4:沙海に夢む星見の賢者
スカラビア寮は砂漠の気候で、夜はひんやりと涼しい。外に出ると寒く感じる事もある。これでも寮の建物の周辺には結界のようなものがあって、気温が人間の生活に適した範囲に留まるように調整されているらしい。
夜の談話室にはアジーム先輩とバイパー先輩以外の寮生がほとんどいた。昼間の行進で体調不良を起こした生徒はさすがにダウンしたみたい。見張りの順番を調整しないと、と相談している声がさっき聞こえた。夕食後の訓練にはみんないたと思うから、よく堪えたものだと思う。
「……みんな、集まってるか?」
声に振り返ると、バイパー先輩が談話室に入ってくる所だった。
「はい。……カリム寮長は?」
「寝たよ。安眠効果のあるハーブティーを煎じたから、いつもより深く眠っているはずだ」
寮生たちは明らかにほっとした顔をしている。それに比べ、グリムは憮然とした顔でバイパー先輩を睨んだ。
「……で?なんなんだゾ?オレ様たちに話って。もうオレ様ヘトヘト……一刻も早く寝かせてほしいんだゾ」
「みんな同じくらいキツいんだ。静かにしてろ」
グリムの態度に苛立った様子の寮生が咎めるのを、バイパー先輩が手振りで制止した。僕もグリムを膝に抱えて飛びかからないように押さえておく。嫌がらないので本当にヘトヘトに疲れているようだ。
バイパー先輩が静かに口を開く。
「お前たちがカリムのやり方に不満があるのは解ってる。冬休みに寮生たちを寮に縛り付け、朝から晩まで過酷な特訓。不満を持たない奴はいないだろう。俺もカリムのやり方が正しいとは思ってない」
「じゃあ何故止めないんです!?」
「止めたさ、何度も。聞く耳を持ってもらえなかったけどな」
悔しそうな先輩と寮生たちに、僕の膝の上でだらっとしているグリムが呆れた様子で言う。
「オマエら、そんなにブーブー言うなら、ジャミルじゃなくてカリムに直接文句言ってやればいいんだゾ」
「それは…………その……」
「なんだ、オマエら。ジャミルには言えてもカリムには言えねぇのか?いくじがねぇヤツらなんだゾ」
「ち、違う。俺たちだって言おうとしたさ、何度も!」
寮生のひとりが悲愴な声を出す。
「でも、様子がおかしくない時の寮長は本当に大らかで、優しい良い人で……」
「こんな事になる前は、俺たち全員、寮長の事を尊敬してたんだ。どの寮よりも素晴らしい寮長だと思ってた」
その言葉には、他の寮生も異論が無さそうだ。口々にアジーム先輩がいかに良い寮長だったかを語り出す。
「入学したばかりの頃、寮に馴染めなくて悩んでた俺の話を親身になって聞いてくれた」
「授業のレベルについていけなくて学校を辞めようと思ってた時、朝まで特訓に付き合ってくれた」
俺も僕も、と話は止まらない。結構な数の寮生が、寮長に何かしら助けてもらった事があるようだ。決して実の伴った結果ばかりではないようだが、それでも彼の優しさと面倒見の良さは、美点として寮生たちに評価されている。
「ちょっと大雑把で頼りない所もあるけど、俺たちはみんな寮長が大好きだったんだ。スカラビア寮生でいられる事が楽しかった。……それなのに……」
寮生たちの表情が沈む。
「そう、カリムは本当にいい寮長だ。誰とも分け隔てなく接し、偉ぶる事もない」
「良い人だったからこそ責められない、と……」
何でこんな事になってしまったんだ、というバイパー先輩の嘆きに寮生たちも同調している。
「あのよー。カリムのヤツ、医者にでも見てもらった方がいいんじゃねーか?」
グリムが切り出す。ついでなので僕も頷く。
「言ってる事がコロコロ変わるし、性格がまるで別人みてーになっちまうなんて、ちょっと変だろ?」
「正直、僕たちの手に負える状態じゃないと思います。多少リスクはあっても、専門家の手を借りた方が良いかと」
「そ、そんな簡単に言うなよ……」
