4:沙海に夢む星見の賢者



 スカラビア寮は大きな二つの建物で構成されていた。
 片方には各寮生の居室や案内された宝物庫などがあり、片方は談話室と調理場がある。両者は噴水のある大きな庭を挟んで存在していた。
 談話室が広くてとびきり豪華な事が別棟仕様の理由だと思う。外から客を招いてパーティーを出来るようになっているみたい。談話室の窓から見る寮や庭は景色としてとても美しく、寮として歓迎の催しなどをするのに丁度いいのだろう。
 学校へ繋がる鏡は寮生の居室などがある方の建物の中だが、場所は談話室寄りの位置にある。学校から鏡を通ってやってきた客は、まず正面に広大な庭と談話室のある建物を見る事になるのだ。
 僕たちが案内されたのは、寮生たちの私室が並ぶ区画。ネームプレートをつける枠がありながら何も入ってないので空き部屋らしい。
 中はホテルかと見まがうような作りだ。ベッドは広々としてるし、クローゼットも金で装飾されている。二人部屋なのか机が寄せて片付けてあるのと、ベッドの上の布団が畳んだままなのが、ここが客をもてなすための部屋ではないという事を示していた。
「着替えはこちらをご利用ください」
 寮生の一人がいつの間にか布の包みを持っていて渡してきた。少しめくって中身を見ると、スカラビアの寮服っぽい。新品らしい袋に入った下着まであった。着替えを取りに行く、という一時離脱の言い訳は使えないようだ。
「個室のシャワーは自由に使えますので。タオルなどはクローゼットに入ってます」
「はぁ」
「それでは、ゆっくりとお休みください」
 寮生はそう言って部屋を出ていく。
 足音が遠ざかった所で、グリムが怒り始めた。
「も~~っ!!やめとけって言ったのに!ユウ、オメーはなんでそう厄介ごとに首を突っ込むんだゾ!」
「いや、断ろうと思ってたんだけど……」
「スカラビアの問題なんだゾ。自分たちの問題は自分でカタつけろってんだ!」
「なんか……気づいたら引き受けちゃってたっていうか……」
「ったく、オメーはなんだかんだ流されやすいし、お人好しなところがあるからな~」
 たまに怖い時もあるけど、とグリムはぼそっと呟いた。今回は僕の不手際なので反論はやめておこう。
 正直に言って、バイパー先輩にも不可解な所はある。何がおかしいのか具体的に説明しろと言われると困るが、とりあえず何かがおかしい。寮の縄張り意識が強いこの学校の生徒が、他寮の人間に気軽に助けを求めてくるのも妙に思う。
 かと言って、僕やグリムをここに連れてくるメリットがどこにあるのか、なんて分かるはずもない。アーシェングロット先輩のように『オンボロ寮』に奪う意味があるとかならまだしも、今のところそういう目的は見えてこない。
 ……考えても前に進みそうにない。
「とにかく、オレ様はもう面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらゴメンなんだゾ」
「それは僕もそうだよ」
「今のうちにこっそり抜け出して、オンボロ寮に戻ろうぜ!」
「……そうだね。それがいいや」
 提案には面食らったが、それはその通りだ。後から言い訳はいくらでも出来る。やらなきゃいけない仕事もあるし。オンボロ寮に戻ればゴーストたちに知恵を借りる事だって出来るだろう。
 考えても前に進まないなら、行動あるのみ。
 受け取った包みはベッドに置いて、グリムと一緒に部屋を出る。
「よし、まずは学園に繋がる鏡の所へ……」
 グリムの声を遮るように、甲高い笛の音が廊下に響いた。
「にゃ、にゃんだぁ!?この音は!?」
 戸惑っている僕たちの前に寮生たちが駆けつけてくる。後ろの方からも足音が聞こえた。
「お前たち!勝手に寮外へ出ようとするとは何事だ!」
「この冬休みの間は、誰であろうと寮長の許しなしに寮を出る事は許されない!」
「なにぃ~~っ!?」
「そんな滅茶苦茶な!」
「大人しく部屋に戻れ!」
「そう言われて大人しく戻るヤツなんかいねえんだゾ!」
 グリムの炎が透明な壁に防がれる。その隙に走り出した。急いで前を塞ぐ寮生を体当たりで弾く。よろめいた寮生が仲間を巻き込んで倒れた。
 角を曲がると前方から更に新手が来ているのが見える。
「ふなぁ!また出てきた!何人起きてやがんだ!」
「下手に逃げても建物を把握してない僕らじゃ逃げきれない!正面突破するよ!」
「わかった!」
 飛んでくる魔法の攻撃にはグリムが防壁で応戦してくれる。もたもたしてると後ろが追いついてきてどんどん不利になる。どんなにわずかでも道を切り開いて逃げ切るしかない。
「ユウ!」
 グリムが斜め上に視線を向ける。足を止めるとグリムは背中から登って肩を踏み切り、見ていた方向に跳び上がった。
