4:沙海に夢む星見の賢者



 足場の悪い砂漠を十キロ歩き続けるというのは、舗装された道を歩くのとは訳が違う。負担が大きく余計に疲れるのだが、その分足腰を鍛えるのには効果的であり、その上で膝などへの負担が軽減されるという利点もある。メカニズムとかは詳しく知らない。
 で、そんな砂漠を歩くスカラビアの行進が、散歩に毛の生えた歩調の遠足かと言えばそんな事は全然無い。どちらかと言えば、軍隊の行進に近いものを感じる。一部の寮生はなんか鐘っぽい音が鳴る棒や、色とりどりの装飾がなされた傘を手に、それを一定の間隔で掲げながら、速度を崩さず歩き続ける。
 歩くのは砂漠だ。道を示すような旗がそこかしこに立ってはいるものの、舗装はされていない。旗も打ち捨てられた雰囲気だし、うっかりはぐれた時に目印になる事もあるかも、程度の意味しかなさそう。
 風でさえ簡単に動く砂の地面は、一歩踏みしめる度に次に出す足の高さが違う。全員違う。なので普通に考えれば『歩調を全員合わせて行進する』のはかなり困難な重労働だ。傘や鐘も軽くはなさそうだし、よろけそうになる事だってあるだろう。
「そこ、隊列が乱れているぞ!」
 しかしこうやって頭上から厳しい檄が飛んでくるので気が抜けない。暑さはまだ比較的落ち着いているが、太陽が昇ってくればどんどん気温が上がる。水分の補給すら許されない行進は、訓練を通り越して拷問の域だ。一応体力に自信のある自分ですらキツいと感じ始めているのだから、運動が苦手な寮生はもっとしんどいだろう。装備がある寮生は更に辛いはずだ。
「す、少し休憩させてくれぇ~」
「甘えるな!」
 思わずと言った様子で口を開いたグリムに、容赦なく怒号が飛んでくる。
 グリムは毛皮に覆われてるし、地面が近いから余計暑いのかもしれない。でも背負って熱を避けてやる事も、この状況じゃ難しそうだ。
「さぁ進め!この程度で音を上げるのは日頃の訓練が足りていない証拠だ!」
 恨むなら昨日までの自分を恨め、と安い悪役みたいな台詞まで飛び出してきた。
 一緒に並んで行進している人間が言うならまだしも、当の本人は象の上だ。乗馬とかなら乗る人間にも訓練がいるのは分かるが、そんな感じもしない。
 今は疲労が覆って表出していないが、確実に寮生たちの不満を買っている事だろう。
「ペースが落ちてきたぞ!足を上げろ!」
「そ、そんな……もう無理です!」
 思わずといった様子で叫んだ寮生に、アジーム先輩は殺気立った視線を向けた。睨まれた寮生は小さく悲鳴をあげる。
「そんな体たらくだからテストもマジフト大会も最下位になるんだ!」
「も、申し訳ありません!」
「口より足を動かせ!」
 ぶつけられる怒りに怯えながら、寮生たちは足を動かす。
「暑い~水をくれ~干からびちまうんだゾ~」
「オアシスまであと少しだ。頑張れ」
 バイパー先輩の声が遠くから聞こえた。寮生たちは励まされているようだが、それに対するアジーム先輩の文句は飛ばない。視線すら動いた様子が無かった。どうやら暴君モードでも側近は特別扱いのようだ。
 ローズハート先輩も多少クローバー先輩に甘い所はあるようだけど、一方で最初の頃……暴君そのものだった時は、側近でさえ首をはねてしまいそうな危うさはあった。ルールを重視する行動基準もブレが無い。
 アジーム先輩のように、上機嫌に振る舞う時間が存在していなかった。
 ハーツラビュルの過去の問題と、スカラビアの現状を重ねて見るのは違う気がする。
 考え事をしながら歩き続ける。気温の上昇と疲労で少しぼんやりしていた。
 砂漠の中を歩く大勢の人たち。賑やかな鐘の音。重なる人の足音。男の声。
 目の前の光景を夢で見た事があるような気がした。
「オイ、ユウ。なにボーッとしてんだゾ。暑さでやられちまったのか?」
「……全体、止まれ!」
 僕が何か答える前に頭上から号令がかかった。慌てて足を止める。
「や、やっとオアシスに着いたんだゾ?」
 グリムや寮生たちが希望に溢れた表情を見せているが、周囲を見回しても砂漠のど真ん中だ。水がありそうな気配はない。
「これより十五分の休憩をとる。その後、また寮へ向かい行進開始だ」
 アジーム先輩が解散を号令すると、寮生たちが周囲に散らばった。グリムはめざとく木が生えてるのを見つけてそちらに駆け寄る。僕もついていった。
「水、水…………って、このオアシス、水が全部干上がっちまってるんだゾ!」
 グリムの言うとおり、砂の中にそれっぽい大きなくぼみはあるけど、水なんてどこにも見あたらない。くぼみの周りに生えてる木は形を保っているのが奇跡みたいな有様だ。
「みず……水……、水が欲しいのか?」
「当たり前なんだゾ!もう喉がカラカラだぁ……」
 グリムは誰に声をかけられたかも判らず反射的に返したようだった。寮生たちが青ざめていく中で、言い返されたその人はニカッと太陽のように笑った。
「なら、オレがよく冷えた美味い水を飲ませてやるよ!」
 言うなり、アジーム先輩はどこからか杖を取り出した。黄金の蛇が巻き付いた、やたらキラキラしている豪華な杖。
「熱砂の憩い、終わらぬ宴。歌え、踊れ!」
 詠唱と共に、陽光の下でも見えるくらいの眩い光がアジーム先輩の周りを舞う。
「『枯れない恵み』!」