「僕は闇の鏡も範囲外のド田舎出身なのでこの辺りではどうか知りませんけど。脳の病気で性格が変わってしまっていて、病気と気づかず放っておいたら手遅れに、なんて話を聞いた事もありますよ」
寮生たちが怯えた表情でバイパー先輩を見る。
「医者か。熱砂の国に戻れば、アジーム家お抱えの医者がいるが……今の様子じゃ実家に連れ戻すのも一苦労だろうな」
「向こうに……お医者さんの方に来ていただく事はできませんか?」
「俺一人が要請しても動いてくれないだろう。俺は所詮従者だ。教師……学園長の要請なら応じてくれるかもしれないが」
「アイツ、つくづく使えねーんだゾ……」
グリムが心底呆れた顔になる。一応、学校で一番偉い人だよ、アレでも。
「じゃあ、最悪の場合は寝ている間に簀巻きにして鏡に放り込むしかないと」
「君、意外と力づくでどうにかするタイプなのか?」
「子分は腹黒陰険暴力メガネなんだゾ」
「今の解決策のどこにも腹黒無くない!?」
「とんでもない脳筋じゃねーか!」
「言って聞かないなら力づくでやるしかないじゃないですか」
「すまない、それは本当にどうしようもなくなった時の最終手段にしてくれ。俺の立場が無くなる」
バイパー先輩が呆れ果てた顔で言う。
「まぁ、病気と決まったわけじゃないですからね」
「なんか悪いモンでも食っちまったんじゃねーのか?」
「そ、それこそ、毒とか……?」
「毒という事はないだろう。もし毒の作用なら、毒味係の俺も同じ状態になってるはずだ」
ですよね、と言った寮生も落ち込んだ顔になる。
原因究明も進まず、つまり解決の具体策も出てこない。
「このままじゃ、俺たちが先に参っちまいますよ……」
「……今のスカラビアが抱えている問題は、つい先日までハーツラビュルが抱えていたものと似ている」
バイパー先輩が切り出す。
「ハーツラビュルも、寮長の圧政に寮生たちが苦しめられていたとか……。あっちは寮長であるリドルのユニーク魔法が怖くて誰も逆らえなかったんだろうが」
「まぁ、大体そうと言えばそうですけど」
でもハーツラビュルとスカラビアの状況は違う。
ローズハート先輩の場合は寮生の事を気にかけた結果、ルールを守らせる事に必死になり、法則がめちゃくちゃな『ハートの女王の法律』も相まって理不尽に感じられるほど厳しくなっていた。彼自身、『ルールを守らせる事』が寮生のためになると信じていたから。逆を言えば、ルールを真面目に守っていた寮生に理不尽な振る舞いをする事は元から無かったんじゃないかと思う。
話を聞く限り、アジーム先輩は元が非常に人当たりの良い性格なのだろう。おそらくはルールや成績に囚われるタイプでもない。きっと人に関わる事が好きな人だ。困ってる人は助けるし、楽しい事は誰かと一緒にしたい、みたいな。
それがマジフト大会とテストの結果を気に病んで豹変した、という状況がどうにも納得しがたい。いや僕はそこまでアジーム先輩の事を知らないから、そんな繊細な一面も実はありましたと言われたら反論の余地も無いんだけど。
あんな誰の目にも辛い訓練を突然課しておいて、『元は良い人』なのに良心の呵責に悩むような素振りも無いというのが、どうにも引っかかる。『良い人』の時も『暴君』の時も、そんな様子は微塵もないのだ。
「そこで、ハーツラビュルの問題解決に活躍した君たちにアドバイスをもらいたい」
バイパー先輩の言葉で、注目がこちらに集まった。
「いや、ハーツラビュルの件は彼ら自身で勝手に解決したんで、僕たち何もしてないんですけど」
「でも、君たちは騒動を間近で見ていたんだろう?その視点で助言が欲しいんだ。俺たちはどうしたらいいと思う?」
「うーん……ジャミルがカリムに決闘を挑んで、寮長になっちまうのはどうだ?」
グリムがハーツラビュルでの決闘の様子を語る。
ナイトレイブンカレッジでは、決闘の勝敗による寮長の交代は普通にある事、らしい。確かにそれなら納得のいく結末になりそうではある。
