4:沙海に夢む星見の賢者



「う、うう……疲れた……もう一歩も歩けねぇんだゾ……」
 床にへばりついたグリムが呻く。寮長が満足するまで二時間もの間、魔法を使い続けたので無理もない。寮生たちも随分しんどそうだった。まだ庭に転がってる奴がいるかもしれない。まあ随分結束が固いようだし部屋の見張りもしてるし、朝までには誰かしら気づいて運ぶだろう。
 もう彼らへの同情は失せつつある。結局『大富豪アジーム家』の権力の言いなりなのは彼らだって同じだ。前の寮長を責められる立場じゃない。
 この寮に味方はいないと思って良いだろう。少なくとも、今は味方と断言できる材料が無い。
「一刻も早くここを出なくちゃ」
「オレ様だってもう限界なんだゾ!こんな牢獄には一秒たりともいたくねぇ」
 グリムはへろへろの足でなんとか立ち上がった。スプーンを手に窓の外を睨む。
「疲れてるし、もう眠たいけど……今夜こそこのスプーンで床に穴をあけてやるんだゾ!」
 そしてまた地道な作業が始まる。外の見張りに気を配りながら、ひたすら無心に穴を掘り続けた。
「んっ!?」
 穴の中からそんな声が聞こえてきたのは日付が変わった頃だった。かき出される土が止まる。しばらくしてグリムがこちらに顔を出した。
「ユウ!!……ついに穴をあける事ができたんだゾ!」
 そんなにデカくはあけられなかったけど、と言い添えられる。覗いてみると、向こう側が薄ぼんやり明るい。どうやら土で埋めた向こう側も空洞を残してタイルで塞いだ状態だったようだ。
 まぁそれはいい。いいんだけど。
「どう見ても僕じゃ通れないよ」
「頭が通ればだいたいの穴は通れるって相場が決まってるんだゾ」
「肩が通ればの間違いじゃない?」
「オレ様が先に出て引っ張ってやる。よぉし、脱出作戦開始なんだゾ!」
 グリムは僕の進言を無視して意気揚々と言い放つ。こうなったらもうやるしかない。制服を畳んで借りてる寮服のバンダナで包み、脱出の準備は完了。
 宣言通り、グリムは先に穴の向こうに行った。自分はと言えばフードを被り出来る限り手で土をかき出しながら、無理矢理に体をねじこんでいく。それをグリムが引っ張ってくれるのだが、疲れているので悲しいほど力が入っていない。
 とりあえず一度戻り、先に制服の入った包みをグリムに預けた。こじ開けた部分に強引に入って、何とか手を伸ばして向こう側のタイルを押し開ける。そうしてグリムだけ先に外に出させたら、歯を食いしばって手足に力を入れた。
 今ほど『肩が自在に外せるとか最高だな』と思う事なんてないだろう。男子の平均より小柄で体が柔らかい事が、今だけは誇りに思えた。
 両腕さえ抜けてしまえば、後は腕力で強引に体を引きずり出せばいい。いや口では簡単だけど本当に、本当に大変だった。どうしてあと十センチ小柄で三回りくらい細くないんだって本気で思った。
 見張りが来るんじゃないかと本当に怖かったけど、見張りも疲弊しているのか他に脱走者がいるのか、幸いにも回ってこなかった。
 泥だらけの体でタイルを元に戻し、やっと一息つく。
「ふぅ……何とか部屋の外に出られたんだゾ」
「……挽肉になるかと思った」
 もう歩きたくないけど、そうも言っていられない。
「さ、今のうちにオンボロ寮へ戻るんだゾ。音を立てないように……」
 グリムがそう言った瞬間。
 特大の腹の虫の鳴き声が廊下に響きわたった。意識が遠のきかける。
「ふなっ!?し、しまったんだゾ。穴掘りを頑張りすぎたせいで腹が減って……」
「なんだ今の地響きのような音は!?」
「オンボロ寮生たちの部屋の方じゃないか?」
「あわわ……や、やべえんだゾ」
「言ってる場合じゃないでしょ、逃げるよ!」
 グリムの首と制服の包みを掴んで走り出すと、背中に声がかかった。
「お前たち、そこで何をしている!」
「ふぎゃっ、見つかっちまった!」
 気にしている暇はない。必死で足を動かす。包みを振り乱し土を払いながら角を曲がった。
「鍵はしっかり閉めたはずなのにどうやって外へ!?」
「脱走者だ!追えー!」
 警笛の音が響く。この間みたく、人が集まってくるのは時間の問題だ。
「捕まったらまた牢獄生活に逆戻りなんだゾ!」
「分かってるよ!」
「とりあえず適当な部屋に入ってやりすごすんだ!」
 目に付いた部屋に入る前に、包みを解いてバンダナを通路の向こうに丸めて投げた。部屋に入って扉を閉める。
「くそ、どこへ逃げた!?」
「足跡はここで切れてる!この部屋に……」
「いや、待て。あの泥だらけのバンダナ、オンボロ寮の監督生が持ってた奴じゃないか?」
「ははは、足跡を消したのにバンダナを落とすなんて間抜けな奴だ」