 アジーム先輩が杖を空に掲げると、舞っていた光が一斉に弾けた。
 途端に、一帯に雨が降り始める。乾ききった身体を潤していくのに、決して不快な勢いではない。それでいて手で受け止めるとあっという間に水でいっぱいになる。
「うわ~、恵みの雨なんだゾ~!」
 寮生たちは手で受け止めたりコップを召喚したり、思い思いの方法で水を飲み始めた。表情がどんどん明るくなっていく。
「うめぇ……乾いた身体中に染み渡る美味さだ……!」
「はぁ、生き返る……」
 そんな感想に心引かれて、おそるおそる手で受け止めた水を飲んでみた。柔らかく、程良く冷たく、身体に染み込んでいく。水の質なんて気にした事はないが、確かにとても美味しく感じた。
「そうか、美味いか!水だけで良いなら、乾いたオアシスをたっぷり満たすぐらい出してやれるぜ」
 寮生たちの笑顔を見て、先輩の笑顔はますます眩しくなる。
「オレのユニーク魔法『枯れない恵み』は少しの魔力で美味しい水をたくさん作り出す事ができるんだ」
「なんか……『水がいっぱい出る』って、ユニーク魔法にしてはめっちゃ地味なんだゾ」
「そう言ってくれるなよ。少しの魔力でいっぱい出るってのが、オレの『枯れない恵み』のウリなんだ」
 水道が普及していない時代なら重宝されたと思うんだけど、とアジーム先輩もちょっと悲しげだ。
 ……確かに都市部にいたら全く役に立つ場面が無さそうだけど、不測の事態にはかなり強いと思う。監禁されたり置き去りにされたり迷子になったり、食料の補給がままならない状況だと水の確保も大体難しい。逆に『水だけはどんな状況でも確保できる』って生存するには結構な利点だと思う。
 というかこの魔法、多分キングスカラー先輩のユニーク魔法を打ち消せる。雰囲気からの想像だけど範囲や持続時間、かかる負担もそれほど差がないんじゃないかな。下手したら魔力消費が軽い分、アジーム先輩の方が長く出し続けられる可能性もある。
 水分を奪い取る端から補充するとかいう脳筋対抗だし、相手の技術力からしてそれだけで勝てる事は恐らく無い。でも学内トップクラスの魔法士のユニーク魔法に対抗できるっていうのは、存在感も結構大きいと思う。
 寮長になる人にはそれなりの理由があるよな、やっぱり。
「ま、お前の言う通り、水道が普及した現代じゃあんまり役に立たない魔法なんだけどさ。あっはっは!」
 当の本人はまるで気にしてなさそうだけど。
「でも!オレが生み出す水は、世界一美味い自信があるぜ」
「そう言われてみれば……確かに、お腹に優しい冷たさでありながら、決してぬるくない。新鮮な湧き水のように口当たりまろやかで、ゴクゴクいけるお水なんだゾ」
「モンスターに水の違いなんかわかるのか?」
「なにおぅ?失礼な!オレ様の味覚は確かなんだゾ!」
「うんうん、オレの見込み通りだ!グリムは違いがわかるヤツだって思ってた。よし、褒美にクラッカーをやろう」
「うっ!……ハラは減ってるけど、今パサパサしたものは食いたくねえんだゾ~」
 硬い表情だった寮生たちまで笑顔で軽口を叩きはじめ、アジーム先輩も全く気にしてない様子の笑顔で応じている。一部の寮生はその様子を不審の目で見ていた。
 グリムは何とかクラッカーを拒否してこちらに逃げてきた。背中によじ登り、肩に乗っかってくる。触ると毛皮はしっとりと濡れてひんやりしていた。
「……なんだか出発前と様子が違うよね」
「む。……確かに、出発前とは別人みてーなんだゾ」
「昨日の、魔法の絨毯に乗せてくれた時と同じ感じ」
「そうだな。……行進がうまくいって機嫌が直ったとか?」
「どうだろう……そんな出来には見えなかったけどなぁ」
 いったい何が違うのかと考えるが、全く分からない。どう見ても唐突に機嫌が直ったようにしか思えなかった。
 寮生たちの様子を見ていたアジーム先輩が、僕たちの方を見て顔を輝かせた。頭上でグリムがヒェッと怯えた声を出す。
「いいなぁ、ユウの肩には乗るんだな。グリム、俺の方にも来いよ」
「い、イヤなんだゾ!」
「えー」
「グリム結構重いですよ」
「うーん、そうなのか?家でもよく猿とか乗せてたし、大丈夫だと思うんだけどなぁ」
「猿とかより、子どもを肩車する感じに近いかもです」
「あ、なるほど!それならできるぜ!よく弟や妹をおんぶしたり肩車してたから!さ、グリム!」
 アジーム先輩は満面の笑みでグリムに手を差し出す。めちゃくちゃ無邪気で楽しそうな顔をしている。
「……カリム」
 グリムが僕の頭に軽く爪を立てて拒否を示すと同時に、見かねた感じでバイパー先輩が声をかけてくれた。
「十五分休憩がもう終わる。皆を集合させて寮へ戻ろう」
「もう?もう少し休んでいってもいいじゃないか」
「あまりのんびりしていると陽が高くなる。気温が上がるとその分キツくなるぞ」
「それもそうか」
 アジーム先輩は再び杖を取り出し、ユニーク魔法の発動を止めた。途端に空気は乾きはじめる。
「よーしお前ら、寮へ戻って朝食だ!帰り道も頑張ろうぜ」
 寮生たちは元気に返事した。行きの地獄を見ているような表情は、一部に残るだけ。
 疑念を抱きながらも、行きとはまるで違う和やかな行進に紛れて帰路に就いた。


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