4:沙海に夢む星見の賢者
学園全体に人がいないという事実は、元から人がいないはずのオンボロ寮の空気までも寂しく感じさせた。
朝起きて感じる冴え冴えとした冬の空気も、一段と厳しい気がする。気のせいなんだけど。
今日からは時間があるし、日課のランニングは午前中に行ければ良いや。という事で、ランニングしない日と同じタイミングで起きた。寝ぼけ眼のグリムを布団から引っ張り出し、ふと窓の外を見る。
「うわ、積もってる」
通りで寒さが厳しいワケだ。オンボロ寮の庭は結構広いから雪遊びも出来そう。……グリムって雪遊びというか、寒いの平気なんだろうか。猫っぽいし。
何はともあれ、まずはやるべき事をこなさなければならない。
少し悩んで制服に着替える。まだ寝ぼけてる感じグリムが首を傾げた。
「あれ、なんで制服着てるんだ?もう授業ないんだゾ」
「うーん、なんか……私服で過ごすのも違う気がして……」
こういう時に寮服という制度は良いよなぁ。見るからにフォーマルっぽくて堅苦しそうな寮もそりゃあるけど、サバナクローみたいなラフな服装なら、休日に学校内を歩き回ってても違和感も不便もなさそうだし。
そもそも魔法が使えれば、出てから違うなと思っても魔法で着替えれば済むから、こういう悩みってあんまり無いのかもなぁ。
「あれだけ洗濯めんどくせーって言ってるのに」
「私服だって着たら洗濯するのは同じだよ。一応、学校内に残ってる人もいるわけだし、身分は判るようにしとかないと」
不審者に間違われたくないしなぁ。魔法が使えないから、生徒だって信じてもらえなかったら詰むんだもん。制服着とけば身分は明らかだろうし。多分。
あの後、スマホの充電器と一緒に詳細な指示書が渡されたので、薪の必要な量も置き場も分かっている。大食堂まではちょっと距離があるけど、運ぶだけだし三十分とかからないだろう。
学園長が手配した食料は届くまでに少し時間が空くけど、大食堂のシェフゴーストたちがその間持ちこたえられるように日持ちする食材を分けてくれた。非常にありがたい。
滑り込みで買った非常食もあるし、ごちそうが届くまで何とかやっていけそうだ。帰ったら何を食べようかな。
一抱えの薪を雪に足を取られそうになりながら、大食堂まで運び込む。壁際にある大きな暖炉はすぐに目に入った。普段からそこにあると認識しているけど、こうしてまじまじと見るのは初めてかも。
手順通りについたてみたいな部分をはずして、薪を入れた。乾いた薪が転がる小気味良い音が暖炉に反響する。ついたてを元に戻した所で、一気に炎が燃え上がった。
「うわ!?」
火種も火の気配も無かったのに凄い勢いで、驚いて尻餅をついてしまった。呆けて見ていると、舞い上がった火の粉のひとつが見る間に大きくなっていき、うっすらと人のような形を取る。頭っぽい所に少女のような顔があった。
「オマエが火の妖精か」
グリムの声に応えるように、火の妖精はにっこりと笑った。次の瞬間には火の粉を散らして弾けて消える。
「……満足してもらえたかな?」
「みてえだな」
驚いて何も言えなかった。もはや普段のように物言わず爆ぜるばかりの炎に向け、軽く会釈しておく。
「これからよろしくお願いします」
「もういねえんだゾ」
「見えなくてもきっと聞こえてるよ」
そんな会話をしているうちに、火に当たっている身体はどんどん暖まってくる。こうなるといっそ出るのがしんどい。
「なぁ、キッチンに食い物が残ってないか見に行こうぜ」
「食べ物なら昨日譲ってもらったでしょ。あと残ってるのはホリデー後も使える食材だよ。盗ったら泥棒」
「誰もいねーのに真面目過ぎるんだゾ」
「誰もいなくてもバレる悪事は働かないの。ホリデー明けて追い出されたら意味ないでしょうが」
「ちぇー」
面白くなさそうな顔をしていたグリムの目が見開かれる。いつにも増して鼻をひくひくと動かしていた。
「どうしたの?グリム」
「どこからかスパイシーでいて食欲を刺激する異国の香りが漂ってくる……キッチンの方からだ!」
