4:沙海に夢む星見の賢者
「も、もう食べられない……」
談話室のソファの上で、グリムが大の字に広がっている。心なしかお腹がいつもより膨らんでいた。
全員の食事が終わると食器類はあっという間に片づけられて、手伝いを申し出る暇すら無かった。交代で食事していた音楽隊も、全員で片づけに入っている。行事が終わった後の気怠い空気が、談話室に漂っていた。
「腹がはちきれそうなんだゾ。あのカリムってヤツ、めちゃくちゃカビののったクラッカーを食べさせてきやがる。出されたモンは全部食うのがオレ様のポリシーだけど、それにしたって食わせすぎなんだゾ……」
「本当によく食べたね……」
僕にも多少勧めては来たけど、完全にグリムがメインの標的だったように思う。小動物はかわいくて仕方ない、という事なのだろう。
「おーい、二人とも。おやつにしないか?アイスクリームがあるぜ。それともフルーツの盛り合わせがいいか?ピスタチオとアーモンドの焼き菓子もあるぞ。ジャミルに持って来させようか」
「い、いらねぇ。もう一口たりとも入らねぇんだゾ~!」
「僕もお腹いっぱいなので、お気持ちだけで大丈夫です。ごちそうさまでした」
ふたりして断ると、明るい笑顔が沈んでしまった。しょぼくれた仔犬を前にしたような罪悪感が胸を刺す。
「そうか、どれも美味いから食ってもらいたかったんだけどな」
しかし陰った太陽はすぐに光を取り戻した。
「ま、オレたちはこの冬休みはずっと寮にいる予定だし、いつでもメシ食いに来いよ。な、ジャミル!」
「ああ、いつでも」
バイパー先輩はしれっと同意を返した。妙な違和感を覚えつつ、ずっとある疑問を口に出す。
「皆さんはなぜ、帰省されないんですか?」
「ん?ああ……この間、寮対抗マジフト大会とテストがあっただろ?」
「ええ」
「ウチの寮、どっちも順位が最下位になっちまってさ」
「ああ……」
マジフト大会はディアソムニアが優勝したはず。サバナクローの妨害策でバイパー先輩が負傷していた。それで成績が奮わなかったという事だろう。
テストは言わずもがな、オクタヴィネルの画策によって平均点がとんでもない事になっていた。バイパー先輩も二年生だし、もしかしたら警戒を呼びかけて、この寮はあのノートの利用者が少なかったのかもしれない。結果的に順位の下降を招いた、という事になるだろう。
……だとするとスカラビアに落ち度は無いように思うけど、彼らはそれで済まなかったらしい。そりゃ、オクタヴィネルと双璧を成す成績優秀者の多い寮、だもんなぁ。ただでさえ負けん気の強い生徒が集まってるこの学校の一員だし。
「それで、一念発起。寮生みんなで自主的に特訓しようぜって事になったんだ」
「マジフト大会ではスタートラインにすら立てなかったオンボロ寮からしてみたら、羨ましい話なんだゾ」
「そっかぁ。そりゃ残念だったな」
微妙な励ましを口にするアジーム先輩を横目に、バイパー先輩が咳払いする。
「この冬休み……俺たちは毎日六時間、勉強したり魔法の実技訓練をして過ごそうと思ってる」
「毎日六時間?それじゃあ、学園で授業がある時と何も変わらねぇんだゾ」
それぐらいしないと追い付けない、という考えなのだろうけど、寮生自身にやる気が無いのでは効果もあまりなさそう。……これだけ乗り気になれないのは、スカラビア寮の寮生たちも自分たちに落ち度はない、って思ってるのかもしれない。
グリムはちょっと斜に構えた感じでニヤリと笑い、少し低い声で語り出す。
「ホリデーってのは休むもんだ。宿題なんか、休みが明けてからやりゃいいんだよ。……って、レオナは言ってたゾ」
似せてるのが解るのが面白い。バイパー先輩は呆れ顔だ。
「相変わらずだな、あの人は……」
