4:沙海に夢む星見の賢者
スカラビア寮の鏡は四角い形状に蛇や独特の建造物があしらわれたデザインだった。エキゾチックというか、なんかそんな感じの雰囲気。
鏡をくぐった先は更にそれっぽい。映画や教科書の写真で見るような異国の雰囲気の豪奢な建物が、イメージそのままに砂漠のど真ん中にある感じだった。映画のセットと言われた方がしっくりくるくらいの現実味のなさ。
気温は冬から夏に一気に上がった感じ。ジャケットもカーディガンも着てるので凄く暑い。それでも湿度は低いので、日本の夏ほどは不快じゃないかな。
いつも不思議なんだけど、学校の寮って普通は敷地内にあるもんじゃないんだろうか。オクタヴィネルとかも明らかに海の中だし今更なんだけど。
他の寮もここも学校のある土地とは全く違う場所にあって、鏡でだけ繋がってる感じなんだろうか。だとしたら外部からの訪問とかありそうなもんだけど、そんな話は全然聞かないし。本当に不思議。
「ここがスカラビア寮か。本当にムワッと暑くて、真夏みてぇなんだゾ!」
「冷えた身体が温まるだろう?さあ、こっちだ」
バイパー先輩に従って歩く。建物の中に入れば、空気は少しひんやりした。それでも上着が必要な気温ではない。ジャケットは脱いで脇に抱える。
「客人のおでましだ!みな、歓迎の音楽を!」
先輩が手を叩くと、談話室が一気に慌ただしくなった。配膳が進む背景で、生徒たちが慣れた様子で楽器を手に音楽を奏で始める。
「にゃっはっは!オレ様ほどの有名人ともなると、こんなに歓迎されちまうのか」
グリムはこんな感じだが、正直めちゃくちゃいづらい。寮生たちも気を使ってる感じで席を勧めてくれる。というか、厨房で顔を合わせていない生徒たちは僕たちの来訪に首を傾げそうな雰囲気だった。それでも演奏や配膳の手を止めないのは、副寮長の指示だから、という事だろうか。バイパー先輩を信頼してるという事だろう。
「さあ、冷める前にどんどん食べてくれ」
「いただきまーす!」
談話室に集められた大量の料理が一人分ずつに取り分けられ、僕たちの目の前に並べられた。スパイスを使っている野菜料理に肉料理、食欲をそそる匂いのスープ。厨房では見かけなかったパンや揚げ饅頭も並んでいる。多分、上級生が寮のキッチンで作ったものだろう。どれも美味しそう。
豪華なメニューを前にグリムは目を輝かせ、大はしゃぎで料理を口に運ぶ。
「う、うまい!口いっぱいに広がるスパイスの香り……後引く辛さ……カリカリのナッツが乗った野菜の炒め物も美味いし、コッチの揚げ饅頭みたいなのも、んまぁい!」
玄人はだしの食レポ健在。
食が進むグリムを見て、バイパー先輩はにっこり笑う。
「まだまだたくさんあるから、食べていってくれ」
「いろんな料理が食べられて本当に楽園なんだゾ~」
グリムの食べっぷりを、寮生たちも興味深そうに見ていた。モンスターが食事をする所なんて、普通はまじまじ見る機会もないか。その視線にイヤなものは感じないんだけど、彼らが着席したまま料理に手をつけない事は気になる。多分、寮長の到着を待ってるんだろうけど、だとしたらグリムだけ先に食べさせていいのだろうか?
