4:沙海に夢む星見の賢者
「うわー、あっつ。マジ真夏じゃん」
鏡をくぐって開口一番、オーソドックスな感想が飛び出す。
出身が北の方だと言うなら暑いのは苦手そうだけど、言葉とは裏腹にやたら苦痛を感じている、というほどではなさそう。人間になる変身薬飲んでるとその辺は融通が利くのかもしれない。
建物を出てすぐに、スカラビア寮生に出くわした。
「こんにちは。お邪魔します」
アーシェングロット先輩がにこやかに挨拶すると、寮生たちは顔を強ばらせた。
「き、昨日の……オクタヴィネルの奴ら!」
「スカラビアに何の用だ!」
「ああ、昨晩は失礼しました」
ちょうどオクタヴィネルまで僕たちを追いかけてきた連中だったみたい。アーシェングロット先輩は涼しい顔で言い放つ。
「皆さんがか弱い動物を一方的に苛めているように見えたものですから、心優しい僕は咄嗟に庇ってしまったのですが……よくよく話を聞いてみれば、オンボロ寮の二人はスカラビアから魔法の絨毯を盗み出した窃盗犯という事がわかりまして。間違いに気づいた僕は責任をもってこの窃盗犯を引っ捕らえ、魔法の絨毯をお届けにあがったという訳です」
「そ、それは……」
「ご協力ありがとうございます……?」
そして一方的にまくし立てられ、スカラビア寮生は頭にハテナを浮かべながらも礼を言う。礼を言われたアーシェングロット先輩は一層にこやかに笑う。
「うぬぅ……不本意なんだゾ……」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「え、あ、いやえっと……」
グリムの呟きが聞こえないように頭を下げる。スカラビア寮生はどうしていいか分からず戸惑っているらしい。
「おい、お前たち。そろそろ朝の特訓の時間だぞ。集合に遅れるとまたカリムに……」
そこにやってきた人物が、こちらを見て息を飲む。アーシェングロット先輩の笑顔がますます輝いた。
「おや、ジャミルさん。こんにちは。ご機嫌いかがです?」
「アズール・アーシェングロット……!それに、リーチ兄弟。一体、何故ここに?」
「僕たちの故郷は、冬は帰省が困難な立地でして」
「毎年ホリデーは寮で過ごしてるんだぁ~」
「なん、だって……?」
バイパー先輩が驚愕している。そりゃそうか。多分、交流が無ければ知らない事だし、わざわざ知りたくもないだろう。
用心深いこの人が、オクタヴィネルの三人に気軽に関わりたいと思うはずがない。
「ところで。カリムさんはどこにいらっしゃいますか?魔法の絨毯をお届けにあがったのですが……」
「えっ、あ、ああ。届け物なら俺が預かろう」
「いえ!結構」
先ほどまでの愛想の良さからは想像もつかない、厳しい声で提案をはねのける。
「この魔法の絨毯は国宝級の逸品です。後々傷などが発見されて『オクタヴィネルの奴らのせいだ』などとクレームをつけられては困りますから。直接カリムさんにお渡しして、しっかりと検品して頂きたい」
「カリムはそんな事は気にしないはずだ。だから俺が預かって……」
「ご安心ください。落とし物の二割に当たる報労金を要求したりもしませんから」
「昨晩スカラビアのみなさんに働いた無礼についてもお詫び申し上げたいですし」
「手土産のシーフードピザも持ってきたしぃ」
バイパー先輩に会話の主導権を握らせないまま、双子が更に畳みかける。
「とにかく、絶対に直接会ってお渡ししたいのです。彼はもう起きていらっしゃいますよね?」
「だから、今日は都合が悪いと……」
言い掛けるバイパー先輩を無視して、アーシェングロット先輩が寮の奥に向かって歩き出す。魔法の絨毯もそれについていった。
「勝手に入っていくな!アズール!」
叫びながら、バイパー先輩は慌てて追いかけていく。ジェイド先輩がこちらを振り返って微笑む。
「さ、ユウさんも参りましょう」
「遅れないで付いてきてねぇ」
「わかりました」
「なんつー強引さなんだゾ……」
扉の間に足を突っ込んで閉めさせない、なんて事をするだけある。
アーシェングロット先輩を追いかけてぞろぞろと談話室に入ると、アジーム先輩が特に何をするでもなくイスに座っていた。何してたんだろ。
「あれ、アズール?なんでウチの寮にいるんだ?」
「こんにちは。ご機嫌いかがですか、カリムさん」
ここでも返事は特に待たずに話を進める。
「いやぁ~、いつ来てもスカラビアは素晴らしい。外は雪もちらつく真冬だというのに、まるで真夏の陽気じゃありませんか。リゾート開発をすれば、大量の集客が見込めそうな素敵なロケーションです」
「おう?よくわかんねーけど褒めてくれてサンキューな!」
笑顔で話しかけられたからか、アジーム先輩はこれまた太陽のような笑顔で礼を返した。今は暴君の振る舞いではないらしい。