「うーん、でも、言われてみれば確かにそうかもしれない」
アジーム先輩は腕を組んで、悩むように目を閉じる。
「オレのとーちゃんも、『学ぶときは真剣に学び、遊ぶときは思い切り遊べ』って言ってたし……レオナの言う通り、メリハリが大切かもな」
うんうん、と一人で頷き、そして開いた目は爛々と輝いていた。
「よし、オレは決めたぜ、ジャミル。やっぱり休暇はちゃんと取るべきだ。寮生たちを明日実家に帰してやろう」
「えっ!?」
思わぬ展開にバイパー先輩が目を見開いていた。まだ少し談話室に残っていた寮生たちも、声はあげないが顔を見合わせている。
「この事は寮生たちには夕食の席で話す事にする。ジャミル、みんなに欠席しないよう伝えておいてくれ」
「あ、ああ……。わかった」
面倒ごとに巻き込まれそう、と思っていたが解決したようだ。杞憂に終わって何より。
「そうだ、ユウたちにスカラビアを案内してやるよ。見せたいものがあるんだ」
アジーム先輩は笑顔で提案してくれたが、これにはバイパー先輩が異を唱えた。
「寮生には勉強させておいてお前が遊んでいたら示しがつかないだろ」
「せっかく客人が来てるんだ。今日はいいじゃないか」
「……カリム」
「うっ。わかったよ。そう怒るなって」
バイパー先輩の厳しい視線を受けて、アジーム先輩が折れた。奔放な主人と冷静な従者、といった雰囲気。
……こうして見ると、寮生が逆らえないほど怯える状況には見えないんだよなぁ。仮に思いつきで『帰省をやめさせる』なんて言い出しても、バイパー先輩ならうまく説得して止められそうな気がするんだけど。
「じゃあ、防衛魔法の特訓をするか。試合は腹ごなしにもちょうどいい。おーい、誰か。相手をしてくれないか!」
「はい、寮長!」
声を聞きつけて、談話室の外からも何人か寮生が駆けつけた。
「グリムも運動してくる?」
「お、オレ様一歩も動きたくねえ……」
「ユウもグリムも来いよ!一緒に特訓しようぜ!」
「ふなっ!?」
アジーム先輩は軽やかにやってくるとグリムを抱えて走り出す。慌てて後を追いかけた。
大きな噴水のある広場では、既に寮生たちが飛行術や召喚魔法の練習を行っていた。この広場だけで大きな公園ぐらいの広さがあるし、場所にはたっぷり余裕がある。それでもアジーム先輩がやってきたのを見て、場所を空けるように動いていた。
なんだかんだグリムもやる気になったのか、アジーム先輩の隣で構えている。攻撃魔法を撃ってもらってそれを受け止める、というスパーリングのような訓練だ。
確か授業では、向かってくる攻撃に対し正しい強度の防壁を構築する必要性を説いていた。耐熱、耐水、耐衝撃等々、防壁と一口に言っても魔法で作れるその仕様は多岐に渡る。万能の防壁は簡単には作れず、コストも大きい。防壁の範囲なども自在に作れて初めて実用に足る、とかなんとか。
マジフト大会の時にローズハート先輩の『首をはねろ』を弾き飛ばしたキングスカラー先輩の防壁は、強固な耐衝撃、もしくは耐魔法、という性質らしい。授業で習った内容からの推測だけど。本人教えてくれそうにないし。
見た所、一年生の授業よりは高度な実践訓練のようだ。そりゃ三年生も混じってるから当然か。お互いにアドバイスをしあったり、攻撃側に種類の要請をしたりと意外と協力的だ。まぁ、目の前に怖い寮長がいるから下手な事出来ないだけかもしれないけど。
「暇そうだな、ユウ」
バイパー先輩が端っこで突っ立ってる僕に微笑みかける。
「人づてに聞いたんだが……君は格闘技が得意だとか」
「得意……うーん、習ってはいますけど、得意ってほどでは」
顔に向かってきた拳を避ける。バイパー先輩は笑顔のままだ。
避けられる事が前提の攻撃なのはイヤでも解る。あの『そうこなくっちゃな』って顔が全てを物語っている。
