。
「え?なんだよ、急に」
「いいから、部屋に戻るぞ!」
「うわっ!?わかった、わかったから引っ張るなって!」
強引に引きずられながら、アジーム先輩がジェイド先輩を振り返った。
「悪いジェイド。絨毯はまた今度な!」
「はい。……またいずれ」
ジェイド先輩は気を悪くした様子もなく微笑みを返す。二人の姿が見えなくなってからこちらに歩いてきた。
「僕たちも引き上げましょう」
「は~い」
アーシェングロット先輩が微笑む。マンカラを片づけて宝物庫に返し、割り当てられた部屋へと帰った。