4:沙海に夢む星見の賢者
秋学期最後のホームルーム。クルーウェル先生はいつもの調子で僕らを見下ろす。
「いいか、仔犬ども。明日からホリデーバケーション……久々に実家に戻れてはしゃぐ気持ちはわかる」
どこかそわそわと落ち着かない空気の教室内が静かになる。理解を示された戸惑いみたいなものを感じた。
しかしそれで終わるわけがない。
「だが、はしゃぐあまりに宿題を忘れて遊び呆けるヤツが毎年いる!」
いつにも増して厳しい声音で言い放つ。……本当にそうなんだろうな、という感じがした。
「そういう仔犬にはキツいお仕置きが待ってるからな。気を抜きすぎないように」
クルーウェル先生の言う『キツいお仕置き』は迫力がある。従順に返事をする生徒たちの声にも怯えたものが混ざっていた。
従順な仔犬たちの様子に満足したようで、先生は僅かに笑みを浮かべる。宿題の配布を終え一通りの注意事項を連絡し、ホームルームは終わった。
「はー、やっと窮屈な寮生活から解放される~!」
隣の席のエースが伸びをしながら言った。ルールの多いハーツラビュルの生徒が言うと実感がこもっている。
「うっ、さすがナイトレイブンカレッジ。宿題の量が多いな」
更にその隣でデュースが配布された宿題の束の内容を見て青ざめている。僕も後で確認しないと。二人で一人の生徒なのに、魔法の実技を必要としない宿題は半分にならないんだよなぁ。グリムにサボらせないように対策を考えないと。
「そーいやユウってまだ元の世界に戻る方法見つかってないんだろ?」
「うん」
学園長からは勿論、アーシェングロット先輩からも特に報告はない。まぁ先輩のは厚意なので、期待するのもちょっと違うかもしれないけど。
「という事は……二人ともホリデーは寮で過ごすのか」
「おう。ゴーストたちとごちそうを食べまくる約束してるんだゾ!」
「なるほどね。確かに学園にはゴーストがたくさんいるし、二人ぼっちってわけでもないか」
そこでデュースがはたと気付く。
「でも、学園が休みになるという事は、食堂や購買部も休みになるんじゃないか?」
「ふなっ!そういやそうなんだゾ。オレ様のごちそうはどうやって調達すりゃいいんだ!?」
「んー、学園長が何も考えていないわけがない……と思いたい」
ここまで学園に置いてもらっておいてなんだけど、学園長、たまに僕たちの事を悪い意味で忘れている気がする。先生たちが魔力の無い僕や人間ではないグリムを特殊事例ではなく普通の生徒として扱う、という類の好意的な忘却ではない。そんなヤツいたっけ、そういえばいたね、みたいな。
そして捨て駒が必要な時だけ都合良く思い出すのだから余計に質が悪い。
「早急に学園長に確認してみる必要がありそうだな」
「鏡の間にいるんじゃね?俺らも帰るし、一緒に行ってみようぜ」
エースに促されて席を立つ。帰省の荷物は寮に置いてきてるらしい。というか、教室まで持ち込んでいる生徒の方が稀だった。よっぽど早く帰りたいんだろうな。
鏡の間の前で待ち合わせにしたけど、人が多くて合流が大変だった。みんな大荷物だし、それぞれ自分の地元を指定して帰るわけだから、作業にも時間がかかる。
「もう帰省する生徒でいっぱいだな」
「はは、なんかみんなそわそわしてんねー」
エースが笑って言う。言ってるエースも普段に比べてちょっと落ち着かない雰囲気だけど。
室内を見渡していると、学園長の声が聞こえてくる。生徒たちに声がけしているらしい。
「みなさん、闇の鏡に目的地を告げたら荷物をしっかりと持ってください。転送中に手を離してしまうと、荷物だけ別の場所へ飛ばされてしまいますからね。絶対に無くしたくないものは購買部から宅配便で発送してください」
「おー、いるいる」
「学園長自ら生徒の見送りなんてするんだね。そっちのけで休みの準備してそうだけど」
「いくら何でも学園長をバカにしすぎじゃないか……?」
「日頃の行いが悪ぃから仕方ねえんだゾ」
「まぁ、学園長なんだから長期休暇に浮かれるなんてないっしょ。仕事なんだしちゃんとやってるって」