「……お前たち、何を騒いでる?」
そんな事を考えていると、騒ぎを咎める声が奥の方から聞こえた。寮生たちが表情を強ばらせ、バイパー先輩も少し緊張した様子になる。
「り、寮長……!」
「カリム……」
さすがに手を止めたグリムと僕を見て、スカラビアの寮長は表情を険しくした。
短い銀髪にターバンを巻いた姿は、マジフト大会の事件の情報収集中に会った時と同じ。寮服は身分を示すように普通の寮生たちとは形が異なっていた。色味は似通っているが、動きやすそうなストリートファッションっぽい寮生たちに比べて、こっちは民族衣装の雰囲気が強いものとなっている。
「どういう事だ、ジャミル。客を呼ぶなんて、オレは聞いてないぞ!客を呼ぶ時は必ず先に報告しろと言ったはずだ!」
「カリム、これにはワケが……」
険悪なムードに、グリムも困惑している。食べかけの揚げ饅頭を手に僕を振り返った。いや僕を見られても困るんだけど。
「そうすれば……もっとスゲーご馳走と音楽隊を用意できたのに~!」
「……えっ?」
本気で落胆した声音から一転して、寮長は明るく笑いかけてきた。
「よう、おふたりさん。よく来たな!出迎えのパレードもなくて悪い!オレはスカラビアの寮長、カリム・アルアジームだ」
確か、苗字で呼ぶ場合は『アジーム』だけでいいんだっけ。先輩の誰かにそう教わった気がする。
アジーム先輩は僕らの顔を見て笑顔のまま小首を傾げる。
「はじめまして、だよな?」
「いいや、彼らとは初対面じゃない。お前は入学式でグリムに尻を焦がされたし、マジフト大会の前にも食堂で話をしたぞ」
「あれっ?そうだったか?」
バイパー先輩の指摘にそう返し、しかし全く悪気を覚えた様子はない。屈託無く笑った。
「悪い悪い。オレ、あんまり人の顔覚えるの得意じゃねぇんだよな~。気を悪くしないでくれ」
「あ、いえ。お気になさらず」
「オレ様はグリム。コイツは子分のユウ。ちゃんと覚えるんだゾ」
「グリムとユウ、だな。そんじゃ改めまして、これからよろしくな!」
「よ、よろしくお願いします」
太陽のような笑顔のまま、アジーム先輩はバイパー先輩を振り返る。
「今日の料理も美味そうだ。出来映えはどうだ?ジャミル」
「いつも通りさ。どの大皿にも危ない物は入ってないから、安心して食べていい。毒味も済んでる」
「むがっ!?ど、毒味っ?」
気を取り直して食べかけの揚げ饅頭にかじり付いていたグリムが呻く。バイパー先輩は含みのある笑みを浮かべてみせた。
「カリムは熱砂の国有数の大富豪の跡取りなんだ。命を狙われる事も少なくないから、毒味は必須でね」
「いつも大袈裟なんだよ、ジャミルは」
アジーム先輩は肩を竦める。いちいち動きが大きいけど、芝居がかってたりわざとらしいものではない。どうやらただただいちいちリアクションが大きいだけのようだ。
「食事に毒物混入なんて……四年前に二週間昏睡状態になったのを最後に、最近はパッタリと無くなってるし」
「この四年はちゃんと毒味役がついたから無事だっただけだ。お前に食わせる前に毒が盛られた料理は処理してる」
とてつもなく恐ろしい会話が日常会話の空気で繰り広げられている。
食事に毒物が混入される日常、毒味してそれを処理しなくちゃいけない日常、一般人には縁遠い。理解不能の領域だ。
呆気に取られている僕の横で、グリムが困惑しつつもバイパー先輩に抗議する。
「オイ、つまり先にオレ様にいろいろ食べさせてたのは、毒味だったって事か!?」
「あっはっは。そんなに心配しなくてもジャミルが作ったメシなら安心だ。ジャミルは絶対にオレに毒を盛ったりしない」
「何を当たり前の事言ってるんだ」
そんなグリムの抗議をアジーム先輩は笑い飛ばす。確かに毒物は入ってなさそう。……人間用の毒ってモンスターにも効果あるのかな。
「コイツら、いいヤツに見せかけて今までで一番えげつねぇヤツらな気がしてきたんだゾ」
頷かないでおいたけど、正直同感。さっきからずっと妙な違和感があるし。
毒味が終わって寮長も来たから、って事で、食事の準備が進められていく。音楽を担当する寮生は交代制のようだ。客である自分たちがいるせいだったとしたら申し訳ない。
とっとと帰るべきだろうし、周りを見て良さそうなタイミングで食事を口に運んだ。独特の風味と辛味があって、食欲がどんどん湧いてくる。食べ慣れない味だけど、美味しいというのは解った。食事は素晴らしい共通言語。
来客が嬉しいのか、アジーム先輩は大はしゃぎでグリムに青カビチーズのクラッカーを物理的に押しまくっているが、対照的に寮生たちの様子はあまり明るくない。
彼らの話が事実であれば、冬休みを寮で過ごしている原因は寮長の命令だ。肝心の寮長はずいぶん脳天気に過ごしているように感じる。寮生たちの暗い様子に気づいた様子がないのも気になる。
そんな中で平然と食事をしているバイパー先輩もおかしいと言えばそう。僕もグリムも不本意ながら学内の有名人だが、それは決して好意的な意味ではないはずだ。そりゃ、実情を知ってるクラスメイトとか、すったもんだあったハーツラビュルの生徒たちなんかは、比較的普通に接してくれているけど。
むしろ招いたら厄介ごとを持ち込まれそう、ぐらい判断しそうな雰囲気があるんだよなぁ。
スカラビア寮の生徒とはあまり話した事がない。オクタヴィネルと同様に、大人しく目立つ事はせず、無難に授業をこなしている優秀な生徒のイメージはある。接点が薄いから、同じクラスの寮生がバイパー先輩に僕たちの話を好意的にするとも考えにくい。
……もしかして、何か厄介ごとに巻き込まれようとしてるんじゃないだろうか、僕たち。
「食べ物も飲み物もじゃんじゃん持ってこい。音楽も、もっと盛り上がっていこうぜ!今日は宴だ!」
僕の不安をよそに、アジーム先輩のテンションは最高潮だった。