4:沙海に夢む星見の賢者



 疲れた身体を引きずって帰り、シャワーを浴びて、点呼に来た寮生をへらへらと愛想笑いでやり過ごす。扉が閉まった所で、二人して扉に耳を当てた。
「……よし、オンボロ寮の二人はちゃんと部屋の中にいるようだな」
「ほかの部屋を見回りに行くぞ」
 見回りの寮生たちの声がまだ聞こえる。
「脱走を企てる寮生が後を絶たない……カリム寮長も非常にお怒りだ。ジャミル副寮長の進言にも耳を貸さない状態らしい」
「いつまで続くんだろうな、こんな生活。……僕、もう実家に帰りたいよ」
「弱音を吐くな。俺だって、ホリデーは家族と過ごしたかったさ……」
 愚痴はどんどん遠ざかっていく。足音も聞こえなくなった所で、ベッドに戻った。申し訳程度の防音として布団を被る。
「……午後の訓練も、食べたものが全部出そうなくらいキツかったんだゾ」
 グリムがぐったりと呟く。僕も頷いた。
「学園長はアテになんねーし……もうオレ様たちだけでなんとかするっきゃねぇ。そこで、頭脳明晰なオレ様が完璧な脱獄計画を考えたんだゾ」
「……ずのうめいせきなおれさま?」
 意見には一部除き大体同感なのだが、イヤな予感がする。
「聞いて驚け。オレ様は脱出に必要なアイテムを昼間入手した。見ろ、これを!」
 グリムが毛皮の合間から銀色のスプーンを取り出した。多分、昼間の食事で使ったものだ。夜はスプーンを使う料理は無かった気がする。
 しかしどう見ても、何の変哲もないスプーンだ。
「……それでどうするの?」
「このスプーンで少しずつ床を掘って、外に出るんだゾ!」
「頭脳を全く必要としない地道な作業!」
「地元じゃ穴掘り名人と呼ばれたグリム様に任せておくんだゾ」
 地元ってどこだよ。いやそもそも。
「玄関も床も石造りなのにどこ掘るの?」
「それは……お前……き、気合いだ!どっか一カ所ぐらい脆いところがあるかもしんねー!」
 グリムは床を手当たり次第にスプーンで叩き始めた。こんな音させてたらバレちゃう、と言い掛けた時、スプーンの音が明らかに変わった。
「…………ん?」
 机の下に潜り込んでいたグリムと顔を見合わせる。
 グリムはもう一度同じタイルをスプーンで叩く。明らかに叩いた時の音が違った。机をどかしてもう一度叩いたけど、やはり音が違う。目を凝らしてみれば、うっすらとそのタイルの周りだけ接着面にヒビが入っていた。
 グリムがヒビに沿ってスプーンを差し込む。ザクザクと何度か押し込んで、てこの原理で持ち上げた。さすがにグリムだけでは端を浮かせるのが精一杯なので手を貸す。
 タイルの下には空洞があった。グリムが丁度すっぽり入るぐらいの深さと広さ。それでいて壁の方に向かって土が削れている。
「これは……誰かが脱走を企てた跡、かな」
「ここを掘っていけば外に出られる!」
 グリムは表情を明るくするが、しかしどうだろう。
「さっきの話からして、脱走は失敗してるっぽいけど……」
「だからってオレ様たちも失敗するとは限らねーだろ!」
 グリムは意気揚々とスプーンを構えた。
「オマエは誰か来ないか外を見張ってろ!」
 言われて周囲に気を配る。とりあえず気配は近くにない。
 なぜこの部屋に僕たちを入れたのだろう。過去に脱走した人間が使っていた部屋だ。タイルの接着面が雑にでも埋めてあったのだから、存在自体は気づいているはず。机を上に置いたのも隠すためだと思う。
 逆に、だ。
 こんな雑にしか埋める事ができなかったのは何故だろう。存在を知っておきながら、空洞を残したのはどう考えてもおかしい。脱走を許さない割に処理が雑すぎる。
 ……多分、この穴の存在を知っているのは、この部屋の隠蔽処理をした寮生だけなんだろう。下手したらバイパー先輩も知らないんだ。部屋の修復に業者を入れたい、なんて話をしたら、寮の部屋を壊してまで脱走を企てた寮生がいた事がアジーム先輩にバレてしまう。連帯責任で折檻されるなんて避けたいはずだ。
 だから雑に穴を埋めて、タイルで塞ぐだけで誤魔化した。多分、作業時間が足りなかったんだろう。土を運んで埋めるなんて作業、魔法を使っても絶対に目立つし。タイミング悪く僕たちが招かれ、この部屋に案内する事をバイパー先輩が決めてしまった。
 しかし、僕たちがここに泊まる事が決まったの、休みの初日じゃなかった?前夜の時点でこんな面倒な方法で逃げようとした奴がいたって事?思い詰めるのが早すぎない?
「おい、ユウ」
 グリムが穴から顔を出す。
「掘ってるだけの単純作業で飽きてきたんだゾ……ちょっと代われ。オレ様が外を見張ってるんだゾ」
 乾いた笑いを浮かべつつ、グリムを穴から引きずり出す。手を突っ込んで土を掘った。埋めるときに固める暇すら無かったようで、思ったよりは柔らかい。しかしスプーンじゃ先が長すぎる。
 何か道具を探した方が良いかも知れない、と思った瞬間。
「やべっ!見張りが来た!」
 バタバタとタイルと机を戻して、布団に潜り込む。音が響かないかと怖かったけど、見張りは室内を覗いたりはせず、足音は程なく遠ざかっていった。起きあがって顔を見合わせ、安堵の息を吐く。
 外の見張りを交代しながらひたすら掘り進める。一晩中掘り続けて疲れ切った顔に朝日が注いで、ようやく手を止める。午前五時ちょい前。
「……朝までかかって、やっとオレ様の両腕が通るくらいの穴が掘れたんだゾ」
「脱獄は一晩にしてならず……って事だね」
 二人揃って溜息を吐く。
 六時には寮生が起こしに来るだろう。急いでシャワーを浴びて汗と泥を落とし、勢い余って土に汚れたシーツやカバーをクローゼットにしまわれていた予備と取り替える。そうして『ついさっきまで寝てましたよ』という状態を偽装した。
 六時になるとほぼ同時に、扉が無遠慮に叩かれる。
「出ろ、お前たち!朝の特訓の時間だ。今日も東のオアシスまで行進する!」
 寝ぼけた目を擦りながら、さも今起きましたという顔で寮生に従う。
 いやでも眠いのは事実だ。その状態で、昨日と同じ行進をさせられる。
 脱獄とは過酷なものだ、と改めて置かれた状況の酷さを心の中で嘆いた。


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