4:沙海に夢む星見の賢者



 オクタヴィネルのゲストルームは、これまたホテルのような内装だった。アメニティは充実しているしベッドは大きいし至れり尽くせり。借りたパジャマやスリッパも凄く着心地が良かった。
 グリムと一緒にシャワーを浴び、一通り身支度を整えて部屋を出ると、ジェイド先輩が待ちかまえていた。談話室への道案内をしてくれるつもりだったらしい。
 談話室はこれまたお洒落で大人っぽい空間だ。シックで落ち着いた色味の内装に、大きな窓がよく似合う。部屋の中には既にアーシェングロット先輩とフロイド先輩がいた。魔法の絨毯は窓から見える海の中の景色が珍しいのか、窓辺にへばりついている。テーブルには山盛りのお菓子と紅茶のセットが用意されていた。
「なぁなぁ、これ食ってもいいのか!?」
「遠慮なくどうぞ。賞味期限が切れそうで困ってたものなので」
 アーシェングロット先輩の答えを聞くなり、グリムはお菓子にがっついた。僕も少し貰いつつ、ジェイド先輩から紅茶を受け取る。
「……それで、何があったんですか?」
「オレ様たち、スカラビア寮の揉め事に巻き込まれちまったんだゾ」
「揉め事、ですか」
 順を追って説明する。
 スカラビア寮がマジフト大会やテストの結果を受けて、強化合宿のためにホリデーの帰省を取りやめた事。
 僕たちはバイパー先輩に招かれて寮を訪れたが、アジーム先輩の指示によって監禁状態にされた事。
 アジーム先輩の様子がおかしい事。
 バイパー先輩に、過去に他寮のトラブルを収めた実績を買われ、助けてほしいと言われてしまった事。
 寮長選出の事実を知って、寮生たちが暴動を起こしそうな状態である事。
「あのカリムさんがそんな事を?」
「ラッコちゃんってそういう事するタイプなんだ?」
「あまりイメージにありませんね」
 三人ともドン引き、って感じの顔で言う。気持ちは分かる。
 っていうか、やっぱりみんなアジーム先輩のイメージって『明るく人なつこく脳天気』みたいな感じなんだろうな。寮生たちが慕っていた面倒見の良いアジーム先輩と、恐らくそこまで差はないはずだ。
「……正直言って、医者にかかった方がいいレベルの不安定さなんですけど。助けを求めるのも難しいとバイパー先輩は言ってました」
「アイツ、苦労してるみてーだったからな。メシも美味いし、この学校では珍しい良い奴だし。さすがのオレ様もちょっと同情しちまったんだゾ」
「んー……」
「ユウさんの評価は違うようですね」
 僕が曖昧に相づちを打ったのを、ジェイド先輩がめざとく指摘する。
「よかったら教えていただけませんか?」
「い、いや。関係あるかわかんないですし……」
「そういう些細な事が糸口になるものですよ」
 そこまで言われては黙っているのも忍びない。
「……バイパー先輩と、一回だけ手合わせをしたんです」
「戦闘訓練、という事でしょうか?」
「なんかそんな空気にされて。……正直言って、向こうの攻撃を防ぐのが精一杯で、何も出来なかったんですけど」
「カリムは誉めてたゾ。『ジャミルと戦って立ってるなんてすげぇ!』って」
「ジャミルさんはカリムさんの従者ですから、護身術を修得しているのは特におかしい事ではないですね」
「僕、体力育成の成績、十段階の七でした」
「グリムさんとの成績の合算、また授業態度等の評価が加味された結果だそうですね」
「それがどーしたの?」
「学年が違うとはいえ、僕より運動神経も反射神経も上の人間が、体力育成の成績が真ん中止まりなんてあると思います?」
 先輩たちが黙った。
「…………無いとは言い切れませんが、確かに不自然ですね」
 アーシェングロット先輩が口を開く。
「フロイドのように能力が高くても授業態度にムラがある人間ならまだしも、あなたの評価を信じるならば、彼は能力に見合わない成績をつけられている事になる」
