4:沙海に夢む星見の賢者



 鏡の間の混雑状況はだいぶ解消されてきたが、まだ結構な人数が残っていた。後から後から人が来てる。
「宿題を持って帰りすらしないなんて……キングスカラー先輩、あそこまでくると逆に感心するものがあるよな」
「こらこら、一年生たち~。そういう悪い先輩は見習っちゃダメだからね」
 デュースの言葉を咎めるように後ろから声がかかる。振り返る前に抱きしめられた。横を見るとダイヤモンド先輩が笑っている。その後ろにはクローバー先輩が困った笑顔で立っていた。
「宿題未提出なんて、ウチの寮ならリドルに首をはねられるぞ」
 そう釘を刺され、一年生たちが思わずといった感じで姿勢を正す。その反応を見て、クローバー先輩は満足そうに笑みを深めた。
 一方、ダイヤモンド先輩は物憂げな溜息を吐く。
「オレも実家に帰るのちょっと憂鬱~。絶対姉ちゃんが二人とも帰ってきてるもん。ホリデー関係なくこき使われるよ」
 そして、キラキラした視線をクローバー先輩に向けた。
「オレ、トレイくんちにホームステイに行きたいなー」
 甘えた声音を受けて、クローバー先輩が満面の笑みを浮かべる。
「構わないが、うちに来てもこき使うぞ。冬はケーキ屋が一番忙しい時期だからな」
「あ、そっか。トレイくんちってケーキ屋さんだっけ。逃げ場がない。トホホ」
 ダイヤモンド先輩は落ち込んだ感じで脱力する。その間も腕は離してもらえない。離して、と言うタイミングも失ってしまった。
「ほら、ケイト。ユウが困ってるぞ。そのぐらいにしとけ」
「あー、けーくんの癒しの時間がー」
 クローバー先輩に襟首を掴まれ引きはがされていく。ぱたぱたと手を動かす動きが哀愁を誘った。
 苦笑しながらも何気なく視線を動かすと、入り口の方から歩いてくるローズハート先輩の姿を見つける。
「ローズハート先輩だ」
 僕が呟くと、クローバー先輩がそちらを振り返った。声をかけて呼び寄せている。
 ローズハート先輩は少し落ち込んだ表情だった。みんなもそれには気づいたらしい。
「あれ?なんか……いつもより元気がねぇんだゾ」
「あー、そっか。寮長は実家でエグめの教育ママが待ち構えてるんだっけ。一時帰宅が憂鬱にもなるか」
 エースの言葉で、ローズハート先輩の表情はますますどんよりしたものになった。どうやらそれで気落ちしているのは事実らしい。
 ……オーバーブロットの件は、大人たちの間では処理に時間がかかったという印象があったし、もしかしたらその事が母親にも知られているのかもしれない。
 ローズハート先輩の親がどういった意味で我が子のオーバーブロットという事実を受け止めたのか、実際に対面して反応を見るまで真意が分からない部分もあるだろうし。まぁ憂鬱にもなるだろう。
「……リドル。俺はお前の家に立ち入り禁止だからケーキを届けたりはしてやれないけど……いつでも店に遊びに来いよ。チェーニャも遊びに来るだろうし」
「そう、だね。ボクもお母様と少し……話をしてみようと思う。……聞いてもらえるかはわからないけど……」
「……そうか。頑張れ」
 でもローズハート先輩は、前に進もうとしている。逃げ道も無いワケじゃなさそう。
 良くも悪くも、僕たちはもう小さな子どもとは言えない。大人ぶるにはまだ足りないけど、昔に比べれば選択肢はずっと増えているはずだ。
「ローズハート先輩なら大丈夫ですよ」
「……ありがとう、ユウ」
 思わず言葉を添えると、ローズハート先輩は少しだけ笑ってくれた。そうすると少しだけ、場の空気が和らぐ。
「なぁにぃ、金魚ちゃん。おうちに帰りたくないの?」
 そしてすぐに緊張した。
 フロイド先輩がローズハート先輩を後ろから覗きこむようにしている。ローズハート先輩がクローバー先輩の方に身を引くと、フロイド先輩の隣にジェイド先輩がいつの間にか並んでいた。
「だったら帰らなきゃいいのに。オレたちも帰らないしさぁ、一緒にガッコーに残ろうよ」
「……突然なんだい、フロイド。何も知らないくせに、口を挟まないでくれないか。不愉快だ」
 ローズハート先輩はいつもの調子を取り戻し、厳しい口調でフロイド先輩に返す。それを聞いてからジェイド先輩がしれっと口を挟んだ。
「そうですよ。ご家庭の事情にむやみに首を突っ込むものではありません」
「えー?だってさあ、いつも同じメンツで年越しすんの、つまんないじゃん。アズールも、金魚ちゃんなら小さいから飼っていいって言うと思うし~」
 小さいから飼っていい、の部分でローズハート先輩の目尻がひくりと震えた。
「今、なんとお言いだい?」
 怒りを含んだ低い声に、寮生たちが恐怖を滲ませる。
「……ハーツラビュルの長たるボクによくもそんな口がきけたものだね。今すぐ首をはねてやる!!」
「リ、リドルくん!ここで喧嘩はヤバいって!」
「落ち着け、リドル。またあいつのペースにハマってるぞ。」
「うぎぃい……!!」
 先輩たちが急いで押さえ込む。悔しげに唸り爆発寸前のローズハート先輩を宥めながら、ダイヤモンド先輩が話題を変えた。
「えぇーっと、フロイドくんたちの実家って確か珊瑚の海だよね?なんで帰らないの?」