言うが早いかグリムは駆けだした。慌てて後を追う。
程なく香辛料の香りが漂ってきた。厨房に近づくと強まっていく。上手な人が料理をしている時のリズミカルな包丁の音や、何かを焼いているような音も聞こえてきた。
そっと覗きこむと、十人ぐらいの人が慌ただしく厨房内を行き交っている。厨房の大きな調理器具を使って、何か作っているらしい。
全員揃って、黒をベースに金や赤の装飾が入った、ストリート風のファッション。確か、スカラビア寮の寮服だ。
「野菜に火を通し終わったら、解凍してあった肉を茹でてくれ。油が温まったらナッツを入れるのを忘れずにな」
彼らに指示を出しているのは、長い黒髪の少年だ。寮生たちが味付けなどの指示を仰いでは作業に戻っていく。本人の手際も良い。かなり大量に作っている様子なのに、ひとり抜きんでて手慣れているように見えた。
「にゃんだぁ?冬休みのはずなのに、生徒がいっぱいいるんだゾ!」
グリムが思わずあげた声に、厨房内の寮生たちが気づいた。指示を出していた少年も振り返る。
「ん?君たちは……」
「あなたは確か、マジフト大会の時に……」
「ああ、マジフト大会前に怪我をした時、少し話をしたな」
向こうも覚えていたらしい。
確かあの時、うっすら嫌みったらしい事を言われたような。いかにもこの学校の生徒らしい人、と感想を抱いた気がする。
「君たちは確か……オンボロ寮の監督生の、ハシバユウとグリム、だったか?」
「その節はお世話になりました」
「物覚えがいいヤツなんだゾ!オマエの名前は、ええっと……」
「ジャミルだ。ジャミル・バイパー。スカラビアの副寮長をしてる。……俺は昔から人の顔と名前を覚えるのは得意でね」
バイパー先輩はそう返しながら、笑みを深める。
「それに、君らは入学以来とにかく目立つからな。この学園で君らの名前を知らないヤツはいないんじゃないか?」
「えっ、そ、そうか?にゃっはっは!オレ様たちも名前が売れたもんなんだゾ!」
「僕はあんまり嬉しくないけどなぁ……」
僕の呟きをスルーして、バイパー先輩はところで、と話を切り替える。
「君たちは冬休みなのに何故学園に?」
「オレ様たちには帰れる実家なんてねぇからな」
僕は帰りたくても帰れないんだけど、という言葉は飲み込んでおく。事情説明が面倒だ。
……こういう所で説明しないから、初日のエースみたいに『魔法が使えないくせにズルで在籍している』って思われるんだろうか。でも説明したところで、みんながみんな信じて理解してくれるとは思えないしなぁ。
「それに学園長から暖炉の火の番という大役を任されてるんだゾ」
オレ様真面目で有能だからな、と有りもしない評価を口にしてグリムは胸を張る。恥ずかしいから正直やめてほしいが、否定してもめんどくさいので黙っておいた。
それに対し、バイパー先輩はツッコミも入れず目を細める。
「へぇ………そうなのか。学園長にね……」
「帰るところがないのを良い事に、雑用を押しつけられただけですよ」
「……そういえばマジフト大会の安全調査も、学園長の指示って話だったか?」
「そうですね。アレも似たような理由でしたけど」
「学園長に信頼されてるんだな」
「ははは、まさか」
内情は都合の良い捨て駒でしかないんだけどね。そんな見方をされると気持ち悪い。
「お話中すみません、副寮長。野菜の下準備が終わったのですが……」
「ああ、今行く」
バイパー先輩は寮生に呼ばれてコンロの前に戻っていく。グリムはそれを追いかけて鼻を動かしていた。
「美味そうだけど嗅いだことない匂いがするんだゾ」
「これは熱砂の国の伝統的な家庭料理で……、……ああ、そうだ」
説明しかけた先輩が、僕を振り返り微笑みかけてくる。
「ここで出会ったのも何かの縁。良ければ君たちも食べていかないか?」
「にゃにっ!いいのか!?」
「ああ、もちろん」
まぁでも、そううまい話があるわけもない。
「料理の完成まであと少しだ。君たちも手伝ってくれ」
「グリムは外にやった方が」