生徒の流れに従って室内に入り、声の出所を探す。程なく、見慣れた怪しい仮面を見つけた。服装はいつもの洒落たコートと帽子……ではなく、白い帽子に明るい黄色のアロハシャツというラフな姿である。手袋はそのままなので浮いて見えるが、それ以外は私服っていうか、南国満喫スタイルにしか見えない。冬の海外旅行の定番は南の島といえばそうだけど。
「めっちゃ浮かれてるぅーーーーーーっっっっ!!!!!!!!」
四人の声が綺麗に揃った。生徒たちが何事かという顔でこちらを見ている。ついでに学園長もこちらに気付いて歩いてきた。
「おや、みなさんお揃いで。どうしたんです?」
「やいやい、学園長!話があるんだゾ!」
「その、休暇中の僕たちの食料ってどうなるんでしょうか……」
「休暇中の……食料……?」
「大食堂も購買も閉まってるんじゃ、僕たちには補充する手段が無いんですけど……」
そう言われてやっと、僕たちの生活の事を思い出したらしい。
これアーシェングロット先輩にチクったら何か報復してくれるだろうか。『ナイトレイブンカレッジに残る』という条件、早くもめげそう。
「もちろん考えていますとも。当たり前じゃありませんか」
言葉だけは立派だが、その前の思わず漏れた声が全てを物語っていた。
ちょうど食料の配達をネットで手配する所だった、なんて言ってるけど今更遅い。僕とグリムだけじゃなく、エーデュースも不信の目を向けている。
「……もしかしてコイツ、ユウが元の世界に帰る方法も全然探してないんじゃねぇのか?」
「失敬な。ちゃんと探していますよ」
学園長は、真面目に心外だという顔をしている。顔だけは。
「この冬期休暇は、まだ行った事がない南の地域へ調査範囲を広げようと思っているんです。私、とっても真面目なので」
「調査に向かうって格好じゃない気ぃしますけど」
「少なくとも、生徒の見送りから着ておく必要は無いですよね」
「浮かれた気持ちを隠す気がゼロすぎるな」
「休暇を満喫する気にしか見えないんだゾ」
「何を仰います。南の国ではこれが正装。郷に入っては郷に従えと言いますし、現地に馴染む事こそがスムーズな調査には必要なのです」
なんかわからなくもないけど、学園長が言うと少しも説得力がない。現に仮面の奥の視線はうっとりと遠くを見つめている。
「冬の寒さを逃れ、南国で穏やかな海を眺めつつ、ハンモックでココナッツジュースを飲む……そんな優雅なバケーションを満喫しよう、なんてちっとも思ってもいませんとも」
「な、なんて具体的な言い訳だ……!」
「オマエだけずりーんだゾ!オレ様たちも南国に連れてけ~!」
「えぇ?それでは楽しい休暇が台無し……、いえ、君らを連れて行くには危険な調査になりそうですから、ここは私が一人で向かいます」
不信の目を向ける僕を見つめて、学園長は続ける。
「それに、君たちには学園に残り重要な任務にあたってほしいのです」
ナイトレイブンカレッジの存続に関わるとても重要な任務、とわざわざ言い添えた。グリムは素直に目を丸くして学園長を見上げる。
「重要な任務?」
「この学園の食堂や暖炉の火は、全て火の妖精の魔法によって賄われています。彼らは長年、大食堂の暖炉に住み着いているのですが……毎日よく乾燥した薪を与えなければ消えてしまうのです」
火の妖精は学園内の暖房設備も兼ねており、彼らがいなくなると学園は冬の度に凍えるような寒さに包まれる事になるという。
確かに、真冬にしては校舎内は暖かい。建物の広さに対してエアコンのような設備が見当たらないのに快適な気温が保たれているのは、こういう魔法があるから、という事のようだ。学園の存続に関わる、という学園長の言い方もあながち間違いではない。
「今までは長期休暇中も厨房係のゴーストが火の番をしていてくれたのですが……今年は娘夫婦にお子さんが産まれたそうで、初孫の顔を見にあの世に帰省するんだとか。ですので、彼の代わりに君たちに火の番を頼みたいのです」
「ゴーストに初孫……?」
「そこは愛が生んだミラクルということで深く考えてはいけません」
思わず質問したが、あしらわれてしまった。嘘ではないとしたら本当にどういう事なんだ。ミラクルで済ましていいの?その初孫もゴースト?産まれながらに?