「今日はあなたの魔法の絨毯を捕まえたのでお届けにあがったんです」
「えぇっ?アイツまた勝手に逃げ出したのか?そいつは手間をかけたな」
「いえいえ」
アーシェングロット先輩はそれ以上の説明をしなかった。事情を知らないなら好都合、という事だと思う。『魔法の絨毯を捕まえた』という言い方が巧すぎるのだ。魔法の絨毯が持ち出された経緯を知ってるかどうかで答えが変わる。知らなければ知らないままにすれば、僕たちが盗み出したという事が有耶無耶になる。
仮に知っていた場合、それにより僕たちへの罰や身柄の引き渡しを求められたとしても、さっき言ってた『第三者として被害者による私刑を防ぐ』という名目で守ってくれたに違いない。
こうして収めた以上、スカラビア寮生はわざわざ告げ口は出来ないはずだ。暴君の怒りは他の寮生にも向く。これまでの苛烈な訓練がそうであったように。そうなるのを恐れて僕たちの脱走を報告しなかったのだから、彼らも口を閉ざし続けるだろう。
「ところで……今年スカラビアは、ホリデーを寮で過ごされるとか」
「ああ。もしかしてお前たちも?」
「そうなんです!いやー、奇遇ですね」
寮長同士の会話はあくまで和やかだ。
「そこで、これを機にオクタヴィネルとスカラビアで親睦を深める合宿を致しませんか?」
横で聞いていたバイパー先輩が絶句する。
「この冬採用されたというスカラビア独自の学習スタイルも学ぶところが多そうですし……」
「そりゃいい!オクタヴィネルの寮長がウチの寮に滞在してくれるなんて願ってもない」
アジーム先輩は心から嬉しそうに笑っている。バイパー先輩の顔は一層険しい。
「……カリム、俺は反対だ」
「えぇ?なんでだよ」
「他の寮に追いつくために、わざわざ冬休みを潰して特訓しているんだぞ。それなのに他寮の寮長を招き入れるなんて、敵に手の内を明かすようなものじゃないか」
「敵なんて大げさだな。それに、オンボロ寮の二人はお前が連れてきたんじゃないか」
「それは……っ、そうだが」
明らかに言葉に詰まった。指摘されると困る事だったみたい。
善意で連れてきたならそう言えば良い。僕たちは例外だと軽く答えればいい。だって寮対抗の枠の中に僕たちは入っていないんだから。完全に予想外の展開でそんな言い訳すら用意してなかった、って事だろうか。
動揺を隠すつもりか、バイパー先輩はアーシェングロット先輩たちを睨んだ。
「俺はお前たちのためにも言ってるんだぞ、アズール……!」
「ジャミルさんのご意見はごもっとも。他の寮は常に成績を競い合うライバルですから」
アーシェングロット先輩はバイパー先輩の言葉を否定しない。さっきまでの強引さが嘘のような態度だ。
「残念ですが、僕らはこれでお暇しましょう。カリムさん、ジャミルさん、特訓頑張ってくださいね」
挨拶だけはにこやかに言って、少し横を向いた所でおもむろに立ち止まり呟く。いや呟いてない。なんならちょっと声張ってる。
「はぁ……極寒の中、今年も三人ぼっちのホリデーですか……ま、仕方ないですけど……」
「頑張って魔法の絨毯を捕らえたんですがねぇ……」
「モストロ・ラウンジもめちゃくちゃになったのになぁ……」
「はぁ~~……ションボリ」
三人揃って、息を合わせて肩を落とす。哀愁が漂うが、彼らの本性を知ってる人間から見れば嘘くさい事この上ない。
「な、なんてあからさまな引き止めてほしいって態度なんだゾ!」
グリムでさえちょっとどころじゃないくらい引いてる。
だが、こんなあからさまな態度がガッツリ効いてしまう人間も世の中にはいるのだ。
「……ちょっと待った!」
アジーム先輩の大声で、バイパー先輩がこれまたあからさまな長い溜息を吐いた。こっちには気づいてくれない。
「アズールはこの学校でもトップレベルの魔法士だ。スカラビアの成長のためにも滞在してもらったほうがいい!」
腕を組んで胸を張る。堂々とした立ち姿は、いかにも寮長らしい。
「それに、せっかく訪ねてきてくれたヤツを無碍に追い返すなんて、アジーム家の名折れだ」
「あぁ……カリムさん!なんて懐が深くてお優しい方なんでしょう!もちろんですとも。僕で教えられる事であればなんなりと」
「料理や掃除のお手伝いなら僕たち双子にお任せください」
「そーそー。いつも店でやってるから、得意だしぃ」
「そいつは助かる!ジャミルの負担も減るだろう」
「俺の事はいいから……!ああもう!全然聞いてないな」
バイパー先輩が完全に蚊帳の外だ。ちょっと可哀想になるくらい。
「よし、早速だがアズールの胸を借りて特訓だ!荷物を置いたら庭に来てくれ」
「了解しました。スカラビアのみなさん、どうぞお手柔らかに」
オクタヴィネルの三人は愛想良く、しかしどこか妖しく笑っていた。