4:沙海に夢む星見の賢者



「寝ぼけた顔をするな!気を引き締めろ!」
 アジーム先輩は昨晩から続いて苛烈な雰囲気のままだ。
 昨日の行進についてバイパー先輩が進言したのか、水のボトルは配布されたものの、どう見ても暑い中十キロ歩くには足りてない。僕とグリムそれぞれの分がもらえただけまぁまだマシだと思いたい。
「うぅ、寝不足の身体に暑さが辛いんだゾ~……」
「寝不足なのか?体調を崩さないように水分補給をしっかりな」
 グリムの愚痴を、列を見回っていたバイパー先輩が拾ってアドバイスしてくれた。
「ジャミル~……わかった、気をつけるんだゾ」
 グリムは気遣われた事に純粋に厚意を感じたらしい。そういえば『文句言ってやる!』っていつぞや息巻いてたけど、アレどうなったんだっけ。
 バイパー先輩は寮生たちの様子を見回っている。連日の特訓に疲れた寮生たちがどんな状態か、心身のサポートのためにやっているのだろうか。真面目な仕事ぶりだけど、アジーム先輩は何も言わない。誉めはしないけど文句も言わない。甘やかすな、とか言わないんだな。
 バイパー先輩が列の見回りを終えると、最後に寮生らの報告を受けて、アジーム先輩に報告する。
「さあ、東のオアシスに向けて出発!」
 号令を受けて列が動き出す。前日と同じように一定の間隔で傘を掲げたりするわけだが、昨日の疲れが残っているようで動きは冴えない。
 こっちも鍛えているとはいえ、さすがにしんどい。ただでさえ寝不足なのも響いている。砂漠の景色なんて変わり映えもしないし、ただただ苦しみの時間が続いていた。
「後方、遅れてきてるぞ!もっと傘を高く!前方、鐘の音が小さい!気を抜くな!」
「しっかりしろ、こんな所で立ち止まったら干からびるぞ」
「そ、そんなのゴメンなんだゾ~」
 アジーム先輩の怒号の向こうから、バイパー先輩の声が飛んでくる。寮生たちも必死でついてきているが、今にも倒れそうで危なっかしい寮生も少なくない。
 倒れたら後ろのラクダに積むぐらいはできそうだけど、果たして足りるだろうか。人間が背負って越えられるような環境じゃない。最悪の事態が起きてもおかしくない。
「昨日より時間がかかってるぞ、もっと早く!」
 アジーム先輩の怒声はもはや檄の意味を為さない。恐怖すら無い。怖いのはこの人の怒りじゃなくて、取り返しのつかない事態が起こる可能性の方だ。
 足の進みが遅ければ、日が高くなり更に気温が上がる。危険な状況は好転どころか悪化しかしない。
「うぅ……これ以上歩けない……」
「オアシスが見えてきた。もうすぐ休憩だ!みんな、あと少しだけ頑張ってくれ!」
 バイパー先輩が声を張り上げる。限界の寮生たちは、それに感激している様子だった。
「どんなに励まされたって、オレ様もうヘトヘトなんだゾ~!」
 素直でよろしい。そして同感。
 今にも崩れ落ちそうな行列は、やっぱり水の気配が微塵も無いオアシスの前に辿り着いた。休憩を宣言した途端、ほとんどの寮生が地面に座り込む。
「の、喉がカラカラなんだゾ。カリム、水を出してくれぇ~」
 グリムが息も絶え絶えに懇願するが、アジーム先輩はグリムを睨みつけた。
「このオレに水を出せ、だと?お前、誰に向かって口を利いている!」
「ヒェッ!?」
「オレはお前らの水道じゃない。水が欲しいものはオアシスから汲んでくるがいい」
 疲れ切った寮生たちが、この言葉をきっかけに低く不満を呟き始める。
「……この干上がったオアシスから水を汲めだって?」
「さすがに横暴が過ぎるだろ……」
「寮長は本当にどうしてしまったんだ?」
「大丈夫だ。こんな事もあろうかと、ラクダに水を積んできてある。荷物を降ろして水を分け合ってくれ」
 バイパー先輩が言うと、まだ動ける寮生たちがラクダに駆け寄った。言われた通りにボトルに水を分けていく。僕たちも貰えた。
「これは飲み水だから、体を冷やすなら水魔法を使ってくれ。塩飴も余分にある。それから、今のうちに温度保持を強めた氷を作ってフードの中に入れておけ。帰りは気温が上がるが、それで少しはマシになるはずだ」
 テキパキと寮生に指示をしていく。寮生たちは疲れ切っているものの、バイパー先輩の気配りに感謝している様子だ。
「ありがとうございます。……ジャミル先輩が寮長だったら良かったのに」
「滅多な事を言うんじゃない。カリムに聞かれたらどうする」
「だって、そうじゃないですか」
「カリム寮長がこうなる前から、寮長の仕事らしいことは、ほとんどジャミル先輩が……」
「……いいんだ。それがアジーム家に仕える俺の一族の……いや、俺の仕事だからな」
 寮生たちは、彼らを見てきた。
 アジーム先輩が『情緒不安定』になり、以前からきちんと仕事をし寮生の面倒を見てきたバイパー先輩の評価が相対的に上がっている。当然の展開だ。
 悪政を強いる王が倒され、民に尽くしてきた宰相が民衆の支持を受けて王となる。
 そんなよくできた物語を見せられている気分だった。こんな事が現実に起きるものなんだなぁ。
「ジャミル先輩。俺、俺……やっぱりもうこんな寮にはいたくない」
 寮生の一人が声を上げれば、何人かがそれに続く。口には出さずとも、同じ気持ちと見える寮生たちはバイパー先輩を縋るような目で見つめていた。
「僕も、もう寮長には従えません!」
「ジャミル先輩は何故あんなカリム寮長に従うんですか!?」
「それは……アイツが『カリム・アルアジーム』だからだ」
「小さい頃から主従関係だから、ですか?」
「……それも理由のひとつではある」
 言いにくそうに答える。
「寮生集合!休憩時間は終わりだ!さあ、さっさと隊列を組め!」
 話を遮るように、アジーム先輩の声が響いた。バイパー先輩は少し慌てた様子で、寮生たちを見回す。
「……今日の夜、少し話をしよう。カリムには気づかれないように俺が手を打っておく」
 そして僕を見た。
「ユウたちも、時間をくれないか」
「そりゃまぁオンボロ寮に帰してもらえないから、他にする事もありませんしね」
「手厳しいな」
 バイパー先輩は苦笑しながら、マジカルペンを振った。フードに氷を詰め込まれる。手には塩飴の包みを幾つか握らされた。
「必ず来てくれ。……頼りにしているよ」
 僅かに微笑むと、バイパー先輩は列の整理に戻っていった。


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