4:沙海に夢む星見の賢者
「本日はここまで!」
アジーム先輩の声が夜の庭に響きわたる。そこかしこで寮生たちの荒い息が聞こえていた。しゃがみこんでしまった寮生もいる。
しかし寮長は容赦がない。
「明日の午前中は、東のオアシスまで行進だ。徹底的にしごいてやるから、そのつもりでいろ!」
そう言い放つと寮の中に戻っていった。
アジーム先輩の姿が見えなくなると、途端に寮生たちは嘆き出す。疲労のあまり噴水に頭を突っ込んで、慌てて引きずり出されている寮生もいた。
魔法が使えないからやる事が無いだろうと思ったら、対物理攻撃に対する防壁の実験台をやらされた。防具を借りたとはいえ、固い壁を殴る訓練なんて普通やらないから力加減にも難儀した。蹴りを封印した自分の判断を誉めたいが、それでも明日痛みが出そうで今から怖い。
「や……やっと終わった」
ボロ雑巾みたいになったグリムがヘロヘロの足取りで近づいてくる。頭を撫でても嫌がらないので相当疲れたようだ。
一方、寮生たちは疲れた身体を引きずるようにして寮の中に戻っていく。見送りながら、グリムは困惑した様子で首を傾げた。
「アイツ、さっきまで超ニコニコした良いヤツだったのに、急に人が変わっちまったんだゾ。どうしちまったんだ?」
「きっと、寮対抗マジフト大会やテストでスカラビアの成績が振るわなかった事に責任を感じているんだろう」
グリムの疑問にバイパー先輩が応え、物憂げな表情で目を伏せる。
「アイツは最近、ひどく情緒不安定なんだ」
「情緒不安定ってレベルじゃねえんだゾ。まるで別人じゃねーか」
「俺もアイツとは長い付き合いだが、今のカリムとどう接したものかと困り果てている」
以前はこうではなかった。
そんな感じの呟きは、さっきも聞こえた気がする。バイパー先輩も同意見のようだ。
今のアジーム先輩は、時に幼なじみであるバイパー先輩ですら手に負えないほどの横暴さで、慕っていた寮生たちもその変化に戸惑っているという。
その原因として考えられるのが、度重なる失態、という事らしいけど。
『アイツも、もう少し気楽に生きればいいのにな……』
魔法の絨毯で飛んでいた時のアジーム先輩の言葉が脳裏に浮かぶ。幼なじみの心配をしている言葉だったと思うけど、それにしては現状と比べて激しい違和感があった。
寮の行事で連続の最下位になり責任を感じている寮長が言う台詞、なのだろうか?
「さっきのように突然無茶を言い出す事も多くて……このままじゃ寮生たちの不満が爆発するのは時間の問題だ。今まではなんとかフォローしてきたが……俺一人の力ではもう限界が見えている」
「うーん、ハーツラビュルのトレイといい、副寮長ってヤツは苦労するんだゾ」
グリムが珍しく同情的な言葉を口にすると、バイパー先輩は何かに気づいたような感じで顔を上げた。
「そうか……君たちこそ、ダイヤの原石なんだ!」
「はぁ?なんだそれ?」
「君たちはハーツラビュルやサバナクロー……さらにはオクタヴィネルの問題までを解決に導いた優秀な生徒だと噂で聞いてる」
優秀な生徒、という言葉にグリムが胸を張る。
「へへ~ん。そうだゾ。アイツらはみんなオレ様たちの活躍に感謝すべきなんだゾ」
「いや、優秀ではないです。巻き込まれただけだし。解決したのは人の手を借りまくった結果なので」
僕が冷ややかな目で否定するのを無視して、バイパー先輩は僕の両手を掴んだ。真剣な眼差しが僕をまっすぐに貫く。
「頼む。どうか俺たちスカラビアの力にもなってくれないか」
「えぇっ?」
「食堂でたまたま出会ったのも運命の巡り合わせだ。きっと君らはダイヤのように輝く解決策をもたらしてくれるに違いない!」
「そ、そんな事を言われましても……」
「確かにオレ様は優秀だけど、それとこれとは話が別なんだゾ!」
グリムが肩に登ってきて、握られてる手をぺしぺし尻尾で叩いた。
「他寮のトラブルに首を突っ込むのはやめとけよ!オレ様、もう面倒ごとはこりごりなんだゾ!」
「そ、それは……」
僕だって同じ意見だ。情緒不安定な寮長を宥める作戦なんてありはしない。
拒絶を示すために身体を引いていたのに、握られた手が強引に引き寄せられる。希うような口調には似つかわしくない行動に驚いて、思わず相手の顔を見た。
「君は……俺たちを助けてくれるよな?」
「わかりました」
「ふなっ!?お、オマエ、なに安請け合いしてるんだゾ!?」
グリムの声で我に返る。僕の戸惑いを完全に無視して、バイパー先輩は嬉しそうな笑顔になった。
「引き受けてくれるのか。嬉しいよ、ユウ」
髪飾りの揺れる音が聞こえるくらい、顔を近づけてくる。夜の闇の中、照明を背にしたその表情は見えづらい。声は喜びに満ちているのに、彼の表情を笑顔だと断言出来なかった。胸の奥に言葉にならない恐怖が滲む。
「そうと決まれば、ぜひ二人とも賓客としてスカラビアに留まって欲しい」
呆然としている僕はともかく、グリムの様子すら無視してバイパー先輩は寮の方を振り返った。手を叩くと、寮生が三人出てきて駆け寄ってくる。
「お呼びでしょうか、副寮長」
「お前たち、客人を部屋へ案内しろ」
「はっ!」
バイパー先輩の指示に従い、一人が前に、二人が後ろに立った。まるでそうする事が決まっていたかのようなスムーズな動き。
「こちらへどうぞ」
声音は固く、拒絶を許さない厳しさが感じられた。従って歩きながら、まだ庭に立っているバイパー先輩を盗み見た。相変わらず表情はよく見えない。
気味の悪いもやもやしたものが、腹の奥に満ちていた。