「アズールと僕たち兄弟の故郷は珊瑚の海でも北の方でして。この時期は海面が流氷で覆われるんです」
「そーそー。流氷があると帰んの大変なんだよねぇ。あと、帰ってもつまんないし。だから、オレたち三人は氷が溶けた春休みに帰る事にしてんだ」
「へぇ。海の下に実家があるっていうのもいろいろ大変なんだな」
 雑談している間に、ローズハート先輩も落ち着いてきたらしい。居丈高に鼻を鳴らす。
「オクタヴィネルと一緒に年越しだなんて、絶対にごめんだね!ボクはこれで失礼する。皆、良いホリデーを」
 後輩たちの挨拶を背中に受けつつ、足早に鏡に向かっていった。そんな姿にクローバー先輩は苦笑を向ける。
「……やれやれ、少しいつもの調子に戻ったか?」
 そして、いつもの先輩の顔で一年生に改めて釘を刺していく。
「お前たち、休暇中に羽目を外しすぎるなよ。それじゃあ」
「さて、オレも帰りますかぁ~。あ、帰る前に記念に一枚」
 当たり前のように集められ撮影される。素早くSNSに投稿し、ダイヤモンド先輩はいつもの笑顔を僕たちに向けた。
「んじゃ、みんなハッピーホリデ~☆」
「あ、はい。よいホリデーを」
 ぶんぶん手を振ってから、クローバー先輩に続いて鏡に消えていった。どんどん人が減っていく。
「小エビちゃんとアザラシちゃんは学園に残るの?」
「はい。まだ故郷に帰る方法がわからないので……」
「だったらオクタヴィネルに遊びに来なよ。アズールもいるしさ、オレたちが遊んだげる」
「それはいいアイデアだ。楽しいホリデーになりそうですね」
「あー……まぁ、その、機会がありましたら、はい」
 苦笑いしつつ返すが、二人が気にした様子はない。
「いつでもお待ちしていますよ。では……」
 二人は含みのある笑顔を浮かべたまま鏡の間から出ていく。……そういえば、帰省しないならあの人たちは何をしに来たんだろう?他の寮生の見送りでもしに来たのかな。
「……アイツらの顔を見てると、モストロ・ラウンジでの過酷な労働が思い出されるんだゾ」
「確かにあれは辛かったな」
「思い出させんなよ」
 元イソギンチャクが苦い顔をしている。君らのは自業自得だと思うけどね、という言葉をどうにか飲み込む。
 鏡の間の生徒の数はだいぶ減ってきた。
「……さて。僕たちもそろそろ帰るとするか」
「そーね。そうだ、ユウ。スマホもらったんなら、マジカメのID交換しとこーよ。連絡取れたら色々と便利だし」
「あー、そうだね」
 さっそくスマホの電源を入れた。待ち受けのナイトレイブンカレッジの紋章が何とも言えない存在感だ。これ変えていいかな。
 文字入力はアルファベットしか分からない。さすがに日本語はなさそう。画面を見る分にはこの世界のあらゆる筆記具がそうであるように、見る人間の言語に自動的に翻訳されるようになっていた。つまり入力した文字がローマ字打ちの日本語文章でも正しい翻訳で相手は読めるので、スマホを介して誰かと意志疎通するのは問題なさそうだ。
 マジカメのアカウントはデフォルトで作られている。学園長と学校の公式アカウントだけはフォローしてあった。
「ユウはこういうの変えるタイプ?」
「あー。変えられるなら変えたい方」
「おっ、定番とかある?」
「秀吉」
「ヒデヨシ?」
「僕と同じ苗字の、僕の世界の偉人の名前が元ネタ」
「へー」
「まぁでもこれはグリムと共用だし、ユウとグリム、みたいなのでいっかな」
「ダサくね?」
「実用性のが大事って事で」
 基本的な操作は元の世界のスマホと特に変わりはなさそう。アイコン用にグリムを撮影し、さくさくと登録内容の変更を進める。
 基本的な内容が揃った所で、二人に画面を見せる。
「よし、登録登録……っと。冬休み中、さみしくなったら連絡してきてもいいぜ?」
「用もないのに連絡しないよ」
「出た。ユウのマジレス。冗談だっつーの」
「いや本当に。うち一家で筆無精だから必要ないとほぼ連絡しないと思う」
 エースの表情が笑いのまま固まってる気がする。無視しておいた。
「こいつのくだらない冗談はさておき、何かあったら遠慮なく連絡してこいよ」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、母さんが待ってるだろうから僕ももう行く。ユウ、グリム、良いホリデーを」
「んじゃ、オレも行きますか。ユウ、グリム、また来年な~」
「ふたりとも、良いホリデーを。また来年ね」
 鏡の正面に行くまでこちらに手を振っているものだからちょっとひやひやしたけど、二人とも無事に鏡の向こうに消えていった。
 鏡の間はすっかり人の姿が少なくなりとても静かになっている。見知った顔が、明日からしばらくは気軽に会える所にはいないのだ。それはちょっと、やっぱり寂しいものがある。
「いつも騒がしすぎてウゼーと思ってたけど、いざいなくなってみると……アイツら本当に毎日ウルセーって事がよくわかるんだゾ」
 こちらの気を知ってか知らずか、グリムは呆れ顔で言い放つ。もしかしたら彼なりの寂しさへの反発なのかもしれないけど、今は苦笑するしか出来なかった。


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