脳内大混乱のどさくさに紛れて、学園長は話を続ける。
「この任務を請け負ってくれるなら、休暇中の食料の補給はもちろん……ホリデーのご馳走についてもお約束します」
学園長は主にグリムに向けて、ご馳走のメニューを羅列する。グリムは口の端によだれを垂らしながらそれを聞いていた。
「アツアツのスペアリブと、フライドポテト……ふ、ふん。そこまで言うなら、話くらいは聞いてやってもいいんだゾ」
エーデュースが呆れた顔でグリムを見下ろし、何か言いたげに僕を見る。僕は無言で首を横に振った。
「何にせよホリデーを暖かく過ごしたいのなら火の番は必須。毎日暖炉に薪をくべるだけで寒さや食料の心配をしなくて済む……一石二鳥じゃありませんか。なんという好条件!」
「確かに、今までの無茶振りに比べれば超楽ちんな気がするんだゾ!」
「そうでしょう?こう見えて私、とても優しいので」
グリムに文句がないなら僕も別にいいや。
食料の心配が無いなら、最悪死ぬ事はないだろう。電気や水の供給まで止まるって事は無いだろうし、万が一全部止まっても最後の手段はそこそこある。裏手の井戸水とか、談話室の暖炉とか。
話がまとまった所で、学園長がそうそう、と新たに話題を切り出す。
「私が長期不在にするので、これを君たちに渡しておこうと思ったんです」
学園長が指を振ると虚空に光が溢れた。光が消えると、学園長の手にはスマホが握られている。そのまま僕に差し出した。
見る限りは元の世界にあるものと何も変わらない、普通のスマホに見える。新品のようで、最初についてる保護フィルムもかかったままだ。
「何か緊急の用事があれば、このスマホで私に連絡してください。こちらはあくまで緊急連絡手段です。マジカメ巡りなどに没頭して通信制限を受けたりしないように」
「……充電器とか無いんですか?」
「それは魔法で……あー、それも今日の夕方までには届くように手配しておきます」
魔法で充電とか出来るんだ……便利だろうな。
この世界にも魔法が使えない人はいるから、スマホも魔法が無いと使えない、というものでもないらしい。そこはちょっと安心。
「さて、私は生徒たちをご実家へ転送する仕事がありますので。後は任せましたよ、二人とも」
学園長は話は終わったとばかりに離れていく。言葉とは裏腹に足取りはうきうきと軽い。羨ましい限りだ。
そりゃ哀れんで四六時中お葬式みたいな空気でいられるのもイヤだけど、ここまで忘れられていたらさすがにちょっといい気分にはなれない。
そんな僕の気も知らず、グリムはご機嫌で踊っている。
「にゃっはー!コレでホリデーはごちそうがたんまり食えるんだゾ!」
「なーんか体良く丸め込まれた気がすんな……ま、お前らがいいならいいけどさー」
「まぁ、イヤだって言ってどうにかなるものでもないしね。仕方ないよ」
結局は聞き分けの良い子どもでいるしか選択肢は無い。僕がここに来たのが学園側の落ち度ではないと証明できていない現状、温情で置いてもらっている立場には何も変わりないし。とても不本意だけど。