4:沙海に夢む星見の賢者



 寮に戻ったら料理番の寮生たちは調理場へ向かい、残る寮生で行進の後片付けだ。鞍を外したり傘をまとめたり、なんだかんだと時間がかかる。
 そうして片付けを終えた寮生たちと揃って談話室に入れば、焼きたてのパンがたくさん並んだ豪華な朝食が用意されていた。準備する時間の関係か冷菜が多く、果実のジュースやらヨーグルトドリンクやら水分を補給するメニューも豊富。どれもとんでもなくおいしい。アジーム先輩の機嫌もよく、非常に和やかな朝食の風景だった。
 食事しつつ、アジーム先輩やバイパー先輩、周囲の様子を見ていたが、特に不審な点は見当たらない。見当たらなさすぎるくらいだ。
 確か、一番最初の食事風景はこれぐらい和やかだったと思う。あの時は何も怖い事も不便もなかったのに。
 午前中の残り時間は寮内の清掃や衣類の洗濯など、身の回りの雑事をこなす時間に充てられた。借りているというか、押し込まれてる部屋の掃除も監視付きでさせられたりしたが、それでも昨日着ていた衣類の洗濯ができたのは地味に嬉しい。これを着ていつでも逃げられる、という安心感がある。
 アジーム先輩の様子がおかしくないので帰ると申し出ても良かったが、また豹変されても厄介なのでひとまず様子を見る事にした。寮生たちの一部、僕たちを監視している連中は特にそれを恐れている様子だし。
 そんな感じで雑事をこなしていたら昼食の時間になった。
 朝が冷菜中心の軽いメニューだったのに対し、昼はエネルギーの補給を主とした雰囲気のがっつりメニューだ。何種類ものカレーに焼き物揚げ物、サラダや豆の冷菜もあるけど、しっかり食べる昼食って感じの雰囲気。パンやライスなどの炭水化物も完璧。とても有り難い。
 グリムはむしゃむしゃと夢中で食事を頬張っている。カレーと炭水化物は実に相性がいいので口と手が止まらないのは仕方ない。
 どれもいわゆる本格派のカレーだ。やはりスパイスの風味は強く、時に後から襲いかかる辛さが癖になる。凄くおいしい。
「くっ……こんな囚人生活からは一刻も早く逃げ出したいのに、悔しい事にメシだけはメチャクチャ美味いんだゾ!」
「しゅうじんせいかつ?よくわからないけど気に入ったなら良かったぜ」
 アジーム先輩は昼もご機嫌だ。グリムの食べっぷりを気に入った様子で、今日は牛乳の青カビチーズをグリムの口に押し込んでいる。
「カリム。そう次々と食い物を口に詰め込むんじゃない。グリムが窒息するだろ」
「おっと、ゆっくり食っていいんだぜ。まだまだあるんだから」
「……うう、そういう問題じゃねぇんだゾ~……」
 どうにか飲み込んだグリムの声が届いた様子はない。
 バイパー先輩が止めてくれて押し込むのはやめたけど、グリムがチーズをお気に召していない事には一生気づかないかもしれないなぁ。
「今日は昨日食えなかったアイスクリームをデザートに用意してあるぞ」
 食事も終わりに近づいた所で、アジーム先輩はキラキラした笑顔をグリムに向ける。
「たくさん種類を並べて、でかいスプーンで好きなだけザクザクすくって食べるのがカリム流だ」
「スプーンでザクザク……?」
「そうそう。いくら腹一杯でも、デザートは別腹だろ?今持ってきてやるから待ってろよ」
「カリム、待て。俺が用意してくるから、お前は座ってろ」
 アジーム先輩が立とうとするのをバイパー先輩が止めた。グリムはアイスに心ときめいた様子もなく、何事か考え込んでいる。昨日よりは腹具合に余裕がありそうだが、どうしたんだろう。
「いいって。アイスの用意なんか、冷蔵庫から出してくるだけだろ?」
「馬鹿。主人に給仕させる従者がどこにいるんだ。お前はもう少しアジーム家の跡継ぎとしての自覚を持ってくれ」
 主人の軽率な行動を従者が諫める。
 寮長と副寮長。それ以前に同じ学校の同じ学年の生徒。更にそれ以前に幼なじみ。それと同じくらい染み着いた『主人と従者』の立場を感じさせる。
「お前にそんな事をさせたと知れたら、俺が父さんたちに怒られる」
 見える景色が違う。見ているものが違う。見られる世界が違う。
 その認識を明確に持っているのは、バイパー先輩だけのように思う。アジーム先輩は脳天気に笑っていた。
「ジャミルは本当に真面目だなぁ。いいじゃないか。今は同じ学園の学生同士だろ?」
 その笑顔に対し、バイパー先輩は呆れた溜息を吐いた。なんとか主人を納得させる妥協案を打ち出す。
「……それじゃあ、俺が皿に盛り付けるから、運ぶのを手伝ってくれるか?」
「お安い御用だぜ!」
 アジーム先輩はやはり嬉しそうに笑っている。僕らを振り返って大きく手を振った。
「いま用意してくるから少し待ってろよ!」
 それにうっすら手を振り返し、背中を見送る。何事かごそごそしていたグリムが顔を上げた。
「……オレ様、いよいよ混乱してきたんだゾ」
「と言うと?」
「今のカリムは人の話を聞かないけど、悪いヤツじゃねえ気がするんだ」
「……まあ、そうだね」
 寮生に時代錯誤のトレーニングを課す人間が、今度はアイスを振る舞うために動くというのだから本当に分からない。そういう人間が絶対にいないと言う気はないけど、でもなんだか、考えている事が線で繋がっていないような、同じ人間と思えないような雰囲気がある。
 二重人格、とかそういう事だろうか。だとしたら専門家に任せないといけない領域だ。詳しくもない学生が首を突っ込める話ではない。
 ……とはいえ、どうにも引っかかる。何かよくわからないけどストレスで情緒不安定になってるとか突発的な精神疾患があるとか、そんな『誰も悪くない話』ではない気がするのだ。
「ところで、さっきなんかゴソゴソやってたけどどうしたの?」
「ふな?それはな……」
 グリムが言い掛けたところに、丁度アジーム先輩が戻ってきた。手ぶらで。おや?と思った次の瞬間、厳しい顔から怒号が飛んだ。 
「おい、お前たち……いつまでメシを食ってるつもりだ!王様にでもなったつもりか!?」
「え、えぇ!?」
「今すぐ食器を片付けろ!すぐに午後の特訓を始める!」
「は、はい……っ!」
 寮生たちは戸惑いながらも慌てて片づけを始めた。僕たちもそれに倣って動き始める。
「ヒィ……また怖い方のカリムになっちまったんだゾ!」
 グリムの声を聞きつけて、怒りのこもった目がギロリとこちらを向いた。
「ユウたちも逃がさないぞ。今日は夜までみっちり防衛魔法の特訓だ。さあ、庭に出ろ!」
 情緒不安定ってレベルじゃない。
 その感想はギリギリ飲み込んだ。


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