「オレ様だって手伝いくらい出来るんだゾ!」
「と言ってるし。仕事はちゃんとこっちで選ぶから大丈夫だ」
そこまで言われて拒否するのも気が引ける。グリムの手足を洗わせて床に降りないように念押しし、バイパー先輩に託す。
「この調味料、めちゃくちゃいい匂いがするんだぞ」
「熱砂の国のスパイスさ。数種類をブレンドすることで独特の風味が出るんだ。使い方を教えるから手順通りにやってみてくれ」
グリムは意外と素直に手伝っている。目の前で美味しいものが出来ていく様子に興味がない、というものでもないらしい。
「何か雑用まだ残ってますか?」
「あ、じゃあ料理を台車に運ぶのを手伝ってもらえるかな」
「はーい」
入ってきた時には気づかなかったけど、厨房の外には料理を運ぶための台車が何台も並んで置かれている。薄暗い廊下でも分かるぐらい金色。
保温の魔法をかけた皿をここに並べていく。何十人分だろう、これ。学食のビュッフェは頻繁に補充が入るからかもっとコンパクトなんだけど、彼らの作った料理はここにいる人だけの分ではなさそう。
「これ、誰が食べる分なんですか?」
「寮生だよ。スカラビア寮は、その……寮長の命令で、全員学校に残ってるんだ」
後半は声を潜めていた。その視線は、厨房でグリムのお守りをしているバイパー先輩に向けられている。
「この茶色いの、もう鍋に入れて良いか?」
「まだだ。ガラムマサラは火を止める直前に入れないと香りが飛んでしまう」
指示を出しながら、バイパー先輩がこちらを見た気がした。慌てた様子で生徒たちが厨房内に戻っていく。その後を追って、引き続き料理を運ぶのを手伝った。
スカラビアの寮長と言えば、確か、底抜けに明るそうな雰囲気の人だった、ような気がする。事務仕事が苦手な、軽音部の人じゃなかったっけ。
冬休みに寮生を帰省させない、なんてタイプには見えなかったけど。それはこっちの勝手な思いこみだって事なんだろうか。あの人もこの学校の生徒だしなぁ。
なんか面倒な事になりそう。グリムは食事に目が眩んでるけど、逃げた方が良さそうだなぁ。
「どの寮もキッチンがあるイメージですけど、スカラビアにもあるんですか?」
「あ、ああ。もちろん。あっちはあっちで、上級生が他のメニューを担当しているんだ」
「寮生全員分作るとなると、広さも設備も足りなくてな……」
「大変なんですね」
スカラビア寮の生徒たちは、誰も彼もちょっと疲れたような雰囲気があった。楽しい合宿、では全くないらしい。そりゃ普段が寮生活なのだから、帰省できない休みなんて嬉しくないか。
その後も仕上げや盛りつけ、調理器具を洗うといった雑用に終始した。バイパー先輩の手伝いをしていたグリムは、完成した料理を前に鼻を動かし満足そうに笑う。
「スパイスの深みのある香り、よだれが出ちまう!」
「よし、こんなものだな。お前たち、料理を寮へ!」
「はっ!」
スカラビア寮生たちは台車を押して鏡舎の方へ向かっていく。
「手伝い、感謝する。出来た料理はスカラビア寮で食べるから、君たちもついてきてくれ」
「あ、いやえーと、それは」
「やっほう!オレ様腹ぺこで待ちきれねえ!」
「料理が冷めてしまうから、早くスカラビアへ向かおう」
グリムを止めようとしたけど、その間に素早くバイパー先輩が割り込んできた。こちらの疑念を押し返すような、妙な迫力のある視線。思わず足を止める。
「スカラビアはいつでも夏のように暖かい。ちょっとした南国気分が味わえると思うぞ」
「やっほー!そんなの楽園なんだゾ~。ユウ、早く行こう!」
「ちょ、ちょっと待って、グリム!」
尚もバイパー先輩が前を塞ぐ。思わず顔を見た。
「君たちが来てくれたら、寮長も喜ぶだろう。……来てくれるな?」
「もちろんです」
反射的に返していた。
あれ?と戸惑っている僕に対し、バイパー先輩は含みのある笑顔を向けてくる。
「……君を招待できてとても嬉しいよ。ユウ」
手を引かれ、厨房の出口に向かって歩き出す。
「さあ、行こう。スカラビアへ」