「僕、格闘技以外にやってる運動とか無いんです。それでもバルガス先生は身体能力そのものを高く評価してくれた。得意分野じゃないから成績が下がった、っていうのも考えにくいと思うんです」
 行進の訓練だって、同じ行程をこなしながら他の寮生に気を配る余裕があった。あまり疑問に思ってなかったけど、やっぱりそれって『平凡』の範囲を超えてるんじゃないだろうか。
「あの人、自分で成績は真ん中で平凡だなんて言ってたけど。……何か隠してるような気がして。信頼はできないんじゃないかって」
「…………なるほど」
 アーシェングロット先輩は何事か考え込んでいる。
「アズール。ジャミルさんとは同じクラスでしたね」
「そうなんですか!?」
「ええ、選択授業でも同じ事が多いのでよくご一緒してます。……彼は確かに、この学校では珍しいタイプです。あまり主張がないというか……大人しくて地味というか。授業態度も真面目ですし」
「オレ、バスケ部で一緒だけどさぁ。ウミヘビくん、いい子ちゃんっぽいプレーしかしないんだよね」
 恐らくは雑な賭けに出る事がない、堅実に動くタイプなんだろう。フロイド先輩らしい評価だ。
「暴動が起こりそう、とは言いましたけど。それでもまだ躊躇ってる寮生の方が多いとは思うんです」
「そうでしょうね。アジーム家の威光はあまりに強い。しかしそれも時間の問題だ」
 緊迫した答えなのに、アーシェングロット先輩の口元には笑みが浮かんでいる。
「級友が寮長の圧制に苦しみ、助けを求めているとあっては見過ごせませんね」
 言葉とは裏腹に、笑顔はとても楽しそうだ。お菓子を頬張っていたグリムが不審の目を向ける。
「お前、またなんか悪い事考えてんのか……?」
「失礼な。僕は前回の事で深く反省し、海の魔女の慈悲の精神をもって一層努めて生きようと心に決めているんですよ」
 絶対に嘘だろ。
 と言っても、どうせ有耶無耶にされるしそこは重要じゃないので黙っておく。
「同じ顔に囲まれてターキーをつつくのにも飽きてきた所です。異国の砂漠で過ごすホリデーバケーションも良いじゃありませんか」
「砂漠で、って事は」
「明日、スカラビア寮へ向かいましょう。魔法の絨毯は持ち主にお返しするべきですからね」
「ええっ!!せっかく逃げてきたのにまた戻るなんてイヤなんだゾ!!!!」
「まぁまぁアザラシちゃん。そう言わないで」
「ええ。きっと楽しいホリデーになりますよ」
 双子は揃ってニヤリと笑う。多分、アーシェングロット先輩の企みにある種の信頼があるのだろう。根拠の有無は確認したくないけど。
「魔法の絨毯を返すのは僕も賛成です。確か家宝って言ってたし、成り行きで借りちゃったけど、自分のものにするつもりはないので」
 魔法の絨毯は自分の話をしていると分かるのか、音もなく近づいてきた。房飾りで頬をくすぐってくる。指先で触れると喜ぶように左右に揺れた。
「きちんと謝れば解ってくださるでしょう。いつものカリムさんなら、きっとね」
「面倒をおかけしてすみません」
 そして、ふと思い出す。
「と、ところで」
「はい?」
「あの、ゲストルームお借りしちゃってますけど……代金とかって……」
「ああ、その事ですか」
 アーシェングロット先輩が屈託のない笑みを浮かべる。
「細々とした追加請求が発生する可能性を鑑みて、事が終わってからでも良いかと思いましたが」
「す、すみません。なんか気になっちゃって」
「そういう事でしたら、対価は先に決めておいた方が良いでしょう。学校が始まったら、モストロ・ラウンジの手伝いでぉぼおぉっ!?」
 フロイド先輩が無言でアーシェングロット先輩にラリアットをかました。抗議するアーシェングロット先輩を掴んで部屋の隅に連れていく。ジェイド先輩はこちらからふたりが見えないように身体で遮りつつ、手でTの字を作った。