「カリムはリドルと違ってユニーク魔法も大した事ねーし、楽勝な気がするんだゾ!」
「……それだけは、絶対に出来ない」
バイパー先輩に力強く否定されてグリムが脱力する。
「アドバイス求めといて即却下するんじゃねーんだゾ!なんでダメなんだ?」
「俺の一族……バイパー家は先祖代々アジーム家に仕えている。家臣が主人に刃を向けるなんて、許されるわけがないだろう?」
あっさりと言い放つ。そしてやや物憂げな表情で息を吐いた。
「それに、俺がそんな事をしたとカリムの父親が知れば、バイパー家の処分は免れない。悪いが、俺の身勝手で家族全員を路頭に迷わせるわけにはいかないんだ」
「……それは、子どもに背負わせていい責任じゃないような……」
「仕方ないさ。それがバイパー家に生まれた者の宿命だ」
諦めた表情でバイパー先輩は呟く。何となく、珍しい表情のような気がした。初めて本心を見たような、と言うと変だけど。
「ジャミルがカリムに決闘を挑めないのはわかったけどよぉ」
グリムの声で我に返る。
「寮長があんな調子じゃ、寮生みんなが振り回されて参っちまうんだゾ。リドルも大概だったけど、支離滅裂な分、カリムの方がひでぇ気がするんだゾ」
「そうですよ。俺たち、もうカリム寮長にはついて行けません!」
「今のカリム寮長は、寮長の条件を満たしてない!スカラビアの精神に反しています!」
「寮長の条件?」
首を傾げると、バイパー先輩が説明してくれた。
ナイトレイブンカレッジの七つの寮における寮長の条件は『寮の精神に一番相応しい者であること』。
逆に、寮で一番でないなら寮長の資格はない。
七寮それぞれ特色があり『相応しい』条件も寮による。例として挙げられたポムフィオーレは『誰よりも強烈な毒薬を作れる事』らしい。魔法薬学を得意とする生徒が多い寮なだけある。
……つまり、あの人も毒薬作りの名手って事か……。綺麗な花には毒があるってか。
「じゃあ、カリムはなんでスカラビアの寮長に選ばれたんだ?」
「前寮長の指名さ。カリムのそれまでの働きぶりと人徳が『寮で一番』だと評価されたという事だな」
あいつが指名された時は俺も嬉しかったよ、とバイパー先輩は暖かな微笑みを浮かべる。それに対し、寮生の反応は辛辣だ。
「それも、ジャミル先輩の助力あってのものじゃないですか!寮生はみんな知ってますよ」
「なんで前の寮長はジャミル先輩を選ばなかったんだ!」
「前の寮長を責めるな。アジーム家の親戚筋の人間が、本家の跡取りを差し置いて俺を選べるわけが……」
言いかけて、バイパー先輩は『しまった』という顔になった。でも口から出た言葉はもう取り消せない。不満を抱く寮生たちに最高の燃料が投下されてしまった。
「はぁ~!?また『アジーム家』なんだゾ!?」
「そんな事情があったなんて知らなかった……つまり、コネじゃないですか!」
「汚ねぇ……汚すぎるぜ、アジーム家!」
「頼む。どうか今の話は聞かなかった事にしてくれ」
バイパー先輩が頼んでも、理不尽に虐げられ義憤に駆られた寮生たちは止まらない。
「ナイトレイブンカレッジは、実力主義だからこそ名門と呼ばれているはず。親の威光で評価されていいわけがない!」
「そうだぜ、副寮長!俺たち、そんなの納得いかねぇよ!」
「学園の中では身分や財力なんか関係ない!誰もが平等であるべきでしょ!」
「それは……しかし……」
寮生たちの勢いにバイパー先輩が気圧されていく。
「スカラビアは砂漠の魔術師の熟慮の精神をモットーとした寮。俺は昔から、アジームよりもバイパーのような思慮深いヤツが寮長になるべきだと思っていたんだ」
「待ってくれ。俺だって特別優秀なわけじゃない」
二年生らしき寮生の言葉に、バイパー先輩が異を唱える。
「成績だって、どの教科もいつも十段階で五の平凡さだ。寮長にはふさわしくないよ」
…………どの教科も真ん中?体力育成も?