「……無いと思いますよ」
「よかったら相手をしてくれないか?訓練とはいえ、たまには違う戦い方の相手ともやらないと鈍ってしまうからな」
「いやいやいや、僕なんかじゃ相手にならないですって」
この人が何を考えているか解らない。今日会った時から妙に値踏みされている感じがする。訓練を自称してても無用な戦闘は避けたい。
しかし向こうはどこ吹く風だ。
回し蹴りからの足払い。しゃがんだ状態から跳ね上がっての踵落とし。防戦どころか避けるのが手一杯のこちらを見て笑っているのだから気分が悪い。思わず舌打ちしていた。
抱えていたジャケットを相手の顔面にぶつける。頭を狙った蹴りはバク転で避けられた。距離を取った相手は悠々と顔にかかったジャケットを取って隅に投げる。
「いい反撃するじゃないか。驚いたよ」
「余裕で対応しておいてよく言いますね」
バイパー先輩は笑みを深める。獲物を前にした肉食獣のような、嗜虐的な雰囲気があった。こいつもこういうタイプかよ。
相手が構えを解くまで、こちらも警戒は解けない。しなやかでバネはあるけど、獣人属ほど力押しではない印象だ。腕力に頼らない分、無駄がない。本気なんか少しも出してない。
相手が踏み切ってくる。拳を避け肘を避け、脚をかわして転がった。動きを止めるポイントは的確に押さえられていて、一瞬でも気を抜けばダメージをもらうはめになる。反撃よりも防御を優先するべきだ。
ここまで隙間無く攻められる相手が、自分の隙に無頓着なんて有り得ない。見つけてもそれは絶対に罠だ。
そして今の僕に、相手の予想と反射を超える一撃は出せない。身体能力も練度もセンスも相手の方が上だ。それをまず事実として受け止める。
これは勝負じゃない。勝ちを焦る必要はない。
ひたすら防御に集中する。点じゃなく流れで体を動かす。相手の攻撃は単発じゃない。全てに次の手が付属している。避けた、防げたで安心はしない。相手の連撃の隙間は、自分の体勢を整える事に注力する。その隙間程度に出来る攻撃は、相手からすれば楽に潰せる攻撃だ。
そんな流れを何度繰り返した頃だろう。バイパー先輩が動きを止めた。それでもまだ警戒は解かない。この人の身のこなしなら、多少距離があっても不意の一撃くらい簡単だろう。
「……こんなところだろう」
バイパー先輩が言うと、そこかしこから拍手が聞こえた。一番大きな拍手は、アジーム先輩がしているらしい。
「ユウ、凄いな!ジャミルと手合わせして立ってられるヤツなんて、同世代じゃなかなかいないのに!」
「当たり前だ、オレ様の最強の子分だからな!」
アジーム先輩が隣に立ってやっと、バイパー先輩から感じる不穏な空気が消えた。構えを解いて一礼する。
「意外と慎重なんだな。獅子と殴り合うなんてどんな命知らずかと思ったが」
ジャケットを拾いに行く背中に声がかかる。
「まだ未熟なものですから。手加減をいただいてありがたいです」
愛想良く笑って返した。アジーム先輩が驚いた顔で僕とバイパー先輩を交互に見ている。
「ユウはライオンと殴り合いなんてしたのか!?」
「してませんよ。サバナクローの方とちょっと揉めた事がありまして。その時の話が誇張されてしまってるみたいですね」
「その獅子から熱烈に求愛されている様子だと聞いたぞ?」
「自分を殴った相手に惚れるバカいませんよ」
グリムが何か言いたそうな顔で僕を見ていたが無視した。
僕たちの雰囲気を無視して、アジーム先輩は胸を張る。
「よーし、特訓は終わり!さ、行こうぜ!」
言うが早いか、グリムを抱えて寮内へ歩き出した。慌ててその後を追う。
バイパー先輩の咎める声が聞こえた気がしたけど、アジーム先輩も僕も振り返らなかった。