「あっちだな!やっぱりまっすぐ鏡に向かってる!」
「見つけたら蛇で足止めするんだぞ!」
 声と足音が遠ざかっていく。ふたりしてふらふらと部屋の奥に歩き、ぐったりと座り込んだ。
「な、なんとかやり過ごせた……」
「……でも戻ってくるのも時間の問題だよね……どうにかしないと」
 鏡をくぐっていない事がバレれば、そこを警戒されて余計に脱出しづらくなる。かといって囮に出来るようなものもない。
「慌てて入ったけど、ここは何の部屋だ?」
 闇に目が慣れると同時に、高い窓から月明かりが差し込んでくる。そのささやかな光を、無数の黄金が反射した。
「……宝物庫だね、ここ」
「鍵すらかけてないとか……不用心にもほどがあるんだゾ」
「まずいなぁ。ここで見つかったらあらぬ疑いかけられそう」
 とはいえ、元は寮の倉庫だ。何か脱出に役立つものがあるかもしれない。立ち上がって、出来る限り宝物には触らないように気をつけつつ、寮の荷物があった奥を目指す。
 少し離れた所で、グリムの小さな笑い声が聞こえた。
「オイ、ユウ、くすぐってぇんだゾ」
「んえ?」
 思わず振り返ると、驚いているグリムの顔が見えた。更にその後ろに、大きな布が重力を無視して広がっている。
 グリムは飛び退きながらも自分の口を両前足で押さえた。ころんと床に転がったモンスターを見て、魔法の絨毯は首を傾げるように捻れる。
「あっぶねぇ……大声出す所だったんだゾ」
「こんばんは絨毯さん、お邪魔してます」
 挨拶すると、魔法の絨毯は機嫌良く揺れていた。僕たちが遊びに来たと思ったらしい。グリムの耳がピンと立った。
「なぁ、ユウ。コイツを使えば楽に逃げられるんだゾ!」
「えっ!?いやでも、家宝とか言ってなかった?」
「逃げられるなら何でも良いんだゾ。一刻も早くここから出るんだろ!?」
「そ、それはそうだけど……」
「オイ絨毯。お前をここから出してやる。協力するんだゾ」
 魔法の絨毯は言葉を理解しているのかしていないのか、子どもみたいに楽しそうに飛び跳ねている。程なく床に平行に広がった。
「さぁ、ユウも乗れ!」
 制服を抱えて乗り込むと、魔法の絨毯は動き出した。前と同じようになだらかに上昇して、窓から外に出る。その瞬間はとてつもない開放感だった。
「脱出だー!」
 寮の建物を離れただけで、気持ちは随分明るくなった。空気の冷たさが心地良い。
 が、そんな感動に浸っている暇はない。下の方が騒がしいので、多分見つかっている。
「グリム、このままだと飛行術とかで追いつかれちゃわない!?」
「ふなっ!やべぇ!おい絨毯!鏡に向かうんだゾ!」
 グリムは訴えるが、絨毯はのんびりとした飛行速度で上空を旋回してる感じだ。
「ええっと、確かカリムはこの房を掴んで……」
 呟きながらグリムが隅の房飾りを掴むと、絨毯が波打つ。次の瞬間には猛スピードで旋回を始めた。さっきまでのおおらかな動きとは全く違う、トルネードみたいな動き。
「ちょちょちょちょぉ!グリム何してんの!?」
「あわわわわ、お、落ち着くんだゾ!!」
 絨毯に腹這いになってしがみついてはいるが、落ちないのが不思議なぐらい激しい。ジェットコースターよりスリル満点。落下の恐怖が大きすぎて酔うどころじゃない。
 グリムは房飾りを握ったり離したり引っ張ったりいろいろやってるが、その度に猛スピードで落下したり逆に急上昇したり直進したと思ったら急旋回したりもうめちゃくちゃ。手を離さないので精一杯だった。
 手を離したら死ぬ。確実に死ぬ。
 絨毯は混乱したままスカラビア寮に飛び込んでいった。止めようとした寮生たちの間をすり抜けて、建物を複雑に飛び回る。そうして体当たりで飛び込んだ扉の先に、偶然にも学校へと繋がる鏡があった。
「グリム!!」
「しめた、これで逃げられる!!」
 絨毯は失速せず、そのまま鏡に突っ込んだ。不思議な感覚が全身を覆い、一段と低い冬の冷たい空気が頬を刺す。
 鏡舎すら飛び出して、空高く飛び上がったのだろう。雪の積もった学園の景色が見渡せた。その絶景に一瞬心を奪われた。
 そう。一瞬。
 絨毯は再び急激に高度を下げ、混乱した感じで旋回を続ける。
「あわわ、止まれ、もう止まれ~~~~!!!!」
 グリムが叫ぶが聞いちゃいない。
 魔法の絨毯は再び鏡舎に飛び込んで、猛スピードでどこかの鏡に突っ込んだ。周りの景色が見えないくらいの速度で飛び続け、何かにぶち当たって投げ出される。頭に衝撃が走り、そこで意識を失った。


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