疑問を口にする前に、寮生の声が上がる。
「寮の精神にふさわしいかどうかは、魔法力じゃない」
「お前たちはどう思う?俺たちの中で、誰が寮長にふさわしい?」
上級生とおぼしき寮生が一同を振り返り問いかける。答えが分かり切っている顔だ。
そして、寮生たちの答えもそこから外れない。
「そんなの、ジャミル先輩の方が寮長にふさわしいに決まってる!」
「そうだ。カリム先輩より、ジャミル先輩の方がスカラビアの寮長にふさわしい!」
「身分ある家の生まれだからって、無能が寮長でいていいわけがない!」
「そうだそうだ!スカラビアに、無能な寮長はいらない!」
寮生たちは口々に感情をぶつけていた。現在の不遇が不正から生まれたものだと知り、自らが語っていた彼の美点さえ怒りに呑ませて否定する。
ハーツラビュルでの事件を思い出す。その場の空気に呑まれ、さっきまでの意思に手のひらを返す愚かな民衆の様相。
とても『熟慮』の精神の持ち主と選ばれた寮生たちの言動とは思えない。熱に浮かされたような部屋の空気に、疑念を抱かずにはいられない。
バイパー先輩を見る。寮生たちの過熱ぶりに困った顔をしていた。主人であるアジーム先輩も、自分を慕う寮生たちも、どちらも裏切れない、という顔をしている。
でもそれが本心かどうかなんて分からない。だって人の心は誰にも見えないから。
悪政を強いる王が倒され、民に尽くしてきた宰相が民衆の支持を受けて王となる、よく出来た物語がいま目の前で繰り広げられている。
でも、これは本当に偶然起こっている事なのだろうか?
「……お前たち、こんな時間に集まって何をしている?」
考えてみようとした時に、談話室の入り口から冷たい声が聞こえた。寮生たちの盛り上がりが急激に静まる。
入り口にはアジーム先輩が険しい表情で立っていた。
「どうやらお前たちには昼間の訓練では物足りなかったようだな。体力が有り余っているらしい」
寮生たちのさっきまでの怒りはどこへやら。誰も『スカラビアに必要のない無能な寮長』に口答えできない。
「ジャミル!今すぐ寮生を庭へ出せ」
「庭へ……?」
「限界まで魔法の特訓をする」
「そんな無茶苦茶な……!」
「オレ様、すでに疲れが限界なんだゾ~!」
「聞こえなかったのか、早くしろ!」
寮生たちやグリムの悲愴な声をかき消すように、アジーム先輩は怒鳴りつける。バイパー先輩は諦めた様子で息を吐いた。
「…………わかったよ。お前たち、外へ出ろ」
バイパー先輩の指示には誰もが従った。グリムを抱えて、ぞろぞろと出て行く寮生の列に紛れる。
疑問を抱くには十分すぎた。あとは確信に至る材料を探さないといけない。