「ちょっと作戦タイムをいただけますか?」
「は、はい。どうぞ」
 ジェイド先輩はにっこり笑って一礼し、小声で言い争う二人の方に歩いていく。
「何ひよってんだよ、チャンスじゃん!!」
「日和るとかいう話じゃないだろ!下手な事してみろ、軽蔑からの嫌われ絶縁コースまっしぐらだぞ!!」
「だからってボケっとしてたらトド先輩に持ってかれちゃうじゃん」
「そうですよ。部屋に泊めるくらいすれば良かったのに」
「だから無理だって!!」
「アズールのヘタレ」
「あーそうだよ僕はヘタレだよ!!愚図でノロマで根暗でビビりのタコ野郎だよ!!」
「誰もそこまで言ってねーよ落ち着けって」
「多少の欲望をさらけ出した所で誰も怒りませんよ。フルオープンならドン引きでしょうが」
「人が問題ある性癖を抱えているかのような言い方はやめろ!!」
「あーもう話が進まねー。ジェイドどう?」
「そうですね。では親睦を深めるために、五人で山にキャンプにでも」
「ジェイドに訊いたオレがバカだったわ。ゴメン」
 フロイド先輩が一人で戻ってきた。殴りかからん勢いで追いかけようとするアーシェングロット先輩をジェイド先輩が羽交い締めにしている。
「小エビちゃん、アズールとデートしない?」
「デート……ですか?」
 アーシェングロット先輩の絶叫が、ジェイド先輩の手に塞がれて遮られている。大変だなあっち。
「そ。あのクローゼットに入ってたお洋服着て、アズールとお出かけしてよ。それが対価でどう?」
「そんな事でいいのか?」
「アザラシちゃんはオレたちとお留守番ね」
「ふなっ!?」
「そしたら、泥で汚れたラウンジの掃除費用もゲストルームの使用料もチャラ、ついでにスカラビアからも守ってあげるけど、どぉ?」
「やめろやめろバカ断られたら立ち直れな」
「お出かけするだけでいいなら、是非それで」
 アーシェングロット先輩の大声と僕の答えが重なった。フロイド先輩がニヤリと笑って鏡写しの片割れを振り返る。アーシェングロット先輩は目を見開き脱力していた。
「…………はぇ?」
「あの、色っぽい事を期待されたらそれはちょっと無理だと思うんですけど、二人で出かけるぐらいなら」
「え?え?いいんですか?」
「女装しろとかじゃないなら、別に」
 ジェイド先輩が、腰が抜けた感じになってるアーシェングロット先輩をソファまで運んだ。目の前に座っても、まだちょっと信じられないって感じの顔をしている。
「あとその、ファッションセンスには自信がないので、期待はあまりしないで頂けるとありがたいです」
「えー、いいじゃん。アズールが洋服選んであげなよ」
「出かける理由が出来てよかったですね。見慣れた顔ぶれでターキーをつついて終わるホリデーバケーションにはなりませんよ」
 両隣の側近がニヤニヤ笑っている中、アーシェングロット先輩は顔を覆って俯いた。すぐに顔を上げる。
「麓の街の飲食店のリサーチをしようかと考えてまして。双子を連れていくと制御が大変なもので。……同行をお願いできませんか?」
「僕でよければ、喜んで」
 愛想良く微笑んでおく。隙あらば濃いめのスキンシップを仕掛けてくるどっかの誰かさんに比べれば可愛いものだ。
 それにモストロ・ラウンジの料理のおいしさは折り紙付き。その経営者たるアーシェングロット先輩のリサーチについていけるなんて、絶対おいしいものが食べれるって事じゃないか。むしろラッキーかもしれない。ごめんねグリム。お土産は買って帰るから。
 僕の答えを聞いたアーシェングロット先輩は、天を仰いでガッツポーズした。面白いなぁこの人。
「では、契約成立ですね」
 いつもの調子で右手を差し出される。信頼を込めて、両手で握り返した。


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