「ふなぁ~~~~!!!!」
 前方の一団に向かって特大の火の玉を叩きつける。防壁で防ぎきれないと判断したのか、寮生たちは散開してこれを避けた。一番近くにいる一人がマジカルペンをこちらに向けたので、一気に間合いを詰めて腹部に肘を叩き込む。グリムを狙っている寮生が見えたので、手近に飾ってあった壷をそいつの顔面に投げつけた。ナイスキャッチ。割れたら請求怖いぞ。
 鏡のある所までもうあと少しのはずだ。グリムも同じ所感だろう。自分を捕まえようとした寮生にひっかきをお見舞いしながら、目はこっちを見ていた。
 これ以上時間はかけられない。もうあとは何が来ても避けるしかない。
 逆に言えば、ここさえ避ければ逃げきれる。
 飛び道具でも避けきれるように警戒は最大限していた、つもりだった。
「れれれ、『赤蛇よ来たれ』!!」
 特大の火の玉に腰を抜かしてひっくり返っていた寮生が、声を裏返しながら叫んだ。
 頭上からばたばたばた、と結構な重さの何かが大量に落ちてくる。
「あ」
 グリムの顔が青ざめたのが視界の端に見えた。
 肩の辺りに引っかかっていたそれがずるりと動く。首筋にぞわぞわした感覚が這い回った。
 自分の身体を見下ろす。足下に赤い鱗の蛇がうじゃうじゃとうごめいているのが見えた。何本か手足に絡まっている。
 ぞわぞわした感覚が全身に広がり、思わずへたり込んだ。意識が遠のきかける。逃げたいのに足が動かない。身体に巻き付いているのを取り除きたいけど触りたくない。
「ユウ!!」
 グリムが駆け寄ってこようとしたけど、その前を塞ぐように寮生が飛びかかった。あっという間に取り押さえられる。
「くそぉ、離せ~!」
「手こずらせやがって……」
「もう少しで逃げられる所だった……まさか蛇が弱点とは……」
「お手柄だぞみんな~!」
 身体に巻き付いている蛇はそのままに、二人がかりで身体を抱えられ引きずられる。グリムも魔法で拘束されているようだ。
「大人しくお縄につけ、灰色のドブネズミめ!」
「オレ様は灰色だけどドブネズミじゃねえ!離せ~!」
「ええい、暴れるな!」
 さっきまでいた空き部屋に二人揃って投げ込まれる。役目は終わったとばかりに蛇は召喚した寮生の手元に戻っていった。僕はまだ脱力したまま動けない。グリムの拘束も外れているけど、集まってきた寮生たちは部屋の前にまだ残っている。脱出は絶望的だ。
「見張り担当者がこいつらの部屋の鍵を閉め忘れていたようだな」
「まったく……もし逃げ出したヤツがいたなんて寮長に知れたら、俺たちがどんな目に遭わされるか……」
 上級生らしき寮生たちが怯えも滲ませながら呟いている。そして迷惑そうな顔で僕たちを睨んだ。
「次に抜け出そうとしたら、タダじゃおかないからな!」
 無慈悲に言い放ち、扉が閉められる。グリムはすぐさま扉に飛びかかった。
「こらーっ出せ~~!」
 がちゃがちゃとノブを回して暴れるが、扉は今度こそ開かない。
 やっと身体に力が戻って起きあがれるようになると、グリムは肩で息をしながら戻ってきた。
「ドアがびくともしねぇ。鍵をかけられちまったんだゾ」
「……ごめんね。足引っ張っちゃって」
 グリムは憮然とした顔になる。
「本当なんだゾ。オレ様がいないとダメな子分だな」
「……もし、次に逃げられる機会があったら、グリムは僕を置いて逃げてね」
「ふなっ!?な、何でだ?」
「今ので僕が動けなくなるのはバレちゃったから、次からは最初に使ってくるはず。でも僕が囮になれば、グリムだけなら小柄だし足が速いから、うまくかいくぐって逃げられると思うんだ」
 グリムは複雑そうな顔でしばらく僕を見上げていたが、きゅっと怒りの表情になって胸を張った。
「子分がオレ様に指図すんな!!」
「でも……」
「親分ってのは、子分を守ってやるのも仕事なんだゾ!あんな蛇ぐらい、次からはオレ様がバシーッと追っ払ってやる!オマエはいつもみたいに好きなだけ暴れて、他の連中をボッコボコのギッタギタにしてやればいいんだゾ!!」
 グリムが膝に前足を乗せてくる。
「だから、子分も一緒に脱出するんだゾ」
「……グリム」
「それに、オレ様は重たい薪運びを一人でやるなんてゴメンだ。オマエがやらねーとごちそうがナシになっちまうからな!」
 にゃはは、といつものようにご機嫌に笑ってみせた。たまらず、その身体を抱きしめる。
「ぐえっ、ぐ、ぐるじい……」
「ありがとう、親分」
「……まったく、しょうがない子分なんだゾ」
 声音は呆れていたけど、僕の頭に触れてくる小さな手はとても優しかった。

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